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03

 あれから、もう二日経った。今のところは目に見えて大きな暴動は起きておらず、アキバの街はいまだ奇妙な平穏を保っていた。


 とはいえ、そう悠長にしていられるとは僕も思っていない。アキバや他のプレイヤータウンに散っていた知人と連絡を取り、真面目に情報収集もし……運の悪い新人プレイヤーも数人は引き取れたのだ。

 そのようにして方々から聞くところによれば、他の街も大してアキバと差があるわけではなかったようだ。現状はどこに居ようと混乱は避られず、それがよっぽど嫌なら〈大地人〉の街に移住した方がいいという結論が出た。僕自身は移動しなかったものの、相談したうちの何人かはアキバやミナミ、ススキノやナカスにシブヤといった地を離れ、移住することを決めたらしい。戦闘訓練がうまくいけば、という前提はあるが、彼らはもううんざりしていたのだろう。逆に仕様上仕方がないとはいえ、海外の知人とはまったく連絡が取れなかった。どうか無事であることを祈るしか、僕にはできなかった。


 そして成果のもう片方。個人用ゾーンに招いた三人の新人〈冒険者〉は、熱心に僕の話を聞いていた。、倉庫から引っ張ってきたソファに、三人の少年少女が座っている。いつものホールに三人が余裕で座れるソファを置いたのは初めてのことでで、未だに違和感はある。加えて自分と彼らの合間には、そこそこ立派なテーブルまで置かれていた。

 午前の柔らかな日差しが降りそそぐ中、僕は適当な棚に黒板を立てかけると、要点を書き込みながら解説する。



「……だいたい、このくらいが主要なギルドかな。こう言ってはなんだけど、きちんとしている有名どころではないギルドは、今のうちはあまり近づかないほうがいいよ。悪名高いギルドはまだわかりやすいけど、新興の悪徳ギルドにでも捕まったら目も当てられないから。それに大手は支援も手厚いから、環境も整っているのは大きいね」


「うっわ、ネットの社会こわー……あれ?この場合はリアルなのかな」


「どっちだっていいだろ、ワルイ大人の餌食になんのには変わりねーし」


「まあまあ、僕達は運が良かったんですから素直に喜びましょう?思い切ってついてきてよかったじゃないですか」



 やや声をひそめるように呟く少女と、おのおの感想を口にする少年たち。この三人が、僕についてきた新人である。

 ヒューマンで〈守護騎士〉ガーディアンの赤間、エルフの〈妖術師〉ソーサラーの金井、ハーフアルヴを選んだ〈施療神官〉クレリックの早苗。正統派信号機トリオ、と内心でだけ勝手に呼んでいるピカピカの高校一年生たちだ。赤間は短めに刈られた鮮やかな赤い髪に、真新しい金属鎧を身につけ。金井は男には珍しいおかっぱ頭の金髪で、術師らしい黒のローブをまとい。早苗は新緑の長髪をゆるく纏めて前に流し、こちらは白いローブに軽鎧を身につけ。最近の〈エルダー・テイル〉ではずいぶんと少なくなった、完全に西洋ファンタジーな三人組である。

 この三人は旧アキバ駅のあたりで途方に暮れていたところを声をかけて保護した新人で、高校入学を契機に幼なじみ同士でMMORPGを始めたんだそうだ。……我ながら頑張ったとは思うのだ、実を言うとその前の新人たちにはことごとく胡散臭がられるか避けられた。後から三人に自分の印象を聞いてみれば、「ノッポなわりに迫力がなくてなよっちいから、なんかうさんくさい」と返され、ついてきた理由を問えば「なんかレベルのわりに普通で、他のプレイヤーと違って近寄りがたさがなかったから」と惨憺たる答えが返ってきた。僕とて大人だ、泣いてなんかない。


 過去の傷を掘り返すのを止めた僕は、こほんと咳払いをして姿勢を正す。保護した以上、彼らを導くのはもはや義務である。たとえどれだけ威厳がなかろうが、だ。先ほどまでの会話に続けて、最低限の知識を少年達に詰め込んでいく。真っ先に詰め込んだのはアキバの街に根づくギルドに関する情報だ。大手MMOの定めとして少なくない数の悪徳ギルドが発生している〈エルダー・テイル〉では、こういった情報がものをいった。中には事前に情報を集めてから開始する勉強熱心なプレイヤーもいたのかもしれないが、やはり実際のプレイヤーの方が詳しいのもまた事実である。

 そしてもう一つ。その上で僕は彼らにこれから生き抜くための術を示した。



「ともかく、君たちには今四つの道がある。ひとつは戦闘ギルドへの参加。保護の手厚さは保証できるしレベルも上げてもらえるだろうけど、大前提として戦闘は避けられなくなるだろうね。〈D.D.D〉は来るもの拒まずだし、〈ホネスティ〉なら一応僕が紹介状みたいなものを出せるよ。……本当は〈西風の旅団〉も候補に入れたいけれど、あそこは別の意味できついかもしれない。次に生産ギルドへの参加。資産は豊富だし戦闘の必要性もあまりないけど、レベルを上げる機会は下がるし今のアキバで商売を続けるのはなかなか大変なことだ。伝手があるのは〈第8商店街〉だけど、純粋に生産がしたければ〈海洋機構〉、〈ロデリック商会〉かな。三つ、中小ギルドへの参加。総合的な支援を目的にしていたり、特定の部門に特化した生産ギルドだったり……とにかく種類の豊富さが魅力だけど、大手ほどの手厚い支援は受けられなくなる。ここのおすすめは新人に優しい〈グランデール〉、メンバーの人柄で言えば〈三日月同盟〉だけど〈シルバーナイツ〉もお世話になるなら案外悪くないかもしれないね」


「多いな、なんか。おじさん、あんまりいっきに話されてもわかんねーよ、行けるとこが沢山あんのはわかるけど」


「はいせんせー、〈西風の旅団〉が候補に入らないのはなんでですかー?」


「仕方ないだろう、君たちに今教えているのは本来なら月単位で覚える知識なんだから……では君は、ハーレム体質のギルドマスターが経営する、女子九割のギルドに入りたいかい?」


「それはちょっとカンベン、てかホントにいるんだハーレム体質って」



 先生、とユーモアを混ぜてこちらを呼び、ふるふると首を振りながら納得する素直な早苗ちゃんと、いささか姿勢の悪い赤間くん。金井くんはまめまめしくメモを取っていて会話には入ってこないが、いろいろと考えてはいるようだった。全員が一応真面目に聞いているのを確認して、言葉を続ける。



「そして最後は……一旦は無所属のままで、僕の世話になる。これは入るギルドを入念に選んだり、無所属を貫くことができるけどオススメはしない。なにせ僕はまだ戦闘訓練もしていないソロプレイヤーでしかないし、今後ギルドに参加する予定も立ち上げるつもりもない。ただ支援体制としては限りなく不安定だけど、一応住処と食料は提供してあげられる。戦闘も……まぁ、僕の技量次第だけど手伝うつもりはあるよ。言ってしまえばそれだけだけど。どれを選ぶかは、そんなに急いで決めなくともいいからね」



 そこで言葉を切ると、三人とも顔を突き合わせて相談し始めた。コンマ01で結論を決めてしまうようなタイプではなかった、ということに安堵しつつ、僕はグラスに水を注いで三人の前に置いた。お茶を選ばなかったのは、見た目と味のギャップにこれ以上落ち込みたくなかったからである。


 個人的には生産ギルドに行ってほしい、という気持ちはなくもない。僕の半分の年月しか生きていない彼らに戦ってほしくはなかったし、そもそも殺し合い自体現代人の尺度で言えば忌避すべき行為である。戦うことで彼らの人格形成に大きな悪影響を及ぼしてしまうのではないか?……そんな不安はあるものの、結局は彼らの自由にさせると決めた。高校生をそこまで子供扱いするのはよくない気もしたし、初対面同然で口を出せる範囲という点もあると、結論づけて。

 そんな僕の不安をよそに、相談が終わったのか三人ともが僕に向き直る。不安の色が瞳に混じっているような気もしたが、空気はそれほど張り詰めてはいなかった。そんな三つの真摯な瞳が、こちらを向いて語りかけてきた。



「とりあえずさ、俺たちはしばらくおじさんの世話になりたいと思う。正直知らない人ばっかのとこにいきなり入んのって不安だし、どっか行くにしても、もう少し時間が欲しいんだ」


「それにナーサリーさんは僕達に自分から話しかけて、こうして色々教えてくれました。まだ出会ったばかりですけど、きっと悪い人ではない、と信じられます」


「最初はちょっと怪しんじゃったけど、見た目と中身は釣り合わないもんだよね~。あ、それであの……お世話になっても、いいですか?」



 どうかよろしくお願いします、と三人揃って頭を下げられ、思わず面食らう。素直でいい子たちだとは思っていたが、こんなに丁寧な子たちだとは思ってもみなかったのだ。別に学生に偏見があるというわけでもないのだが、元の世界ではひょろりと背ばかりが高い体躯のせいで舐められやすく、年下に敬意を払われたことがあまりなかったのだ。そんな経験もあって、妙に感動してしまった。



(最近の若者がどうとか頻繁に聞くけど、やっぱりいい子ってのは居るものだね。なんだか歳を実感しちゃうけど、こんな感慨なら悪くないかな)


「……せんせー?」


「ああ、ごめんね。もちろん構わないよ、僕にできる範囲ならできるだけ手を貸そう。よろしくね、赤間くん、金井くん、早苗ちゃん」


「やった!……あ、えーと。ありがとう、ゴザイマス」


「照れるな照れるな、それじゃ、お世話になりまーす!」


「お世話になります。できる限りことはお手伝いしますね、ナーサリーさん」


 おもいきり喜んだ赤間くんに、僕も何だかほっこりしてしまう。こんなに喜ぶということは、先ほど感じた不安の色はやはり見間違いではなかったのだろう。知らない場所というのは、それだけでストレスがかかるものである。特に低レベルで所持金もこころもとない彼らには宿屋は(知っているかは別にして)借りられない。安全な住処が確保できたことは特段うれしいのだろう。

 僕はにこにこと釣り上がりそうになる口元を押さえて、彼らを見やった。不思議そうな顔をされたものの、こればかりは許してもらいたい、と思ってしまう。何度も経験してきたことではあるが、こんな風に頼られるというのは、先輩扱いされるだけ長い間〈エルダー・テイル〉を続けてきたプレイヤーの特権だろう。その嬉しさをなんども噛み締めながら、言葉を続ける。



「それじゃあ、頼りないおじさんだけど精一杯頑張るからよろしくね。さしあたっては……早速だけど基本的な戦術だけは教えておこうかと思うんだけど、どうかな?」


「もちろん!なんか基本とかセオリーとか、そういうのあるんですよねっ。挑発で敵を一点に集中させたり、攻撃のバランスに気をつかったり!私、ちゃんとよしゅーしてるんですよ」


「おや、食いつきがいいね早苗ちゃん。てっきり金井くんあたりがまっさきに食いついてくるかと思ったんだけど」


「僕は二人に比べるとライトゲーマーといいますか。早苗が一番ゲームやってるので詳しいんですよ」


 これはなかなか意外な返答をいただいた。聞けば赤間くんはアクションを重点的にプレイしていて範囲が狭く、一番なんにでも手を出していたのは早苗ちゃんだという。これはなかなか教えがいのありそうな面々だと、気を引き締めて黒板を見直した。


先ほどまで書き込んでいた情報を消し去ると、新しく12のアイコンを書き込み、続けて陣形と連携、ヘイトコントロール、HPMP管理、役割分担、シナジー、と書き込む。それらを見てまた話が長くなりそうな組み合わせだと苦笑を浮かべながら、再び三人の方へと向き直る。本当は一度ピンチになってみた方がこういった知識は身に染みるのだが、彼らの事故死を防止するのは自分の役割だ。キャラの死が自分自身の死となった以上、これらは教え込んでおいた方がいいと判断する。



「では、講義をさせてもらうよ?まずはじめに……これはあくまで〈エルダー・テイル〉での戦術だけど、一番大事なのは声を掛け合うこと!味方との連携が戦闘では物を言うから、後述のヘイトと合わせて絶対に頭に置いておくこと。なぜかといえばね──」



 何度も経験し、何度やっても慣れない。そんな長い長い授業の始まりであった。










 空の太陽が中天に昇るころ、僕は銀葉の大樹を背に自宅からブリッジ・オブ・オールエイジスの方向へ向かっていた。新人チームに今後のための買い出しを一旦任せて、戦闘訓練に向かうためである。


先ほどの長くも短い講義で、僕らは一定の収穫を得ることができた。それ故、自分の技能をいち早く使いこなせるようにならなければいけなくなったのだ。無論少年少女の引率役になるためである。物思いに耽りながら、ゲーム時代の街の構成を頼りに、ビルに遮られ視認できない橋を目指す。頭にあるのは、授業の成果についてだ。



(シナジーやHPMP管理に関しては確かに早苗ちゃんが一番理解していた。だけど、再使用規制時間やヘイトに関しては赤間くん、陣形や役割分担は金井くんの方が理解していた。とことん三人でバランスとっているなあ、あの子たちは)



 本人たちの好みや適正で分かれただろう理解度の差は、お互い相談できれば明確な強みとなるだろう。そうなればあとはもう実際の連携を見せるなり適当にちょっかいを出しつつ、見守るしかなくなる。進歩の早そうな後輩にこっそりと期待をかけつつ、剥き出しの土の上に放置された線路をまたぐ。


 そうして空の狭いアキバの街を歩いていると、否が応にも聞こえる会話がある。──死についてだ。どれだけか前に大神殿で死んだはずの〈冒険者〉が生き返った、というニュースは、瞬く間に疑心暗鬼の渦巻く街を駆け抜けた。真実かどうか疑う者、死による逃避も叶わず狂乱する者、にわかに不穏な気配を漂わせる者。いずれにせよ、それは〈冒険者〉にとっての呪いとして機能したようだった。



「旅人たちは牢獄を歩む。空は高く、鳥は遠く、果てなき大地は僕らをけして逃さない……♪」



 即興の詩をハミングすれば、じろりとこちらを睨む影があった、それも複数だ。どれだけの人数が死に期待を抱き、どれだけの人間がこの知らせを憎んだか僕には分からない。自分にとっては、ただただ下を見てばかりの若者たちが悲しいだけだ。そんな風になってしまうには彼らはまだ若すぎる、そう僕は思っている。視線を受け流しながらもうワンフレーズ歌うと、橋を構成する石畳に足をかけた。



「それでも大地は、僕らを疎まず、留めない。波間を進んで流されて、気ままにたゆたう木の葉舟、〈冒険者〉ぼくらというのはそんなもの……♪」



 檻の中の自由はある、檻から出ようとすることを咎める牢屋番もいない。まだなにもしていないのに下を向くのはもったいない、それが僕の考えだ。とはいえ、今の自分にはそんな偉そうなことを言う自由も権利もなかった。まずは出来ることから始めるべく、なかなかに長いブリッジ・オブ・オールエイジスを渡りきろうと僕は足を早め、近郊のフィールドを目指した。同伴者のいない寂しい外出だが、これが僕にとって初めての“外”ということになる。先ほどの沈んだ心が少しだけ浮き立って、足をより早める助けとなった。

 

 五月の風に吹かれるブリッジ・オブ・オールエイジスはアキバの街と隣接するフィールドを繋げる巨大な石造りの橋で、当たり前のことではあるが川を横切る形で建造されている。下を覗き込めばきらめく川面と緩やかな流れが見え、静かな川のせせらぎが耳を満たす、そんな風情すら感じられる場所として橋は、現実となっていた。

 ここを通ることはまさにアキバの冒険者にとっては冒険の第一歩であり、僕自身期待と不安でいっぱいになりながら橋を渡ったあのときの記憶を、鮮明に記憶している。



「だけど、まさにこの光景は滅亡した東京って風情だね。画面越しではあまり感じなかったけど、見慣れた風景だと感じる都会人も多いのかなぁ」



 思い出を懐かしみながら橋を渡りきればすぐ、戦闘行為が許可されるフィールドゾーンにたどり着く。しかし、僕の目に映り続ける光景はかつてここが市街地だったころの面影をまだ残していて、異界というよりは遠い未来を連想させた。思わず漏れた感慨も、どちらかといえば感嘆より郷愁の響きを含んでいた。

 この辺りにももちろんモンスターは生息しているのだが、街のすぐそばなだけあってやすやすと見つけることはできないだろう。であれば、相応しいフィールドへ赴かねばならない。目指したのは、アキバほど近い場所にある林。アスファルトの残骸や湿った土を踏みしめながら向かっていく。


 フィールドゾーン、書庫塔の林。かつて古書店が軒を連ねていた神田の町が、そのまま新緑にけぶる林に飲みこまれたような場所だった。足元の柔らかな黒土や朽ちたビル、そこかしこに樹木が根を張る光景は、そう遠くないだけあってアキバの街と趣きを同じにしている。


 そんな神秘的な林の中をずんずんと、というほど不用心ではないが、足早ぎみに進んでいく。緊張で滲んだ汗が手のひらを滑らせ、唐突な喉の渇きも覚えたが、それらすべてを捻じ伏せて、足を動かしている、そんな状態だ。

 ぎこちない足運びのせいで木の根につんのめったり、頭に枝が引っかかることもあった。その上あまりにガチガチのなっていたせいか、ある程度進んでからようやく援護歌の存在を思い出して、それでやっと足を止めることができたほどだった。意識を集中してメニューを呼び出すと、いつものように……と言っていいのかはわからないが、表示された技名をタップする。



「〈剣速のエチュード〉、〈堅牢なるパストラル〉。これでいいのかな。そりゃあ、回避できる自信も攻撃を当てる自信もないけれどっ……!?」



 結果的に言えば。ゲーム時代のようにメニューやショートカットから呼び出した〈吟遊詩人〉独特の能力である援護歌は、問題なく機能した。ただ、選んだ瞬間に自分の唇から二つのメロディが流れ出たのは驚くしかなかった。援護“歌”と名が付いているからには現実化した世界では歌わなければならなかったのかもしれないが、いざ自分のハミングを耳にすると、なんだかこそばゆい気持ちになってしまう。いくらロールプレイヤーとはいえど、さすがに戦闘中までなりきるのは迷惑がかかるとやったことがなかったのである。



「これはちょっと、恥ずかしいかもしれない……でも、そうも言ってられないか」



 実のところ援護歌を唱える前から、捉えていた音があった。木々のざわめきと獣の気配に満ちる林の中で、幾分規則的な二足の足音──おそらくは、〈緑小鬼〉ゴブリンの。加えて複数の足音が混じっていることを察知した僕は、手頃な木の枝に登り身を隠すことに決めた。不安定な足元であることは重々承知なのだが、ここまで木々の合間が広い林では、幹に隠れることもできない。致し方ないものとして、一本の木に狙いを定める。

 見上げて隠れ場所に決めた枝はそこそこ高く、頑丈そうに見えたため、試しに手を伸ばし飛び上がってみることにした。だが、ぐっと屈んでから目標の枝めがけて飛び上がると、予想外のことがまた起きた。重たいはずの自分の体が軽やかに枝の上まで跳び、さして木を軋ませることもなくふわりと着地したのだ。物語の狩人を思わせるその身軽さに感動すら覚えたが、続いてはっきりと聞こえた足音に息を詰まらせた。来たのだ、〈緑小鬼〉ゴブリンどもが。


 〈緑小鬼〉ゴブリンはその矮躯でひょこひょこと木の根を避け、僕が隠れている木から少し離れた距離を三匹ほどの集団で歩いていた。緑の体に粗末な武装を身に付けた、大して強くもないモンスターだが、今の僕に恐怖を抱かせるには十分過ぎる怪物である。手がひとりでに震えだし、呼吸も引き攣れ痛いくらいに荒くなっていた。だが、震えているだけでは、目的は果たされない。恐怖を飲み込もうとぎゅっと目をつむり、手にした〈五月の王〉(メイ・キング)に矢をつがえる。一歩、一歩と〈緑小鬼〉ゴブリンとの間合いを図りながら、狙いをしっかりと、できる限り正確に定め──矢を放つ。


 ひゅう、と軽い音の後、狙っていた〈緑小鬼〉ゴブリンの眉間に、矢は思いのほかあっさりと突き立った。不意の一撃を受けてしまった〈緑小鬼〉ゴブリンは、人形のようにぱたりと地に伏し絶命する。僕の指先には、どうしてかその手応えが感触として感じられた。


 次の瞬間、命を奪ったのだという実感が、じわりと自分の中に広がった。あんなにもあっさりと死んでしまうのか、あんなにもあっさりと殺してもよかったのか──そんな後悔がよぎる。殺すのが当然のモンスターであり、人々の生活を脅かす脅威でもある。そんな事実は、慰めになってはくれなかった。先ほどまで生きていたものが動かない、そういった光景を見た経験は、僕の中にはいくつもない。心臓に毒を蒔かれたように滲む不快感に、めまいがしそうになりながら、仕方なしに次の矢を構えようとして。今度は、ぐらりと突然に視界が傾いだ。



「落ちっ……、うわあ!?……待ってくれ!」


 ぼとりと木の幹から無様に落下し、自分の状態を理解できずに錯乱した僕は、思わず叫んでしまった。その悲鳴を当然察知した〈緑小鬼〉ゴブリンたちは、倒れたままの自分に、刃毀れのある手斧を振りかざして襲いかかる。混乱した頭でなんとか逃げようと体を引きずるものの、足になにか巻きついているのか一向に体は動いてくれない。焦りでさらに混乱する頭では、何が絡まって動けないのか、そんなことも判断できなくなり、しまいには弓まで取り落としてしまった。

 そんな状況でありながら、〈冒険者〉の優秀な目は残酷なまでの正確さで現状の危機を見せつけてくる。〈緑小鬼〉ゴブリンが小さな牙をぎらつかせながら、転がる自分の腹目がけて斧を振り下ろし──



「あ、」


「わああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」



 殺される、その原初の恐怖が喉から迸る。冷静さなどない、死ぬのは怖いのだ。たとえ生き返ろうがそんなことは関係はない。体の芯に凍った鉄の棒を差し込まれたかのような怖気が、全身の感覚を支配する。僕は後先など考えずに金切り声を上げ、痛みがないことに気づいてようやく、林に響き渡る絶叫を止めた。不審に思いながらそろそろと目を開けると、〈緑小鬼〉ゴブリンはばたりと倒れて、すでに息絶えていた。その横には〈人喰い草〉トリフィドも萎れているのが見え、それでやっと絡みついたものの正体がわかったが、疑問はそれだけでは解決しない。



「しん、でる?けど、なんで。僕は攻撃なんて」



 震える呼吸を整えながら周囲を見回して、その痕跡に気付く。周囲に生えていた背丈の低い草が、円形に薙ぎ倒されていたのだ。その効果範囲を見てようやく、自分が何をしたのか思い当たった。〈ディゾナンススクリーム〉だ。

 〈ディゾナンススクリーム〉は〈吟遊詩人〉の持つ特技のひとつで、自分を中心とした円形の範囲にダメージと混乱のバッドステータスを与える効果を持っている。その特技であれば〈緑小鬼〉ゴブリンを倒してしまったのも納得がいくが、分からないのは使用したタイミングだ。先ほどまでの自分にはメニューを開く余裕などなかったし、当然特技を選択した覚えもない。だというのに敵は倒れ、その痕跡も残っている。



「……なんで?」


 

 口を突いて出た疑問に、答えてくれるものはいない。僕自身もまた、この世界に戸惑う迷子なのだと、改めて実感することしかできなかった。




またまた新しい子が出ました。蛇足がないか、だとか、話のテンポに悩みます。


2014/05/07:書庫塔の林までの地理を勘違いしていたため修正。

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