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今回はちょっとばかり急ぎ足の執筆になりました。将来的に改訂を加えるかもしれません。

 宿屋での語らいから、いま何日かが経ち、ツクバ北部。小さな街道が通る山間の丘陵地帯は夏の日差しに木々や草花が輝き、時折吹く風に踊っている。清々しい夏の風景は、のどかな故郷を想起させる。……その青嵐を乱す、異物の気配を除いては。



「キティさん、二時の方角に小隊1。この空気、後方に2小隊分は待機しているはず」


「警戒済みだ、急襲するよ!」



 街道の傍に茂る林の手前、蹄が大地を踏み鳴らす音が〈緑小鬼〉ゴブリンに天敵の到来を告げた。慌てて飛び出し隊列染みたものを取ろうとする〈緑小鬼〉に、余計な時間は与えない。最初の一矢はこちらから、馬上から放たれた矢は混色の音符をまき散らしながら〈緑小鬼の呪術師〉ゴブリン・シャーマンの喉を射抜くことに成功し、周囲の〈緑小鬼〉もろともひと塊の亜人を弾き飛ばす。

 その散った空間にすぐさま、白い旋風が飛び込んでくる。従者に騎乗したキティさんは颯爽と、敵陣の中心を踏み荒らしていく。



「〈ハンティングダンス〉!」



 清廉潔白なる毛並に似合わぬ脚力で、〈一角獣〉ユニコーン〈緑小鬼の手斧兵〉ゴブリン・ハチェットマンを蹴り倒し、蹄で自慢の手斧を踏み砕く。隣で前衛役を務めていたのであろう〈緑小鬼の霊媒師〉ゴブリン・メディウムも、〈一角獣〉の一撃に押し負け拳ごと押し返される。その様は舞踏というよりつむじ風、哀れな亜人たちは木の葉のように吹き飛ばされていく。


 自分の援護など不要にも感じるが、それを黙って見ているわけにもいかない。そのまま馬とともに崩壊した小隊の背後に滑り込み、〈のろまなカタツムリのバラッド〉。潜んだまま隙を伺っていた後続小隊の足止めをするとともに、続いて茂みから飛び出してきた〈緑小鬼〉を始末するため矢を番える。



「後続5、前方、〈緑小鬼の調教師〉ゴブリン・テイマー〈魔狂狼〉ダイアウルフ〈緑小鬼の巫術師〉ゴブリン・センシヴィティ、〈緑子鬼〉4!」


「あいよ、〈緑小鬼の調教師〉テイマー頼んだ!」



 そう叫んだ彼女は〈一角獣〉に〈サモナーズウィップ〉の激励を入れて、ロデオのように〈緑小鬼〉を蹴散らしていく。当然のように上昇したヘイトにつられて〈緑小鬼の調教師〉が〈魔狂狼〉とともに突進するのに合わせ、鏃を向ける。狙いは、鼻先。


 風切り音とともに着弾した矢に、〈魔狂狼〉が怯む。重要な感覚器官を攻撃されれば当然だろうが、急な失速は騎乗した側にも影響が出る。狼の背の上で制御が利かず揺さぶられる〈緑小鬼の調教師〉に数発矢を放てば、〈魔狂狼〉もろとも崩れ落ちていく。そうすれば、視界の端ではもう〈緑小鬼の巫術師〉の頭蓋が踏み砕かれた後だ。


 目まぐるしく入れ替わる視界の中で、赤い八分音符と紫の四分音符が並んで踊っている。その光景のさらに奥から飛来した矢の数々は、こちらの肉に食らいつくことなく風に弾かれた。間違いなく射程範囲に到達した〈緑子鬼の狙撃手〉の射撃だろう、ならばそこには〈緑小鬼の観測兵〉ゴブリン・オブザーバーも居る。――緑の矮躯が見えた。



「〈緑小鬼の狙撃手〉4、〈緑小鬼の観測兵〉。一掃可能なレベルしか居ないから、頼んだよ!」


「オーケイ、そんなら……やっちまいなぁお姫様!〈ソードプリンセス〉!」



 起動された〈戦技召喚〉の一閃が、〈緑子鬼の狙撃手〉の一団を薙ぎ払う。剣姫の刃は弦を断ち、〈緑小鬼の観測兵〉の旗槍を切り裂いて振り飛ばした。呆然と野に転がり出された〈緑小鬼の観測兵〉にとどめの一矢を突き立てることで、ようやく戦闘は終了した。

 馬を止め、戦闘での興奮を宥めるように首を撫ででやる。〈一角獣〉はけろりとしたものだが、こちらは召喚笛から呼び出された軍馬なのだ。そうして、馬の興奮が収まったところで、つい溜息が漏れてしまった。

 


「今日だけでもう小隊8つ分か……」



 零れた言葉が意味するのは、現状の不穏さだった。ツクバを拠点にして北部街道周辺の〈緑小鬼〉を狩り続けているものの、その数は一向に減ることはなかった。

 それどころか、小隊の兵科バリエーションや頭数が、どんどんと増えてきている気さえする。部族の移動範囲に引っかかっただけにしては、その正体を掴めないのがより不安を煽る。

 空から偵察を続けている衛兵団の騎兵らにもたびたび〈緑小鬼〉の発生源について聞いてみてはいるものの、その返事も芳しくはない。それどころか、ここ数日はより顔色に陰りが見られることから、余計に暗雲は広がる一方だった。



「そろそろ本格的に〈円卓会議〉に相談した方がいいかもねぇ。領主会議の終了はもう少し先だけど、負担増やしてでも気ィ向けないとよくないんじゃないかい」


「そうだろうけど……ツクバの方から何の依頼がないのも気になるね。戦力になる人間が居ることは向こうもわかっているはずなのに


「そもそも〈鷲獅子〉(グリフォン)なら並の〈冒険者〉より速いだろうに、ゴブの出所を掴めませんーってのもおかしな話さね。領主不在だからか知らないが、ちょっとばかり隠し事の臭いがするねぇ」


「警戒されている、のかな」



 多分ね、と返すキティさんの背を眺めながら、今度は溜息がこぼれた。こちらが空から偵察するのも衛兵団に対して礼を失した行為と見られかねない、と自力での偵察は取りやめているが、いい加減口を出す時期ではないかと自問する。

 正直に言うならば、自分は〈大地人〉の行う決断や方針に口うるさく手出しするようなことはしたくない。やや臆病な判断かもしれないが、優れているとか正当性だとか、そういった方向性での口出しは僕の領分ではない。感性と情の目線からすれば、その正しさも立派な文化的侵略になりえるのではという危機感があるのだ。


 命に関わる問題なのであれば、一二もなく前に出るべきなのだろうが。どうやら僕から見える部分以外に、さらに複雑な事情が加わっているようだ。何かを察している様子のキティさんは、まだ口を開かない。手綱を引くと、彼女は振り返った。



「周辺の警戒をもう少ししたら、一旦街に戻るかねぇ。アイテムの整理と……あとは訓練か」


「わかった。あ……そうだ。薬草と香木は頼まれた分揃ってるけど、〈寡黙の種子〉を後3つ欲しいね」


「んじゃ、それを探しながら」



 蹄鉄の鳴る音が、山間に響く。僕らが遠くに見える山々の邪悪に気付くまで、あとしばらくの時間を要することになった。








 “これは後から聞いた話だ。語り継ぐために残された、些細で重大な躊躇いの記録の話”



 締め切られた窓と、薄暗い室内を照らす蛍火灯。そのぼんやりとした明かりに照らされて、陰気な顔つきの〈大地人〉の横顔が浮かび上がる。年のころは50半ばといったところであろうが、深く刻まれた苦悩の色が、まるで老爺のような顔に男を作り変えていた。身に纏うローブすら陰気を演出してさえいる彼が、口を開く。



「……〈緑小鬼〉の軍勢について、侯爵はなんと」


「このままではツクバが生贄となるのは、間違いないと。侯爵はなにがなんでも〈冒険者〉に派兵させると仰っておりましたが」


「それはいくらなんでも無謀が過ぎる!……〈革命〉以前とは違うのだぞ、なにもかもが」


「ですが、このままでは我々が滅ぼされるだけです。守り続けていた叡智も歴史も、すべてが灰になるなど私には……!」



 男の対面に座っていた中年の魔導士が、声を抑えながらも悲鳴じみた言葉を吐く。魔導士はツクバに居を構える「学院」の幹部ではあったが、同時に水晶球を用いた情報伝達を担っていた人物でもある。領主会議の紛糾ぶりが手に取るように分かってしまった彼は、血の気の失せた顔で拳を握りしめた。


 この場に集っているのは、みなツクバの重鎮。学問ギルドの幹部や「学院」教授、貴族の高位文官などそうそうたる面々ではあるが、表情は一様に重苦しい。――そう、彼らが見つけてしまった。山林地帯に潜伏し、増大し、虎視眈々とイースタルに食らいつかんとする〈緑小鬼〉の軍勢、〈ゴブリン王の戴冠〉を。

 〈鷲獅子〉を用いた航空偵察を可能とする衛兵団がその影を発見したのは、ここ数日のことだ。増える〈緑子鬼〉被害の痕跡を辿り、周辺を探っていた彼らが山々の合間にその姿を見つけたのは、数日前のこと。団長であるアルバートは混乱を避けるため緘口令を敷き、この事実は今だ市民たちの耳には届いていない。それも、このままでは時間の問題ではあったが。



「……それだけではないわ。少なくとも、私たちにとっては。同胞の受け皿になっていたツクバが落ちれば、相当な数のハーフアルヴが行き場を失う」


「我ら衛兵団だけでは、あの軍勢の戦力を僅かに削ることしかできません。……〈鉄躯緑鬼〉ホブゴブリン〈丘巨人〉ヒルジャイアントまで混じっているのであれば、いずれは叩き潰されます。情けないことでは、ありますが」



 シェイオラ、アルバートが続けて先行きの暗さを口にする。これ以上暗澹たる気持ちになどなりたくはないものの、現実は目の前に迫ってきているのだ。

ツクバは歴史的な書物の保管、技術の研鑽、加えてハーフアルヴ保護と、多くの役割が存在する都市である。ここが一つ落ちるだけでも、今後のイースタルにとっては致命になりうる。……しかし、それを上回る致命的な危機を前に、焦りばかりが募っていく。



「やはり、今の〈冒険者〉に依頼するのは難しいかしら」


「向こうがどんな条件を付けてくるか分からん以上、領主会議はそう素直には動けんだろうよ。最悪の可能性としてだが、我ら〈大地人〉が連中の奴隷になりかねん。〈革命〉直後の〈冒険者〉の行いを思えば、その可能性は皆無とは言えんからな」


「直接接する限りは、あの二人は素朴な方々だったけれど……たった二人では判断材料にはなり得ませんものね。近隣の村やアキバで、恐ろしい思いを味わった〈大地人〉が居たことは事実。では、〈円卓会議〉について、キリヴァ候はどう考えていらっしゃいますの?」


「此度の戴冠は〈冒険者〉が〈緑小鬼〉の勢力を削がなかったことにも原因があるとして、〈円卓会議〉そのものに対してもやはり不信感が強いようで。不死の軍勢が何をためらうのかと、嘆いておられるようでした」


「……その考えは早計では」


「団長殿?」


「いえ、なんでも」



 哀切に眉を下げて呟くシェイオラとは対照的に、アルバートの表情は固い。最前線で戦う衛兵団の団長であっても、彼の発言権はこの中ではやや低い。抗弁しかけた口を閉ざし、そのまま思索するように腕を組む。

 徐々に重苦しさを増す室内で、いよいよ青い顔になっていた男が顔を上げる。この面々の中では比較的年若い男は、高位文官の一人だった。緊張と恐怖で声を震わせながらも、声を上げた。



「こ、このままではいずれにせよ蹂躙されるだけです!〈冒険者〉に頼れば、最低でも市民の命は助かるはず。亜人どもに殺されるより遥かにマシでしょう、なぜ領主会議はすぐにでも動かないのですか!」


「今晩、ようやく交渉の席を設けるとは聞いているが……譲歩を引き出す、と言っていた。時間はかかるだろう」


「そんな……!〈緑小鬼〉の本隊は三日四日あればツクバまで到達します、悠長にしていては皆殺しになるだけでしょう!」



 焦りから生まれた言葉ではあったが、その言葉は全員の心情を代弁していた。その言葉すらすげなく跳ね返される事実に、より空気が重たくなっていく。……だが、同時に全員が、撥ね退ける側の心情も、理解できていた。



「〈冒険者〉は我らとは違う!……貴族でもなければ平民とも商人とも違うのだ。何もかもが、違い過ぎる」



 要はそれが全ての壁だった。地位を与えるだけではすぐには動かないだろうと侯爵は言った、金銭や技術であれば〈冒険者〉の方が潤沢だろうと商人は言った、土地など必要とはしないだろうと文官は言った。彼らには、〈大地人〉には〈冒険者〉を縛れるものが分からなかった。


 ……両者を繋げていたのはただひとつ、クエストだけだ。そのカタチすら〈大災害〉で崩れ去った現在において、その不文律じみた契約など通用しない。



「〈冒険者〉が現れて、240年」


「シェイオラ殿」


「長い付き合いだと思っていたけれど、案外なにも分かっていないものなのね。彼らも、私たちも」



 独り言にも似た呟きが、冷たい机の上に転がった。









「『僕のような弱いものをだますなんてあんまりだ。まどってください。償ってください』」


「なぁナス。その話、腹立つネズミはいつになったら反省するんだい?」


「しないとも。しまいにはネズミ捕りと仲良くしようとするようなツェの末路なら、だいたい想像がつくだろう」



 あちこちにばら撒かれた矢を拾い集めながらぶつぶつと呟いていた僕に、キティさんは反応を示した。既に日は傾いていて、宵闇に差しかかろうという時刻だが、周囲は思ったより明るい。山間から顔を出しかけた月のおかげか、はたまた地平に去ろうとする斜陽のせいか。割れた木片にかかる影は濃いものの、顔さえ上げれば表情はしっかりと読み取れる。――随分と苦々しそうな顔だ。



「ツェねずみの末路はこんなものさ。……『しめた。しめた。とうとう、かかった。意地の悪そうなねずみだな。さぁ、でてこい。こぞう』」


「なるほど、そりゃあお似合いの末路だ。弱さを盾にするのも限度があるってもんだからね」



 歪めた顔を戻して、キティさんは二重丸が描かれた木切れを拾い上げる。『ツェねずみ』の話は気に入らなかったようだが、ツェの結末はそれなりに彼女を納得させたようで、不機嫌そうな様子はみられない。それに少し安堵しながら、自分も複数の風穴が空いた小さい樽を拾い上げる。空いた穴からは、ぼろぼろと細かな土がこぼれていた。


 物語を手慰みにしながら行っていたのは、戦闘訓練の後片付けだった。ツクバ北部の、城壁から少し離れた草原で、僕らはぽつぽつと会話している最中である。

 何を今更、と人は思うかもしれないが、動作入力というのはそれなりに厄介ものなのだ。標的を狙う、攻撃を行う、回避する。あらゆる動作を自分の意思で行えば行うほど、戦闘の拡張性と難易度は段違いに上がってゆく。弓を射るにせよ、鞭を振るうにせよ、慣れておくにこしたことはない。幸いキティさんは〈召喚術師〉(サモナー)、的の用意に苦労はしない。飛ぶ鳥を落とすにしろ地を駆ける獣を射殺すにせよ、物事には勝手の違いというものがある。これは、それを埋めるための些細な努力だ。


 結果、ごろごろと転がった木切れが散乱したのは仕方がないことと受け入れる。樽や木片を使った的は〈冒険者〉の断続的な攻撃の前にだいたいは砕け散り、後にはゴミだけが散らばった。放置しておけば勝手に腐るのかもしれないが、キャンプでもなんでも後片付けというのは肝要だ。穴だらけの樽から土を出し、すぐそばのゴミ山に放り投げる。



「なんというか、案外皮肉交じりの話は好きではないんだね」


「そりゃあ理屈は簡単さ、アタシが話を聞くときはスカッとしたいんだ。オチもケリもきっちりついた話が、アタシの好みなんだよ」


「それは確かに。僕も、陰惨すぎるとちょっと困るかな。引きずられるから」


「そりゃあ、アンタは何においてもそうじゃないか。……っと、そろそろ火をつけるかね」



 指振り一つで召喚された〈火蜥蜴〉サラマンダーの吐く炎が、積まれた木切れに燃え移る。めらめらと燃え上がる炎を見つめながら、また小さな溜息が零れる。言いようのない不安に駆られるこちらを察してか、キティさんが探るような声色で言葉を投げかけてきた。



「そう気に病むなよ、溜息吐いたって何かが変わるわけじゃないんだ」


「……そうなんだけどね、胸騒ぎがするんだ」


「おいおいやめとくれよ?そういうのを『フラグ』って言うんだろ」



 大げさな仕草で肩をすくめるキティさんのおかげで、唇からなんとか鬱屈の混じっていない吐息が零れてくれた。気に病むつもりはないのだが、雲行きがあまりにも怪しすぎるせいか、心の方が落ち着いてくれないのだ。

 〈大災害〉、亜人の大量発生、そして暗い影を落とす衛兵団。――お話のセオリーで言えば、『事態はとうに始まっていた』とでも書き付けられそうな状況だ。訓練の前に〈円卓会議〉にも一報は入れておいたのだが、そちらの反応にも言葉を濁したニュアンスがあった。無理もない、どこからどう見ても厄介ごとの気配がする事案だ。流れ者をやっている自分よりも、大きなまとまりである向こうの方が何かしら掴んでいる可能性すらありうる。


 ばちり、と木切れがはぜる音がした。燃え上がる炎の向こうに見えた幻影は、かつて見た廃村の風景だ。ほんの少数の亜人ですら村を壊滅させうるのであれば、今度はどれだけの被害を出し得るのか――



「〈冒険者〉殿」



 不意に聞こえた声に、弾かれたように顔を上げる。空想に耽っていた自分よりも先に気付いていたらしいキティさんの視線の先には、見覚えのある蒼銀の騎士が立っていた。既に太陽は地平線の向こうへ去り、端から顔を出した月の光に、彼は照らされている。その顔は、暗い。



「アルバートさん、こんばんは。今日は月の明るい、いい夜になりそうだね」


「こんばんは。……確かによい夜です。これだけ明るければ〈鷲獅子〉も少しは飛べる。我ら騎兵にはちょうどいい」


「そうか、それは良いことだ。……なにか、ご用事でも?」



 そう問いかけた時、アルバートさんの精悍な顔が苦しげに歪んだ。なにかを堪えるような、やりきれない思いを抑えるような。ただ沈痛と形容するには余る熱が宿る貌に、続けようとした言葉を控えた。暫しの沈黙の後、頭の天辺から指先に至るまで張りつめていた男の空気が、ほんの少しだけ緩んだ。諦めにも似た、しかし諦観とは程遠い口惜しさの混ざる息をつく。



「ツクバの、防衛について」


「やっぱりなんか隠してたのかい。大方亜人どもの勢力を抑えきれなくなってきたってとこだろうけど……なんで黙ってた。こき使うにはちょうどいいだろ、〈冒険者〉ってのは」


「そうはいきません。〈冒険者〉に頼るにしても、こちらにもそれなりに議論は起こります。特に、〈革命〉以降は」



 たったそれだけの言葉を口にすることすら彼にとっては重いことなのか、声色は随分と固い。シェイオラさんの背後に控えていた時の、硬質ながらも水晶のような清澄さがあった声が、妙に懐かしく感じた。


 〈革命〉――〈大災害〉以降という言葉の含む意味は分かる。以前の〈大地人〉からすれば〈冒険者〉のアバターは意思のろくに通じないゴーレムのようなものだ。動力が魔力か報酬かの違いだけで、固有の意思が認められなかったからこその依頼クエストだったという話だろう。こうして内情を伏せるほど警戒されているというのは、いささかショックではあるが。

 アルバートさんの話はもちろんそれだけではないだろう。話を促すように頷くと、男の瞼が僅かに伏せられる。迷っているようにも、思索に耽っているようにも見える。


「……現在、ツクバから北東方面に当たる丘陵地帯に、万を超す〈緑小鬼〉の軍勢が潜伏しています」


「…………!」


「連中は山地に身を潜め、我々衛兵団の巡回警備の網をすり抜けていました。偵察部隊がようやくその姿を捉えたのは、ほんの三日前。その刃は、既にイースタルの喉元まで届いています。ツクバが〈緑小鬼〉軍本隊の蹂躙を受けるまで、長く見積もって四日。昼間お二人が駆逐していたのは先行侵略部隊の、そのさらに先駆けでしょう」


「先駆け?おいおいおい、ありゃちょっとした部族移動クラスの数は居たよ?」


「そうです。おかげで〈緑小鬼〉軍の侵攻は若干の遅延があったようですが、それもここまで。連中からすれば、爪の先を切られた程度の損害でしょう。もうひとつ悪い知らせがあるとすれば、現状でイースタルを生存させるには“城壁と一定の戦力を保持した都市”の犠牲が必要だと、領主会議では論じられています」



 心の臓に根を張っていた悪い予感が、嫌らしい笑みを浮かべて実を結んだような気がした。しまった、仕損じた、予測が甘かった。そんな言葉がぐるぐると脳内に駆け巡るが、そんなものは後の祭りで、だいたいの問題として規模が違い過ぎる。たとえレベル20から50が平均値の〈緑小鬼〉であっても、万を超すなら十分に大規模戦闘レイドランクに相当する。それも生半な数ではない、レギオンレイド級だ。


 肺を駆けあがる悪寒が、声を震わせる。想定しうる被害は?難民はどれだけ発生するか?そもそも、〈大地人〉は生き残れるのか?……まっさきに思い浮かぶのは最悪な未来予測だ、あの村のように焼け野原へと変わったイースタル――その空想を横切るように、リン、と念話の音が鳴った。反射的に名前を確認すると、表示されているのは〈ルー・ガルー〉〈怪物たち〉の文字。タイミングを合わせたように現れたそれに、嫌な予感は増幅された。

 身振りでそれを伝えると、慌てて念話を繋ぐ。聞こえてきたのは、予想通りの焦れた声。記憶を貫く閃光が、その声を引き金に閃いた。



詩人スカルド!』


「……山間部の〈緑小鬼〉の軍勢についてかな」


『……知っているんだな。原因については知らないが、我らは今現在コオリマの街周辺にて〈緑小鬼〉の軍勢と交戦中だ。』


「…………」


『新人は後詰めに回してハーフレイドとフルレイドは構築した。数の差は歴然だが、出来る限り被害は減らしたい。知っていることがあればなんでも――』



「『見るがいい、あの黒く茂る山脈、彼方に浮かぶ松明の光を。あれこそが先触れ、死を運ぶ暗雲そのもの。来たぞ、来たぞ、悪しき鬼が。醜悪なるかの者のは“王”。憎き〈緑小鬼〉どもが、王の戴冠を果たしてしまった』」


「……ナーサリー?」


『詩人?』


「思い出した、いや、どうして忘れていた……!〈ゴブリン王の帰還〉だったんだ!!〈冒険者〉がうかうかしている間に戴冠を済ませた王が、イースタルを食い尽くしにやってくる!」



 吐き出した自分の声の大きさに驚いたが、それどころではなかった。〈ゴブリン王の帰還〉――実装時期は現実の時間で16年前。二番目に拡張パック、〈決闘者の栄誉〉において追加されたレイドコンテンツ。当時の最大レベルが50だったこともあり、レベル90が当たり前になった現在の〈エルダー・テイル〉では、中級者にはちょうどいい、程度のクエストになっていた、はずだった。


 だが、それもまた〈大災害〉によって歪められた……否、より現実的な問題点が浮かび上がり、深刻化した。ゲーム時代ですら発生し得なかった〈緑子鬼〉のあまりにも膨大な軍勢。記憶の奥底から詳細をさらうのはまだ時間がかかりそうだが、はっきりとした事実がひとつ。それも、最悪の。頭の中に、幻聴じみた警鐘が鳴り響く。



「このままだと、ツクバは陥落する。いや、ツクバだけじゃない。防衛力を持たない開拓村や山間部に近い村や町は全滅しないほうが奇跡だろう。コオリマのように堅牢な城壁がある都市でも、戦力を結集して狙われれば甚大な被害が出るのは免れない」


「そんなことは言われなくとも想像できんだよ!問題なのはこれがレギオン級のレイドで、アタシらだけでどうこう出来るハナシじゃないってことだろ!?」


「分かってる……口に出さないと堪え切れないんだ!さっきから嫌な汗が止まらない、こんなに焦ったのは初めてだ」



 〈冒険者〉の口から零れ出た最悪の宣告に、アルバートさんの拳が音を立てるほど強く握りしめられた。当然だ、これがどんなに絶望的な現実なのかは、言われるまでもなく彼自身が身に染みて理解している事なのだから。それでも、〈冒険者〉であればもしかしたら、という思いも、あったのかもしれない。

 けれど、こちらにも気遣ってやれるような余裕はない。念話の向こう側で唸るルー・ガルーさんに必要事項だけは伝えて一旦念話を切ると、改めて、彼と向き合う。夜闇を駆け上がる月の輝きすら冷たいと錯覚するように、空気は重い。



「これについて、なにか頼み事クエストでも」


「……“私個人”として、大それた依頼をしたいのです。〈円卓会議〉への嘆願書を届けて欲しい」


「個人として、かい。ツクバは……いや、この後に及んで動けないのか。いいのかい、勝手に話して勝手に頼んで。お叱りは免れないんじゃ?」


「もはや名誉などどうでもよいのです。……本来ならとうに死んでいたはずの身。どうせ命を落とすなら、せめてツクバだけでも守りたい。私のような人間でも生きられた、この街を」



 ……声は苦いが、情けなく震える僕の声よりはよほど確かなものだった。

 プレイヤーぼくは彼の過去など知らない。そこまで掘り下げられるようなイベントNPCたちいちではなかった人物を細かく描写するほど、〈エルダー・テイル〉も暇ではなかった。割り裂かれたリソースの隙間に隠れてしまった男の人生は、今ここで語りつくせるようなものでは、きっとない。その重みをそのままぶつけるように、男の声は重ねられていく。



「一介の騎兵風情が他の騎士団に嘆願して、どれだけの効果があるかはわかりません。確定していることはツクバからの処罰でしょうが、まず前線で死ぬ方が先でしょう。それなら出来ることはしておきたい」


「僕らは、戦力に数えないのかな」


「たった二人だけでは無駄死にさせるだけです。それならばより可能性が高い方に賭けたい。……〈冒険者〉でも、死ぬのは痛いでしょうから」



 そう言い切られて、二の句が継げなくなった。死ぬつもりなのか、とも、痛みは軽減されている、とも言えなかった。アルバートさんの中ではもう結論は固まっていて、こちらが是か非か、というだけなのだ。

 なのに応、の一言すら返せない。命の天秤を傾がせる痛みに未だ慣れぬ甘ったれと、自分を罵る声が内側から聞こえる。酷く自己愛に満ちたその嫌悪の声から逃げるように空をふり仰げば、冷めたような月の視線が降ってくる。急激に負の方向へ落下していく主観を押し込めて、今度はキティさんの方へ向き直る。彼女も、どことなく傷ついたような顔だ。自信に満ちているキティさんらしくない表情に、つい苦笑いを作ってしまった。ここでこれ以上情けない顔は出来ない。



「どう決めても、何も言わない。けど僕の意見は、」


「それはこっちも同じだよ。受け取ってやらなきゃならないって、そう考えてんだろ。……ああもう、だから湿っぽいのは嫌いなんだ。なんでこんなクソッタレな会話しなきゃならないんだよ!」


「……キティさん」


「アキバの〈冒険者〉に、自主的に犠牲になれなんて言えないだろ。こうなったら報酬やらなんやらのバランスはこっちで取って、誠心誠意説得するしか方法はない」



 豊かな赤毛を心底忌々しそうに掻き上げたキティさんは、先にこみ上げる苦いものを飲み下したようだった。こういう決断の早さには本当に頭が下がるが、ならばこちらも俯いているわけにはいかない。アルバートさんの手元を見れば、確かに白い封筒が握られていた。



「これを受け取れば、引き下がっていただくわけにはいかなくなります」


「ああ、わかっているよ」


「……申し訳、ありません」


「いいや。では、――――!?」



 伸ばした指先が封筒に触れようとした瞬間、もう一度念話の着信音が鳴り響いた。反射的に固まったこちらの仕草を拒絶と取ったか、目を見開くアルバートに手を振って応じる。またか、と名前を確認すると、予想とは違う人物の名前に疑問が頭をよぎった。見ればキティさんの方も呼び出しがあったのか、慌てて背を向ける姿が視界を掠める。

結局話は中断にして、念話の相手に応じる。〈赤間〉〈D.D.D〉と表示された画面をタップすれば、懐かしい声が耳元に響く。



「赤間くん、どうしたんだい急に」


『おじさん、とんでもないことになったんだよ!…ちのギルマスが〈大地人〉のお姫……を拉致ってきたって、これから演説するとかなんとか、とにかく………かんねぇことになってんだ!』


「……へあ?」



 声に混じって、人の騒めきがやけに耳に入る。念話の邪魔になるようならよほど大きな騒ぎなのだろうが、よりによって赤間くんの話した内容こそが大問題だった。“〈大地人〉の姫を〈D.D.D〉のクラスティが拉致してきた”?先程までの重苦しい会話の空気をふっとばしかねない問題発言に、聞き間違えたかと思わず妙な声が出た。



「ちょっと待ってくれ、姫君を拉致?いったいなにが……」


『俺だってわかんねぇよ!ただ、イインチョもギル…スに任せておけって……。コーウェン公爵家の姫君が、〈冒険者〉の義勇兵を募る…説の下準備があるから出れる奴は全員出ろって』


「……イースタルで最高位の姫君じゃないか。どうしてそんな話になってのかは分からないけど、」



 ちらりと、キティさんの方を覗き見る。向こうの要件も同じだったようで、わずかな戸惑いと決意が瞳の色に表れていた。赤間くんに礼を告げて念話を切ると、改めてアルバートさんに向き直った。……笑い出したくなった口元を押さえて、だが。


 いったい自分は何を焦っていたのだろう。〈円卓会議〉結成の時もそうだ、この世界を見て、この世界を回しているのは自分たちだけではない。所詮僕は一介の詩人であり、事の全てを左右しうる特別な存在などではないのだ。月を見てあえぐ牛のように、杞憂が過ぎるというもの。もっと大いなる流れが、この世界には存在しているのだから。

 不審がる騎兵の手に握られた封筒を眺め、首を振る。僅かに落胆の色に染まる男の顔をしっかりと見据えて、応えを返す。



「すまないが、その書状は受け取れなくなった」


「いいえ、無理を言って申し訳…………」


「そうじゃない。あなたの決意は、申し訳ないが行き場をなくしたということだ。コーウェン公爵の姫君が、一足先に義勇兵を募りにアキバに向かったらしいのでね」


「…………は?」



 不意を大いに突かれ、間の抜けた顔をさらしてしまった彼を誰が責められようか。ヤマトの文化が中世のそれに近いのなら、噂の姫君の行為はそれこそ蛮行に近い。絵物語ではよくよくお転婆姫の冒険が描かれるが、それがありえない行動だからこそドラマチックに映るのであって、実際にやられた方はたまったものではないであろう。

 だが、そんなことはもう些細なことだ。大変申し訳ないのだが、現状はより可能性が高い方向へ向かっていると言わざるを得ないから。



「うん、本当に本当に申し訳ないのだけど――多分、あなたの命がけの嘆願より効くと思う。言いにくいのだけど、〈冒険者〉というのは七割五分ぐらいそういう人種だからさ」


「へ、あ……はい?」


「美姫が直々に依頼する、国家存亡の危機か。なかなかどうして、王道な展開になってきたようだね」



 もはや完全に緊張の糸が切れた空気の中、今度こそは含みのない苦笑いが浮かんだと、自分でも思うことになった。






ツクバの街やコオリマの街はコブリンの配置を考えると目と鼻の先。当時は気が気ではなかったでしょう。


原作で語られている部分は蛇足にならないようどれだけはしょるか、が悩みどころですね。今回は内容もやや駆け足気味になったかもしれません。



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