18
ぺら。
「ああん、なんだいこんな朝早くに……は?馬車?馬車がどうしたって……はぁ!?なんだってヒトの自慢話聞くために叩き起こされなきゃならないんだよクソジジィ!アンタが乗り物にうるさいのとアタシが早起きすることになんか関係あんのかい!」
ぺら、ぺらり。
「あーそうですか改造ですか!最高レベルまで〈御者〉上げてんのなんざ知り合いにアンタくらいしかいないから当たり前だろ!生産ギルドも好きにやらせてもらってさぞ楽しかったろーよ、ったく。そんで、マジでそれだけが用事ってわけじゃあないよねぇ。…………………そう」
ぺら、ぺら、ぺら、ぱら。
「結局徹頭徹尾自慢話じゃねーかボケェ!!寝起きのアタシの機嫌の悪さ舐めてんのかァ!?…………で、そっちはそっちでパラパラパラパラ煩い!」
自分こそ朝から煩いよ、という突っ込みを飲み込んで、一旦本を閉じる。キティさんが八つ当たりぎみに文句をつけたのは、僕の目の前に並んだ本のことだろう。せっかくここぞとばかりに集めていた本を読み込みにかかっている最中に怒られては、さわやかな朝も台無しである。席から立ち、傍に置いておいたものを差し出して言い返す。
「キャラバンと居る時は我慢してたんだから、今くらい好きに読ませてくれないかい?八つ当たりする前に、まず朝食にした方がいいよ」
「お握り、ってアンタが?……そういやこの宿晩飯しかなかったね、貰うよ」
おとなしく握り飯とお茶の入った籠を受け取ったキティさんに肩をすくめながら、再び机に戻る。昼間はもっぱら観光に時間を費やしている以上、必然的に朝起きた時と夜寝る前が僕の読書時間に当てられる。貴重な時間を消費してまで付き合ってやるつもりもないので、ページを捲る作業に戻った。
『〈冒険者〉魔術の対策・傾向』『北方狼牙の歴史と今』『おきつねさまとともだちごっこ』『オーディア通商目録:夏の陣~冬の陣版』『フォーランド探検記』。
ここツクバに集まってきた有象無象の書物の中で、〈冒険者〉でも読み解けるものをかき集めたものだが、結構な読み応えがある。特にオーディアの記録はあのレイドの背景が物流を通して垣間見えるという結構な掘り出し物であり、昨日から繰り返しくりかえし読んでいる。逆に探検記の方は冒険ものとして非常に楽しい本で、こちらは夜更かしの原因になった。おかげで、昨日の睡眠時間はここ一週間で最短を記録することとなってしまった。
そう、ここはツクバの宿、『妖精灯りのホタルブクロ』の一室。昨日の会談の後、街中をじっくり巡る前にと取っておいた宿で、記念すべき二日目の朝を迎えた場所である。山積みにされた素材アイテムやらなにやらが昨日の行動を物語っているのは、まあいいとして。
「……で、誰からの連絡であんなに怒ってたんだい」
「オヤブンのジジィだよ。改造馬車がどうたらこうたらと朝イチで連絡しやがって、きっと向こうでギルメンにうざがられたんだろうさ」
「どうだろう、〈なかつくに〉の皆は趣味には寛容だからなぁ。それはまぁ、聡子さんあたりは怒るかもしれないけど」
「ってか怒られろ。アタシの眠りを邪魔するなんざ何考えてやがる」
予想通りというかなんというか、趣味人の友人に叩き起こされたことがご不満らしい。ぷりぷりとした様子でお握りにかぶりつく姿はあまり行儀がいいとはいえないが、そこは目をつむっておく。なんだかんだであそこは馴染みのギルドであり、彼女とて本気で嫌がっているわけではないのだろうが……まぁ、寝不足の恨みは食べ物の恨みの準じるくらいのものだとは思っているので、心の中だけで同意する。念話相手は決して悪いヒトではないのだが、いかんせん趣味に関しては周りの目を気にしない悪癖があるのだ。
それっきり会話は途切れ、しばらくの間茶をすする音と本を捲る音だけが部屋の中に響く。静かだが不思議と気まずさはない。そのまま僕らは、朝の人出が落ち着くまで宿屋で過ごすことになった。
朝の活気も落ち着いた頃、僕らは宿屋の前でいったん別れることにした。お互い見たいものも行きたい所もまったく違うため、面倒にならないよう別々に、ということだ。その前にと、キティさんは小さな袋を渡してきた。中には、手のひらほどのガラス壺のようなものがいくつか。
「契約はきっちり履行されたから、報酬だよ。〈ニグレド大森林の松ヤニ〉、〈ドヴェルグの艶出し油〉、〈水精霊の時返し粉〉の整備三点セット、しっかり渡したからね」
「ありがとう。揃えるの、面倒くさかっただろうに……助かったよ」
「いいさ、耐久度が不安になる気持ちはわかるしね。それがありゃしばらくは一人旅でも不備は出ないだろ。激しい戦闘をするわけじゃないなら、ね」
受け取ったのは、今回の交渉に付き合うことへの対価。ソロで旅をする僕にとって、装備品の耐久度は一番に考えなければならない問題であった。これらのアイテムは消耗品だが、装備品の耐久度低下を多少引き延ばす効果があるレアアイテムで、僕の手元にもなかったものだ。〈幻想級〉を修理するためのT9ランク素材よりはまだマシだが、これらの貴重品をツテで探してきてくれたのだ。これを対価にされては、依頼も受けようというものである。
渡すものを渡したからか、キティさんは手を振って町並みの中へ消えていく。僕もさっさと報酬と魔法鞄の中にしまうと、ツクバ観光のために歩き出す。二日目の今日は、街中を重点的に探索すると決めていた。昨日は「学院」と買い物で一日が終わってしまったため、好き勝手に街を回るのは事実上初めてになる。
宿の前の通りを右にまっすぐ進めば、すぐに川沿いの大通りに辿りつく。両側に並ぶ店は今日も相変わらずの調子で営業中、店先では若い学士や商人がこぞって品定めしている最中だ。
「この触媒と〈サデツ赤石〉が合わせて金貨15枚か……厳しいが、もう素材が心もとないしな」
「おいおい学生さん、そんな値段で買っちまったらすぐ財布に空っ風が吹いちまうよ?」
「あ、こら余計なことを……!わかったよ、安くするからさ」
「〈冒険者〉のレシピで、健康にいい料理ってなにか伝わってきてない?最近青い顔の子が多くてさ」
「へぇ、間違いなくこの本は〈書庫塔の林〉からの発掘品ですよ?ほら、中身も〈神代〉の言葉で書かれています」
耳が拾うツクバの日常は、今日も和やかだ。ふっかけようとする商人やちょっと胡散臭い風体の旅芸人も混じっているが、それは気にするほどのものではなく、やんちゃが過ぎれば衛兵団の騎士らが迅速に現れ取り締まる。侯爵の直管地であるせいか治安は健全といっていいレベルまで保たれているし、〈冒険者〉だからと周囲を気にする必要もないがありがたい。
〈大災害〉直後の〈冒険者〉の混乱があったせいで、〈冒険者〉を嫌う〈大地人〉は別に珍しくない。特異な風体や魔力の込められた武具は典型的な〈冒険者〉の特徴で、僕でさえ武器の魔力から見抜かれ因縁を付けられた経験がある。幸い、ここツクバでは今のところそういった手合いには出会っていない。空を往く騎兵らの存在は、〈冒険者〉にとっても頼もしい。
――そこまで考えてから、ふと些細な違和感に気付いた。ツクバの衛兵団は確かに〈鷲獅子〉を駆るが、ここまで頻繁に飛んでいるものなのだろうか?城塞の向こう側へ、頻繁に〈鷲獅子〉が行きかっている。ひょっとすれば気付かなかっただけで、昨日の空もこんな風に飛んでいたのかもしれない。
少し考えて、薬売りの露店に近づく。必要な買い物は昨日済ませてしまったが、一度気になったことを放置するのも据わりが悪い。店番の方は昨日の客を覚えていたのか、こちらの姿を見るなり明るい声で話しかけてきた。
「あれまぁ、〈冒険者〉の旦那じゃないですか!本日はどうしました?もしや買い忘れでも……」
「いや、急に聞くのも悪いんだけど……あなたはこの街の出身だったかい?こうやって〈鷲獅子〉が頻繁に飛んでいるのは、よくあることなのかな?」
そう質問を投げかけると、店番は困ったように頭を掻いた。仕草とは裏腹に、その表情には微かに沈痛の色が見える。
「あー……旦那はどっから来たんですっけ」
「〈水郷ミズモ〉の方だね」
「……アキバ側か、そんなら実感がないのも無理はないでしょう。ここ最近、〈緑小鬼〉がツクバ近辺によく出没するようになりまして。ツクバまでやってくる商人が減ったり、近隣の農村が襲われたりして問題になってるんですよ。学者の皆さんも色々と手だてを考えてるそうなんですが、芳しくないんでしょうなぁ」
「〈緑子鬼〉が……?」
予想していなかった亜人被害に、驚きの声が出る。昨日の口承でも上がった通り、この世界において亜人は当たり前に存在する脅威として、毎日のように〈大地人〉を脅かし続けてきた。だが、今この時代に至るまで〈大地人〉は滅ぶことなく暮らしてきたのだ。余計な苦難を避ける方法は熟知しているだろうし、明確な問題として話題に上がるのはクエストの時だけのはずである。それならば、これもなんらかのクエストなのだろうか?
〈緑小鬼〉はイースタルでは非常によく見られる亜人種のひとつだ。平野部、山林と広いゾーンで活動し、村々で略奪行為を働く厄介者として知られている。以前〈緑小鬼〉の滅ぼされた村に行き着いたことがあったが、その習性から〈大地人〉にとっては恐ろしいモンスターであることは間違いない。そのため関連クエストも非常に多く、討伐依頼から制圧された村の奪還まで幅広いクエストが発布されていた。いずれもが〈冒険者〉にとっては初心者から中級者程度のクエストに該当するため、自分も最後に受けたのはもう随分前のことになる。
亜人が増えてきたから助けてくれ、というのはよくある話ではある。店番の話しぶりは依頼の体をなしてはいないが、聞いてしまった以上は無視するのも気が引ける。礼を告げ、情報代替わりに〈水薬〉を購入すると露店を後にすることとした。
懸念事項は増えたが、いざ行動するとなればキティさんに話した方がいいだろう。結論は夜まで取って置き、街の散策を再開する。しかし、気にかかることが増えると視点も変わる。アスファルトの道を歩きながらも、意識するのは遠い外周にある城壁だ。
「〈緑小鬼〉、ゴブかぁ……城壁そのものは、越えられないだろうけど」
ツクバの主戦力は飛行可能な〈鷲獅子〉だ。兵科の多い〈緑小鬼〉でも対空戦力はけっして十分ではないはずで、普通に考えればツクバが攻め落とされる心配はない。それでも拭い去れない不安は足元に付きまとい、歩みを遅くする。
活気ある通りの隠れた陰り。その気配を引きずったまま、僕は大通りを抜けていった。
ノミに木槌を打ち付ける音と、甲高い金属の音が断続的に響く。小型の炉の中でちろちろと燃える炎と、箱の中に並べられた宝珠に宿る光が目を引く工房。隅に置かれた椅子の上で、僕は静かにその工程を眺めていた。
幅の広い、丸い台座が取り付けられた腕輪に、ドワーフ族特有の器用さで楔型の文様が刻み込まれていく。その一つ一つの意味を判別することはできないが、刻印が一つなされていくたびに、魔力の宿った金属から、仄かな光が弾け飛ぶさまは幻想的だ。
単語らしきひと塊の文様が打ち込まれると、その一文に血が通っていくように赤い光が宿る。それを何度も見ることで、僕はこの工程の意味をだんだんと理解していく。形式は違えど、これは魔法なのだ。干渉する対象が生物か無機物か、それだけの違いだが、その困難はいかほどだろうか?それを考える間に、刻印は腕輪全体に広がっていく。すべてのスペースに刻み込んだら、いよいよ最後の仕上げになる。
丸く磨き上げられた宝珠は、魔力の宿った鉱石を研磨したものだ。やや平たい形状をした赤い石は、火山の近くで取れる、ごく一般的な火の魔石なのだという。それを据え付け、台座部分のツメで固定する。しっかりと留まったことを確認したら、最後に針のような細長い器具で宝珠の表面にうっすらと紋章を刻んだ。
すると、文様に宿っていた赤い光が急速に宝珠のほうへと集まっていく。スポンジが水を吸うように輝きを吸収した宝珠の中心には、先程薄く刻んだだけの文様が、くっきりと浮かび上がっているではないか。その光景に息を呑んだ僕とは対照的に、作業を終えたドワーフはゆっくりと息をつく。
「これで終わりだぞ、〈冒険者〉。俺なんぞの細工など見世物にもならんだろうに、よく飽きもせず見ていたものだ」
「いや、大変に興味深かったよガルダンさん。生憎僕は〈語り手〉一筋で、生産の工程を経験したことなんてないんだ。鉱物を用いてマナを宿すという行為がどういうものか、この目で見られてよかった」
手を振って謝辞を述べると、気難しげな顔をした職人はフン、と鼻を鳴らす。態度こそそっけないが、工房を見学させてほしい、と不躾な願いを受けてくれたあたりいい人だとは思う。苦笑いを受かべながら、出来上がった〈制作級〉アクセサリ、〈火炎のバングル〉をもう一度眺める。
〈火炎のバングル〉はレベル20以上の〈細工師〉が作成できる火耐性が付与されたアイテムだ。系統が同じ〈火炎のピアス〉と比べると高い耐性を持つが、一部の腕装備とスロットが競合してしまうことから、値段や装備レベルの差はあれど〈火炎のブローチ〉を選択する〈冒険者〉も居る。
だが、こうしてその作成過程を見ると、ただそれだけのアイテムだと言い捨てることはできない。ガルダンさんはツクバの職人の中でも31レベルと熟練の腕を持ち、「学院」の魔導士にも装飾品を卸している。このバングルも、どこかの魔導士がその腕に身に着け炎に立ち向かうのだろう。間接的にだが、このアイテムは装備者の命を預かっているのと同義なのだ。
「『炉辺に宿る火の精気と魔石の持つマナが混ざり合い、装備者を炎熱から守護する魔法の腕輪』。……間近で見ると、やっぱり違うなぁ」
それにしても、既存のアイテムを手作業で再現する段階まで技術が進歩していたのは旅を出てからの最大の驚きだった。考えてみれば、手料理があれだけの勢いで広まったというのにその他の技法が広まらないのもおかしな話だ。〈冒険者〉のように奇矯な発想で新たな製品を開発した話はあまり聞かないが、洗練された技術という点では引けを取らない。現代技術の流用はともかく、今のような魔法の細工品となるとまごつく〈冒険者〉はまだまだ多いだろう。
「その腕輪の何倍も魔力の篭ったモンを身に着けといてよく言うな、まったく」
「けど、それすらいつか誰かが作ったモノだからさ。作れない人間が作る人間に尊敬の念を抱いたっていいじゃないか」
「…………ふん、こっぱずかしいセリフだな」
一応、素直な感想だったのだがあっさりと流されてしまった。嫌がられていないだけ、いいのかもしれないが。
ツクバの街の南西に位置するこの工房に足を踏み入れたのはほんの偶然だったが、装飾品の加工まで見学できたのは行幸だった。ツクバに関してもっとも興味深かったのは「学院」だが、村落にはそういない魔法の細工品を扱う職人の住む街という一面はより感心を引く事実だったと言えるだろう。その美しさと繊細さは、レベルだけで生み出されるアイテムにはないものだ。アキバに持ち帰る土産話が増えたことを喜びながらも、席を立つ。ご厚意に甘えて長居し過ぎてしまった。
「では、僕はそろそろ。よろしければまた見学させて欲しいな、今度はいい素材も持ってくるからさ」
「勝手にしろ。こっちは作業してるだけだからな」
そっけはないが嫌悪もない言葉が返ってくる。そのことに微かな笑みが浮かびながらも、そのまま僕は工房を後にした。
「…………日が暮れたからっていきなりお酒かい?キティさん」
「なんだい、いいじゃないか。昼間にさぁ、“あの”広場でドラセナに会ったんだよ。そのときにお礼を忘れてたってことで、コレ」
日暮れとともに宿に帰ってきた僕を出迎えたのは、テーブルに並べられた宿の食事と飲んだくれたキティさんだった。琥珀色の酒を傾ける姿は上機嫌で、一気に抗議する気が失せてしまう。自分の席に座ると、手を合わせてから頂くことにした。
「後からアンタも飲みなよ、結構趣あるって言うかさぁ、珍しいよ?」
「食事が終わったら、ね。というか、そのお酒なんていう酒なんだい?あまり嗅いだことのない香りがするけど」
「琥珀酒、だとよ。ドワーフの火酒に琥珀を浸けたもんで、本当は薬酒の仲間らしいね」
確かに珍しい名前にサラダを食べる手を止めると、目の前で酒が入った瓶が振られる。琥珀に色づいた液体の中に、小さな欠片が沈んでいた。なんでも異国から伝わったエルフ族の民間療法らしいのだが、自然と生きるエルフにとって、樹木の霊力が篭った琥珀はとても相性がいいのだそうだ。……必要な火酒の度数が相当だという情報には、さすがに顔を顰めてしまったが。
そうして、今日の成果を披露しあいながら食事は進んでいく。広場で他の楽士と混ざっていたドラセナくんのこと、〈緑小鬼〉のこと、巧みな細工師のこと、風変りなツクバの特産のこと、近隣の村々のこと、「学院」の魔導士のこと。最後のスープを飲み終える頃には、お互いの情報はほとんど共有できていた。僕と彼女、どちらもが懸念していたのは〈緑小鬼〉のことだった。都市間の交易を阻害する亜人の増加は、〈大地人〉にとっては気が気ではないはず。
〈緑小鬼〉退治について提案すると、キティさんは一二もなく受けてくれた。ただ、その表情には懸念の色が混じっている。
「ツクバの北側だろ?増えてきてるのって。どっかの村か町が占領されたとか、そのあたりじゃないのかい」
「……それはまだ。衛兵隊に聞いてみるか、実際に調べてみないと分からない。ただ……なにか忘れてる気がするんだよね」
「珍しいね、アンタが忘れるなんて」
「別に僕は全てを覚えてるわけじゃないよ。古い記憶は薄れていくし、関わっていないものには詳しくない。だけど、間違いなく何かを忘れている気がするんだ」
眉を顰める僕に、キティさんも小さく息をついた。彼女もこの亜人の増加傾向に関しては引っかかる部分はあるようだが、その核心についてはなにも浮かばないようだった。仕方なく思考をそこで切り、食器をまとめると、キティさんの手元で琥珀酒が水割りにされる。
差し出されたグラスの中身を舐めてみれば、予想を超えた強さのアルコールが鼻を刺した。一瞬で眉間に深い皺を刻んだ僕に、抑えた笑い声が降りかかる。
「あは、結構ドエライ顔したじゃないか。もう少しぐらい弱い酒だろうとタカくくってたろ?」
「……度数、何度?」
「知らないよ、表記なんてあるわけないじゃないか。けど、ストレートで飲んでいいものではないかもねぇ。多分火炎瓶にはぴったりだよ」
喉を通り過ぎていった灼熱の感覚は、どう考えてもそこらのウィスキーを越えるものだったように感じる。少しばかり喉の調子が心配になりながらも、ちびちびと飲み進めていく。樹液の化石を溶かした酒は、ほんの少し木の香りがした。
朝と同じく、しばしの沈黙が部屋を覆った。お互い、それなりに物事には没頭する気質だからか、何も話さない時間というのはそこまで珍しいことでもない。話すこと自体は好きでも、見聞きしたことを静かに内側に降り積もらせる時間が必要なのだろう。
なにかあれば、またどちらともなく話し出す。今夜その瞬間が訪れたのは、グラスの琥珀色が飲み干された頃だった。
「別にさ、アタシは昨日の交渉が本来の意味で役に立つ瞬間が来るとは思っちゃいないよ」
「うん」
「わざわざこんな根回しまでさせる奴らが、貴族相手に引けを取るとは思わない。落としどころつけて、そのうちに戻っては来るだろうさ。けどね、」
「けど?」
「なぁんかさ、気を抜きすぎてる気がするんだよ。〈大災害〉があって今まで気疲れしてたのもわかるけどね、万事安泰と行くほど現実は甘くない。それは、ファンタジーでもそうだろ、〈物語愛好家〉」
「……そうだね、ううん。下手すれば現代よりずっと危険だ。尺度がない分、よけいに」
「へぇ、その心は?」
「――幻想の混じった世界では、人間に制御できないものがあまりにも多すぎるから。でもさ。『高度な科学は魔法と区別がつかない』という言葉があるけど、形を変えただけで……人間にとってはどちらも根底は変わらないと思うよ。傲慢が過ぎれば、理解を怠れば、すぐに牙を剥くものだ」
「人間は怖くないのかい」
「今更怖がってなんになるんだい、目を逸らしたところで消えるわけでもないのに」
「ごもっとも」
とりとめのない言葉が、空気に溶けて散ってゆく。どちらが言い出すでもなく水差しを手に取ると、空いたグラスに注がれた。喉に流し込めば、アルコールと8月の熱気に包まれた体の中心を、冷気が滑り落ちていく。
旅の喜びと、言いようのない不安が満ちた夜。“王の帰還”まで、もうまもなくのことだった。
琥珀酒はポーランドのグダンスクに実際に存在する民間療法だそうです。
90度以上の強い酒に少量の琥珀を浸して作るのだとか。
ちなみに今回は、書きながら〈大災害〉以前の〈大地人〉の手作業の範囲はどこまでだったのか?という疑問が浮かびました。
今回はほとんどコマンドから行っていた、という設定で執筆しています。