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01

魅力的な世界観と自由な余白に釣られて、ふらふらっと書き出してしまいました。

執筆速度など悩みはつきませんが、なんとか楽しんでいただけるよう精一杯筆を走らせていきたいと思います。

 粘つくコールタールとタイトルロゴ、ディッシャーで抉り取ったような白い孔。それだけを脳裏に閃かせて、目覚めは唐突に訪れた。



 切断された回線を無理やり束ねて、ノイズの発生を厭わず繋ぎ合わせたような強引な覚醒。一瞬だけくらりと体が傾いだが、反射的に足を踏みしめると思いのほか体はしゃんと立った。


 意識の端に追いやっていた視覚に意識を向けると、はじめに見えたのは枯れ草色と褪せた藍色、次に日差しを浴びた緑と晴れた空色。味気ないクリーム色で構成されていた壁と屋根は取り払われていて。酔っ払って外で寝た記憶はない、と反芻するもベッドの上でもないこともまた事実で、思わず頭を抱えた。

 ……手に触れた、覚えのない布の感触のせいで疑問は増したが、ため息をつくだけになんとか留め、視界の端にちらついた“何か”に向かって多少思い切りよく左を向いた。


 古びたビルにはまった割れたガラスの向こうには、どこか悲しげな顔立ちの青年が立っている。視界の端に映る色・・・・・・・・)と同じ枯れ草色の髪と、重たそうな藍色のマントを被った姿は、背丈のわりに威圧感はない。

 纏う衣は素朴さを感じさせる簡素な白い胴衣。しかし腰のあたりにはオレンジの無地と黄色のストライプを重ねた飾り布がベルトで留められているし、忍者か中東の民族衣装を思わせる、中指のリングと繋がったすみれ色のアームガードが腕に巻かれ、その上からさらにビーズを連ねたブレスレットを身につけていた。そのせいか、くすんだ色の装束から漂う野暮ったい雰囲気はいくらか薄まっている。


 目深に被ったフードから覗く顔は見え辛いが、わずかな光の反射から耳にもビーズの装飾を下げているようだ。見たところガラスでできた本物のビーズのようで、高価だろうに、と埒もない感想が浮かぶ。……と、そこまで考えて気付いた。目の前の彼は自分と同じ身長ではあるまいか?


 右手を上げる。彼も右手を上げた。左手を上げる。彼も左手を上げた、あれ。



「ひょっとして、これ僕かい」



 青年の唇が同じように言葉を紡ぐ、なんてことだ。


 瞬時に僕の心は混乱の渦に放り込まれる。何度も見直して様々な動作を繰り返すも、目の前の姿は変わるどころかますます真実を突きつける。しまいには目前のガラスを叩き割ることすら頭に思い浮かんだが、拳を振り上げたところで我に返った。利き腕がずたずたになることだけは避けられたが、現実はなにも変わらない。


 すっと通った鼻筋、焦げ茶の目に枯れ草色の髪の青年の姿は、自分が老舗MMORPG〈エルダーテイル〉でキャラメイクした〈ナーサリー〉に間違いない。ちょっとばかりたれた眉や伏し目がちの目つきがリアルでの自分と似ている気がしないでもないが、問題はそこではないのだ。思わず地べたに座り込んでしまう。


 見回せば自分と同じように恐る恐る造形を確認する者、現状を理解できず呆然とし、ひどいものとなるとわめき散らす人間も見える。

 混乱の度合いで言えば自分も大差はないはずなのだが、年の功か悲鳴は上げずに済んでいる。喚いて騒いで駄々をこねても、それで事態を誰かが解決してくれるのはほんの幼少期までである。人間は知らず知らずのうちに責を背負うものだ、この場合は自分で自分の面倒を見る、という責任だろうか。


 しかし気持ちは分かる。路地にあふれる人間の姿は集団コスプレイヤーどころの話ではなく、重厚感溢れる鎧や繊細なレースが使われたドレスの質感は本物、狐尾族や猫人族は耳や尾が生え、エルフは尖った耳を持っている。こと容姿に至っては「誰だお前?」と鏡の中に問いかけたくなるくらいには美化されているのだろう。かくいう僕もこんなに若くはない。



(……状況を整理しようか。僕の名前は岩木久隆、地方のしがない司書で趣味はチェロとネットゲーム。対してこの体の名前はナーサリー。レベル90の〈吟遊詩人〉バードでサブ職は〈ストーリーテラー〉、種族はヒューマンで各地を旅する放浪の詩人……という設定)



 思い返すとだんだんと冷静さと記憶が戻ってくる。自分はMMORPG〈エルダー・テイル〉の拡張パックをいまかいまかと待っていただけの、準廃人くらいのヘビーユーザーだ。


 パック適用の日は当然のように休みを取り、適当にコーヒーを淹れて用意を済ませるとログインしていた。カフェインによって冴えた頭で最新の拡張パック〈ノウアスフィアの開墾〉の内容を知己と予想しあっていて、それから記憶がない。 夢、という可能性も思い浮かべたものの、ここまでの状況を夢に見るほどの妄想癖はないのだが。僕は何だかんだで10年続ける根気のよさでそれなりに楽しくやっていただけの、いい年こいて年季の入ったロールプレイヤーでしかないのだ。


 ざっと通りを見渡してみると、フードを涼やかな風が揺らした。潮騒を想起させる梢のさざめきにつられるように建造物に目をこらすと、立ち並ぶビル群は朽ち果てていて緑に飲まれ、どこか神秘的なものを感じさせる。

 〈エルダー・テイル〉のストーリーが展開される世界〈セルデシア〉の伝承によればこれらビルは神代の遺跡と呼ばれ、かつてファンの間に様々な議論を呼んだものだった。そんな慣れ親しんだ新緑の廃墟は、今もプレイヤータウン・アキバの街を彩っていた。──液晶の向こうにあった時と同じように。


 そんな中誰かが回答をくれるならばまだしも、人の預かり知らぬ何者かによって放置されたプレイヤーたちの混乱と狂乱は徐々に増していく。男とも女ともつかぬ混ざりあった悲鳴は、僕の精神を揺さぶるように耳へと突き刺さる。



「手っ……どうなってんだよ、なんで俺の手がこんな毛むくじゃらなんだよ!?」


「いや、いやあ!待って、待ってよ……私の顔、こんなんじゃ」


「あは、あはは…はは。ゆめ、だろ」



 力なく座り込んでいる者と、叫び回る者、どちらがまだマシと言えるだろう?いずれにせよこの狂乱、よくはない。


 無論僕も完全に人事と言えるほど落ち着いているわけでもなく、道端にうずくまっているから見た目には大差ない。一旦の混乱が静まるまでは、ただただ街路を眺める他することがないのだ。このまま何か人と関わろうものなら、冷静さは望めないと自分の──今日は比較的よく回る頭が告げている。

 適当に引っこ抜いた雑草の葉っぱを引き裂く、無意味な行動を繰り返して思考ルーチンを安定化させることを試みた。子供のころはよくやった手遊びでも、大柄の男がやると見た目ちょっと怖かったかもしれないが。


 そうしてしばらく眺めていると、驚いたことに明確な目的を持って歩いている人間も何回か見かけた。が、たいがいはギルド構成員だろうと僕もアタリはついていた。やっと平静に近づいてきた頭で考えると〈D.D.D〉や〈海洋機構〉なんかは、ネットゲーム内の組織とは思えないど統制が取れているし、それ以外のギルドとて他の構成員が心配で嘆いているひまはないと判断すると結論づいた。


 ひょっとしたら知人と連絡を取るソロプレイヤーもいるのかもしれないが、そのあたりは見た目には判別がつかない。それに、自分の現状はそれどころではないと気づいてしまった。



(目下の問題は僕もぼっちということなんだけれど、ひとに気を回している場合じゃないよね?いま誰かと連絡を取ろうと思うのなら……そうだ、フレンドリスト。メニューさえ開ければ念話機能で連絡が取れるかもしれない)



 先ほどまで話し合っていたはずの知人とは引き離されたらしく、姿は見えない。別に複数いれば事態が解決するわけではないが、日本人とは群れるのが好きなのだ。しょうがない。


 行動を起こすのを億劫がる心を叱咤して、わたわたと自分の体を確認する。マントの下に隠れてはいたが、先ほどから装備品の重みは感じていた。褪せた藍色の布をめくった下にあったものは、思ったより物々しかったが。


 ベルトに固定されていたのは冒険者御用達の重量無視の鞄〈ダザネッグの魔法の鞄〉。その隣にもうひとつ、ポーションホルダーもしっかりと備えられ、さらにはソロではよく愛用するショートボウ〈五月の王〉(メイ・キング)も身につけてはいるのだが、肝心のメニューに該当するような機能は見つからない。いくらゲームキャラの見た目で、ゲームと同じ風景の中に立っているからと早計すぎたか、と肩を落としかけたとき、ふっと見覚えのある画面が浮かんだ。アイテム、ステータスなどの項目が並んだそれは、間違いなくメニュー画面のそれで。


 中空に、と言うよりは脳裏に浮かんだ感覚がするのが、とりあえずタッチパネルのイメージで操作してみる。ステータス、アイテム、装備品。どれも不備はない、〈ナーサリー〉としての不備は、だが。



「っと、こういう時は……〈ホネスティ〉。アインスさん、聞こえるだろうか」



 飛びつくようにフレンドリストを操作し、迷いながらも一人のギルドマスターに連絡する。


 こういうとき集団で繋がっているギルドとは便利なものだろうな、と思いながら鈴のようなコール音に耳を澄ませる。我ながらずいぶんと名の知れた人物と知り合ったものだとは思うが、一応これも実力だ。

 僕は延々とソロを続けてきた身ではあるものの、パーティーだって組んだことがあるし大規模戦闘レイドにだって参加した経験はある。〈吟遊詩人〉や〈付与術師〉といった支援職は〈エルダー・テイル〉の頂点のひとつ、大規模戦闘レイドにおいて重要な役割を果たすくせに、その入り口というのが狭く極めるのも大変、というアンバランスさを誇る。それゆえ、実力を伴う、と判断されれば大手と繋がりを付けるのも極端に難しいというほどではなくなるのだ。

 とはいえ、僕はそこまで有名ではないだろう。国内のレイド経験は少なめの、それも攻略法の検証であって最速攻略争いのような派手なものでもない。


 単に情報だけなら〈第8商店街〉のカラシンさんに連絡する、という手もあったのだが、知己の多い彼の念話はうっかりすれば混線状態かもしれない。カラシンとはもっと単純に海外のアイテムを流通に乗せてもらった縁があるものの、自分と似たような間柄の友人は100や200を軽く飛び越える数がいるのだ。あまり頼るわけにもいかない。



『……まさか、ナーサリーか?あなたも巻き込まれていたのですね……お互い、無事を喜ぶべきなのでしょうが』



 一呼吸置くと、いらえがあった。ボイスチャット越しに聞いたことのある声が、耳に響く。



「あまりそうする気分でもない状況なのが残念だね。あなたのところは大丈夫だったのかな?」



 〈ホネスティ〉は規模で言えばアキバの街を拠点にするギルド、特に戦闘を主にするギルドのなかでは二番目の規模を誇るギルドだ。大規模戦闘レイドの攻略情報の集積と共有化を推し進める方針があり、自分も情報提供者としての縁で友誼を持つに至った、という間柄だ。余人には〈先生〉と呼ばれ慕われる彼の声は、マイクの向こうから聞こえていた声と変わりなく、耳に快い低さを含んでいる。

 こと単純にアインスさん本人に関しての感情を述べるのならは、こうして声を聞いてすっと心が落ち着きを取り戻してくるほどには信頼する相手だ。多分、そう離れた年でもないんだろうけど。


 ただ大手ギルドの辛さか人数が人数のため、この事態にアインスさんも頭が痛いのだろう。声色には困惑と緊張が滲んでいる。それでもいの一番に放心した僕と違い、こうして連絡をとりあう余裕はあったというのはさすがギルドマスターと言うべきか。電話の通話のように、年話の向こうから聞き覚えのある声がうっすら混じり聞こえてきていた。



〈ホネスティ〉うちはログイン率が高かったのでね。集合するのが大変だっただけで、連絡を取るのは楽に済みましたよ。幸いなことにギルドチャットはまだ生きていたというのもある』


「どうやらメニューのほとんどの機能は使えるみたいだね。アインスさんはギルドマスターだからメンバーの保護が最優先だろうし、安心したよ。……それと、現状についてだけど」


『ご想像かと思うが、ほとんど把握できていない。わかったのはタウンゲートの停止と、ログアウト機能の消失、加えて間違いなく術技が使えることと食事の必要性。重要ではあるが、たったそれだけです。他にも、想定できる問題がいくつか』



 そこで声が途切れ、『ギルマスーなんか食物アイテム使用してもいいですかー?』と念話越しに聞こえる声をアインスさんが窘めているのが聞こえたが、そこは聞かなかったことにしておいた。僕は失礼にならない程度に苦笑を漏らすと、途切れた言葉を引き継いで続ける。混乱には付き物の、暴動という可能性について。



「僕は目覚めたばかりだから、もっとひどいよ。今の情報だけでもありがたい。でも、そうだね。〈エルダー・テイル〉のようで〈エルダー・テイル〉ではない〈セルデシア〉……困ったことになるかもしれない。典型的な異世界小説みたいに、降って湧いた力を悪用する人間、善を成そうとしても力及ばず敗れる人間、強者ぼうけんしゃ弱者だいちじんの坩堝。混沌は活力でもあるけど、統制されない力は破滅を齎すだろうから」



 彼ならば予想はしているだろうが、こういう異常な環境においてはときに暴力がものを言う。倫理の衣を纏わない人間は、もれなく獣に還るだろう。曲がりなりにもマナーに関してはしっかりしている日本人だ、それはないと思いたいが……その評価にしたって海外と比べてなのだ、過信はできない。誰しもが一度は禁忌とされる行為を空想したことはあるだろう。それが実行できてしまうかもしれないのだ、今の僕達というのは。


 アインスさんの素早い情報収集に感謝しながらも、僕の口からうっかり漏れたのはいささか装飾過剰な呟き。何とも懐かしいロールプレイの名残りだが、正直生身でこれを演じるとなるとなかなか恥ずかしい。幸運、と言っていいかは分からないが、唱うような声はこの格好にならまだ似合うだろう。元の顔でこちらに飛ばされなかったことに内心で安堵していると、念話の向こうから伺うような声が響く。



『ナーサリーは、ここは〈エルダー・テイル〉の中ではないと考えているのですか?』



 そうだとも、と頷く。そもそも物語の中、と言う表現が案外とおかしいものだと僕は考えている。


 そも〈エルダー・テイル〉ものがたりは、外側から見るからこそ物語──読者プレイヤーとは関係のないものとして扱われるのだ。それが今や我々は架空だったはずの体を与えられ、〈ゼルデシア〉の大地に立っている。VR(ヴァーチャル・リアリティ)などという確立されてもいない技術の可能性は、はじめから切り捨てた。


 読者はもうこの時点で読者ではない、立派な〈ゼルデシア〉の住人である。この大地の空気を吸い、ここに居を構えて、この地に生きる生命を糧とするもの。そして日々の糧を求めて狩りや農耕に勤しみ、ときにささやかな願いや悲劇の解決を求めてクエストを発行する、〈大地人〉の隣人となったのだ。どうしてこれをゲームと思えよう。

 ここが〈エルダー・テイル〉を引き継いでいようがいまいが関係はない。自分がいま足を踏みしめている大地、見ている風景。それこそが僕にとっての現実であり真実である。


 僕の言葉に唸るアインスさんは、どうも言葉を咀嚼しきれていないようだった。僕の持論というのは肯定されこそすれポンと受け止められないことが常だったので、苛立ちは芽生えない。他人と自分の考え方や趣向が同じであるという誤認は、人間関係に罅を入れる危険な過ちだ。フォローするべきなのか迷って、言葉を付け足しておく。



「受け止め切れないのも仕方ないとは思うけれどね、僕とてアインスさんと連絡が取れなければ慌てて忘れていただろうし」


『落ち着いてたとしても、ピンとくるような内容ではないのではないだろう?相変わらずの〈物語愛好家〉テイルマニアといったところか』


「ご挨拶だね、君たちは偉業を成し遂げた英雄を尊敬しないのかい?壮麗かつ巨大な宮殿に心奪われたりは?まったく見たこともない不思議な生命に愛着を覚えたりは?……架空だからと軽んじるなんて、なんだか勝手ではないかい」



 自然、言葉は暗くなる。物語の登場人物世界観に過剰なくらい感情移入する僕の癖は、サブカルチャーの分野を息苦しく感じさせることも多かった。


 何のイベントもないがとても荘厳な風景のマップが容量の無駄と断じられると悲しかったし、モンスターの育成や武具の作成では、細かい設定だって考えたこともある。ファンフィクションにたまに居る“やたら扱いの悪いキャラ”に対する過剰な弄りに拒否反応を起こしたことすらあった。そうしてゲームをし始めて三年ほど経ったときには、もう必要以上にNPC、AI、オブジェクトという言葉を使わなくなっていた。


 もう35にもなってみっともないことだが、未だ童話や伝承、英雄譚──そういうものに対して、思い入れがとても強いのだ。吟遊詩人のロールプレイとてそこに由来する。


 〈エルダー・テイル〉の名前が示す通り、このMMORPGは多くの物語を内包している。その中で時には〈ハーフガイア・プロジェクト〉を利用して現実の物語を再現することもあり、僕の目当てだって元々はそれだったのだ。そこから10年もかけてこの世界を楽しみつづけたのは、他ならぬ〈大地人〉かれらの物語に魅了されたからこそである。


 それがこんなことになるなんて、と思考の袋小路に入りかけたとき、苦笑を含んだアインスさんの声が聞こえて意識を浮上させた。



『余計なことを思い出させてしまったか、気にしないように。まだ理解には至らないが一応、うちのメンバーにも気をつけさせましょう。そういないとは思いたいですが』


「ああ、いやすまない。そうしておいてくれるとありがたいな。それと、アインスさんはこれからどうするんだい?」



『予定としてしばらく情報収集が主になるが……このままだと、もうしばらくしたらいよいよモンスターを狩りにいかないといけなくなる。なにせ、食べさせるというのはお金がかかりますから』



 そうしてアインスさんは再びため息をつく、確かに大手ギルドといえど資産は無限ではない。食事の必要性があるのなら食べないままとはいかない、そして食べるのならお金がいる。食事くらいなら雑魚を狩るだけでも間に合う金額程度しかかからないが、今は実際に戦わないといけないのだ。二の足も踏んでしまうというものである。


 それを言うのなら自分とて狩りに赴かなければあっという間に貯蓄が底を尽きるのだが、僕はまだ戦闘という行為をどこか遠いもののように感じていた。想像がつくわけもない、戦うのだ。弓矢どころか護身用の警棒すら握ったことのない自分が。今は、考えても回答の出ない問題である。



『そちらはどうする?ここのところずっとソロだったろうし、私としては〈ホネスティ〉にいったん合流してもかまわない』



 霧の向こうに思いを馳せるのは中断し、続く言葉にしばし考えを巡らせる。

 こうあっさりと誘われるとは思っていなかったが、〈ホネスティ〉ほど大きなギルドともなればその安心感は相当だろう。情報も早く集まるし、資金もまだまだ潤沢だ。

 ──しかし、首を振ることにした。気遣いはありがたいが、ギルドによそ者がひとりくっつくというのは外聞が悪い。ソロをやめるつもりも、毛頭ない。


 こんな馬鹿らしい状況でこだわるのかと自分でも驚くのだが、“物語と孤独を愛する吟遊詩人”を止めるつもりはまったくといっていいほどなかった。それが〈ナーサリー〉であることへの見栄だったのか、強がりの一種であったのかは判別できない。分かるのは、それが紛れもない本心であるということだけだった。



「ありがたいけど、やめておくよ。一応ここ一年の間に僕は個人で小さいゾーンを買ってるんだ、そこを拠点にする。何か分れば、もちろん連絡するからね」


『……そうか、仕方ありません。では私は皆の取りまとめに戻るので、ナーサリーもお気をつけて』


 ほんの少し残念そうな声とともに念話が途切れ、僕の脳裏に静寂が訪れる。惜しい誘いを蹴った気がするものの後悔はとくに湧かなかった。ただ、こうして誘いを受けるぐらいには好まれていたんだな、と場違いに笑みが浮かんでしまう。あいにくその笑顔もこの顔のせいで悲しげにしかならなかったが、人に好かれるのいつだって嬉しいものだ。


 心に灯った暖かさを道標に、僕は一歩街路へと踏み出す。未だ座り込み続ける人々を振り払って、次の目的地へ。先はまったく見えないし、足元だって定まってはいない。しかし、そのくらいで諦めていいことはなにもないと知っているくらいには、僕自身大人だった。



「さしあたって、食料の確保が優先かな」



そうつぶやきを残して、黒土の大地を歩いていった。










 僕が先ほどから座り込んでいたのは、実を言うとギルド会館のすぐそばだった。今晩とこれからの宿である部屋は、そこから多少離れた銀葉の大樹に程近い場所にある。そのため、食料は道中で買うことにしたのだが……なかなかどうして、道中案外面白いものが見かけられたのだ。


 生命力に溢れた緑髪のエルフが、悪戯小僧を思わせる顔の騎士とえらく目つきの悪い術師を連れていたりだとか。


 なにやら日本離れした、三国志を彷彿とさせる少年の集団が歩いていたりだとか。


 いっそ意気揚々という風情で、術師らしき集団が街の外の方角へ歩いて行ったりだとか。


 がやがやがやがや、やっためったら騒がしい男三人とネカマ一人が、何人かに頭をはたかれていたりだとか。


 女性の大群に囲まれながら、楽しそうに口元を綻ばせている少年だとか。


 なんだか見覚えのある、しかしまとまりのない恰好の男たちが道に散らばったオレンジを拾い集めていたりだとか。


 この状況下においても気力を失わないさまは、見ているこちらもなにやら励まされてしまう。日常という括りで平凡視される“いつも通り”、を維持するのは案外難しいものだ。下を向くものたちばかりのなかで生きた目をした彼らに自然足取りも軽くなり、目当ての銀葉の大樹もいくらか見上げるほどの距離まで近づいていた。


 そうしてやってきたマーケットで、店番をしている壮年の〈大地人〉に声をかける。マーケットというのはプレイヤーが出品する商店の総称だが、ゲーム時代のようにすべての品が並んでいる、と言うわけでもなかった。今しがた寄ったのは、食物アイテムの店舗のようだった。



「こんにちは。店主、なにかサンドイッチでおすすめはあるかい?」


「おやおや、〈冒険者〉の方がそうお尋ねになるなんて珍しいですね。でしたら、こちらのサーモンサンドなんていかがでございましょう」



 示されたサーモンサンドは確かに美味しそうで即決してもいいくらいだったが、会話に混ざった珍しい、という言葉にふと疑問が浮かぶ。中世と現代の文化様式の差かとも思ったが、この程度で疑問に思われるのは何だか釈然としない。


 ぐるりと商品を眺め、昼のメニューを決めると顔をあげる。初めからこの世界に生きていた彼らにも、なにか感じ取れる変化があったのだろうか。注文の言葉に、疑問を混ぜた。



「なら、それと紅茶。あとはチョコドーナツをおやつに。……珍しいというのなら聞きたいのだけれど、あなたたちから見て今までの〈冒険者〉はどんな風だったのかい?」


 マーケットに並ぶ美味しそうな食料アイテムを指差しながら、じっと店主の目を見る。聞きたいことは色々あるので、できれば答えてもらいたい。だがそのまま数十秒経っても返答がないのを訝しみ、改めて顔を見直すと、なにやらうろたえて言葉に詰まっている様子。 ほんの一拍考えて、生まれていた誤解に気づき慌てて手を振った。いくら自由気ままな冒険者とはいえ、そこまで気は短くない。


「そう身構えないでいただきたい、僕はただ過去の〈冒険者〉について知りたいだけだ。責めてはいないよ」


「おっとそうでしたか、これはこれは大変失礼いたしました。そうですねぇ、忌避なく言わせていただけるのであれば、我々にとって〈冒険者〉というのは強靭で不老不死、名実ともに英雄的な存在でありましたが……よく、わからない存在でした」


「と、言うと?」


「正直あれほど恐ろしいモンスターに迷いなく向かっていくのが、そもそも不可解でしたよ。それに必要最低限しかものを言わず、普通に話すのは冒険者同士くらいのもので我々〈大地人〉は空気か何かのように扱われていました。ただ、商品は定額で、品質の差なく買ってくれましたから。新人の商人なんかは、大抵冒険者を頼りにしてものを売っていたものですよ。それが今やお客さんのようにごく自然とものを話すんですから……正直、驚いています」


 そんな風に見えていたのは驚きだったが、店主の言葉を噛み砕きながら以前の〈冒険者〉の姿をかつてのプレイヤーの姿に当てはめる。商品を無言で買い、何も言わずとも僻地へ向かって危険なモンスターを倒し積極的にクエストをこなした。そして死んだところで復活し、死の恐怖もなく再び戦場へ戻るのだ。

 ……こう考えるとなかなかに恐ろしい姿だ、殺戮アンドロイドのごとく強く戦いに貪欲だった〈冒険者〉。得体が知れないにもほどがある。


 先ほどの店主の反応も過剰反応ではなかったのだと結論づけると、差し出されたアイテムの包みを受け取りながら言葉を重ねた。



「では、戸惑いは大きいのだろうね。すまないが我々〈冒険者〉はなんといったらいいか……色々あって故郷に帰れなくなってしまったんだ。それによって多分に動揺しているものがほとんどだから、しばらくこのアキバの街を騒がせることになるだろう」



 こればかりは双方咎はないのかもしれないが、どちらかといえば侵入者は〈冒険者〉の方である。不便をかける、と頭を下げるが、今度は店主が慌てて手を振る。



「〈冒険者〉様に頭を下げられちゃ困っちまいますよ!不便っていったって面倒な相手もこなさなきゃならんのが商売ですから。なに、ちっと手間が増えたくらいですよ」



 にか、と表現したくなる商売人らしい笑顔で店主は励ましの言葉を贈ってくれた。……まったく、これはかなわない。年齢こそ本来の自分よりいくらか年上、といった風情だが、何もかもが人の手で行われる中世世界では生きる濃度というやつが違うのだろう。客に文句を言わないのは向こうの小売業も同じだが、ここまであっけらかんとできるかは、少し怪しい。

 感謝の思いも込めて串焼きを追加注文し、会釈して露店を立ち去る。混乱ばかりの異界漂着において、こういう出会いがあったことは悪くない。来てよかった、と思わせる好事だった。


 片腕に袋を、もう片方の手に串焼きを手に再び銀葉の大樹を目指す。この世界での初めての食事に胸躍らせながら串焼きにかぶりつくと──


 ベルが鳴った、応じる。


『申し訳ありませんナーサリーさん、実は食料アイテムに関した問題が判明しまして……』


「……もう遅いよ」


 紙粘土かふやけ煎餅のような味気なさ、三大欲求のひとつを封じられた瞬間だった。






お前何歳だよ、と問いたくなるこのふわっとしたオジサンが主人公です。


無断ながら、カルカルさんの「俺たち、私たち、召喚士!?」、津軽あまにさんの「D.D.D日誌」、キリカさんの「5月某日0時より、終了未定でアキバにて」、凡人Aさんの「ヤマトの国の大地人」から、カメオ出演でキャラをお借りしました。問題があれば削除いたします。


2014/02/06:アインスの口調修正。


1014/09/11:クレジットミス修正

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