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 最初は郷愁、次に興奮、三度眺めてようやっと、その全貌を認識するに至った。呆然と当たりを見渡し、遠景とまったく同じ場所だと認識してから口が開いた。



「凄いね、向こうの塔はまるっきり大学そのものだ。魔法技術は所々に見られるけど、こうまで面影の色濃い都市は他にアキバくらいなんじゃないかい」


「多分ね。……イースタルの異端児、英知の穴蔵。やっと着いたってとこだねぇ」



 遠くに連なる校舎、ひび割れながらも原型を保つアスファルト、魔法の光を放つ魔導灯。遥か〈神代〉の面影を残す街の名は魔法都市ツクバ。〈神代〉とアルヴの遺産の上に成り立つこの特異なる都市、その入り口に僕らは立っていた。






 キャラバンと旅路を共にしてしばらく、僕らはようやく目的地であるツクバに到着していた。既に商人たちとは別れ、もっとも人通りの多い街の大通りまで足を運んでいる最中だ。


 魔法都市ツクバ。ゲーム時代でも魔法攻撃職の〈冒険者〉にとっての要所であり、今だ謎に包まれた〈セルデシア〉の世界に迫るクエストも多く存在した一大都市である。もとの世界におけるつくば市に位置する都市であり、かつては大学だった〈神代〉の遺構を利用した研究施設の立ち並ぶ魔術の学問の巷だ。イースタルの魔導師であれば一度は憧れるともされる著名な街として、〈エルダー・テイル〉時代と変わらぬ威風を誇っている。


 ただ、魔法都市といっても学者らが主に研究されている学問は文献学であり、実践派の学者はある程度限られること。そして多くの研究は秘匿されており、またエルフを除き一代で研究できる内容は限られるためか強大な魔導士というのは存外に少ない。〈大災害〉後の世界において注目すべきは、その蓄積された知識量と研究のノウハウにある。

 活版印刷術の存在しないこの世界において書物とは貴重品だ。加えて技術や知識は秘匿されるのが常識であるヤマトにおいて、指南書というものはほとんど存在しない。それらを解析、蓄積し続けてきたツクバの街は、まず間違いなく〈冒険者〉よりも世界の謎や魔術の真髄に近いのだ。


 前を悠々と歩くキティさんを尻目に、僕は周囲を見回す。区画や建物の基礎に〈神代〉の遺構を利用しているらしいツクバの建物は、途中立ち寄った村々に比べ頑強そうなものが多い。キリヴァ候の膝元であることを除いても、一種例外的なものを感じた。

 通りの両側には商店が並んでいるが、これもまた他の都市とは趣が異なる。自ら光を放つ鉱石が並べられているかと思うと、その隣に〈火蜥蜴〉サラマンダーの尻尾が陳列されている。また別の店からは独特なインクの匂いが漂い、張り紙を見れば『最新の魔素定着用インク、入荷しました』の文字。どこかからきぃきぃと鳴く声が聞こえるが、おそらくは生け捕りにされた〈蜂妖精〉ピクシーだろう。どこかの魔法学校の授業のように、逃げ出して大騒ぎにならないことを祈っておく。



「魔法都市ツクバ。学問ギルドの権勢が強く、中心地である『学院』の学術ユニオンが主な研究者らの所属先である。多くは歴史、修辞学、幾何学、法学。イメージ通りの魔法学、ちょっと外れて建築、音楽。……単純なデータとしてみれば、そうなんだけど」


「あっちこっちにある文具屋、本を売りに来た商人の露店、楽器職人の工房に魔具の素材屋!なるほどねぇ、ゲーム的には商店なんざ都市にひとつ、多くてもふたつみっつありゃいいが実際はそうでもない。アタシもこの街には世話になってたけど、ここまで商店の数は多くなかったはずだよ。こりゃあ掘り出し物のひとつやふたつありそうだ」


「聞いてたのかい。キャラバンの皆は学院に直接売り込みに行ったし、ここはここで色々あるかもね」


「そうさね、色々あるだろうよ。さしあたっての問題は――飯屋が混んでて、昼食にありつけそうにないってとこか」



 キティさんが指さす先には、黒山の人だかり。〈大災害〉後の世界における美食の価値はいまだ高く、その賑わいのほどはかつてのクレセントムーンを彷彿とさせるほどだ。恐らくだが、ツクバに集まる大量の書籍の中から、古代のレシピを発見て・解析した人物がいたのだろう。どこか覚えのある匂いは遠く、届きそうにはなかった。



「……キティさん、ご飯お願いしていいかな」


「オーライ、ちゃんと手伝いなよ」



 現地の食事を味わうのが楽しみだった身としては、本日は美味しくもちょっと寂しい昼食になりそうだった。






 木立の隙間から降り注ぐ光と、池のさざめき。キティさんお手製クラブハウスサンドを咀嚼しつつ、僕らは樹木の生い茂る学院前の林まで辿り着いていた。恐らくは学院で使う植物の一部が植えられているのか、そこかしこに生える植物からはマナの気配を感じる。そうして眺めていれば背中に結晶を生やしたネズミが足元を駆け、そこらを跳ねていた玉虫色のバッタを捕えた。なかなかにグロテスクなお食事シーンから目をそらしつつ先に進むと、やがて開けた場所にたどり着く。


 巨大な門と、そこから伸びるアスファルトの道。一帯を覆う芝生の上には、古めかしい彫刻が並んでいる。大きな道路の交差する地点のアスファルトは砕けてしまっているが、補強するように並べられた白い敷石が目に眩しい。

 ここは学院の正面玄関前の広場であり、学問ギルドのメンバーや出入りの商人、ときには楽器や魔具の職人らが行きかう場所だ。〈冒険者〉の場合、ここで自らの魔力を披露するクエストが存在したため、白い石畳の上で〈ライトニングネビュラ〉や〈マナチャネリング〉を繰り出した魔法攻撃職は多いだろう。


 そんな風に記憶を目の前の光景と照らし合わせていると、最後の一口を食べ終えたキティさんが、僕の肩を叩いた。振り返るとその顔はチェシャ猫のように笑っていて、溜息が漏れそうになる。意図は解っているものの、ちょっとだけとぼけてその仕草に応えてやることにする。



「なんだい、そんな笑顔でいられるとちょっとばかり居心地が悪いんだけど」


「履行の時間だよ、報酬と引き換えにアタシの仕事に付き合う。そういう契約だったろう?」


「だよ、ねぇ。分かってたけど、その顔はよしてね」



 にやつき顔に見送られながら、僕は石畳の一角――ツクバに所属する、または売名にやってきた楽士らが集まる一角に向かう。研究の一環として音楽を取り扱うツクバではよりよい音色を求めて演奏の技術を磨きあう集まりがあると、クエストのどこかで聞いた覚えがある。おのおのが競うように音色を披露する中、その端にひっそりと立たせてもらい準備を始める。


 〈ダザネッグの魔法鞄〉から演奏の時によく使う椅子を取り出し、続けて〈金星音楽団のセロ〉。魔法鞄に入っている限りアイテムに変化はないものの、椅子に腰掛け弓や弦の確認とチューニングを済ませる。小さな不安をよそに普段通りの音色を奏でた相棒に小さく微笑みかけて、深呼吸。



「――――――――――」



 突然の轟音が、晴天のツクバに響き渡った。どよめく人々を無視して声を張れば、青空をスクリーンに戯曲は始まる。

 空には大嵐、波と風雨に煽られ沈没寸前の船が浮かび上がり、轟と鳴り響く風の音は、今この場の大気のうねりすら激しいものと錯覚させるほど。荒波と疾風の合間に聞こえるのは、空気の精霊の魔なる歌声だ。波濤のうねりが大きくなるにつれ、人々の騒めきはより大きく、その声すら波の音のように広がっていく。


 帆は雷に射抜かれ、マストは焼かれ、降り注ぐ雹が船体を砕く。やがて船は難破し、絶海の孤島へと漂着。多くの人間が行方知れずになり、生き残った者たちも散り散りとなって島を放浪することとなる。だが、そもこの嵐は自然に起きたものではなかった。



「『わだつみの五尋の底、臥すは父、骨は珊瑚、目は真珠。朽ちゆくものみな、海のめぐりうけ、尊きものに成りかわる』」



 その歌声はヒトのものではない。空気の精――エーリアルが主の命を受け歌う魔法の歌。この戯曲の名は『テンペスト』、シェイクスピア戯曲のひとつであり、プロスペローという魔術を操る侯爵が登場するロマンス劇だ。天空のスクリーンには、幻影が劇を演ずる光景が映し出され、なかなかの迫力になっている。惜しむらくは男も女も僕が演じていることだが、そればかりは仕方がない。

 幻燈機のように、幻は次々と場面を変えていく。魔法に幻惑され、精霊に罪を暴かれ、怯え逃げ惑う者。いかにも間抜けなやり取りをしながら、下剋上を企む者。苦境にあっても愛し合う者。そして、復讐を果たさんとするもの。


 魔術を操るプロスペロー、純真な娘ミランダ、狡猾なアントーニオにセバスチャン、ナポリ王アロンゾー、王子ファーディナンド。野蛮なキャリバンに忠実なる精霊エーリアル、道化のトリンキュロ飲んだくれのステファノ。多くの登場人物の恋や、滑稽な仕草に強大な魔術、怒りと許しが混じり合う偉大な劇。その力は〈セルデシア〉でも変わることなく、聴衆を惹き付け離すことはない。荘厳な仮面劇が消え去るときには、微かな溜息すら聞こえてくるほどに。



「『宴は終った。この役者たちは前にも話したように、みな精霊だ。今では空気のなかへ、薄い空気のなかへと溶けてしまった。そして、この幻が礎のない建物であるのと同じように、雲を頂く塔も、豪華絢爛な宮殿も、荘厳な寺院も、巨大な地球そのものも、地上のありとあらゆるものも、すべていずれは消滅し、今消えていった実体のない見せもの同様、跡形も残しはしない。我々は夢と同じ材料でできている。この短い人生は眠りで包まれているのだ』」



 己の唇を借りて、プロスペローはそう言った。今まさに幻を操っている身としては身につまされるものはあるが、それもやがてミランダの喜びに塗り替えられる。「wonder!」と叫び人を、世界を素晴らしいと称える彼女の声は、出会いの不思議と奇跡そのものを喜んでいる。その言葉に深く同意しながら、物語の幕を引くべくチェロを奏で続ける。この演目は、拍手で締めくくられねばならないからだ。


 やがてエーリアルが大気に溶け、飛んでいく。そうして最後の言葉を受け取った聴衆は、温かな拍手で物語を締めくくる。許しをもらった彼も幻影として大気に溶け、演目は終わりを告げた。緊張とともに大きな息をつくと、自分に集まる多くの視線。



「あ、えっと……ご清聴ありがとうございました、ぁあ!?」


「君、今のなんだい!何かの魔術!?知らない曲だったね!」


「ちょっと君まさか〈冒険者〉かい!あれはひょっとして〈冒険者〉の秘術……!?」


「え、あ、ちょっと落ち着いてー!?」



 遠くのほうで、キティさんが笑った気がした。それに恨めしさを覚えながら、僕は身を翻して反転する。今逃げなければ、しばらく自由はない、と本能が告げていた。お話をー!と叫ぶ声に申し訳なさを感じながら、一気に距離を突き放す。90レベルの武器攻撃職の速度に追い付ける〈大地人〉は幸い居なかったようで、そのまま校舎だったのだろう研究塔の角を曲がり突っ切る。

 目標は当初から向かおうと考えていた、学院の魔導書庫。ある程度走ったところで息を整え、なるべく不審にならない程度に早足で入り口に向かうことにした。全速力で走る〈冒険者〉が突っ込んで来たら、警備担当の〈大地人〉でなくとも警戒するだろう。


 急ぎ足で建物の間を抜け、魔導書庫の入り口に辿りつく。すると、入り口を守る警備兵の前には見知った赤毛が。がっくりと肩が落ち、つい呆れた声が出てしまう。



「……人のことを見世物にするのはいいけど、見捨てるのはひどくないかな」


「見捨ててなんかないさ、“合流するために先回りしただけ”だろ」


「いいけどさ、さっさと入らないと追い付かれるし」



 のんきな声でいけしゃあしゃあと笑うキティさんはもう諦め、懐から房飾りの付いた護符タリスマンを取り出し、警備兵に提示する。先程から怪訝そうな態度を取っていた兵士らも、護符を確認すると道を開け、門を開放する。隣でもキティさんが護符を提示し、隣に並んで歩き出す。


 入り口の扉を抜けて小さ目のホールのような空間にやってくると、斜めに切られた円柱のような台座が出迎える。あたりは薄暗いが、構うことなく台座に護符をセットすると、今度は目の前の壁が開き、通路が解放される。いつみても厳重だと思うが、これもアルヴの遺産なのだという。

 出入りに使用した護符はツクバの連続クエストをクリアすると入手できるアイテムの一つで、ここ魔導書庫の鍵であり、学院からの信任の証でもある。高位の魔法職であれば持っていてもおかしくはない品だが、生成法を知るのは学院の教授だけなのだと、クエストの中では語られていた。



「そういえばここのホールってさ」


「うん?」


「護符が偽物だった場合、罠を起動して曲者を捕獲するためのものらしいよ」


「おっそろし、それ」



 ひええ、とわざとらしく自分を抱きしめたキティさんに苦笑いを浮かべながら、通路を歩く。ほどなくして見えた豪奢な扉を開けば、ようやく焦がれていた光景に辿りつく。


 ――高い天井、窓のない造りの書庫を照らすのは、熱のない〈蛍火灯〉のシャンデリア。吹き抜けを中心にした、五層ほどの階層にはずらりと本が並び、多くは鍵付きのガラス戸に守られている。ひっそりした空気の中、人の気配はわずかで、時が止まったかのように多くの記録が息を潜めている。ツクバの魔導書庫、その本物が今目の前にあった。



「……静かだね」



 僕の言葉に、キティさんは頷きだけ返して歩みを進める。静謐な空気は教会や、墓場にも似ているような気もする。階段を上り、吹き抜けを見下ろす本棚たちと同じ目線になってみると、その静謐さはいっそう引き立った。白い床石のと黒い木の机や本棚はチェスボードにも似て、あまり温かな雰囲気はない。時間を凍らせたかのような色彩は、記録の冷蔵室のようで。思わず、誰か居やしないかと足が急ぐ。静けさは過ぎると耳に刺さるのだ。


 ガラス戸に阻まれ表情が見えない本棚の迷路を抜け、座るものの居ない机の脇を通り、書庫の端を目指す。記憶が正しければ、この場所に常に滞在しているのは一人だけ。そう、ここの書庫管理人だ。

 広々とした書庫の隅っこにある管理人室の前まで歩くと、記憶どおりの簡素な扉と金色の呼び鈴。からん、と愛想のない音色を立てる呼び鈴を鳴らすと、扉はあっさりと開いた。現れた人物の懐かしさに、先程までの緊張が緩んだ。視線を合わせやすくするために屈み、そのまま頭を下げる。



「お久しぶりです――といっても、そちらは覚えていらっしゃらないかもしれませんが。こうしてお会いすることができて光栄です、管理人アーキビスト


「……〈冒険者〉か。こんな辺鄙な場所にわざわざ会いにくるとは物好きじゃな」



 エルフ族特有の小柄な体をさらに折り曲げ、小さな杖をついた老人。現在生きているエルフの中では一二を争う高齢だとプレイヤ―から評された人物が、しわがれた声で呟いた。



「物好きもなにも、あなたは古の記憶を現在いまに伝える生き証人。詩人としてぜひともお話を伺いたい、そう思うのはおかしいでしょうか?」


「なんじゃ、しばらく見ない間に口が達者になったではないか。〈五月革命〉の異変は現実か……よかろう、適当に座るがいい」



 矮躯の老爺は背を向けると、管理人室へと僕らを招き入れた。中には、書類の積まれた机と本棚、ソファ、テーブルがひと揃えだけ。促されるままに並んでソファに座ると、管理人は向かいのソファにゆっくりと腰を下ろし、息をつく。


 管理人アーキビスト。はっきりとした名前はなく、学院でもそう呼ばれるこの老人は、この魔導書庫に保存されているすべての本をツクバ成立より管理し続けている歴史の生き証人だ。出会うのはツクバでもここ魔導書庫だけであり、話し出すとこれがまた長く、大抵は他の学者に遮られるので大抵のプレイヤ―は彼をスルーする、ほとんど居るだけのNPCというのがかつての立ち位置だった。

 けれど、〈大災害〉によって彼の評価は逆転する。長くを生きた老人の証言はヤマトの、ひいては〈セルデシア〉の歴史を紐解く上で非常に重要な意味を持っている。遡れば古アルヴの時代まで届くとも噂される年月を越えた記憶は、今の〈冒険者〉にとっていかほどの価値があるか。その事実を頭の片隅に、視線を向かいあわせる。管理人は真っ白い髭に覆われた口元をもごもごと動かすと、ようよう話し始めた。



「……〈冒険者〉が現れて240年、お前たちが我ら〈大地人〉と言葉を交わす日が来るとはのう。そも、お前たちの出現自体があまりにも唐突だった。あの日、亜人どもと決死の戦いを続けていたヤマトの民の前に、突然現れた言の葉を持たぬ援軍。初めは大陸より偶然やってきた者が多かったが、36年の月日が経ったある時〈冒険者〉は更に数を増した。やがて我らが〈冒険者〉の存在に慣れた頃には、ヤマトの武力と〈冒険者〉の存在はすでに切り離せぬものになっていた……その頃が、156年ほど前か。アルヴの国々が滅びてからもう350年にはなるか、随分と経ったのだな」


(なぁ、この爺さんあのやたら話の長い奴じゃなかったか?大丈夫なのかよ)


(人の話は静かに聞くものだよ、キティさん。〈冒険者〉出現以前の貴重な生き証人なんだから、聞く意義はあるよ)


「思えば、〈六傾姫〉ルークィンジェの暗躍からよくもまぁ生き延びられたものじゃ。亜人がヤマトの大地を覆ったとき、いよいよ天罰が下ったのだと思うたが……〈古来種〉といい、新たなる種族たちといい、随分足掻いた。何故〈冒険者〉が現れたのか――それは儂にも分からぬ。ミラルレイクの賢者であれば、なにがしか伝えているかとは思うがな」


「ミラルレイク――〈ヘイロースの九大監獄〉の封印を解くことが出来るという、あの」



 ひそひそ声でキティさんを咎めながら話を聞いていると、予想通り興味深い単語が幾つも転がり出てきた。〈六傾姫〉、そして“ミラルレイクの賢者”。あまりにも大きな単位が飛び交うためまだ漠然としているが、見慣れない単語から覚えのある名詞まで、一通りが今の発言に加わっていた。



「その通りじゃ。まだジェレドの奴が名乗っているのかは知らんが、まぁそこはいい。そうじゃな……昔の話か。儂が生まれたのはアルヴ戦争末期の頃でな、まだ狼牙や猫人のような獣人族も居らん頃だった。気持ちのいい話ではないが、奴隷市といってな。人買いの集まる場所でアルヴたちが並んで歩かされていたのを、ようく覚えておる。……そう、彼らは奴隷だった。戦に負けた国の人間が奴隷になることは珍しくはないが、あれは異常だった。今思えば、儂らはアルヴを恐れていたんじゃ。抜きんでた魔導の技術を持つアルヴを打ち負かし、支配下におくことでようやく安心していた。それが、拙かったわけじゃが」


「戦争、奴隷?アルヴが滅びたのは他種族の手によるものなのですか?それに獣人種が居なかったとは……」


「なんじゃ、知らんかったのか?アルヴはな、人間とエルフ、ドワーフの国家が連合を組んで打ち負かし、その後の反乱によって根絶やしにされたんじゃよ。生き残っているハーフアルヴは皆、奴隷たちの末裔だった。その他の四つの種族は皆、亜人との戦いの中で生まれた種じゃ。少なくとも、儂が子供の頃は居なかった。確か親父が戦力としては〈猫人族〉は失敗だったとか言うておったから、おそらくは人為的なもんじゃろう。生まれたのが大陸なのか、はたまたヤマトのどこぞだったのかまでは知らんよ。だが結果としてアルヴどもは滅び、復讐として亜人を生み出した。それがすべてじゃ」


「…………」



 語られたのは、存外に重い内容だった。アルヴの滅亡、そして古代の戦乱。過去の難関クエストや大規模戦闘の中でその端々が語られていたとはいえ、奴隷化という結末が待っていたとは、予想だにしていなかった。奴隷という過去と、亜人の発生。ハーフアルヴに対する迫害の理由がそこにあるのだとすれば、僕らが考えるほどその過去は遠くないのかもしれない。アルヴ国家の滅亡が350年前であれば現実での17世紀、日本史で言えばもう江戸時代にはとうになっている頃だ。そう考えれば、随分と近いようにも思える。

 ……亜人は、初めから〈セルデシア〉に生息していたわけではなかった。考えてみれば、そのほうが説明はつく事柄は多かったように思う。そもそも亜人種というのは、単なる動物として考えるにはあまりにも攻撃性が高く、種の保存という生物の基本原則からかけ離れた行動を取る。例えば見境なく〈大地人〉や〈冒険者〉を襲う、どれだけ危機的状況に追い込まても逃げ出さない、といった点だ。ゲームとしてはなんの矛盾もないこの行動パターンも、〈セルデシア〉では違和感の塊でしかない。亜人とは、人間たちを殺すために生まれた生命だったのだ。


 思わず息を呑み、管理人を見つめる。ごく自然に出された情報だったが、ここまでの話は聞いてよいものだったのだろうか?



「あの、この話は内密にすべきものでしょうか」


「好きにせい。どうせ貴族の歴史書なり、エルフの古い民話なり探せば見つかる程度の話じゃ。儂ももう何度も話した、ここの学者なら若いのを除けば大抵知っておる。なんなら適当な奴を捕まえて聞いてみい、鼻で笑われるぞ」


「それは……やめておきます。では最後にひとつ。〈六傾姫〉、とは?」


「歴史家が勝手に付けた、アルヴの姫君らの通称じゃ。そこここの国に飼われ、最終的に反乱し世を乱したとされる姫をそう呼ぶ。亜人を生み出したのもこの姫らの仕業と伝えられているが……故郷を滅ぼされて、恨むなというのが難しかろうよ」



 そこまで言い切ってから、老人は大きく息をついた。以前はやたらと話が遮られていたが、彼の来歴を考えると制作スタッフ側の都合もあったのだろう。将来的に〈六傾姫〉という存在と関わるクエストが発生した際に、ひっそりと語り部役を務める。そういう人物だったのかもしれない。役目を終えたとばかりにソファに凭れる老爺に、僕は言葉を投げかけた。



「貴重なお話、ありがとうございました。それでその……よろしければ、今しばらくヤマトの歴史についてお話いただけないでしょうか?例えば、イースタル自由都市同盟の成立に関して、とか」


「おお、なんでも聞くがいい。儂はセルジアット公のひい爺さんがおしめしとった時代から知っとるわい。そも同盟の成立は亜人の発生に端を発していてな……」


「おいおいまだ話すのかいアンタら!勘弁しとくれよ!」



 叫ぶキティさんの声は全て無視。かくして僕と管理人は心行くまで、ヤマトの歴史について口承を続けることとなった。









 ぱらぱらと、紙をめくる音、髪をなぞる音だけが空間を支配する。黒いテーブルの上に並べられた様々な装丁の本は、どれもが年月を感じさせる色合いをして、順番待ちの最中だ。その下に敷かれているのは、関東平野――主にイースタル中南部と呼称される地域の地図だ。書庫は相変わらず静かな空気を湛えたまま、来訪者を受け入れている。しっかりした作りの椅子に腰掛けて事典を読むこの居心地のよさはなんともいえない。

 だが、この静寂を不満に思う者もいる。木材の軋む音を鳴らして不平不満を訴えるのが、耳に届いた。



「……あのさぁ」


「なんだい」


「ここまで静かだと息が詰まっちまう、もうちょっとなんとかなんないのかい!」


「図書館は静かに本を読むところだよ。それと、間違っても本に乱暴はしないでね」


「そりゃそうだ、けどねぇ。さっきから借りた辞書やら辞典やら開いて地図なぞって、それだけ見させられてる気にもなりなよ?」



 椅子をギシギシと傾け、不満げに喚くキティさんの声に顔を上げる。確かに、今僕が何をしているかの説明もなしに熱中していたのは事実だ。少し考えてから読みかけの事典に栞を挟むと、魔法鞄を漁り目当てのアイテムを取り出す。白と黒の市松模様が描かれた二つ折りの箱を開けると、中から水晶と黒曜石で出来た駒を取り出す。もう一度本を開くと、ある一文の上にその駒の一つを翳して見せた。



「〈水晶宮クリスタル・パレスのチェス盤〉?なんでまたそんなものを」


「まあまあ。……例えばマイハマ。イースタル自由都市同盟の筆頭貴族であるコーウェン公爵家の領地であり、〈灰姫城〉(キャッスルシンデレラ)が見るものを圧倒する一大都市。〈冒険者〉からすれば〈サンドリヨンの遺産〉なら一番馴染みがあるかな。ほらあれ、〈マッドカルーセルゴーレム〉」


「げっ……あれなぁ、アタシは挑戦したことないけど、躍起になってクリアしようとしてた知り合いがいたよ。なんていうか、一般的なイメージの方のメルヘン狂いがいてさぁ。補給に延々付き合わされたっけ」


「そうそう。でさ、マイハマの上下水道ってアルヴの遺産らしいんだよね。ここに忌まわしくもアルヴの、って一文があるだろう。詳細な仕組みはまだ判明していなくて、マイハマ地下遺跡との関連性が取りざたされているらしいよ。別の項目に〈冒険者〉の破壊したゴーレムをツクバで解析に回す、とか。〈時計仕掛けの〉クロックワークス系のモンスターもそうだけど、アルヴの技術は魔法というか魔法科学のイメージに近くて、〈神代〉の遺構、その技術に対する理解力も高かった。……マイハマやここツクバといい、これだけの重要施設に食い込む技術力がありながら滅亡にまで追い込まれたってことは、単なる種族格差以上の何かがあったはずなんだけど。ひょっとすれば、〈神代〉の人々の子孫か何かだったりしてね。ほら、光のエルフアールヴだし。探したら空に“アルフヘイム”が浮かんでいるかもしれない」



 〈マッドカルーセルゴーレム〉を思い起こすように水晶の騎兵ナイトを振ると、げんなりとしたように赤い瞳が伏せられる。あまりよろしくない思い出でもあるのか単に興味がないだけか、指し示した本のほうは見ずに頬杖をつく。そのさまに苦笑しながらも、言葉を続けた。



「これらは全てこの辺の辞書や事典の書かれていた内容だよ。勿論ここの本はほとんどが触れることすら易々と許されないものばかりだけど、それらに手を出さなくたって詳細な記述のある辞典ならより多くの情報が読み取れる。知識の入り口とでも言うべきかな……複数の情報を並列して参照することでまた別のものに繋がっていく。見える世界が広がるからこういう本は好きなんだけど――辞典なんかじゃなくとも、インターネットがあった頃なら皆やっていたことだよ?」


「うん、わかるんだけどさ。それをアタシに話してもしょーがないこともついでに理解しな」


「つれないね。まあいいけど、こういうのが商機だったりするかもしれないよ」



  言いながら、指先で弄んだ黒曜石の歩兵ポーンをテーブルに広げた地図に配置する。ツクバの近郊に配されたこの駒は、僕自身の歩みを表すようにしてそこに置いておく。



「事典が好きな理由と近い理由で、地図帳や歴史の教科書なんかも好きなんだ」



 続いて、水晶のルークをツクバの位置に置く。白亜の砦は、ツクバの学院そのもののような顔をして、その場所におさまってくれた。最後に置くのは黒曜石のルーク。様々な光を内包するその駒は、アキバに。



「写真と地図を照らし合わせて、その情景を想像するんだ。そこから、鳥のように俯瞰して世界の広がりを確かめる。例えば冷たい風の吹きすさぶシベリアと、地中海に臨むヴェネツィア、もっと言えば灼熱のゴビ砂漠。それらが地続きで繋がっているなんて、当たり前なのに夢みたいな話だと思わないかい?」


「……アタシはそこまでロマン嗜好じゃないねぇ」


「そうかな?それならそれでいいけどね。けど、ここまで来たんだなって思えばなかなか面白いものだよ。僕達は、まさにこの場所を歩いてきたんだ」



 日本で言えば関東付近に当たる地理が描かれたこの地図には、〈水晶宮のチェス盤〉の駒が佇んでいる。僕がそれを指差すと、キティさんも少しは興味をもって覗き込んでくれた。

 黒いアキバルークと、同色の旅人ポーン。真っ白なツクバルーク。その間のある広がりを見て、想いを馳せるのものがあってくれたのか。駒の間を辿るように彼女の指先が歩むと、何となくその距離感を掴んでくれたようだった。


 地図で言えば、指一本分しかないような世界。青い空を見た、赤い夕焼けを見た。流れるせせらぎ、朝露の清浄さを肌で感じた。花の香りと草むらの青臭さ、真逆の匂いがした家の石壁。若い詩人や旅人たちと歌った歌、染み渡るような夜の静寂しじま。熟れた果実の瑞々しい甘さに、舌に飛び込んできたエールの苦味。


 鮮やかに蘇る記憶を思えば、そっけない地図の染みさえ愛おしい。ここだけではない、黒いルークの真下にも、そこから離れた別の場所にも、小さくとも煌めくような思い出が宿っている。

 現実リアルのそれと比べて少し白い僕の指は、気付かないうちにその旅路を誇らしげに撫でていた。



「なんだいニヤニヤして、気味悪いよ」


「いいや、まだ関東から出てもいなかったんだなぁって思ったんだ。行きたいところがありすぎて、年内に関東から出られる気がしないよ」


「それはそれは、幸せそうなことで」



 気持ちがつい表にでてしまったか、若干の苦々しさを含んだ声がとんでくる。それでも行動を起こさなかった僕に呆れたふうにため息をつくと、キティさんは頬杖をついた姿勢のまま地図上の駒を奪い去る。

 僕が手を伸ばすと即座に返却されたものの、テーブルに広がっていた地図は綺麗に折りたたまれてしまう。結局不満げな表情を隠さない僕のことなど気にも留めない様子で、あっという間にテーブルは片付けられてしまった。



「出したら仕舞う、使ったら元に戻す。そんなとこまでズボラでなくていいからね」


「……芸術の徒にはままあること、ということにしておいてくれないかな」


「却下。なにせ、お客さんだからね」



 キティさんの視線が、入り口へと向けられる。そこに立っていたのは精悍な顔立ちの蒼銀の騎士、そして



「お話し中にごめんなさい、〈冒険者〉さん。少しお話をしようと思って……お時間、よろしいかしら?」



 “変幻の魔女”、“「学院」教授”。かつて〈冒険者〉が多く関わったツクバの重要人物――シェイオラが、たおやかな声で挨拶したのだった。







『エルフにとってアルヴ差別は遠い過去ではない』という記述から、400~500ぐらいの寿命かなと推測して書いています。

また、〈六傾姫〉の呼称は後の歴史家が名付けたとあるので、〈大地人〉の識者にとってはマイナーでもなんでもない情報なのでは?と。


ちなみに、魔導書庫は実在の歴史的かつ美しい図書館をイメージして表現しました。皆さまも機会があれば調べてみてください。

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