05
あれこれ考えているうちにごちゃごちゃしてしまいました、ちょっと矛盾が怖いです。
遠くまで届く、猛禽の鳴く声がした。それを追って見上げれば、黒い点のように小さい影が見える。
「あれ、何だろう?」
「あぁ?ありゃ〈鷲獅子〉じゃないか。このあたりには出ないモンスターのはずだけど、誰かの騎乗生物かねぇ」
その日、僕は空高く飛ぶその姿を見た。ただ、それこそが新たに吹き込む風だということは、まだ知り得なくて。分かるのは、
「あんなに高く飛んでるってことは、どこか遠くから来たのかな──いいなぁ、きっと僕達の知らない風景も、見てきたんだろうな」
彼らは間違いなく、冒険者であるということだけだった。
貧しい国であるほど窃盗などの“生きるための悪事”を犯し、満ち足りた国ほど“狂気的な悪事”を行うようになると、そんな話を聞いたことを思い出す。それらを考慮するのであれば、やはりアキバの冒険者は半ばその状態に陥っているのだろう。
僕の背中で、ちょうど十四といった年の頃だろう少女が震えて縮こまっている。腕に抱いているのはまだ幼さを残した少年で、容姿の相似点から姉弟だということはすぐ読み取れた。眼前ではキティさんが、四人組の〈冒険者〉パーティーと睨み合っていて、第三者から見ても状況を察することは難しくなかっただろう。
背にかばった二人を意識しながら一歩下がれば、〈冒険者〉たちはじりりと二歩分擦り寄ってくる。ここはアキバの片隅、細く通う裏路地のひとつ。何度目かになる〈大地人〉差別の現場に、僕たちは直面していた。
「余計な手間をかけさせないでくれない?さっさと後ろの二人組を渡しなさいよ、劣勢なのは見て分かるでしょ」
「衛士の断罪に引っかからねぇ範囲だって弁えてきたんだ、あんたらに逃げ場があると思うなよ」
「……残念ながら可憐なお嬢さんとその小さな騎士を見捨てるほど、僕は保身に生きていなくてね。どうぞ好きに奪うといい。物言わぬ骸を生む覚悟があるならば、だけれど」
二人をマントの向こうに隠すようにして腕で遮れば、パーティーからの敵対心はより増した。あまりいい気分はしないものの、ここからは後の時間稼ぎをキティさんに任せ、全員が脱出するための算段を立てなければならない。廃墟に囲まれた一本道の細い路地、十字の辻まで目測で200mはあるだろう。パーティーの一人は〈暗殺者〉、たとえ道を二人がかりで塞いだところで悠々と頭の上を飛び越えてしまうことは容易に想像できる。相手の言う通り、状況は劣勢だ。
だがまぁ、実のところこの助太刀は、最初から勝算があってこのようにお節介を焼けた部分もあった。胸ぐらを捕まれても、凄まれてもキティさんが怯まなかったのは、そういう事情もある。そもそも彼女はつまらないチンピラは嫌いだったので、余計に引かないのかもしれなかったが。
「このガキどもを捕まえてどうするんだい。ススキノみたいに売っ払う気か、そうでなきゃあ真性の変態の類かい?ご立派な装備しといて、やることはみずぼらしいコソドロと変わんないとはね」
「なんだとこの年増!子供の使い道なんかいくらでもあんだよ、自分のガキでもないのに正義ヅラしやがって!」
「正義ヅラだってぇ!?はっ、悪いことしてる自覚はあんのかい!アタシゃアンタらが気に入らないから喧嘩を売ってるだけさ、そういうのはむしろナーサリーの担当だよ」
キティさんはそう言って僕を指差し、指の動きにつられて四人がこちらを向いてしまう。嫌がらせかと悪態をつきそうになりながら、〈大地人〉の二人を今度はマントの内側に引き込んだ。目を白黒させている二人を布地の上から抱き寄せ、パーティーを睨みつける。──淀んだ目と視線を合わせると、こんなことをいつまで続けるつもりなのかと、問いかけそうになる。その思いは一度飲み込み、僕は用意していた文言を口にする。
「おお、奈落の裂け目に漂う熱気、流れ込む氷河よ。汝らのぶつかりあいが露を生んだ。生命の種たる雫は滴り、やがて霧中より巨人が現れ出づるだろう」
言葉とともにひやりとした空気が、あたりに充満する。警戒を強めていた一人の〈武士〉が駆け出すより先に、発生した濃霧が視界を遮った。キティさんが腕を振り払い、パーティーがこちらを一瞬でも見失ったのを確認してから、少女たちを抱えて200mの道を駆け出した。背後から罵声と金属音が響こうともお構いなしに走る。それでも足音を飛び越えそうなほどに〈冒険者〉の足は速く、軽い。あっという間に辻を曲がり抜けるが、妨害はこれだけでは終わらない。
「その巨人の名は──霜の巨人ユミル!天空、大洋、そして大地の祖なり!」
──どぉん、と残響を響かせた足音が鳴る。きっと彼らは唖然として上を見上げているだろう。なぜならば、
「はぁ、巨人族か!?おい、〈召喚術師〉の従者に巨人なんて居たか!?」
「居なくはないと思うけど……なんでこんな大きいのよ!普通表示限界とかあるでしょ!?」
彼らが見上げているのは、自分たちを覗き込む20mほどの巨体だ。その全容は霧に覆われ見渡せないが、隣に立つ小さめのビルを凌駕するほどには大きい。路地を駆けるこちらからはもはや様子など伺えないが、これであればもうこちらを追跡している場合ではないと判断するだろう。
ふつうの召喚生物であれば本来の実力は〈ミニオン〉ランクモンスターでしかないが、この巨体は従者という風情ではない。見た目だけなら〈レイド〉ランクだろうな──そう思いながらさらに右へ曲がる。もう〈冒険者〉パーティーの声が聞き取れないほどの距離は離れただろうか、そう判断して再び口を開いた。
「はい、おしまい」
まるで読み聞かせていた絵本を閉じるかのように、閉幕の言葉を呟く。すると次の瞬間、遠くに見えていた巨人の頭が掻き消える。霧も晴れ、すっかり元の青空を取り戻したアキバの風景は、まるで先ほどまでの光景が幻であったかのように穏やかだ。きっと今頃はあの四人も混乱していることだろう。
困惑する子供たちを下ろし、ほんの少しだけにやりと笑うと、曲がった先にある廃墟の中へ入っていく。路地に居るかぎりどうしても見つかってしまう可能性はあるが、建物の上階には気が回らないと踏んでずんずん階段を上っていく。二人の子供はおどおどと周囲を見回しながらついてくるが、その背を押しているキティさんだけは、愉快そうに忍び笑いを漏らしていた。
ある程度上階まで辿り着くと、ガラスのない窓からこっそりと外の路地を伺う。聞こえるのは喧々諤々と言い合う声だろうか。遠すぎて内容までは聞こえてこないが、こちらを見失ったのは確かなようだった。外から伺えない距離まで窓枠から離れると、子供たちを振り返って笑いかける。
「もう大丈夫、あいつらは追ってこないよ」
「っ……!よか、よかった……」
「ねぇちゃん!」
緊張から開放されへたり込んだ少女に、慌てて少年が駆け寄り背を支える。自分たちよりも何十倍も強い〈冒険者〉に囲まれたのだ、無理もないだろう。キティさんが頭をぐりぐりと撫でてやるとポロポロ泣き出してしまい、僕もしゃがみ込んでそっと頭を撫でる。小さな体はまだ震えが残っていて、あまりにも弱々しい。その姿を見ているだけで、心にちくりと棘が刺さったような痛みに襲われた。
こんな風にこの子たちを泣かせているのは、自分たち〈冒険者〉だ。もちろん大多数が暴力的なわけではない、わけではないが根幹はこの沈んだ空気にこそある。その空気を生んでいる原因こそ、すべての〈冒険者〉そのものなのだ。
それに被害を受けているのはこの子たちだけではない。プレイヤータウン全域から周辺の土地に至るまで、〈冒険者〉の影響を多大に受ける土地は多い。そこに住む住人たちすべてが、この脅威に晒されている。──そう、今の僕達は脅威なのだ。この肥沃な〈セルデシア〉の大地に暗雲をもたらす異邦人。今の〈冒険者〉は、冒険者にすらなれていないのだから。
「よくがんばったね、アンタらが頑張ったからアタシらも助けられたんだ。偉い、偉いよ」
「う…、ひっく、ありがとう、ありがとうございます……」
少女はキティさんのジャケットにしがみついて泣きじゃくり、涙声でお礼を述べている。こちらに怯えている様子はなく安堵していると、弟だろう少年からの視線に気がついた。もごもごと言いにくそうに口を動かし、ためらっている様子だったためこちらから目線を合わせてみる。するとギクリと身を震わせたが、意を決したかこちらを伺うように見つめ返してきた。
「助けてくれたのは、あんがと。だけどさ、……あのさ、〈冒険者〉のオジサン。俺たち、こんなことされるようなこと、〈冒険者〉の人たちにしちゃったのかな」
「クラウス!だめよ、そんな失礼なこと」
「だってさ!……ほんの一ヶ月まで、普通だったのに。急によく喋るようになったと思ったら、俺たちのこと“えぬぴぃしい”とか、わけわかんない呼び方して。おまけにこんなひどいこと、おかしいじゃん!」
ぐさりと突き刺さるそれは、正しく悲鳴だ。こんなことになったのは自分たちのせいじゃない──〈冒険者〉のその主張は確かに正しいが、それを言うなら〈大地人〉だってこう言いたいだろう。こんなことになったのは自分たちのせいじゃない。なのに、と。
困ったような、悲しいような。今の自分はそんな曖昧な笑顔を浮かべているのだろう。囁くような声色で、なんとか返事を返すのが精一杯だった。
「そう、おかしいよね。おかしいけれど、たぶん……皆が自分のせいじゃないからって、大事なことを考えなかった。それで今、こんなことになってしまったのではないかな」
曇ったまま晴れることはない少年の頭をもう一度撫ででやると、できるだけ優しい笑みを作って言葉を続けた。
「君たちは確か、駅前に居たクラレンスお爺さんのお孫さんたちだったね?もうしばらくしたらお家まで送ってあげるから、もう二人きりで暗い所に行ってはいけないよ」
身元を言い当てたことに驚いた二人の視線が集まり、僕は今度こそ堪えきれずに苦笑を浮かべた。
「あー、つっかれた!これで助けたの何回目だっけねぇ。減るには減ったけど、常習化しちゃいないかい」
「これがこの街のあり方として定着してきた証だろうね。大手ギルドはともかく、〈大地人〉相手なら絶対に勝てると分かっているから」
あれから姉弟を老人の元へと送り届け、僕達はやや傾いてきた太陽の下、大通りを歩いていた。話題に上がるのは数時間前の諸行だが、今は言葉に暗さは伴わない。誰も明言こそしないものの、アキバの街で〈大地人〉が迫害されるのは“いつものこと”になりつつあるのだ。引きずりすぎては自分の今後に関わってしまう。
〈大災害〉から一月は経ったアキバの街は、小康状態といったところで落ち着いている。環境がよくなっているわけではないが、PKの数はかなり減少した。その代わりに〈ハーメルン〉の悪行や、ギルド間の縄張り争いといった問題が表面化したが、そちらは解決の目処は経っていない。僕らが縄張り争いに飛び込んだところで互いに仲裁の言葉を聞いてはくれず、〈ハーメルン〉は資金や規模の問題でそもそも抜本的な対策を取れないのだ。ここにきて二人の努力は、完全に袋小路に入っていた。
「あんまりこの話をしても仕方ないか……そういやぁナーサリー、アンタなかなかやるじゃないか。さっきの巨人、〈ストーリーテラー〉のスキルだろう?」
答えの出ない会話が続くのを忌避したか、彼女は別の部分を話に挙げてきた。僕は頷くと、意識を集中してメニュー画面を表示する。ステータスの欄のサブ職業には、変わらず〈ストーリーテラー〉と記載されている。
「そうだよ、僕も応用が利くなんて思ってもみなかった。今だったら、野球ドームほどの大きさのドラゴンだって呼び出せる。……幻影だけどね」
僕が選択していたサブ職〈ストーリーテラー〉はロール系サブ職のひとつで、本来は戦闘に使えるスキルなど一つも習得することはない職業だ。固有技能は〈セルデシア〉世界の民話・神話を書籍アイテムとして生産することと、物語になぞらえた特殊な視覚効果を発生させるだけのスキル。それであんなものを呼び出せたのは一重に、理由は不明ながらスキルの拡大解釈が可能だったからこそだ。
物語になぞらえたエフェクトを出せるなら、スキルで決まっている以外の物語にもエフェクトをつけてみたい──そんな発想で始まった実験の結果、ただのエフェクトは幻術へと進化を遂げていた。物理的な威力こそ何一つ持たないが、ああして撹乱するにはうってつけの技能を得たのである。動作入力の応用で、語った物語に応じて幻を見せるスキル。それはこの世界で僅かながらに掴んだ可能性の種であり、僕にとっては宝物のようなものである。
「ありゃ、もっと他の職業でもいけんのかねぇ。今のアタシじゃ確かめようもないけどさ」
「キティさんは今師匠が〈料理人〉なんだっけ。〈見習い徒弟〉ではどうしようもないね」
「ケ・テ・ィ!……そうそう、今は金井のボーヤを指導してるとこ。メシを自力で用意できんのは強いから──うん?」
名前の訂正を強く要求した彼女の言葉が、急に止まる。凝視した方向に顔を向けると、アキバの中心を通る大通りが交差する広場に、見覚えのある集団が立っていた。〈暗殺者〉、〈武士〉、〈施療神官〉、〈付与術師〉の四人組。見間違えようもない、先ほど逃走劇を繰り広げていたあのパーティである。既にこちらを見つけていたのか、まっしぐらに歩み寄ってくる。逃げる間もなく接近すると、きつい剣幕で〈武士〉の男が因縁を付けてきた。
「よう、さっきはよくも邪魔してくれたじゃねえかおっさんども。ああ?」
「あんたたちのせいでこっちの計画は台無し、責任取って代わりのオモチャにでもなりなさいよ!ロートルのくせに、これって後輩いじめじゃない?」
「そうだそうだ、殺すわけでもねぇんだから口だすなっての」
「あ……もしかして、代わりにいただいちゃいましたぁ?」
〈施療神官〉の男の下品な冗談に、どっと笑いが巻き起こる。隣から革手袋を握り締める音が聞こえたが、飛びかからなかったのなら上出来だろう。不快感を感じているのは僕も同じではあったが、表面上の冷静さは保って相手に応じる。
「要件はそれだけかい。何もないのなら帰らせてもらうよ」
「なんだよノリわりいなぁ。こんなことになっちまって、つまんねぇことしかないんだからもうちょい笑おうぜ?あ、歳食ったせいで腹筋もちませんってかぁ?」
けらけらと虫の鳴き声のような軽さで、男たちは笑い続ける。その様子を見て、こうすっかり注目を浴びてしまい、逃げる選択肢も与えられないまま彼らと話しつづけるのは骨が折れると、素直に感じた。
彼らの言葉は妙に軽いのだ。ヤケクソか単に刹那的な考えに基づいているだけなのか、自分たちの行動の後に付いてくるものを一切考慮していない。それは〈大地人〉からの恐怖だとか、他の冒険者からの軽蔑だとか、その類の形で現れるものだが、ただ今この一瞬のためだけにそういったものを踏みにじっている。
そのさまは行き場のないまま遊びほうける深夜の不良にも似ていたが、働いているのは不良では済まされない範囲の蛮行である。僕が半歩足を引いた横で、キティさんは半歩前に出る。アプローチは違えど、言いたいことがあるのはお互い変わらない。
「だからさぁ、そんなつまんないことじゃアタシは笑えないよ。どうせなら力づくで他所のギルドを制圧して大手に並びましたとか、でっかいことやんなきゃ楽しめないじゃないか。そんなみみっちい暇つぶしはゴメンだよ」
「みみっちい……?呑気にNPC助けてヒーロー気分に浸ってるくせに馬鹿にしてんの!?あったまおかしい、こんなときにまでゲーム気分で人助けして、ログアウトできるわけでもないのに!」
「あんたらより必死なんだよこっちは!何の楽しみもないこんな世界で、正気保つためにやること探してさぁ!枯れてあの世逝き秒読みのボケ老人にはわかんないでしょうけどねぇ!」
「……君たちの絶望は至極もっともだけど、少なくとも僕はやることに問題があるだろうと言いたいんだ。悪人の真似事は、精神衛生上よろしくない。分かりやすく言えば、爽快でも痛快でもない、不格好だ」
投げかけるのは、挑発にも似た言葉。投げかけた声が柔らかいところに刺さって、一気にボルテージを引き上げた。
感情の爆発に四人の目が釣り上がり、憎悪の混ざった眼差しが叩きつけられる。正気を保つと言えば正論のようにも聞こえるが、それはまさしく屁理屈に他ならない。性格なのだからドメスティックバイオレンスも仕方がないのだ、と主張するくらいにはねじ曲がってしまっている。心の底から溢れる苦いものが混ざった叫びに、僕の顔まで悲痛に歪んでしまう。
彼らを今すぐ苦痛から助け出す方法など知らないし、思いついてはいない。だが、これから先の彼らに暗い影を落とさないよう止めるべきだと、僕は確信した。彼らが本当に正気に還ったときこそ、悪行を犯した記憶はその心を苛み続けるだろう。それをみすみす見逃すわけには、いかない。
「なら!お前らはなんだってそんなに平気でいられる!?なんで当たり前みたいな顔して暮らしていけんだよ、なんもないのに!あるってなら、言ってみやがれよぉぉぉぉ!!!!」
ぎょろりと目を剥いた〈武士〉の男の口から、獣じみた罵声が飛び出した。……恐らく、元々は趣味の一環として〈エルダー・テイル〉をプレイしていただけの、普通の青年だったのだろう。趣味と現実が反転した現状に、やることを奪われたと思っているだけの。そんな彼の言葉に、僕は。
「何があるって、そんなもの──愛だよ」
言った、言ってしまった。
「……は?」
あれだけ激しい剣幕でまくし立てていた〈武士〉の青年が固まる。前ではキティさんが笑っているし、他のパーティーメンバーもムンクの「叫び」を真似た落書きみたいな顔をしている。広場に居た〈冒険者〉はみな一様に、「この衆人監視の中何言ってんだコイツ」と言いたげに黙り込んだ。正直僕も恥ずかしい、でも止まるわけがなかった。
「だから、愛だよ。〈エルダー・テイル〉という世界に対する愛。例えば君たちが追っていたシシィちゃんとクラリスくんのお爺さんはクラレンスさんと言って、いつも駅前に座っているお爺さんなんだ。覚えていないかい、初心者用のクエストを発行していたあのお爺さんだよ!これがどれほど凄いことか分かるかい?わからない?なら言おう、お爺さんが発行していたクエストは『孫の無事を願って』。これはお爺さんが病気に罹った孫を助けようと冒険者に薬の材料を依頼する、シンプルなクエストなんだけど──」
口がどんどん滑っていく、走り出して止まらない。孫は薬草で無事に元気になること、後続のクエストで回復した孫のことを嬉しそうに語ってくれること、その孫がどうやら姉弟らしいと後に分かること。溢れるままに言葉を綴っていく。
「でも、お孫さんの見た目も名前も、最後までプレイヤーには明かされなかった。だけど〈大災害〉が起きた後、僕はお爺さんと二人が仲良く一緒にいるところを見かけたんだよ!びっくりしたさ、今まではシステムに阻まれて知ることもできなかったことを僕等は知ることが出来るようになったんだ。これならあの、ツクバの街の魔導倉庫にいる話の凄く長い書庫管理人。とにかく話が長くてついスキップしたくなるけれど、よくよく聞いてみると凄く面白い内容なんだ。司書に遮られて最後まで聞けなかったけれど、今なら彼の語る〈セルデシア〉の魔術理論だって最後まで聞けるかもしれない」
「そうそう、僕の持っている〈金星音楽団のセロ〉。あれを実際に弾いてみたのだけれど、とても良い音が出るんだよ。伸びやかで暖かかくて、人の声に近いと言われるチェロの特性が善く現れているというか、とにかく素晴らしい楽器なんだ」
「それから『エターナルアイスの古宮廷』へ向かう街道から少し離れたところに、泉があるのを知っているかい。特にイベントは無いけど、そこは蔓植物と沢山の花々、ノンアクティブモンスターで飾られていてね。間近に見ることができればさぞや美しいだろう。……そう!あるんだ、沢山──この世界は、たくさんの可能性に満ちている!」
胸が詰まってしまいそうになりながら、内側にくすぶる炎を吐き出すようにして叫んだ。なんてことはない、現実と変わらない。やろうと思えばやれるのに、僕達はまだ何もしていない、怖くて何もできていない。でも、それでも。誰かを苛めるより、このほうがずっと胸がすっとするじゃないか。僕達は楽しいことがしたくて、このアキバに集まっていたのだから。
これはエゴに過ぎない。死の恐怖に怯えている〈冒険者〉にはこの言葉は届かない。自分の世界に埋没する〈冒険者〉にもきっと届かない。だけど、これこそが僕の全て。美しい装備品、広い大地、多様な人々、まだ見ぬ知識。腐るならそれらを味わってから腐れと、思い切り言いたかった。
「それを探求してこその冒険者じゃないか!大好きな、愛していると言ってもいいこの世界を、まったくといっていいくらい楽しめていない。まだ僕はアキバ周辺から出てすらいないんだ、それらも味わい尽くさないうちから落ち込んでなんていられるわけがない!」
そこで僕は、ようやく言葉を切った。辺りをしんと静寂が支配して、誰も彼もが口をつぐんでいた。僕の本気が伝わったのか、それとも引いているだけなのか。僕の本気が伝わったのか、それとも引いているだけなのか。パーティーはばつが悪そうに視線を彷徨わせると、すごすごとその場を去っていく。
口喧嘩の収束を察知した野次馬もばらばらに散っていき、広場は元の空気に戻っていく。深くため息をついてみると、普段出さないような声をだしたせいか、僅かに喉がひりついた。
もう尽くす言葉は無い、全て投げきった。前方のキティさんが肩をすくめ帰宅路の方向へ足を向け、僕もそれに倣った。フェードアウトするように静かに広場を立ち去ろうとして、ひとつだけ声が聞こえた。
「──俺は、マイハマにいるガキ大将を助けるクエストが好きだった。あんたの言葉聞いて、思い出したよ」
はっとして振り向けば、あの時叫んだ〈武士〉の男が、こちらをじっと見つめていた。頷きだけを返して、僕はその場を去っていく。男もまた、広場を去る。
小さなエゴに意味があったかははっきりしないが、ひとりの後輩の背中を押せたならいいと、心から思えたのだった。
仮にゲームの中に行けたとしたら、見たいものはたくさんあると思うんです。絶景見に行ったり、綺麗なアイテムを眺めたり好きな装備でひとりファッションショーしたり。
誰かをいじめるより楽しいと思うんですが、やっぱり難しいんでしょうね。