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今回色々と詰め込んだ結果、まさかの二分割を行う羽目になりました。
まさか主人公を差し置いて二万字になるとは……
『拝啓、家の皆。
もうこの手紙を送るのもずいぶんな回数になって参りましたが、そちらはいかがお過ごしでしょうか。私はイースタルの大自然に囲まれて、実に健康的な毎日を過ごしてしまいす。朝日が昇るころに目覚め、日が沈む前に野営を済ませてしまう商隊の皆さんと行動していると、なんだか体に力はみなぎるような錯覚を覚えます。皆も〈冒険者〉の頑丈な体に甘えること無く、元気に過ごしていることを旅の空から願っていますよ。
さて前置きが長くなりましたが、私は今リットリバー庭園街にやってきています。ここは代々貴族たちの邸宅の庭師を排出してきた園芸職人の家系が多く居を構える町だそうで、そこかしこに美しい庭や丁寧に世話された樹木、綺麗に刈り揃えられた薔薇の垣根がに見られる芳しい街です。そう、〈庭師〉や〈調香師〉はよく出入りしたはずですよ。ここは植物に関連するサブ職業クエストの宝庫でしたから。
私自身はそういったクエストに手をつけたことはございませんが、訪れたことは当然ありました。ですが、画面越しではとうてい伝わらないこの香り、そよぐ草花のざわめきは比べられるものではごありません。
ここで起こった出来事を順にしたためるとかなりの量になってしまいますから、ここはまた数を絞ってお伝えすることします。私は初め家々を回って垣根と街路だけを楽しんでおくつもりだったのですが、最初に目についた英国風の庭がどうしても気になって、中を見せていただけないかと家主の方にお伺いしたのです。
そうすると、先方は笑って通してくれましたよ。この街の庭は個人のものであってもそのほとんどが出入り自由で、他の家の庭を参考にしながら、園芸職人たちは切磋琢磨するのだという風習を添えて。ゲーム時代も自由に出入り出来るのが少々不思議だったのですが、これで疑問が解決しましたよ。
その後は小さなお茶会を堪能させていただきました。少し照れくさかったですが、美しい庭でいただく黒薔薇茶は格別でしたよ』
雲は高く、風は緩やか。絶えず鳴る馬の足音は程よいリズムで、土が剥き出しの街道に足跡を刻む。場所はアキバ近郊のレッドフライヤー森林、進むは〈D.D.D〉の教導部隊。彼らは新人教育を目的とするクエスト攻略隊を編成し、かつある目的のためにこの平野までやってきたのだ。何頭かの馬と幌馬車が隊列を組み、新人たちを目的の村へと送っていく。その中の一人に、赤い髪をした少年が混じっていた。
短く切り揃えられた髪、まだ着慣れていなさそうな赤い幾何学模様が刻まれた鎧を纏った〈守護戦士〉。そこそこの人数が乗った幌馬車に揺られ、何かの写しらしい手紙を読んでいるその目は少しばかり眠たげで、今回の任務にあまり乗り気ではないことが伺い知れた。紙の上を金色の目が何度も滑り、ようやく読み終えた手紙は簡単に折りたたんで鞄に仕舞われ、より退屈そうに大きく伸びをする。
それだけやれば誰かが声をかけるというもので、目の前に座っていた金髪碧眼の青年がその態度に口を挟む。こちらははっとするほど美しい長髪の美青年で、騎士風の優雅な衣装に身を包んだ姿はフランスの銃士そのものと言っていいほどの容貌をしている。……その唇から垂れ流される軽薄な言葉さえなければ、だが。
「なぁなぁ赤間、退屈なのは分かるけどやめようぜ?リーゼチャンが見てんじゃん。ここはイイトコ見せるチャンスなんだから黙って座っとけよ」
「知らねー、お前のナンパの手伝いなんかしねー。つうか、リーゼは間違いなくギルドマスターしか見てねぇって」
「ばっかあれは間違いなく脈ナシだろ!振られて傷ついたリーゼチャンをこのオレが優しく包み込んでだな……」
「いま大声で話すと、その底の抜けたバケツみたいな穴だらけの四月一日式理論、もれなくリーゼ教導隊長に駄々漏れですが」
下心丸出しの発言に対してすかさず隣から飛んできたその言葉に、いっそ大げさなほどの素振りで金髪の青年──四月一日は口を塞ぐ。ばたばたと慌しいその様子はひどく滑稽で、赤間は素人の漫才を見ているような気分でそのやり取りを眺めると、飛んできた声の主の方に視線を移す。表示されるステータスの情報によれば、そちらの少年の名は〈五月七日〉。職業は〈召喚術師〉、の〈庭師〉。四月一日にとっては馴染んだ相手のようだが、今回のクエスト攻略隊の面々では赤間にとっては初対面となる一人だ。
複雑に編み込まれた茶色の長髪に童顔、それに似合わない声変わりを済ませた声はやや違和感があるものの、目の前の金髪ナンパバカに対する対応は両者共に一致している。バカより先に出会いたかった、というのが少年の雑感であったが、運の悪いことに赤間と四月一日は〈D.D.D〉内部では始めて組んだ新入りパーティのメンバーである。これでは避けようがない。
その五月七日は四月一日の暴走を杖でぶん殴って止めると、こちらの退屈さを察してそつなく声をかけてきた。隣で四月一日のHPがレッドゾーンに突入しているが、わざと知らんぷりしているのだろう。気にしないことにして投げかけられる言葉に耳を傾けた。
「そこまであからさまに退屈さを顔に出さなくてもいいでしょう。本来ならば《三羽烏》自らお出でになる必要のないこの頼みごとに教導隊長が同行するということは、それなりに意味があるという事実の表れですよ」
「わかってる、アキバの食いもんに関わる『試験農場』を作ってもらうんだろ。でもなんか気乗りしないんだよ……どうせ引率するならイインチョより三佐さんのがよかった」
アキバに欠かせぬ、しかし絶対数の少ない食品の確保。それは〈冒険者〉の重大な命題のひとつ。それを解決するために、〈円卓会議〉を構成するギルドのひとつである〈D.D.D〉はある川沿いの村へ向かっていた。
「これはこれは〈冒険者〉の皆様!ようこそわが村においでくださいました。あなたがたを見かけなくなってから村の者たちも不安がっていましたから、これでやっと安心することができますよ」
「これはご丁寧に……ありがとうございます。こちらこそ、村のみなさんや領主様が〈円卓会議〉の申し出を受け入れてくださったこと、心より感謝しています」
村の代表と今回の攻略隊を率いる〈D.D.D〉の中核メンバー、リーゼが挨拶を交わす中、赤間たちは先に現場に着いていたメンバーに誘導され、さっそく移動を始めることになっていた。当然のごとく四月一日は文句を垂れるものの、多勢無勢を理由に引きずられていく。悲しいかな、彼はまだレベル37程度の〈盗剣士〉に過ぎなかった。
ゴザル忍者ゆるすまじの文言は運良く話し合うリーゼと付き添いの〈暗殺者〉の耳には届かなかったが、四月一日はその他のギルメンにどつかれることとなった。面倒見のいい二人の先輩は、新人たちには大人気なのである。
吹き通る風が心地よい、木々の間を切り開いて生まれた開けた川沿いの道に、一同は集められた。村の道中を案内しているのは先行して村に到着していた〈海洋機構〉のギルドメンバーの男性、〈ガガンボ〉。彼はひよこを導く親鳥のように新人達を整列させると、村の一角、北側の畑方面へと誘導していく。
「はいはい、みんなはぐれないように歩いてくださいねぇ。あたしゃ〈辺境巡視〉じゃあありませんから、迷子になってもすぐには見つけられませんからねぇ」
「へっ、その〈辺境巡視〉そのものであるオレにはまったく関係のない問題ってわけじゃん」
「いの一番にだだ捏ねたお人は黙ってなさいな、おぼっちゃん」
言われたそばから村娘達の居る洗い場方面に足を向けようとした四月一日をガガンボがつまみ上げ、その無防備な脛に五月七日のダイレクトアタックが直撃するという見事なコンビネーションが襲う。まったくの偶然に決まった一撃であったが、あまりにも綺麗に決まりすぎたため周囲の新人達の腹筋をまとめて掻っ攫う威力を発揮してしまった。赤間は既に、冷めた目で見ることを覚えていたが。
悶える四月一日の形相はあまり見目麗しい剣士がしていい表情ではないものとなっていたため、見慣れていなければ大抵吹き出してしまう。が、赤間のように見慣れた者には効かず、また見ているうちに慣れるほどに悶える威力の一撃を入れられているという微妙な部分を、この青年が汚点としているのは蛇足である。
そのようにはしゃぎ回りながら進む村の風景というのはひどく穏やかだ。例えば、川から村に引き込んでいる水路では娘たちが野菜を洗い、男たちの多くは遠くに見える畑の中で草刈り鎌を握っている。またあるものたちは森から切り出した木材を柱のように加工していたり、やかましく走り回る小さな子供たちを窘めたりと忙しい。
畑の間を歩いている赤間たちに挨拶する者も中にはいたが、皆自分の仕事の没頭しているのは明らかで、何やら興味のようなものが沸いてくる。
「気になりますか?」
列から身を乗り出してそれらを眺めていた彼に、五月七日がまた声をかけた。そわそわと落ち着きのない態度を咎められたと思った赤間は身を固めたが、叱るような声は飛んでこない。むしろ見た目はともかく声のとおりの年齢をしたこの青年にとって赤間は気にかける対象なのだろう、何を見ていたのかと同じ方向を見て目を細めている。
その落ち着き払った態度に、とてもさっき蹴りを食らわせた人物とは思えないと密かに思いながらも赤間は肩の力を抜く。そうすれば、口をついて出るのは素直な言葉だった。
「いや、……あの人達何してんのかなーって、ただ単に思っただけだよ」
「興味を持つのはいいことかと。解説が必要であれば、今回の随行者に適任が居ますから呼んできましょう」
「っへ!?別にそこまではって、おい!五月七日!!」
淡々と、しかし即決で話を決められたことに動転する。確かに発した言葉に偽りはないのだが、そこまで簡単に決まるとは思っていなかった。慌てる赤間を尻目に、五月七日はすいすいとガガンボの方に移動してしまう。
追いかけようとした背に復活した四月一日の視線を感じた気がしたが、少年はそれを無視しておとなしく待った。普段から隊列の維持を心がけろと口を酸っぱくして言い重ねる委員長の言葉は、本人としては残念なことながらしっかりと赤間の中に根付いていたのだろう。
数分ほど待つと、やがて五月七日は一人の少女を伴って列に戻ってくる。くるくると跳ねる髪を手ぬぐいで押さえつけたような髪型の、どこか据わった目つきの少女。
ステータスに表示されたギルドネームにはまったく見覚えがないが、おそらくは先に村に到着していた〈冒険者〉のひとりなのだろう。竜胆色の髪に蜜柑色の虹彩をした瞳は見た目こそ派手だが、表情から寡黙なその態度にかかっては彩度をなくし、近寄り難い。
「…………」
「あの、」
「……」
相手はひとことも話さないが、赤間もまた口を開けない。見とれたなどという可愛らしい理由ではなく、赤間には本気で今の状況が重かった。ガードを崩さない人物と楽しげに話す能力を持っているのは、早苗であって赤間ではないのだ。
早苗であれば、いっそ馴れ馴れしいほどフレンドリーな態度で相手との距離を一気に詰め、なんの滞りもなく仲良くなってしまうだろう。そういうところを赤間は評価していたし、快く感じている。ただ今は切実に、その手助けが欲しかった。
少年は助けを求めるように対面の五月七日を見たが、少し困ったような表情を浮かべるだけで助け船をだす素振りはない。それどころか、赤間は瞳の奥に楽しそうな色を認めてしまう。
結局愛想もなにもない表情に最初の一言を掴みかねていた赤間に、唐突に飛んできた言葉が口火を切ってくれた。
「……互助ギルド、〈なかつくに〉のギルドメンバー、鴇です。職業は〈吟遊詩人〉でサブ職は〈楽士〉、この隊には、農園開拓のアドバイザーとして参加しています」
「え、うん…よろしく?」
「質問ってなんですか」
その余分な言葉を一切排した物言いに、突き放したような冷たさを感じてつい閉口する。目の前の少女に嫌われるような覚えなど赤間にあるわけがなかったし、第一初対面である。その態度はないんではないかと言い返したい気持ちはあったが、彼はいったん堪えることにした。
〈冒険者〉同士の喧嘩で騒ぎを起こしては、それこそ〈D.D.D〉の面汚しである。赤間にとって〈D.D.D〉とは、内実を知った今でも敬意の対象である。
ヤマトサーバいちという看板も理由ではあるのだが、ここまで規律だった一般人の集まりを赤間は知らない。ギルドマスターであるクラスティは浮世離れしたものを感じても、その他のメンバーは本当に普通の人間なのだ。ついさっきまで下らないバカ話に興じていた〈冒険者〉が、戦いとなれば圧倒的戦果を挙げる……その光景の、なんと格好いいことであろうか。
故に、赤間は気にくわないイインチョの指示にもきちんと従うし、集団で行動するときは足並みを揃えるよう励むのだ。このギルドネームを掲げる誇らしさに比べれば、些細な苛立ちなどそよ風のようなものだ。
とはいえ、気持ちそのものは誤魔化せず。続けた言葉はあまり行儀のよいものではなかった。遠くに見える人影たちを指差し、示す。
「あそこで鎌持ってる人たちって、なにしてんの?あそこが畑なのはわかるけどさ、まだ実もなってないのに収穫ってわけでもなさそうだし」
「あれは草刈りです。麦畑は同じイネ科の雑草が生えやすいので、熟して種を落とされる前に刈り取ることになっています。ついでに言いますとこの村にあった連続クエスト、『パメラのシンデレラストーリー』でも、刈り取り依頼があったと聞いています」
「あれは可愛かったよなぁパメラちゃん!ドレスアップしたときは別人かと思ったけど、まさかあのボンボンと結婚しちまうとは……とほほ」
「お前ほんとに黙れよ、口から先に生まれたんじゃないよな?」
「シンデレラストーリーなのですから当然なのでは。パメラさんならもう立派な奥様になって、年頃の子供がいるらしいです」
「んがぁ!?」
横から口を出しておきながら、鴇のカウンターで灰になった四月一日を五月七日が静かに蹴り倒す。馬鹿騒ぎに興じているうちに目的の場所が近くなってきたのか、遠くからガガンボの声が聞こえた。慌てて列の流れに乗ると、森の中に開けた場所に辿り着いたようだった。見ればあたり一面、生い茂る雑草に被われた広大な土地。ここが元々畑だと言われなければ、ただの野原と見間違えるところだったろう。
目的地に辿り着いたからか、鴇はすたすたとガガンボの隣に立ち、据わった目のままで周囲を見回している。そのことにガガンボは特に気には止めず、一同に声をかける。
「はい、そんじゃここで作業を開始します!午前中皆さんがやるのはー…いち、草刈り。に、畑を耕す。さん、肥料をやる。ですよぉ。あたしは持ち込んだ農具の説明に行かなきゃならないんでお暇させていただきますけど、万一畑を荒らすモンスターが出た場合はぶっとばしちゃってくださいな。訓練本命のモンスター討伐は午後の予定ですけど、〈ロデリック商会〉の仄香さんから、容赦はするなというお達しがきてるんで、がんばりましょうねぇ。別に聞きたいことがあればアドバイザーの鴇ちゃんに質問どうぞ?生産ギルドの子じゃありませんが、リアルが農家出身だったんで大体は大丈夫なはずですから」
「……よろしくおねがいします」
一息に説明したガガンボは、鴇の背中を軽く叩いてから立ち去っていく。先ほど受け取っていた〈マリョーナの鞍袋〉の中身を村の住人に見せにいくのだろうが、赤間からすると丸投げに近い態度だった。困惑した視線が周囲を飛び交うが、続いて飛び込んできた声の主が話を進める役目を引き継ぐようだった。
「皆さん、今回アドバイザーを務めさせていただきます、鴇です」
冷えた声と睨みつけるような目つきは仕方がないが、無味乾燥さだけはどうにかならないかと赤間は思う。だが、そんな考えは届くはずもない。鴇はクリップボードを取り出すと、そこに書かれた内容をただ伝えたかのような簡便さで、指示を飛ばす。
「まずは皆さんに草刈りをしていただきますが、方法ははっきり言って自由です。周囲の樹木にダメージを与えないのなら、魔法でも特技でも手仕事でもなんでもどうぞ。ただし、木の一本でも損なおうものなら、私が神殿送りにしますので気をつけてください」
唐突に、あまりにも容赦のない言葉を吐く鴇のレベルは81。いくら〈吟遊詩人〉ともいえど、50近くの差があっては言葉に真実味が宿る。先ほど広がっていた困惑が、はっきりとしたざわめきになって広がった。「神殿送り?」「木一本ぽっちで?」、そんな種の囁きが耳に届くが、据わった目の少女にまで届かせる勇気を持った者はいない。
すると赤間の横から、四月一日が顔を出す。空気の読めなさと度胸はけして同一のくくりで見てはいけないが、何名かの〈D.D.D〉の新人〈冒険者〉たちは安堵の混じった視線を四月一日に向けている。彼自身もその後押しを受け、厚かましいほど堂々と抗議の声を発する。
「はぁ!?いくら女の子のお願いでも自由すぎない!?こう、道具を使えとか、なんかないの?しかもオレ的には木とかどうでも」
「いい、と言ってみますか?言えるものなら、いってみなさい。木が何年かけてここまで大きくなるか、火事が起きたらどの畑まで延焼するか、それが言えるのなら言ってみてくださいませんか。傷口が出来れば薬が必要だし、野鼠一匹カラス一羽でものさばらせれば、大きな被害が出るんですよ」
「うっ、つ……そ、それはだな……」
「それに、この決定は〈D.D.D〉の許諾を得た正式なものです。文句があるならそちらに問い合わせてください」
じろりと、暮れ方の空のように赤い色の滲んだ瞳が四月一日を睨む。思わずたじろいだ青年を放って、話は終わったとばかりに鴇は歩き出してしまう。畑の周囲に生える果樹の点検でもしているのか、木の一本一本を丁寧に観察し始めた。置いてけぼりの新人たちは呆然とそれを見つめるばかりで、畑をどうすればいいのか、というところまで頭が回る様子はない。
本音を言えば、赤間とてその一団に混ざって困惑顔のまま立ち尽くしていたかった。だが、人よりほんの少しだけ強い好奇心は、視線を徐々に周囲へと移していく。
周囲に生えている木の実の種類は赤間には分からない。なんとなく林檎や梨みたいなのかも、という予想はつくものの、その青い実だけを見て品種を見極める能力は彼に備わっていないのだ。ただ、その木の積み重ねた年月だけは、なんとなく伺い知ることはできた。
なにせ、周囲の木々はざらりとした樹皮と、老人のように曲がった枝を持っている。近くに植わった、まだ若いのであろう小さな木と比べれば一目瞭然だ。剪定の痕、一度朽ちた木が、若い枝から再生した痕跡、成長とともに砕けた外皮、理由は不明だが、部分的に枯れた枝。見栄えよく植樹された街路樹か、自然公園のいかにも立派な木しか見た経験がないだけに、『植物の戦い』の傷跡がありありと残った木の姿は、まったく別種の生き物のように、赤間の目には映った。
足元を見ると、切った枝を焚いたあとや、背の高い草が切り落とされたさまも見受けられる。自分たちの立っている畑の予定地は草がぼうぼうに生え、ブーツではないメンバーは歩きにくそうにしていたことを、それを見て思い出す。また果樹と畑の境界線は刈られた草によりはっきりしていて、案外と区画が決まっているものなのだと察することができる。
そのようにして観察を続けていると、今度は小さな机が置かれていることに赤間は気付く。誰もその机を気にかけてはいないようだったが、そこに乗っているのは最近やっとアキバに登場したばかりであるはずの“餅”なのだ。そろそろと困惑し続ける一同から抜け出すと、机の前を陣取った。
黒い色の皿に乗った餅と、白いお猪口と徳利に満たされた透明な液体。その両隣には色とりどりの花が、おしとやかな顔をして生けられている。
「なんだこれ、ぼた餅と……こっちのは匂い的に、お酒?んで花も乗ってるし、なんだかこれって」
「お供え物みたい、だって?」
「そう、うちの仏壇とか神棚もこんな感じ……うわぁ!?」
突然背後からかけられた声に、思わず飛びのく。飛び退いた拍子に机に足をぶつけ、今度は上に乗った徳利が転げそうになり、慌てて机を押さえる。ガタガタと煩い音を立てながらも机が倒れる事態は避けることができ、張本人の赤間はほっとため息をついた。ここで机が盛大に倒れる音を鳴らしてしまえば、クラス会でくしゃみをするよりも恥ずかしい目に合うことだけは予想できたからだ。
すると、今度は背後から忍ぶような笑い声が聞こえてきた。その声の主がどう思ったかは定かではないが、馬鹿にされたような気分になった赤間はむっとした表情浮かべて、未だに止まない笑い声の方向へ振り向いた。
「あのさ、失礼だとか笑っちゃ悪いなとか、そういうトコ考えて欲しいんだけど」
「ご、……っくく、ごめんごめん。悪いとは思ってるんだけどとまんなくて」
むすくれた赤間に笑いながら謝罪した少女は、幌馬車の中では見なかった顔だった。小麦色の髪と濃いグリーンの瞳に、やや露出度の高い服装。一目でその職業を見抜くことはできなかったものの、そのサブ職業だけは容易に推し量ることができた。
露出した肌にくまなく刻まれた刻印。それは地肌に直接刻印を刻み込むことで自身の能力を強化するサブ職業、〈刻印術師〉のものだ。
「〈刻印術師〉か?悪い、顔覚えてないんだけど、あんた先遣隊のやつ?」
「うん、そゆこと。ここで精霊を祭って欲しいって頼まれてんの」
「精霊を、祭る?精霊ってあれだよな、モンスターの」
「私もそうだと思ってるよ、けど生産ギルドの偉い人は違うんだってー。〈精霊〉は日本のカミみたいなものなんだって言ってた」
〈れっきいすたー〉──ステータスの名前はそう書かれていた──の話を要約すると、全てはこの土地を豊かにするためらしい。
日本における神とは、そもそも人知の及ばぬ存在全てに対応されかねない言葉である。「尋常ならず人の及ばぬ徳ありて、畏きもの」と国学者が例えたように、アニミズム的な視点から生まれたもの、他宗教から流れ着いたものなどが混在する、かなり広い意味を持っている。その上で精霊と呼ばれる存在を定義してみると、そのカミという領域にはぴったり当てはまるのだ。
そこで生産ギルドの面々は、精霊を祭ることで土地を護ってもらう、という発想に行き着くことになった。この机ならぬ神棚は、土地に棲む精霊への捧げ物なのだ。「どうかこの土地に恵みをお与えください」と祈ることにより、大地を豊かにしてもらおうというのだ。
赤間はやや怪訝そうな顔で神棚を眺めていたが、れっきいすたーを振り返ると、ひとこと。
「〈神祇官〉?」
「残念、〈森呪遣い〉でした」
「それはそれで間違ってないけどさ、なんか詐欺じゃねぇ?…………あ、」
釈然としない声で心情を述べた赤間は、そのまま先ほど抜け出た〈D.D.D〉の面々の元へと戻った。今の会話から着想を得たアイデアを、伝えるために。
『さて、ここで私はある噂話を耳にいたしました。ここリットリバー庭園街から少し離れた、ナロウマウント王国。そこでなんと、モンブランが開発されたというではありませんか!
こちらでの名称を「天蓋焼き」という魅惑の菓子は、新たな名物としてじわじわと発展を続けているそうで。ですが焦りは禁物です。栗の取れる秋はまだまだ先で、今はきっと保存していた分の栗しかないはず。九月の暮れあたりにナロウマウントを訪れることができれば、技術素材ともに最高の状態でいただけるはずです。じっと我慢ですよ、我慢!
……閑話休題。ナロウマウント王国が擁する〈群青獅子団〉は、ここリットリバーでも尊敬の的のようです。
元より自然と過ごすリットリバーの人々にとって、〈森呪遣い〉が属する〈群青獅子団〉はそれだけで憧れでしょうが、それに加えて平原の巨人たちを追い払ってきた実績がありますからね。マイハマの〈グラスグリーヴス〉、街道を守る〈千の牙傭兵団〉と並んでイースタルの有数の勇士たちと言うべき存在、といったところでしょうか。
彼らの真似をして木の枝を振るう男の子たちを眺めていると、現実を思い出します。私も小さい頃はあんな風に傘を振り回したりしましたよ』
赤間は、並び立つ〈D.D.D〉の新人たちの前に立っていた。つい先ほどまでは各々草を引っこ抜いてみたり、順に切り払ったりと試行錯誤を繰り返していたのだが、それらをすべて止めた上で畑予定地の外に出てもらい、まずは声を張る。
「あのさ皆!ちょっと俺から提案があるんだけど、聞いてくれないか?ここの草を一網打尽にする方法を思いついたんだ!」
「一網打じぃん?そりゃできたらそっちのが断然いいけど、できんのかよ赤間」
「まさか火を付けるとか言わないよね、周りに燃え広がったりしたらぶっとばされるじゃん」
言葉を発した瞬間次々飛んでくる疑問の声に、少年は思わず苦笑いを浮かべる。こう言ってはなんだが、赤間には求心力というものは存在しない。言葉は足らないし、態度は悪いし、見た目はお世辞にも穏やかとは言い難い。はっきり言うならリーダーより鉄砲玉として前に出る方が性にも周囲の評価にも合っているのだと、自他ともに感じているのだ。しかし、今ここにいるのは赤間だけ。足りない言葉は理屈で補うことにして、言葉の先を続ける。
「そのまさかだ。この畑に火を付ける。そのまま灰になってくれれば栄養にもなるし、雑草の種も散らばらない。焼畑はやりすぎるとよくないって聞くけど、一回もやったことがない場所なら大丈夫だろ、多分」
「だからダメでしょ!?草は別の畑まで繋がって生えてるし、火の粉だってばんばん飛ぶから、ゼッタイ!!」
「なら囲めばいいんだよ。そうだろ、五月七日」
くるりと振り向いて、名前の主と向き合う。五月七日は何もかもわかっているような顔をしながら、その背中に二つの輝きを引き連れていた。用意周到なその表情に、やはり外見不相応なものを感じながら赤間は一歩踏み出した。〈召喚術師〉である彼が連れていたのは、〈大災害〉後定番中の定番となった精霊──〈火蜥蜴〉と〈水精霊〉。
五月七日は近衛の衣装のような、きらびやかさと実用性が混合した装束に包まれていた腕を、畑の方へ伸ばす。白色の手袋に被われた指先が台形を描くように中空をなぞると、まず動いたのは〈水精霊〉。結われた髪のように見える部分を叩きつけるように畑へ伸ばし、流水は瞬く間に予定地を取り囲む。水は渦を巻くように上へ上へと登り、最後には周囲の木々を越えんばかりに伸びていった。そこで引き継ぐのが、やや腰の引けた〈火蜥蜴〉である。
〈火蜥蜴〉は〈水精霊〉の開けた水壁の穴へ飛び込むと、畑の中心に向かい歩き出した。何をするのかと一同が見守るなか、〈火蜥蜴〉はその中心に居座りごうごうと燃え出したのだ。火炎は瞬く間に大地を覆い尽くすと、背の高いものや肉厚な草であろうと容赦なく焼ききった。もちろん、四方を覆う水のおかげで延焼の失敗はまったくない。
「おー……って、おおう!?おいおい五月七日、〈水精霊〉はチャイナが一番だってあれほど」
「そこじゃないでしょ!?嘘、召喚生物って結構融通利くの!?便利すぎ!」
別の部分に着目する四月一日と驚愕するれっきいっすたーを一旦放置して、赤間は鴇の立つ方向へ向き直る。相変わらずその瞳には大した感情は浮かんでいなかったが、クリップボードに何事かを書き込んでからこちらに近づいて来る。思わず身構えた一同に対し、鴇は一枚の紙を提示した。
「“よくできました、自分で考えて行動できましたね”……〈D.D.D〉って、案外凝り性なんですね」
「おおお……あれは≪三羽烏≫スタンプ入りポスター!?」
「しかも文字はおそらく直筆だ!!」
ハンコの類で付けたと見られる単色のイラスト、対象年齢低めの文言。まさに〈D.D.D〉の密かな名物、『がんばりましたカード』の亜種というべき紙だった。色めき立つ男子メンバーに対し、鴇は動じることなく言葉を続けるようだった。……動じていないというよりも、興味がないだけなのかもしれないのだが。その証拠に、まったく変化のないまま目は冷めきっている。
すると、赤間の横をすり抜け五月七日が鴇の横に並んだ。あまりにも自然な態度だったためどのメンバーも一瞬反応が遅れ、その間に鴇の宣言に滑り込まれることになる。
「この“草刈り”は各々の資質を見極めるために〈D.D.D〉が企画したテストでもありました。率先して行動した人、周囲に頼られた人、観察力に優れた人。基準は色々ありますが、今後新人同士だけでクエストに挑戦する際、指針となるような点を中心に採点するそうです……五月七日さんが」
「どうも、〈D.D.D〉所属新人ギルドメンバー改め〈D.D.D〉中堅メンバー、〈栗花落〉のサブアカウントの〈五月七日〉です。運悪く新規で作ったアカウントで巻き込まれてしまったため、こっそり皆さんの中に潜ませていただきました。騙したみたいで申し訳ありません」
ほんの一瞬、時間が凍りついたように止まる。言葉の意味が、まるで春の雪解けのようにゆっくりと解れていくに従って、小さなざわめきが波紋のように広がり、
「はぁぁぁぁぁぁ!?五月七日、お前、初心者じゃないのかよぉ!!何シレッと『MMOは初めてダヨー』みたいな顔してアカ作ってんだよ!」
「だって、〈D.D.D〉に居つかれたら面倒だなと思いまして」
「なんか組んででラクだなとか思ったよこのやろう!」
「四月一日と名前の方向性が似てたからてっきり……てかリア友同士でしょ二人って、何で気付かないの!」
動揺とも怒りともつかない声がそこかしこから上がった。どの新人にも言えることだが、先輩たちにはいいところを見せたくて大なり小なり見栄は張っていた。そこが五月七日を通して筒抜けになっていたのだから、悲鳴の一つもあげたくなるというものである。(たとえ元々筒抜けのようなものだったとしても!)
その渦中にいるはずの五月七日は悲鳴をあげる後輩達を、実に楽しそうに涼しい顔で眺めている。分かっていたことではあるが、この先輩は優しいが意地が悪い。
「楽しみにしてたよな、間違いなく」
「そうですね、楽しみでなかったと言えば嘘になります。けれど、罪悪感が全くなかったわけではないですから」
「そこはわかってる。でなきゃちょっとくらいはムカッ腹立ってたはずだから」
四月一日とはリアルで同じ大学に通っていたと聞いたことがあるが、目の前の青年とあのナンパバカが同い年とは思えない。曰く、リアルではここまで“らしい”振る舞いはしないそうなのだが、赤間には想像する事はできそうにもない。変わらないのは馬鹿に対する態度くらいなのだろうか。
「では皆さん、ここからは本当の農作業を始めますよ。召喚生物を使いながら耕して、あとは腐葉土や堆肥も蒔きますから覚悟しておいてくださいね!」
「臭いと虫は我慢」
五月七日は相変わらず悲鳴を上げつづける一同に手を振ってざわめきを制し、いけしゃあしゃあと音頭を取る。いっそ安心するほどダウナーな鴇に見守られながら、午前の作業は開始されることとなった。
アホがひとりいるとノリが軽くなります。
〈D.D.D〉は所属人数が多いこともあり、メンツを揃えやすくて助かります。
……だから伸びたのかな、これ。
津軽あまにさんの『〈D.D.D〉日誌』より、ゴザル忍者こと狐猿氏のお名前?をお借りしました。




