15
この時期にしては強い風が吹き、視界の中に干し草のように褪せた色の髪が映る。ばたばたと風に煽られる前髪は、現実の自分との大きな違いの一つだ。向こうでは仕事上ずっと髪を撫でつけていたし、色だって日本人らしい黒色だった。今自分は全く別物の体になっているのだと、一番はっきり分かる部分かもしれない。
木々の間をすり抜け、木の葉を騒めかせる風に合わせて、懐の竪琴を爪弾いた。そのハーモニーを耳に、すっかり定位置になった幌馬車の後部で揺られる。その心地よさが手伝って、さっきから随分と懐かしい歌を歌っていた。故郷に帰ろう、と歌うポピュラー・ソング。僕の故郷ではむしろアニメ映画の主題歌としてのほうが有名かもしれない。
「なんだそれ、『耳を澄ましに逝ってこい』ってか?」
「それ、〈楽器職人〉のクエストのことだよね。そっちのお弟子さん何人くらい澄ませたの?」
「んー、25人。ちなみに男女比2対23さ。10人くらいはチャレンジしようとして耐えられなかったってとこさね」
悲しいネトゲのサガが垣間見える言葉を吐いたキティさんは、今日は僕の背にもたれ買付けの品目を書き込んでいる。偵察や警戒はすべて〈雷星鷲〉や〈恐怖の影〉に任せてしまったのか、随分とリラックスした様子だ。正直言えば少し重いのだが、それを口にした瞬間拳が、いや従者の爪が飛んでくるため口を噤む。
がたがたと揺れる幌馬車、遥か遠くまで伸びるまで伸びる道。想像より河川や沼の多いザントリーフ周辺は、いくつかの橋を越えながら進んでゆくことになる。それらは〈神代〉の遺構であったり、街道の維持のために〈街道の守り手〉が設置に協力したとされる新設の石橋であったりと様々だ。土の道から煉瓦の橋に差し掛かった際のガタン、という感触は自動車が段差を越える時のような感覚で、すこしおかしくなってしまう。もっとも、木製の車輪で走る馬車はかなり振動が伝わり、結構尻が痛くなってしまうのだが。
その馬車の集合体であるこのキャラバンは、ツクバに向かっている。学術都市であるツクバは多くの研究材料を欲し、その彼らと取引するための書籍も数点、この馬車に乗せられているという。僕たちが隊商への動向を願い出た際も相当喜んでいたあたり今回は結構な貴重本を手に入れたのかもしれない。ちなみにキティさんはちゃっかり〈書庫塔の林〉から得た神代技術の書物を売りつけていた。後で〈円卓会議〉に怒られたりしないか若干の不安はあるが、どうにか誤魔化すのだろうと考えないようにする。
「しっかし、あれだねぇ」
「何がだい」
「いやさ、あんまり考えないようにしてるんだけど。アタシらの『帰還方法』はどこにあるんだろう、ってさ」
不意に話題を変えてきたキティさんに対して、僕は言葉を吟味する。現時点では多くの〈冒険者〉が先送りにしている『帰還方法』という最終目的。まったく興味がないといえば、嘘になる。……僕にも家はあった。待つものはいないが、世話になった隣人や集めに集めた書の数々。家だけじゃなく、職場の同僚や学生時代の友人たちが元の世界に生きている。今はその安否も、何もかも分からないとしても。
キティさんの場合は、家というより城だろうか。元の世界でのことはほとんど知らないし、聞いたこともないけれど、自分で切り盛りしていた唯一無二の店だったのだ。彼女が元の世界を忍び、望郷の念に駆られるのは当然だろう。でも、それは僕が理解したと断言することはできない。僕は〈エルダー・テイル〉が大好きで、なおかつ身軽だったからこそ深くは悩んだことはないから。ない、というより無駄になるだろうと頭が考えるのを止めているのかもしれないが。
「それは、まず原理を考えるところからになるから僕個人の手には余る謎だなぁ。クエストを達成するみたいに、お手軽にとはいかないし」
「そりゃそうだけどさぁ……こう、アンタだって置いてきたものの一つや二つあるんじゃないのかい?」
「友人は居るけど、生憎家族も恋人もいないかな。どっちも最初から居なかったってわけじゃないんだけどさ」
なるべく重くならない声色で口にしたつもりだった言葉に、背中にのしかかる重みが固まる感覚がした。別に暗い話がしたかったわけではないのだが、やってしまったものは仕方がないので、とりあえず頬を掻いておく。それからキティさんが黙り込んでいるのも気味が悪いので、まずは口を開くことにする。
「いないって言っても、もう随分前の話だからね?父さんは僕が物心もつかない内に亡くなったし、母さんはもう10年以上前に、さ。恋人はお試しで付き合って、それっきりだし……」
「いや、アタシが不用意だったから――ってはぁ!?おいナス、アンタお試しでーってキャラだったか!?」
……理想通りに話が逸れたのはいいのだが、今度は別の誤解が広まってしまった。決して不純なお付き合いをしていたというわけではなく、単純にアホな発想で行動に出てしまっただけだ。けれどキティさんはそんな僕の内心は完璧に無視して、バシバシと遠慮容赦なく背中を叩いてくる。想像と違ったことに対する抗議なのか、はたまた勢いで叩いているのかは定かではないが、結構痛い。元より同格の〈召喚術師〉に比べれば少し高い攻撃力を持つのだから、少しくらい手加減して欲しいのだが。
断続的に繰り返される暴威を何とか避けて、背中を占拠していた赤毛の守銭奴に向き直る。その顔は驚愕で彩られていたが、こちらの不満顔を認識して一旦手を下げる。僕は抗議の意味も兼ねてどっかりと座り直し、言葉を続ける。
「あのね、キティさん。僕とその時の彼女は読書仲間で、元々いい友達だったの。ただその時話の流れで」
「話の流れで、不純異性交遊に……?」
「違うよ!どれだけ爛れた想像しているんだい!ただ『皆が欲しい欲しいと騒いでいる恋人とはそんなにいいものなのか』って検証をすることになっただけ!」
「えっ。……でも、結構デートとかしたんだろ?」
「本屋巡りとか、古代神話の共通性について喫茶店で議論したり、CDを買うための予算を二人で出し合ったり。結局友達と変わらないねって話になって、そのまま元の関係に」
「……全然甘酸っぱくないねぇ、アンタらそれ恋人同士とか全く理解しないままやったろ」
呆れたのかなんなのか、キティさんはがっくりと肩を落とす。言いたいことは解るのだが、生憎僕は恋愛感情というものがろくに芽生えたことがない。欠けた人間とまでは思っていないが、正直に言って健全とは言い難い学生だったのは否定できない。だから、ないない尽くしの僕にレモンのように甘酸っぱい恋模様を求められても答えようがないのだ。
学生時代付き合っていた“彼女”は大変付き合いやすい友人の一人だった。僕と同じ吹奏楽部に所属し、眉目秀麗才色兼備。本の趣味も合ったという偶然ぶりで仲も良好と、あの実験には最適の人材だったはずである。それでお互いときめき、というものは全く芽生えなかったのなら、そもそも僕に恋愛の素養はないのだと断言するのは別におかしくない……はずだ。
落ち込んだというより脱力したようなキティさんは、何事かをぶつぶつとつぶやいている。地虫のような囁きだろうと、優秀な〈冒険者〉の耳ならば容易に聞き取れるため、その内容に抗議すべくその頭に手刀を振り下ろしておく。誰が仙人だ誰が。
「全ての人間が恋愛をしていると思ったら大間違いだよ、そういうのは下種の勘繰りだと思うけど?」
「いや、悪かったよ……あんまり意外な言葉が飛び出してきたからさぁ」
頭をさするキティさんに息をつき、僕は竪琴を抱えなおす。そうするとかたり、と動いた物音が耳にやってきて、すぐさま表情が苦笑に変わってしまう。先程隊商は交差路に差し掛かり、どこか別のキャラバンと遭遇したようだった。いつもの壮年商人が、いつもの少し重い足音で歩いていくのも聞こえていた。
「まぁ、キティさんの失礼は置いておいて……向こうの隊商に付いてきたみたいだけど、どうやら交渉しそうだし、君も話していかないかい?音楽に興味、あるんだろう」
がたがたん、と今度は大きな物音が響き。視線の先には唖然とした顔の、若いエルフが転がっていた。
「じゃあ、この香辛料はどうだい。大陸産のぴりりと辛い西洋辛子だ、新しい調理法には香辛料は必須だろ?」
「駄目だ駄目だ、それだけじゃあこっちの砂糖は売れないな。甘味は頭の疲労を癒やすんだ、学者の多いツクバで高く買い取ってもらうつもりでね」
「なんでぇ、けちくせぇ。そんならこの更紗はどうだ、こんな精緻な絵柄イースタルでもまず見ないだろ!西の商人から結構な値段で買い取ったんだぜ」
「……これは珍しいな、これを出されたんじゃ手打ちにするしかない。分かった、こいつで砂糖を売ろうじゃないか」
少し離れた場所で、商人たちの交渉が聞こえる。若い商人が品物を大事に抱えて歩いている姿は見ていて飽きないが、自分の本題はそちらではない。聴覚からではなく、視覚の方に意識を戻せば、そこには先程転んだばかりの少年が座っていた。道端の岩にビシリと固まったまま座る姿は微笑ましいが、さすがにかわいそうなので楽にするよう促す。
やっと肩の力を抜いた少年を見ると、やはり随分と若く見える。この世界のエルフの平均寿命を考えると年上の可能性が多分に存在するはずなのだが、ひょっとすれば本当に若い世代のエルフなのかもしれない。そんな風に思考を巡らせていると、やがて少年は口を開いた。
「は、初めまして。私はトリシルティス国の海エルフの氏族、〈動きし同法ら〉の末席。名をドラセナと申します」
「はじめまして。僕からも改めて……アキバの〈冒険者〉、〈吟遊詩人〉のナーサリーだ。よろしくね」
「アタシも同じくアキバ在住、飲食店経営をやってる〈召喚術師〉のケティだ。くれぐれも!名前を間違えんじゃないよ」
「キティさん、〈大地人〉だって道具があればステータスくらい……」
言い切る前に脇腹を殴られ、思わず悶絶する。まぁ、確かに人の名前をからかい過ぎるのはまったくよくはない。呻きつつも、突然の暴行に慌てだすドラセナくんに手を振って無事を伝えると、ほっとした様子で言葉を続けた。
「それでその、先程はとんだご無礼を。今まで聞いたこともない、空を往く渡り鳥のように伸びやかな、それでいて不思議と懐かしさを感じる音色でしたので……」
「構わないよ、誰かに聴いてもらえるのならそれは嬉しいことだからね。僕だって、この曲を聴いたときはとっても惹かれるものがあったから、君もそう思ってもらえたなら良かったよ」
はっきりと気持ちを伝えるために、気持ち大げさに微笑みを浮かべる。そうすると、不安げな表情は消え去り喜色が白い顔に浮かび上がった。少年の顔にかかる茶色の前髪のせいか多少表情が分かりづらいが、どうやらこちらが嫌がっていないことは伝わったらしい。相変わらず悲しげに見えるらしい自分の顔立ちにうっすらと苦いものを覚えながら、話を促す。
なんでも、彼は今詩人としての修業の旅の最中らしい。トリシルティス国に属するエルフ氏族は総じて閉鎖的な傾向にあるが、ドラセナの属する〈動きし同胞ら〉は若長ユーミアの意向により、やや先進的な方策が取り入れられているという。その一環が、彼をはじめとした若い同族の武者修行、ということだ。
出生率の低いエルフ族にとって若者とは宝のようなものではあるが、蝶よ花よと大事にしたところで能力が育まれるかといえば、否。それゆえおおよその氏族はトュリビーチェ半島の自然とともにエルフの技が仕込まれるのだが、長ユーミアはそこからさらに一歩踏み出し本当の若手を世に送り出したのだ。
〈セルデシア〉の大地は危険が多い。ともすれば貴重な若い芽を摘む羽目になるかもしれない決断を敢えて行うことで、〈大災害〉後の変化に適応できる人材を育成するのが目的なのだと、ドラセナは熱弁を振るってくれた。この若々しい輝きを放つ少年が“枯れぬ花”と尊称されるかの族長を慕っていることは容易に読み取ることができるくらいには、言葉に熱意が宿っていたのである。
「私は詩吟の才を認められ、こうして詩人として旅に出ることに相成りました。故郷の海辺より出でてまだ日も浅く、垣間見た風景もそれほどの数ではありませんが……故郷を出たのは間違いではなかったと、そう思っています。ですから、ユーミア様には大変感謝しているのですよ」
「それで余計に歌に反応したってわけかい」
「はい!先祖より受け継いだ音色は全て暗記していますが、あれは全く新しい曲とお見受けしました。エルフとして生を受けた以上、歌と詩作の技術は学んで損はありません。それが全く新しい歌ともなれば、身を切ってでも知る価値はあります!」
僕は、そう声を張る少年の瞳をじっと覗き込んだ。情熱の炎、というよりは波濤の猛威のように張りつめた意思が、碧い色の向こうに宿っている。――そうだ、彼らはいつもそうだと、心の中で呟く。
〈大地人〉が地に足が付いた考え方をよくするのは言うまでもないが、こうやって明確に目的や来歴を語れる人間は往々にして強い意志が宿っている。すべての〈大地人〉がそうだと言うのはいささか早計だが、比率は極めて高い。この雄大なる〈セルデシア〉の天地とただ一つの命で向き合うという生き方がそうさせるのか。
〈ドラセナ〉を名に冠する少年の眼差しに応じて、僕は竪琴を構える。深呼吸、そしてチューニングするように一音を鳴らせば、瞳の輝きはさらに強まった。
「僕が歌うのは〈冒険者〉の故郷の曲。それも僕が作ったものじゃない、記憶違いや欠損だってたくさんあるだろう。歌詞の意味を理解出来ないかもしれないし、馴染まない音色を真実美しいと感じるかは未知数だ。……それでも。僕らの歴史の、その断片を受け取る気概が君にはあるのかい?」
「当然です。歌は継がれ、大河のように流れゆくもの。恐れているだけでは多くのものが失われ、消え去るだけです。伝え、親しみ、広げることこそ詩人の務めでしょう」
「そうか。愚問だったね」
大なり小なり、芸術の分野に属する人間は原点への敬意を抱いている。故に多くは模倣を嫌い、絶えず表現力を求めて産みの苦しみを味わう。だが、まだ記録媒体が発達していなかった時代では模倣に対する考え方が違う。民謡に地域や歌い手ごとの細かな違いがあるように、コピーやアレンジに抵抗がない。それは元の作品を蔑ろにする行為ではなく、後世や人々に音楽を継ぐための行為だ。これを知ってほしい、という想いそのもの。
その心意気に敬意を覚える。音に溢れる海の中とはまた違った、ささやかだが確かに在る清流の守り手に。僕が立っていた場所は、彼らから生まれたのだ。
視界の端で、キティさんが笑った。いつものように悪戯めいた笑顔で、しょうがないねぇ、と言わんばかりに肩をすくめている。珍しいことに一緒に歌ってくれるようで、少しばかり驚く。少年のどこが興味を引いたのかはわからないが、どうやらドラセナくんを気に入ったのだろう。僕は少し考えて、願いに応じることにした。
「それならリクエストにお答えして、さっきの曲で。キティさん、歌詞は……」
「元ので大丈夫に決まってんだろ、アタシの趣味忘れたのかい?ああでも、あっちの訳のも一緒に教えた方がいいね。〈冒険者〉に受ける」
「それは失礼、お願いするよ」
竪琴を構え、大きく息を吸い込む。高校の後輩以来の音楽指導、らしくなく緊張しながら声を張った。
焚火のはぜる音、手拍子、笑い声。その中心で僕は記憶を反芻する――どうしてこうなった。
「ヤック!お前なにか一発芸しろよ!」
「へぁ!?いきなり振らないで下さいよ!ええと、それなら〈猛猪〉の真似を――」
「結構いい酒だな……出し惜しみしないとは見直した。それならこっちはつまみでどうだ」
「なんだいなんだい、珍味っぽいのイロイロ揃えて!アタシの目を逃れてそんなもん持ってたとは隅におけないねぇ!」
遠くでキティさんの笑い声が聞こえる。人のことを放置して飲酒三昧とはいっそすがすがしいことこの上ないが、僕の隣ではドラセナくんがガチガチに緊張していて、ちょっとくらい面倒を見てくれないものかと溜息が漏れてしまう。
「こ、故郷の仲間以外とセッションするのはこれが初めてでして……足を引っ張らないよう尽力い、いたします」
「賑やかな席だし、そんなに緊張しなくて大丈夫だよ。僕だって失敗してしまうかもしれないし、君の音色を潰さないよう頑張るから」
そういって苦笑してみせても、ぶんぶんと勢いよく首を縦に振るばかりでさっぱりリラックスしていない。それもこれも、二つのキャラバンの商人が意気投合してしまったことから始まった。
三叉路で出会った商人や旅人はよく情報や品物を交換し合う。その中でもっと詳しい話を聞きたいだとか、単に人柄が合うという理由で行動を共にするのはおかしなことではない。予想外だったのは商人たちが各々持ち出した食料や酒類を振舞う、大宴会に発展したことだった。もう日も暮れてしまったというのに、焚火のそばは笑い声が耐えることはない。
その流れで、僕らの演奏を聴いた商人たちが宴の肴に曲を所望したわけなのだが、肝心のドラセナくんがこの通りだ。誰かと一緒に演奏するというのは確かに緊張するし、他人の音色の方がよっぽど美しく聞こえてしまうかもしれないが、先程聞いた限りドラセナくんのリュートは見事なものだったと思う。きっと、故郷で良い先達に導かれてきたのだと感じた。口で何度言ったところで納得はしてくれなかったが、僕は不安要素といい難いと思っている。
困ったのはその緊張で指先が固まってしまい、不恰好な音色ばかりが生み出されることだ。先程から何度か試し弾きをしているようだが、そのたびうまく演奏することが出来ずに自信を喪失する無限ループに陥ってしまっている。緊張がほぐれてからと思っていたが、これではいつまでたっても始められない。溜息をついてしまわないよう飲み込み、考える。
(正直、強引に演奏させるのは主義に反するんだけど……せっかくのセッションなんだし、失敗の記憶ばっかり残させるのは忍びないな。昔の僕も、こんなに緊張していたっけ。あのときは確か――)
考えて、僕は我先にとばかりにいきなり演奏を始めてしまうことにした。竪琴の音色に反応して勢いよくこちら向いたのには少し驚いたが、構わず続ける。余計な不安など、楽しさの中で押しつぶしてしまえばいい。
「あっ、あ、ナーサリー殿!?」
「いいからいいから、ほらよく聴いて。8・8、8・8で32小節一曲、数曲やるけどリズムどれも同じだから、深く考えないで覚えて。記憶したらこれ全部使ってグルグル回すから」
「〈冒険者〉さーん、そりゃなんの曲だい!」
「なにって楽しい曲だよ!リズムに追い付ける自信があるなら、合いの手でもなんでも入れちゃっていいからさ!」
「えっ、合いの……お、追い付けばよいのですね!!」
僕が遠慮容赦なく始めた演奏に小さな鼻歌が混じる。僕が鳴らしたメロディの後を追うように聞こえるそれは、思ったより音階のズレが少ない。詩吟の才を認められたというが、彼の師はきっと成長を楽しみにしていたに違いない。
いつの間にやら僕の方が楽しくなって、頭の中が透き通るような心地がした。隣の鼻歌は確かなメロディを刻みはじめ、酒の入った陽気な声がまだかまだかとはやし立てるのもやがて遠ざかっていく。合図は一瞬、視線の交差。
竪琴のアリアに、リュートの軽やかな音色が飛び込んだ。ばら撒かれた音符がリズムに従って整列すれば、リバー・ダンスのように軽快なステップで踊りだし、ダンスホールに投げ込まれた手拍子を拾い上げて、旋律を追う指先は羽のように軽くなっていく。
誰かと演奏するということは、音をよく聴くということ。声も旋律も炎の揺らぎも、めちゃくちゃに広がっていく商人たちのパーカッションもが体の芯に響き渡って、際限なく世界を広げていく。音色の群れと同化した自分の音色はまるで別人。巨大なカイブツのように宴の熱気を呑み込んで、鋭敏化した感覚は音の端で何かが動いたことだって正確に捉えていくではないか。
「……あー、ウズウズしてきた!おい、そこのアンタ!」
「お、俺っすか!?」
「そうそうそこの〈猛猪〉名人!ちょっと踊りたくなってきたからこっち来な!」
飛んできた声はやっぱり見知った人物で、犠牲者一人を道連れに踊りだす。跳んでいるのか回っているのか、感覚任せのステップはひどく楽しげで、無茶苦茶なのに嫌じゃない。悲鳴の割には楽しそうな犠牲者も一緒に、焚火の前に繰り出した。我も負けじと目立ちたがりの商人まで飛び込んで、段々とリズムが場を支配していくのが心地よい。秘蔵していたのかどうなのか、自慢げに持ち込んできた楽器を手に取り他の面子もどんどん音色に加わっていく。楽器がなければ適当な節をつけて誰かが歌い、加わらなくても喝采しながら酒を傾けてくれる。ノリが良いことこの上ない。
それは、懐かしい一体感だった。喫茶店やちょっと遠出して飛び込んだパブでのセッションは、こんな風に空間ごと一つになるような楽しさがあった。もう少しは静かだった気もするけれど、めんどくさいことや些細なしがらみ、心の壁をどこかに追い出して、ただ旋律に酔いしれ笑いあう。自分の下手さや難癖を付ける客が頭を悩ましても、このメロディの前では全部がどうでもよくなってしまう。
隣に視線を向ければ、屈託なく笑いリュートをかき鳴らす少年の横顔。――あらゆる不安を、ほんの一時でも吹き飛ばす力。それは細かいことを全部蹴とばして音色と踊る、そんな音楽の一側面だった。
二つの隊商、二人の〈冒険者〉、一人の詩人。たまたま行きあっただけのメンバーだったけれど、今はひとつだ。
「Yaー!HuuHuu!」
「踊れ踊れー!飲みたきゃ呑んで、それから笑えー!食ってよし歌ってよし、なんでも好きにやっちまいな!」
「いいぞーエルフのあんちゃん!さっきまでのへたれっぷりが嘘みてぇだ!」
宴の邪魔者は全て〈恐怖の影〉が屠ってしまったのか、現れる様子もない。今はただこの音色とともに歌い踊るだけ。理性を端っこに引っ掛けていた壮年商人がお開きの号令をかけるまで、その声は絶えることはなかった。
旅の目的地、ツクバからそう遠くはない場所。街道脇の宴はドラセナくんが僕のたった六つ下だったというオチで締めくくられたのは、その後の話である。
BGMはFFCCの「キャラバン・クロスロード」を推奨。ジブリ版「カントリーロード」でもOK。
人物設定集にも改定を加えたりと、ちょこちょこ手は出していっています。




