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SF短編

十万分の一の俺

作者: とおエイ
掲載日:2026/11/04

 午前七時。目覚ましが鳴るより少し早く、俺は目を覚ました。


「おはようございます。朝食の準備を開始します。ご希望はありますか?」

「お任せで」


 専属AIに軽く返事を返して洗面所へ向かう。鏡には四十二歳の俺が映っていた。少し腹が出てきたし、髪も薄くなり始めている。


 顔を洗って着替えを済ませると、食卓にはライスとミソスープ、ベイクドサカナ、それに栄養補助錠剤が二粒並んでいた。


「お、今日はワフウか」


 ニュースをつけて朝食に箸をつけると、昨日の傷害事件が報じられていた。


『昨日、第二区の商業施設で発生した傷害事件について、警察は第二区在住の三十六歳の無職を逮捕しました』


 画面には、警察官に両脇を挟まれて歩く俺が映っていた。短く刈った髪にこけた頬。うつむき加減で歩いていたが、カメラを向けられると一瞬だけ顔を上げ、すぐに視線を逸らした。


『容疑者は以前から近隣住民とのトラブルを繰り返しており――』


 バカな俺もいたもんだ。飯が不味くなる。別のチャンネルへ切り替える。


『続いて、都市研究所が開発した新型循環装置についてです。開発主任は今回の成果について――』


 今度は白衣を着た俺が映った。五十代だろうか。目尻には皺が刻まれ、髪には白いものが混じっている。堂々とした話しぶりだ。


 流れるニュースを聞きながら残りの朝食を済ませ、栄養補助錠剤を水で流し込んだ。鞄を手に取ると、専属AIが声をかけてきた。


「中央線は平常運転です。現在の交通状況では、通常どおりの出発で間に合います」

「わかった」


 玄関を出ると、ちょうど隣の部屋から七十代半ばの俺が出てきた。少し腰は曲がっているが、足取りはしっかりしている。


「おはようございます」

「おう、おはよう」


「今日も仕事か」

「ええ」

「若いのは大変だな」

「そっちは毎日楽しそうですね」

「へへ、自由だからな」

「俺もさっさと定年したいですよ」

「はは、そうなれるように頑張んな」


 俺も笑い返してエレベーターへ向かった。


 集合住宅を出ると、ドームの天井には朝日が映し出されていた。気温二十二度、湿度五十五パーセント。いつもどおりの快適な朝だ。


 通勤時間帯の歩道には、さまざまな年齢の俺があふれていた。スーツ姿の俺、作業服姿の俺、杖をついた俺。すれ違う顔はどれも見覚えがある。もっとも、見覚えのない顔など、この街には存在しないのだが。


 ここは、こと座のケプラー21星系第三惑星にある、人口十万人の移民都市だ。地球からおよそ三百五十光年。生身の人間を送り込むには遠すぎるため、遺伝子情報と人格データ、都市建設設備と管理AIを搭載した無人移民船が送り出された。


 およそ六十五年前、この星に到着した移民船は、五年ほどかけて都市を完成させた。ところが、住民の製造を始めようとしたところ、保存されていた人体データのほとんどが破損していることが判明した。航行中に放射線防護設備が故障し、データが放射線にさらされていたのだ。


 無事だったのは、別系統で保管されていた標準人体モデルと、その基礎人格データだけだった。氏名などの個人情報も失われていたため、AIは残された遺伝子情報から日本人男性と判断し、典型的な日本人名を与えた。


 田中一郎。


 都市管理AIには、移民計画を遂行するという最上位命令が与えられていた。AIは地球に状況を報告し、新たな遺伝子データの送付を要請したものの、通信だけで片道三百五十年。返答が届くのは早くても七百年後だ。


 それまで計画を停止するわけにもいかず、AIは残された田中一郎のデータだけで移民計画を続行することにした。


 こうして、田中一郎だけが製造されることになった。顔も名前も、基礎となる人格も同じだ。


 製造された住民には、都市の運営に必要な職業が割り当てられ、それぞれの専門知識が与えられる。医師も技術者も、清掃員も管理職も、全員が二十歳前後の田中一郎として働き始める。


 以来、事故や病気、老衰などで住民が死亡するたびに、新しい二十歳の田中一郎が補充されている。だから、この街には老人も若者もいる。ただし、子供も女性もいない。


 駅に着くと、改札前が妙に混雑していた。


「なんだ?」

「中央線で人身事故だってよ」


 隣にいた俺が教えてくれた。


「またかよ」

「飛び込みだとさ。朝っぱらから迷惑な話だ」


 電光掲示板には運転見合わせの表示が出ている。俺は舌打ちした。


「どうせ復元されるのに、馬鹿じゃねえの。何の意味があるんだよ」

「さあな。本人に聞いてみれば?」


 隣の俺は肩をすくめた。


 この都市では、自殺した住民は前夜のバックアップから復元される。全員が専属AIを持っており、睡眠中に記憶と人格が保存されている。自殺と判定された場合だけ、肉体年齢も含めて前夜の状態で再生産される仕組みだ。


 復元された本人は、前夜までの記憶を持ったまま戻ってくる。自殺による欠勤は珍しくない。ただ、通勤時間帯に交通機関を止められるのは困る。


「迂回経路を案内しますか?」

「頼む。会社にも遅れるって連絡しといて」

「承知しました」


 俺は人混みを抜け、別の路線へ向かった。


     *


 結局、会社に着いたのは九時十五分だった。


「おう、来たか。電車、大変だったな」


 声をかけてきたのは、設備管理課課長の俺だった。五十代半ばで、額が広く、眉間には深い皺がある。


「すみません、遅くなりました」

「連絡は受けてる。九時半から会議だから、準備だけ頼むぞ」


 そう言って課長の俺は自分の席へ戻った。俺も鞄を置き、端末で資料を確認する。


 今回の議題は、老朽化した空調設備の更新計画だ。俺は設備管理課で日常の運用と保守を担当している。会議では、更新工事中の運転計画や保守費用について説明することになっていた。


 資料をひととおり確認して会議室へ向かうと、すでに何人かの俺が集まっていた。課長に促されて席に着くと、ほどなく会議が始まった。


 営業主任の俺が予算の説明を終えると、設計の若い俺が新しい設備の仕様を説明し始めた。まだ二十八歳だが、去年は社内の改善提案で表彰されている。今回の更新計画も、実質的にはあいつがまとめたものだ。


 説明はわかりやすく、こちらが気にしていた運用上の問題もきちんと押さえていた。よく考えてある。俺があの歳の頃、こんな説明ができただろうか。


「運用側はどうだ。工事中の設備停止は問題ないか?」


 課長がこちらを向いた。


「停止期間中は予備系統に切り替えます。処理能力は足ります。ただ、切り替えに二時間かかるので、その間だけ負荷を落とす必要があります。運用側で調整します」

「そうか。その点は工事日程に反映しておいてくれ」

「わかりました」


 課長はうなずき、次の議題へ移った。


 設計の若い俺は、もう次の資料に目を落としていた。


     *


 昼休み。社員食堂で定食を食べていると、隣の席から声が聞こえた。


「そういや、総務のが戻ってきたらしいぞ」

「ああ、先週飛んだやつ?」

「そう。昨日から普通に出勤してる」

「早いな」

「本人はもう平気だってさ」

「そりゃそうだろ。調整されてるんだから」

「原因は何だったんだ?」

「仕事と人間関係らしい」

「それ、戻ってきても変わらないだろ」

「だからまた飛ぶんじゃないかって話」


 二人は笑った。俺も少し笑いそうになった。


 実際、珍しい話ではない。同じ理由で何度も自殺する俺もいる。復元を繰り返すうちに、以前なら耐えられなかったことにも平然としていられるようになり、まるで別人のように性格が変わることもあるらしい。


 もっとも、本人にしてみれば、前より少し生きやすくなっただけなのかもしれない。


 ふと食堂の壁に設置された画面へ目を向けると、朝と同じ傷害事件のニュースが流れていた。警察官に両脇を挟まれた俺が、カメラを避けるように顔を伏せている。


 朝は飯が不味くなると思ってチャンネルを変えたが、今度はその姿から目を離せなかった。


 あの俺も、製造されたときは俺と同じだった。同じ性格、同じ考え方。そこから十六年生きて、ああなった。


 何をどう間違えたんだろう。いや、俺だって何か一つ違っていたら、ああなっていたのかもしれない。


「どうしました?」

「別に」

「食事の進みが遅くなっています」

「考え事だよ」

「相談に応じます」

「いい」


 俺は残りの飯を口に押し込んだ。


     *


 午後の会議は予定より長引いた。午前中に出された更新計画について、費用や工事日程の最終調整が続いていた。設計の若い俺がまとめた改善案は最終的に採用され、課長の俺は上機嫌だった。


「よくやったな。次の計画も頼むぞ」

「ありがとうございます」


 若い俺は照れくさそうに笑った。俺も拍手した。実際、よくできた計画だと思う。


 それなのに、拍手をやめたあとも、何となく落ち着かなかった。


 俺だって何もしてこなかったわけじゃない。夜中に設備が故障して呼び出されたこともあったし、何日もかけて不具合の原因を突き止めたこともある。それなりに仕事を覚え、それなりに評価もされてきた。


 まだ八年目のあいつが、俺よりずっと先を歩いているように見えた。


 製造されたときは同じだったはずだ。俺だって二十歳のときには、仕事に必要な知識を与えられ、働き始めた。


 俺が過ごしてきた二十二年と、あいつが過ごしてきた八年。どこでこんな差がついたんだろう。


     *


 帰り道、駅前の公園を通った。


 ベンチには、年老いた俺が二人座っていた。一人は身なりがよく、もう一人は少しくたびれた上着を着ている。


 身なりのいい俺が笑いながら話していた。


「いやあ、引退してからのほうが忙しいくらいだよ」

「そうかい」

「今度、南区の文化施設で展示会を開くんだ。準備が大変でな」

「そりゃ楽しそうだ」

「お前は最近どうしてる?」

「俺か? まあ、毎日ここに来てるよ」

「ほかには?」

「特に何もないな。時間だけはたっぷりあるんだが」


 もう一人の俺は力なく笑った。


 俺は足を止めた。


 同じ俺として生まれ、別々の人生を歩んできた二人。


 何が違った。運か、努力か、選択か。どれもしっくりこない。


 公園を抜けようとしたとき、若い俺とすれ違った。二十歳くらいだろう。新品の作業服を着て、どこか誇らしげに歩いていた。


 思わず振り返ると、若い俺は振り返ることもなく、人混みの中へ消えていった。


 あの俺は、これからどうなるんだろう。


 研究者として成功した俺もいる。犯罪者になった俺もいる。幸せそうに笑う年老いた俺も、うつむいて暮らす年老いた俺もいる。そして、今ここにいる俺も。あの俺がどんな人生を歩むのか、誰にもわからない。


     *


 午後八時過ぎに帰宅した俺は、夕食を済ませると寝室のVR装置に横になり、目の前に並んだ無数のプログラムから、いつもの一本を選んだ。


「本プログラムの本日の利用可能時間は一時間です」

「わかってる」

「プログラムを開始します」


 視界が切り替わると、見慣れたホテルの一室が現れた。窓の向こうには夜景が広がり、ベッドには若い女が腰掛けている。


「あ、おかえり」

「ただいま、ミユ」

「今日もお疲れさま。いつもの、用意してあるよ」


 ミユはテーブルのグラスを指さした。中身は俺の好きなウイスキーの水割りだ。


「ありがと」

「まずは一杯。それから今日の話、聞かせて?」


 これが俺たちの日課だった。俺が酒を飲みながらその日の出来事を話し、ミユが相槌を打ったり、からかったりする。


「今日はどうだった?」

「若い俺に仕事で負けた」

「へえ。珍しく素直だね」

「……あいつ、優秀なんだよ」

「悔しかった?」

「……まあ、ちょっとな」

「そっか。じゃあ今日は、いつもより甘やかしてあげようかな」


 ミユは笑って立ち上がると、俺の首に腕を回して頬にキスをした。柔らかな身体の感触も、耳元で囁く声も、本物と区別がつかない。


 この星には女がいない。いや、女だけじゃない。俺以外の人間が一人もいないのだ。ここは、俺ではない誰かと会える唯一の場所だった。女と遊ぶだけでなく、俺とは違う考えを持つ相手と討論したり、スポーツで競い合ったりすることもできる。


 ミユという名前も、俺がつけた。顔も声も性格も、俺の好みに合わせて設定してある。それでも、こうして話していると、ときどき本当に誰かがそこにいるような気がした。


「今日はいっぱい甘やかしてあげる」


 ミユに手を引かれ、俺はベッドへ向かった。唇が重なり、彼女の指が俺の背中を滑る。身体を寄せ合い、夢中になっていると、ミユが熱っぽい声を漏らした。


「ねえ、もっと――」

「本プログラムの利用時間が終了しました」


 ミユもベッドも、一瞬で消えた。


「おい! 今いいところだっただろ!」

「規定時間に達しました」

「あと十分! いや、五分でいいから!」

「延長はできません」

「くそっ……」

「退職後は本プログラムの利用時間制限が解除されます」

「はいはい。あと二十年近くあるっての」


 この街では、退職するまで働く義務があり、娯楽にも一定の制限が設けられている。


 目の前にプログラムの選択画面が表示された。スポーツ、討論、旅行、学習。ほかにもいくらでもあるし、利用時間が残っているものも多い。だが、今さら何かを始める気にもなれなかった。


「今日はもういい。終了してくれ」

「本日の利用を終了します」


 視界が元の寝室に戻り、装置から身体を起こした。さっきまで腕の中にいたミユの感触は、もうどこにもなかった。


 しばらくベッドに座っていたが、やがて居間に戻ってテレビをつけると、朝のニュースで見た研究者の俺が特集番組に出演していた。


『今回の成果について、どうお考えですか?』

『私一人の力ではありません。研究所の仲間たちのおかげです』


 立派なことを言う。俺なら、あんなふうに答えられるだろうか。


 いや、あいつは俺だ。答えられるはずだ。なのに、俺は答えられない。


 それ以上見ている気になれず、画面を消した。静かになった部屋で、しばらく座っていた。


「本日の疲労度が高くなっています。早めの就寝を推奨します」


 専属AIが言った。


「なあ」

「はい」

「俺って、何なんだろうな」

「質問の意図を確認します」

「俺は俺だろ」

「はい」

「でも、あいつらも俺なんだよな」

「全住民は同一の基礎人格データから製造されています」

「知ってるよ」


 俺は笑った。


「そんなこと、子供の頃から知ってる」


 この街で子供といえば、製造されたばかりの二十歳前後のことだ。俺だって、あの頃は何も疑問に思わなかった。


「俺はさ」

「はい」

「別に、何か特別なことがしたかったわけじゃないんだ」

「承知しています」

「普通に働いて、普通に暮らして、それでよかったんだよ」

「現在の生活は、おおむね安定しています」

「そうだな」


 仕事はある。住む場所もある。食事にも困っていない。生活に不自由はない。何も問題はない。


 なのに。


 朝のニュースで見た犯罪者の俺と研究者の俺、会議室の若い俺、公園の年老いた俺たちが次々と浮かんだ。


 全員、俺だった。


 俺ができなかったことをした俺。俺がやらなかったことをした俺。俺がなりたくないものになった俺。俺がなりたかったものになった俺。


 それが十万人いる。俺はそのうちの一人でしかない。


「……なあ」

「はい」

「俺が死んだら、どうなる?」

「死亡原因によります」

「自殺なら?」

「前夜のバックアップから復元されます。必要に応じてストレス反応の調整が行われます」

「じゃあ、今のこの気分も消えるのか」

「自殺の原因となるストレス反応については、調整対象となります」

「そうか」


 俺はしばらく黙った。


 朝の駅を思い出した。電車が止まっていた。誰かが飛び込んだ。


 どうせ復元されるのに。馬鹿じゃねえの。何の意味があるんだよ。


 あのときは本当にそう思った。今もそう思う。意味なんかない。


 明日になれば、俺はまた目を覚ます。昨日までの記憶を持って、今日のことだけ忘れて。少しだけ、何かが変わって。


「なあ」

「はい」

「俺の希望を優先するんだよな」

「はい。私はあなたの意思を支援するために存在します」

「だったら、頼む」

「お聞きします」

「次に目を覚ましたときには、こんなことを考えなくて済むようにしてくれ」

「自殺に伴う復元処理では、原因となったストレス反応の調整が行われます」

「そうか」


 俺は少し笑った。


 明日の俺は、今日の俺と同じ仕事をする。同じ部屋で暮らし、同じ顔の連中に囲まれて生きていく。


 何も変わらない。


 ただ、あいつらを見ても、今みたいな気持ちにはならなくなる。


 それでいい。


「じゃあ、頼んだ」


 次の俺は、うまくやるといいな。


     *


《都市管理記録》


 ケプラー21暦65年8月17日


 天候設定:晴天

 気温:18.0–25.0℃

 湿度:45–60%

 大気:正常

 水質:正常

 電力:正常

 生産設備:正常

 廃棄物再資源化:正常


 交通事故発生件数:7

 災害発生件数:2

 犯罪発生件数:5

 設備障害発生件数:4

 設備障害復旧件数:3


 本日の死亡者数:12

 事故死:3

 病死:2

 老衰:4

 自死:3


 本日の製造者数:12

 新規製造:9

 人格復元:3


 自死者の人格調整処理:3

 処理成功:3

 処理失敗:0


 都市人口:100,000


 都市機能:正常


 異常なし。

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