第二幕 始、恐怖、焦燥感
『・・・・』
とっさのことで誰一人動くことができなかった。
同時に、全員が理解する。
次の試練は、香織の番なのだと。
「楓!!」
一番初めに動いたのは晧子だった。
晧子に起こされた楓の胸には、ぽっかりと大きな穴が開き、そこから血が噴き出している。
どう考えても致命傷、血を止めようにも傷が大きすぎるし、動かすことすらままならない。
そして、楓を貫いた当人である香織は、ただそこに立ち尽くしていた。
「香織・・・・」
悠生が恐る恐る声をかけるが、反応がない。
悠生の頭を、二つの衝撃が駆けていた。
一つは、香織が晧子を攻撃したこと。
そしてもう一つは、楓の体が、香織に貫かれたことだ。
なかむらけの人間は、全員が常軌を逸した身体能力、知力を宿しているが、その中でも楓は顕著だった。
対して香織は、力の強いほうではない。つまり、普通なら香織の攻撃が楓の体にダメージを与えることはないし、楓もそれがわかっているから晧子をかばったのだろう。
それが、現実は楓の体を貫き、香織の手にはダメージがない。
それはすなわち、現時点で香織の身体能力が楓を上回っていることを表していた。
「叔父さん!!」
晧子の声で我に返る。そうだ、今は思考に耽っている場合ではない。何とかしないと楓が死ぬ。
『私はモードレッド。またの名を・・・』
香織は、うつろな瞳のまま、高らかにその名を口にする。
『天哭の騎士』
「天哭・・・天に哭く、裏切りの騎士か」
ロリンがそういいながら香織の、モードレッドの前に立つ。
『これはこれはローエングリン殿、国に返らず何をしているのかと思ったが、まさかこんなところでお目にかかれるとは・・・』
「私は試練を突破された身、どこにいようと自由だろう。それよりどういうことだモードレッド、試練対象への攻撃は禁忌のはずだ。」
『そんなもの、私には関係ありませんよ。私は裏切りの騎士、騎士としての宿命も、私にとっては在って無き物』
「つまりお前は、試練としてではなく、自分の意思で楓を攻撃したと。そういうことだな?」
『ええ。試練などとまどろっこしいことはせずに、さっさと殺してしまったほうが早いでしょう??』
「・・・悪いが、俺はまだ死んでないぞ」
と、割り込んで入ってきた声にロリンもモードレッドも驚く。その声は、胸に風穴を開けられた楓の声だった。
「モードレッド、とか言ったな??残念だがあの程度予測の範囲内なんだよ。だからこそ、あらかじめ対策をしておいた。」
そういいながら立ち上がる楓の傷は、目に見えて修復されている。
『さすが、なかむらけでも最強クラスの実力を持つ者、細胞操作はお手の物ですか』
「・・・一発で見抜かれるとさすがにショックだが・・・まぁそういうことだ。」
「細胞操作って・・・」
「一言でいうなら細胞に命令を与え、とっさに攻撃をよけさせた。まぁ、かすったせいでダメージは受けたけどな。」
「いや、いよいよ人間離れしてきたな・・・」
徳光のコメントには触れず、楓は香織、否、モードレッドへと向き直る。
「試練じゃないってことは、俺たちがお前の相手をしてもいいってことだよな?」
そういうが早いか、楓はモードレッドの死角に入り込み、手刀で首を獲らんとする。
『かまいませんよ?あなたに彼女を殺すことができるなら。』
その一言で、楓は攻撃を止めざるを得なかった。
『意識こそ私が奪ってありますが、体は紛れもなく彼女自身のもの。それを殺すということは、すなわち彼女を殺すことにつながる。それとも、本物の香織はどこか別の場所にいるとでも思いましたか?』
「ちっ…そう都合よくは行かないか」
『もちろん、私はあなた方を殺すためにここにいるので、容赦はしませんがね。』
そう言いながら、モードレッドは楓の首を刎ねようとその手を伸ばす。
「…許せ、香織。」
楓はその手を取り、同時に足を払う。そして、宙に浮いた香織の体に向け、全力の掌底を叩き込む。
「雛罌粟…からの」
宙に浮いた体への衝撃は十全に通り、続けざまに逆側の拳を、腰のひねりを加えて香織の水月へと『発射』する。
「我流、絶花…!」
『残念ですが、今のこの身体はあなたの能力をはるかに上回る。あなたの全力の攻撃でさえ、私には効かない。』
「おいおい…反則だろ」
完全に決まったかに見えた楓の一撃は、モードレッドの身体を捉えてはおらず、衝撃波が虚しく屋根を破壊する。
『身体の外側、皮膚のみを攻撃する技ですか。冗談でも妹に向ける技ではありませんね』
いつの間にか楓の後ろにいたモードレッドは、今度こそ完全に虚を突かれた楓の背に手刀を差し込んでいた。
「あの楓が手玉に取られるなんて…」
悠生を除けば、間違いなく最強。それが簡単に破られたということは、裏を返せば、この場にいる全員で束になったところで、絶対に勝てないという証明であった。
「…逃げるぞ」
『逃すと思いますか?』
そう口にした静也も、一瞬で意識を刈り取られる。
『あなたたちを皆殺しにするために、私はここにいる。』
なかむらけにとって、勝てない相手というのは今まで現れなかった。その驕りが、慢心が。
今まで必要としなかった、恐怖を呼び覚ました。
「ダメだ…どうやったって勝てない…。」
徳光がそう言ってへたり込む。彼だけではない。他の面々も、次々と折れていく。
「こちらからは攻撃できない。一撃でももらったら負け…とんだ絶望だな…」
悠生でさえ、その心にヒビが入っていた。
ただ一人を除いては。
「何諦めてんだ!」
突然の発破に、モードレッドも固まる。
その言葉を発したのは。
「私が踏ん張ってんのに!なんであんたらが諦めてんだよ!!」
唯一なかむらけと違う、皓子だった。
なかむらけとは違い、皓子は普通の女の子だった。
だからこそ。
彼女には、恐怖を知っていて、それに立ち向かうだけの勇気を持っていた。
「モードレッド、だっけ?裏切りの騎士って言ってたけど、それはケルト神話の話だよね。」
声に震えはあるが、決して負けることなく強い口調でモードレッドに問いかける皓子。
『ええ、そう思ってもらって構いませんよ。』
「そう。じゃあ質問なんだけど、なんで裏切ったの?」
一見意味のない問い。だが皓子にはある勝算があった。
『なぜ…と問われても、宿命だった、としか答えられませんね。私はそう宿命づけられた存在だったのですから。』
「確かに物語としてはそうかもしれない。でも、ならどうして今のあなたは神話に基づいて動いてるの?」
『…それは』
「あなたはプログラムされた存在だから?」
『…!!』
モードレッドが顔を硬ばらせる。それは、これ以上ないくらいの肯定でもあった。
「…やっぱり。私は神様とかそういうのは信じないけど、信じてるものがある。それは…」
楓達は、何があろうと負けない。
「ま、これも一種の偶像崇拝なんだろうけど。」
皓子が臨んだ時間稼ぎ、それは。
「よくやった。皓子。」
モードレッドの意識を、楓達から逸らすための物。
「ついでに言うと、さっきの攻撃の際、一つ気づいたことがある。この身体が香織のものであるならば、その身体には俺の恐怖が植え付けられている。」
小さい頃、楓は一度だけ本気で家族を殺しかけたことがあった。それは以降、全員のトラウマとなっている。
「そうだろう?香織…」
「皓子、父さんの後ろにいろ。死ぬぞ」
徳光の言葉に従い、悠生の後ろへと移動する皓子。全員の顔には恐怖が浮かび、悠生ですら冷や汗をかいている。
唯一、恵美だけは息子を信じているかのように、穏やかな表情をしているが。
「香織?モードレッド?…んなことはもうどうでもいい。だが、最後に一応聞いてやる。香織に身体を返して大人しく帰るなら、何もしないでやる。」
『…凄んだところで、あなたの攻撃は私には効かない…』
「あっそ、じゃあ後悔しろ。絶望しろ、焦燥しろ、諦観に呑まれろ」
そう口にした楓の姿が、歪んでいく。
実際に歪んでいるわけではないものの、楓の発する濃密過ぎる殺気が、本当に歪んでいるかのように錯覚させている。
「皓子、意識をしっかり持つんだ。」
悠生が皓子に声をかけるが、皓子はすでに楓の殺気に中てられていた。
『あなたは…本当に人間なのですか…?』
モードレッドすら、それを前に恐怖を感じていた。
「あぁ、ちょっと身体をいじくり回してはいるけどな。」
そう口にする間にも殺気は膨れ上がり、楓の姿が異形へと変化していく。ように見える
「楓…?」
ふと、モードレッドの瞳に光が宿り、香織の意識が僅かに表へと現れる。
「香織か。悪いけど後戻りできない。最悪死ぬくらいは考えといてくれ」
「ちょ、どう言うこと?」
完全に意識を取り戻したのか、香織が辺りを見回す。
「香織の中に次の試練の奴がいる。そいつは試練としてではなく、私情で俺たちを殺しに来た。だから殺す」
「どう言うこと?香織が戻ったんなら、もう終わりじゃないの?」
「そう簡単に行かないんだよ。あれは楓が普段掛けてた鍵を解いた状態、簡単に言うと」
怒ってんだよ。
「えっ」
悠生の答えに一瞬思考が止まる皓子。
「香織、見ての通り俺はもう止まらん。死なないように全力で防御しろ」
あくまで冷静に見える楓、だがその瞳に理性はなく、本能のままに「敵」を排除する獣のような雰囲気を醸し出している。
「母さん、みんなを連れて外に。こいつは俺が狩る」
「わかってるとは思うけど、傷つけちゃだめよ?楓くん?」
唯一いつもと変わらない空気の恵美は、それだけ言い残してみんなを避難させる。
「モードレッド…俺の家族を傷つけた事、後悔しな」
それから二時間後、皓子たちが家へと戻ると、なかむらけは跡形も無くなっていた。




