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短編

社畜として使い潰されたので退職(死亡)したら、異世界で魔王様にヘッドハンティングされました ~元ブラック企業と元上司は、地獄で勝手に残業していてください~

作者: 河合ゆうじ
掲載日:2025/11/13

 日付が、またひとつ、変わった。

 真夜中のオフィス。

 フロアのあちこちが消灯しているのに、私の席のだけはぎらぎら明るい。

「……よし。これで、今日分の資料は全部……」

 マウスをクリックした瞬間、視界がぐにゃりと揺れた。

 頭の奥で、何かがぷつんと切れる音がして、そのまま世界が暗くなる。

 最後に見えたのは、画面右下の数字。

 残業時間:312時間/月

(あ、これ……人間のやるやつじゃないなぁ)

 そう思ったところで、私――

 綾乃あやのの人生は、一回目の終業を迎えた。



「はい、お疲れ様でしたー。ブラック企業ポイント、カンストおめでとうございます」

 軽い拍手の音がした。

 目を開けると、真っ白な空間。そこに、ふわふわしたソファと、ラフなパーカー姿の女の人。

 女神、だった。

 背中に光の羽根。片手には、タブレット。

「……えっと。ここは?」

「中間管理空間です。死後と転生の合間。あと愚痴を聞く窓口。で、あなたは――」

 女神はタブレットをスワイプしながら、さらっと言った。

「日本国出身・二十七歳・独身・彼氏なし・月三百時間残業ののち過労死」

「最後いらない情報混ぜましたよね!?」

「だって実績として重要ですし。この世界の管理システム的に。

 ブラック企業ポイントが規定値を超えた人には、特典がつくんですよ」

「特典?」

「はい。こちら」

 タブレットの画面が、私の目の前にぐいっと突き出される。

 そこには、見覚えのある画面構成。丸っこいボタンに、ポップな色。

「……婚活アプリ?」

「正確には、異世界婚活アプリ《ソウルマッチ》です。

 ブラック企業に魂をすり減らされた方への、ささやかな補償プランですね~」

 女神はやる気なさそうな声で説明を続ける。

「異世界で、独身の貴族・王族・魔王などなどの中から、お相手をマッチングします。

 あなたは転生。お相手はその世界で生きたまま、です」

「ま、魔王って、今さらっと言いました?」

「言いましたね。人気枠です。見た目は大体イケメンですし。

 契約結婚、政略婚、溺愛、なんでもありますよ。

 ……で、どうします? 参加するなら、ここにサイン」

 渡されたのは、ぺらっとした同意書。

 私は、しばらく黙って天井を仰いだ。

 思い出すのは、真夜中のオフィス。

 上司の怒鳴り声。「やる気が足りない」が口癖の部長。

 椅子の高さすら自分の好みに変えられなかったあの職場。

 胸の奥から、じわじわと何かが湧き上がる。

「……私、決めました」

「お、参加します?」

「はい。ただし――」

 私はタブレットを受け取ると、条件入力の画面を開いた。

 そこには、「希望年収」「顔面偏差値」「年齢差」「種族」など、細かい項目が並んでいる。

 私は迷わず、「性格」「生活スタイル」の項目をタップした。

「残業、禁止。休日出勤、なし。パワハラ・モラハラ、論外。

 家事は分担、もしくは外注。妻を『楽だから』って理由で家政婦扱いしない人。」

「おっと、なかなかガチめに来ましたね」

「……もう、あんなのは嫌なんです。

 仕事も、恋愛も、全部『我慢』から始まるのは絶対に嫌。

 愛されるために自分を削るのも、疲れました」

 気づけば、言葉がぽろぽろとこぼれていた。

「だから、もう二度と、理不尽に耐えるのはやめます。

 最初から条件は全部出しておく。嫌な人には、嫌って言う。

 ……それでも一緒にいてくれる人がいい」

 女神が、じっとこちらを見る。

 さっきまで半分寝ていたような目が、少しだけ真面目になる。

「了解しました。条件、そのまま反映しますね」

 カタカタと入力する音。

 少しして、タブレットがピロンと音を鳴らした。

『あなたの条件に合致するお相手は――一名だけです』

「……一名?」

「ですね。かなり絞りましたから。

 人間勢はほぼ全滅でしたね~。残業あり、妻は家に……とかばっかりで」

「うわぁ……」

「では、唯一ヒットしたお相手はこちら」

 画面に表示されたプロフィールには、整った顔の男の絵と、いくつかの文字が並んでいた。


『名前:レオニス・ノア・ヴァルガ

 種族:魔族(魔王)

 年齢:外見二十代後半/実年齢二百三歳

 職業:魔王

 評価:冷徹非情・人類の天敵・残業は基本・部下に厳しい……などなど(※人間側の噂)』


「噂、って書いてありますけど」

「人間側が勝手に流しているプロパガンダも混じってますね。

 ただ一つ言えるのは――」

 女神は、画面の下の小さな文字を指さした。

『希望:自分より先に自分を犠牲にしない人。

 自分と対等に口をきいてくれる人。

 ちゃんと休んで笑ってくれる人』

 そこだけ、字がゆらいで見えた。

(……あ、ずるい)

 胸の奥で、何かがきゅっと鳴った。

「まだ実物見てませんけど、なんか、この人――」

 少しだけ、わかる気がした。

 仕事ばかりで周りから「冷徹」って言われて、

 本当は、手を伸ばしたい方向が別のところにある人。

 女神が、小さく笑う。

「決めるのは、あなたです。

 ただ、時間はあまりありませんよ。魂、長くここには置けないので」

「……じゃあ」

 私は深呼吸して、「承諾」ボタンを押した。

 次の瞬間、真っ白な世界が、暗い城のシルエットで塗りつぶされる。

 ――こうして私は、二回目の人生を始めることになった。



 目を開けたとき、まず飛び込んできたのは、天井の高さだった。

 石造りの巨大なホール。

 黒い旗がいくつも垂れ下がり、赤い絨毯がまっすぐ伸びている。

 そして、その先に座っているのは――

(え、イラストより実物のほうがいいって、何それ)

 黒髪に、赤い瞳。

 整った顔立ちなのに、眉間には深い皺。

 重そうな黒いマントを肩にかけた男が、玉座から立ち上がった。

「……レオニス・ノア・ヴァルガだ。ようこそ、魔王城へ」

 低く落ち着いた声が響く。

 その瞬間、私の背後で誰かがどよめいた。

「魔王様が立ったぞ……!」「珍しい……」

(座ってるのがデフォなんだ……)

 どうやら、周りの魔族たちにとっても珍しい光景らしい。

 レオニス――魔王は、ゆっくりと階段を降りてくる。

 近づくにつれてわかる。目つきは鋭いけれど、その瞳は意外なほど静かだ。

 そして、彼は私の目の前で立ち止まり、ほんの少しだけ目を見開いた。

「……小柄だな」

「第一声それなんですか」

 思わず突っ込むと、周囲が息を呑んだ。

「ひ、姫君……!」「魔王様にツッコミを……!」

 レオニスは慌てたように咳払いをする。

「すまない。無礼なことを言った。

 その、思っていたより……華奢で、壊れやすそうだと、そう……」

 言い直した内容も別に褒めてはいない気もするけど、

 私の中の何かが、くすっと笑った。

「あの、私の名前は綾乃です。

 ……これから、お世話になります。魔王様」

「レオニスでいい。

 こちらこそ。来てくれて、ありがとう」

 真っ直ぐな視線。

 噂の「冷徹」とは違う、少しだけ不器用な笑み。

 次の瞬間、白い光の契約書が私たちの前に現れた。

「これが、女神との三者契約だ。

 君が入力した条件は、すべてここに明文化されている」

 レオニスが手に取ったそれを、私も覗き込む。

 ずらっと並ぶ文字――

『残業禁止』『休日保証』『暴言禁止』『浮気したら魂ごと賠償』等々。

「魂ごと賠償は、さすがにやりすぎでは……?」

「女神が勝手に入れた。『抑止力です♪』と言っていた」

「絵文字使うタイプなんですね、あの女神……」

 契約書の一番下には、すでにレオニスの署名がある。

「えっ、もうサインしてあるんですか?」

「もちろんだ。君が来る前に、条件はすべて確認した。

 ……それを飲めないような男に、君を迎える資格はないだろう」

 さらっと言われて、心臓が跳ねる。

 危ない。この魔王、不器用なくせに時々直球を投げてくる。

「……じゃあ、私も」

 ペンを取り、名前を書く。

 契約書が光を放ち、ふわりと消えた。

 それと同時に、胸の奥がぽんと温かくなる。

 何かが、ゆるく結ばれた感覚。

(これが、ソウルマッチの契約……)

 レオニスが、まっすぐに私を見る。

「ようこそ。今日からここが、君の家だ」

 その言葉に、私は小さく息を呑んだ。

 前世では、一度も聞けなかった言葉。

 「家」はあったはずなのに、そこはただ、寝るだけの場所で。

「……お邪魔します。よろしくお願いします、レオニス」

 自然と、笑みがこぼれた。



「これが、君の部屋だ」

 案内されたのは、広すぎるくらいの部屋だった。

 大きなベッド。ふかふかそうなソファ。バルコニーから見えるのは、星空と、黒い森。

「広……!」

「狭いほうがいいなら、別の部屋も用意できるが」

「いえ、あの、びっくりしただけです。ありがとうございます」

 きょろきょろしていると、扉がノックされた。

「失礼いたします、魔王様。側近のセラと申します」

 入ってきたのは、銀髪の女性。

 きっちりした眼鏡をかけ、書類の束を抱えている。

(あ、この人、絶対仕事できる)

「以後、奥方様の身の回りのことは私が担当いたします。

 なにかございましたら、遠慮なくお申し付けください」

「お、おく……!」

 単語の破壊力に、一瞬固まる。

(奥方様……私、もう魔王の奥さん扱い……!? いや契約結婚なんだけど!!)

 考えている間にも、セラは淡々と説明を続ける。

「なお、魔王様はこのあと執務に戻られますので、今夜の夕食は――」

「待て」

 レオニスが口を挟んだ。

「今日はもう、執務は終わりだ。

 夕食はここで、一緒にとる」

「……そんな、しかし書類が山のように……」

「あとに回せ。どうせ、今片付けても増えるだけだ」

 セラが目を瞬く。明らかに予想外という顔だ。

(あ……この感じ、わかる)

 前職の上司が、同じように書類の山に埋もれていたのを思い出す。

 違うのは、レオニスが自分で「あとに回せ」と言ったこと。

 多分、彼は――残業が当たり前になっているだけだ。

「レオニス」

「なんだ」

「初日から残業したら、契約違反ですよ」

 そう言うと、彼はぴたりと固まった。

 セラが、書類を持ったままこっちを見る。

 私とレオニスの視線が、正面からぶつかる。

「……そう、だったな」

 しばらく沈黙したあと、彼はふっと口元を緩めた。

「綾乃がそう言うなら、今日はやめておこう」

「魔王様……!」

 セラが驚きとも感動ともつかない声を出す。

 こうして私は、魔王の初日の残業を全力で止めた。



 数日暮らしてわかったことがある。

 魔王城は、かなりブラック寄りだった。

 まず、兵士たちの勤務表を見て驚いた。

「この人たち、連続勤務七日って書いてありますけど」

「休憩は入れているぞ。三時間ごとに十五分」

「それ、休憩って言わないんですよ……!」

 書類担当の魔族たちの机の上にも、寝袋が載っている。

「寝袋があるから大丈夫?」

「そういう問題じゃないんですよ!!」

 気づけば私は、城のあちこちを見て回り、メモ帳に走り書きをしていた。

 ・勤務シフトの見直し

 ・休日の義務化

 ・魔王の執務時間の制限

 ・「勇者が攻めてきたから徹夜」は原則禁止(代わりに交代制)

 前世の社畜経験が、こんな形で役立つとは思わなかった。

 レオニスはと言えば、最初は不思議そうに私を眺めていたが――

「ここの数字、合ってますか?」

「……すまない。数字は得意ではない」

「ですよね」

 山のような会計書類の前で、素直に白旗を上げていた。

「魔王なんだから得意じゃなくてもいいですよ。

 ただ、誰か信頼できる人を一人置いてください。数字に強い人」

「……セラ」

「はい」

 即答で現れる有能眼鏡。

「セラは数字に強い。今までは現場の取りまとめもしていたが――」

「それはそれで過労死コースなので、仕事減らしましょう。

 セラさん、あなた、目の下のクマやばいですよ」

「……お見苦しいところを」

 照れくさそうに眼鏡を押し上げるセラ。

 私は、机の上のカレンダーにペンを走らせた。

「まず、魔王様の定時を決めます」

「定時……?」

「はい。終わる時間です。絶対、必ず、そこで仕事を終えるライン」

 ぽかんとしている魔王に、私はにっこり笑いかける。

「魔王様が率先して帰らないと、部下も帰れないでしょう?」

 その一言で、部屋の空気が変わった。

 セラがハッとしたように頭を下げる。

「……確かに、その通りです」

 レオニスが、少し視線をさまよわせてから、こちらを見た。

「では、綾乃。君が決めてくれ。

 私の、定時とやらを」

 任された瞬間、胸が温かくなる。

 前の職場では、「若いんだからもう少し残れ」が当たり前だった。

 誰も「帰れ」とは言ってくれなかった。

「……じゃあ、夕食の一時間前に終業。

 そこからは、夫婦の時間、です」

 言ってから、自分で顔が熱くなる。

(何言ってるの私!?)

 けれど、レオニスは真面目な顔で頷いた。

「わかった。

 私の定時は、綾乃との時間の、前までだ」

「うわ、言い方……」

 セラが咳払いでごまかしている。

 でも、その顔はどこか嬉しそうだった。

 こうして、魔王城のホワイト化計画は、静かにスタートした。



 定時を決めたといっても、長年の習慣はすぐには変わらない。

 ある夜。

 夕食を終えたあと、レオニスの部屋を覗くと、机の上にまだ灯りが残っていた。

 扉を開けると、書類の海。その真ん中で、魔王が眉間に皺を寄せている。

「……レオニス」

「綾乃? どうした、もう休んでいていいぞ」

「どうした、じゃないですよ。

 ここ、定時過ぎてます」

「だが、この案件は――」

 彼はすぐに「必要だから」とか「今やらなければ」とか言うタイプだ。

 それは、よく知っている。前の上司がそうだったから。

「レオニス」

「……」

「私、あなたに長生きしてほしいんです」

 言葉が口から出た瞬間、自分でも驚いた。

 レオニスが、ぴたりと動きを止める。

「前の世界で、私は、無理しすぎて死にました。

 だから、今度は誰にも同じことをさせたくない。

 まして、夫には」

 自分で「夫」と言ってしまって、耳まで熱くなる。

 でも、引き返さない。

「……あなたは魔王で、みんなのトップで。

 だから倒れたら、一番困るのは、ここにいる人たち全部です。

 仕事は、人に分けられます。あなたしかできないことだけ、やればいい」

 静寂。

 重い空気だと思っていた部屋が、少しだけ柔らかくなる。

 レオニスは、ゆっくりと椅子から立ち上がった。

「……そうだな」

 片手を上げると、書類の山がふっと消える。

 どうやら、セラの部屋に転送したらしい。

「ちょっと!?」

「安心しろ。『明日以降に処理』という印をつけておいた」

「そういう問題じゃ――」

「だが、今は綾乃が優先だ」

 真正面から見つめられ、言葉が止まる。

 彼は、ほんの少しだけ視線をそらしながら続けた。

「……君が来てから、私はよく眠れている。

 君の気配があると、悪夢を見ない。

 だから、私も長生きしたいと思うようになった」

「レオニス……」

「君に、『長生きしてほしい』と言われて、嬉しかった」

 低い声が、静かに落ちる。

 胸の奥が熱くなって、思わず彼のマントの端を掴んだ。

「じゃあ、今から寝ましょう。

 命令です。奥さん命令」

「……従わない理由は、ないな」

 照れくさそうに笑う魔王の横顔を見て、

 私は初めて、この城を「家だ」と素直に思えた。



 一方その頃。

 私の元いた世界では、少しだけ騒ぎが起きていた。

「なんなんだこの監査は!? うちだけ狙い撃ちじゃないか!」

 私が死ぬまで働かされていた会社の社長室。

 スーツの男――元社長が、机を叩いて怒鳴っていた。

「労基署と税務署が同時に来るなんて聞いてないぞ!」

「し、仕方ないじゃありませんか社長! ここ数年のサービス残業の記録が――」

「記録なんて残しているからだ! 綾乃のやつめ、余計なことを……!」

 名指しされた私は、もうそこにはいない。

 代わりに、天井の隅っこでふわふわ浮かんでいる女神が、ポテチをつまみながら呟いた。

「いやいや、人のせいにしないでくださいよ。

 原因はあなたたちのブラックっぷりですからね?」

 女神はタブレットを眺めながら、ニヤリと笑う。

「魔王城の法務部から、『前世界の加害者への適切な罰を希望』って要望が来てまして。

 ちょうどいいので、各種監査フラグ立てておきました~」

 タブレットには、「違法残業」「未払い残業代」「パワハラ」の文字がずらり。

「さてさて。何年分、精算してもらいましょうかね?」

 社長が絶望したように椅子に崩れ落ちる。

「神も仏もないのか……!」

「ここに神がいますけど?」

 女神は肩をすくめた。

「でも、社畜を使い潰した会社に、甘い顔はしません。

 だって今、あの子、魔王城で頑張ってるんですよ。

 そっちはそっちで、ちゃんと地獄を味わってくださいね」

 ポテチの袋を丸めながら、

 女神はちらりと、異世界側の画面をのぞき込んだ。

 そこには、魔王城の中庭で笑う女の姿が映っている。

「……いい顔するようになりましたねぇ、綾乃ちゃん」



「今日は、全軍、休暇とする」

 朝の訓示で、レオニスがそう宣言した瞬間、広場がざわめきに包まれた。

「まじか」「夢じゃないよな」「休暇って、あの休暇?」

 セラが一歩前に出て、冷静に説明する。

「本日より、月に一度、全軍休暇日を設けます。

 この日は訓練も最低限とし、各自、自由に休養を取ること」

「うおおおおお!!」

 兵士たちが歓声を上げる。

 私はその様子を、少し離れた場所から眺めていた。

「……すごいですね」

「君の提案だ」

 隣で、レオニスが腕を組んでいる。

「もともと、兵の疲労は気になっていた。

 だが、休ませれば隙が生まれる。それが怖かった」

「でも、限界まで使って倒れられたら、もっと隙だらけですよ」

「……その通りだな」

 彼は小さく息を吐いた。

「綾乃」

「はい?」

「君の世界では、皆こうして休んでいたのか?」

「いいえ。

 休めない人も、たくさんいました」

 思い出すのは、真夜中のオフィス。

 電車のない時間帯に、会社の窓から見下ろした静かな街。

「だからこそ、ここでは、ちゃんと休んでほしいです。

 私は、それを見ていたい」

 レオニスが、わずかに目を細める。

「なら、まずは――」

 彼が手を差し出してきた。

「君の休みを、私にくれないか」

「……え?」

「城下町を、一緒に歩きたい。

 君に、この国を見てほしい」

 突然のデートのお誘いに、頭の中が一瞬真っ白になる。

「で、デート……?」

「デート?」

 レオニスが首を傾げる。

「そう呼ぶのか? 夫婦で出かけることを」

「ふ、夫婦……!」

 自分で提案した契約結婚だけど、こうして口にされると破壊力がすごい。

「……わかりました。行きましょう。

 せっかくの休暇ですから」

 手を取ると、ほんの少しだけ、指先が震えていた。

(この人も、緊張するんだ)

 それが妙に嬉しくて、私は少しだけ強く握り返した。



 魔王城の城下町は、思っていたよりずっと賑やかだった。

 市場には、色とりどりの果物や布が並び、

 子どもたちが走り回る。角の生えた店主が、元気よく声を張り上げている。

「魔王様だ!」「奥さんも一緒だ!」

 あっという間に人だかり――魔族だかりができた。

「魔王様、最近よく寝てますか!?」

「顔色、前よりいいですね!!」

「お、おう……」

 レオニスが、少し照れくさそうに頭をかく。

「綾乃様! 魔王様、ちゃんとご飯食べてますか!?」

「夜中に執務室の灯りがついてないって、みんな噂してるんです!」

「あ、それはちゃんと定時で帰らせてますから」

「さすが奥方様!!」

 気づけば、私はいつの間にか「城の健康管理担当」みたいな扱いになっていた。

 レオニスが、買い物袋を片手に苦笑する。

「君はあっという間に、皆の中心になったな」

「いえ、私はちょっと口うるさくしてるだけです」

「それがいいのだ」

 ふと、露店の前で足が止まる。

 そこには、小さなクッションがいくつか並んでいた。

 ふわふわした生地に、可愛い刺繍。

「これ、可愛い……」

「座布団か?」

「違います。クッションです」

 私はひとつ手に取り、ぎゅうっと抱きしめる。

「前の世界で、いつも机の下にクッション置いてたんです。

 それだけが、癒やしだったので」

「……クッションが、か」

「はい。だから、今度は、ちゃんと自分のために買いたいです」

 レオニスが、静かに店主に声をかける。

「ここにあるクッションを、全部くれ」

「ぜ、全部!?」

「ひとつだけでいいです!!」

 慌てて止める私に、彼はあっさりと言う。

「城の者たちにも配ろう。

 休憩室にはクッションがあった方がいいのだろう?」

「……それは、そうですけど」

「君が、『癒やされる』と言った。

 なら、皆にも必要だ」

 まっすぐな物言いに、胸の奥がきゅっとなる。

「……ほんと、ずるいですよね、あなた」

「そうか?」

「はい。すごく、ずるいです」

 でも、その「ずるさ」が心地いいと思ってしまう私は、

 もうとっくに、この魔王に落ちているのかもしれない。



 穏やかな日々は、ずっと続くわけではない。

 ある夜。

 城の警鐘が鳴り響いた。

「報告! 人間の勇者一行が、国境を突破!

 このまま王都まで進軍する気配です!」

 会議室に緊張が走る。

「やはり来たか……」

 レオニスが立ち上がる。

 その横顔は、普段の穏やかさとは違う、魔王の顔だった。

「セラ、兵を三隊に分ける。第一隊は正面から迎撃。第二隊は側面から回り込み、人間の補給線を断つ。第三隊は――」

「城の防衛ですね」

「そうだ。城には、勇者側の聖属性の魔術が届く可能性がある。

 綾乃を、まず安全な場所へ避難させろ」

 突然、話題がこちらに向いた。

「え、私?」

「君は前線には出さない。これは、私との約束だ」

 そんな約束、したっけ――と思ったが、彼の顔を見ればわかる。

 本気で言っている。

(前世で、私は自分を犠牲にする側だった。

 今世では、守られる側でもいいはず……)

 そう思う一方で、胸の奥がざわついた。

 勇者一行。

 人間たちの正義の名のもとに、魔族を「悪」と決めつける存在。

 前の世界でも、私は似た目に遭った。

 「会社のため」という正義で、個人の生活がつぶされるのを何度も見た。

「……レオニス」

「なんだ」

「私も、ここに残ります」

 会議室が一瞬静まり返る。

「綾乃、君は――」

「わかってます。私に戦う力はない。

 でも、支えることはできる」

 私は、胸の前で両手を組んだ。

「前の世界で、私はずっと、誰かの無茶を支える側でした。

 でも、あの時は、相手が私を『使い捨て』として見ていた。

 今は、違います」

 レオニスの目が、僅かに見開かれる。

「あなたは、私に休めと言ってくれる。

 私の意見を聞いてくれる。

 そのあなたが、危ないところに一人で行くのを、黙って見ているのは嫌です」

 前の世界なら、私は何も言えなかった。立場が弱かったから。

 でも今は――魔王の妻だ。

「だから、条件を変えましょう」

「条件?」

「『自分を犠牲にしない』って、最初に言いましたよね。

 それは、お互い様です」

 静かに言うと、レオニスはしばらく黙り込んだ。

 長い沈黙のあと、彼はゆっくりと息を吐く。

「……負けた」

「え?」

「私はずっと、君を守る側だと思っていた。

 だが、君はもう、とっくに私を支えてくれていたのだな」

 少しだけ、目元が緩む。

「第三隊の指揮は、セラと綾乃に任せる。

 城の防衛と、負傷者の受け入れ体制の整備を」

「魔王様!? しかし奥方様は――」

「綾乃は、私と同じく、この城の家族だ。

 その意思を無視することは、私にはできない」

 まっすぐな言葉に、胸が熱くなる。

 セラが、じっとこちらを見て、小さく頷いた。

「……承知しました。綾乃様、ご指示を」

 震えそうになる指先を、ぎゅっと握る。

「まず、負傷者の受け入れ場所を城の中庭に三カ所。

 軽傷者、中傷者、重傷者で分けます。

 それから――」

 頭の中で、前職でやった「大規模トラブル対応」の記憶がよみがえる。

(あの時は、顧客システムが止まって大騒ぎだった。

 でも、結局は『誰がどこで何をするか』を決めるだけ)

 異世界だって、基本は同じだ。

「人手が足りないところは、迷わず他から引っ張ってください。

 全部を完璧にやろうとしたら、誰かが潰れます」

「……了解しました」

 セラの目が真剣になる。

 レオニスが、剣を取って立ち上がった。

「行ってくる」

「はい。……行ってらっしゃい」

「必ず、帰る」

 短い言葉。

 でもそこには、揺るがない決意があった。

 私はその背中を、まっすぐに見送った。

(もう、私は逃げない)

 前の世界で言えなかった言葉も、飲み込んだ本音も。

 今度は、この場所で全部、ちゃんと口にする。



 戦いは、一晩で終わった。

 勇者一行は、魔王軍の戦略の前に為す術もなく敗退し、

 人間の国は和平交渉の席につくことになった。

 その間、城の中庭は、負傷者で溢れかえっていた。

「次、中傷者グループ、こっちです! 歩ける人は自分で動いてください!」

「ポーション班、在庫足りてますか!?」

「は、はい! あと二百本ほど――」

 私もセラも、ほとんど走り回りっぱなしだった。

 でも、不思議と息切れはしない。

(私だけが頑張ってるんじゃない。

 みんなが、それぞれの場所で動いてる)

 そんな実感があったから。

 日が昇り始めたころ。

 ようやく、前線からの報告が届いた。

「魔王様、ご帰還!!」

 兵士の叫び声とともに、城門が開く。

 黒いマントの群れの中で、レオニスの姿を見つけた瞬間、足が勝手に動いた。

「レオニス!」

 走り寄ると、彼もこちらに向かってくる。

 血の気が引くような大怪我は、ない。

 それだけで息が楽になった。

「無事か?」

「こっちのセリフです! 怪我は――」

 服の裾を引っ張り、あちこち確認する私に、レオニスが苦笑する。

「無事だ。君との約束を破るわけにはいかないからな」

「約束って……」

「『長生きしてほしい』と言っただろう。

 君が望むなら、その望みに全力で応える」

 さらっと、とんでもないことを言う。

 気づけば、周りの兵士たちがにやにやしながら見ていた。

「魔王様がデレてる……」「これは貴重な……」

「みんな仕事に戻ってください!!」

 顔が熱くなりながら怒鳴ると、笑いながら散っていった。

 レオニスが、小さく息を吐く。

「綾乃」

「はい」

「ずっと、帰りたい場所がなかった。

 この城は、国を守るための砦で、私の居場所ではなかった」

 静かな声が、朝焼けの空に溶けていく。

「だが今は――ここに戻れば、君がいる」

 視線が絡む。

 赤い瞳の奥に、自分の姿が映っていた。

「私にとって、この城はもう砦ではない。

 家だ」

 胸の奥で、何かが弾けた。

 ずっと欲しかった言葉。

 前の世界で、一度も聞けなかった言葉。

「……私も、そうです」

 かすれた声で返す。

「前の世界では、どこにも居場所がありませんでした。

 会社も、家も。

 でも、今は――」

 私はそっと、彼のマントを掴んだ。

「今は、この城が、あなたが、私の帰る場所です」

 しばしの沈黙。

 それから、彼はゆっくりと手を伸ばし、私の肩を抱き寄せた。

「……綾乃」

「はい」

「契約ではなく――君と、本当に結婚したい」

 耳元で落ちる言葉に、全身が熱くなる。

「だから、改めて言わせてくれ。

 私と、生涯を共にしてくれないか」

 ああ、この人は本当に、ずるい。

 前世で削れた心の部分に、ぴったりとはまる言葉ばかり選んでくる。

「……はい」

 それでも、もう逃げない。

「こちらこそ、よろしくお願いします。

 レオニス」



 そんなこんなで、一年後。

 魔王城は、すっかり別の場所になっていた。

「魔王様! 今月の残業時間、全軍平均で一桁いきました!」

「素晴らしい。綾乃に報告してくれ」

 セラが誇らしげな顔で報告書を抱えてくる。

 私はそれを受け取って、ニコニコしながらチェックした。

「残業時間、一桁……! やりましたね!!」

「お前が一番喜んでいるな」

 レオニスが、執務机から立ち上がる。

「そろそろ、定時だ」

「そうですね。帰りましょうか?」

「ああ。今日は、城の屋上で夕食にしよう。

 星が綺麗に見える」

 こうして、魔王様はきっちり定時で帰る男になった。



 一方、前の世界では。

「社長がついに更迭されたらしいぞ」

「うち、買収されるんだってさ……」

 元職場のオフィスは、静かな混乱に包まれていた。

 天井の片隅で女神がポテチを食べながら呟く。

「まあ、当然の結果ですねぇ。

 さて、次は、ちゃんと人を大事にする会社になってくれるといいんですが」

 タブレットの画面には、魔王城の中庭で笑う綾乃とレオニスの姿。

「こっちはこっちで、よきかな、よきかな」

 女神は、ポテチの袋を丸めてゴミ箱に放り込んだ。



 魔王の妻になっても、私は特別な力を持たない。

 剣も魔法も使えない。

 ただ、前の世界で社畜として積み上げた、「人が倒れないための知識」だけ。

 でも、それで十分だった。

 この世界では、それが、誰かの命を守るための力になるから。

 そして何より――

「綾乃」

「ん?」

「君は今日も、綺麗だな」

「何ですか、急に」

「事実を述べただけだ」

 前の世界では、顔を褒められてもどこか空虚だった。

 仕事の評価も、「便利だから」としか思えなかった。

 でも今は違う。

「ありがとう、レオニス」

 素直に、そう言える。

 ブラック企業で死んだ社畜OLの二回目の人生は、

 異世界の魔王城で、ちゃんとホワイトで甘々な方向へ進んでいる。

 ――だから読んでいるあなたも、どうか、無茶しすぎないで。

 もしどこかの世界で倒れそうになったら、

 その時はきっと、どこかの女神が、あなたにも《ソウルマッチ》の招待を送ってくれるかもしれないから。

 そのときは、ちゃんと条件を全部書いて、

 自分を大事にしてくれる誰かを選んでほしい。

 私のように、二回目の人生で、ちゃんと幸せになるために。

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― 新着の感想 ―
わたくしも貰った仕事は誰かと出来ないか考えますし他の人に助けが必要か声もかけますの。 その時その時の最善を考えつつ負担を減らすって大切ですわよねえ。 皆の幸せに繋がって何よりでしたわ。
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