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第1話「図書館の夜と一頁の貸出」

夜の路地は静かで、街灯の橙色が湿った石畳に映っていた。

楓は小さな手提げ鞄を肩にかけ、扉の前で息を整える。重たい木製の扉を押すと、古い空気と紙の匂いが鼻をくすぐった。


「いらっしゃいませ、貸し時間図書館へ――」

まだ見習いの楓は、低く声を出す。応える者は誰もいない。夜になると、この図書館はほとんど無人だ。それでも、扉の向こうでは、必ず誰かの願いが待っている。


楓は書架の間を歩き、棚に並ぶ奇妙な本を確認する。タイトルもなく、ページも白紙のものが多い。これは借り手の願いに応じて“時間の一頁”が書き込まれる特殊な本だ。

手元の申込書に目を落とす。今夜の一件目は、三十代ほどの女性。

「失った恋人との会話を、もう一度だけ…」

小さな文字で書かれた願い。楓は深呼吸をして、ページをめくる。


貸し出しの儀式は簡単だ。


借り手の名前と願いを記す。


対象の時間を一頁として封印する。


借り手は、代償として自分の感情の一部を差し出す。


楓はペンを握り、静かに願いを書き込む。その瞬間、図書館の空気が微かに揺れた。時間は、誰かの手のひらで触れられる前からすでに形を変え始めている。


「これで、あなたの願いは……」

封をする前に、楓は小さく呟く。

彼女自身も知らない、失われた一日。ページをめくるたび、心の奥に小さな痛みが走る。

それでも楓は、今日も一頁だけの恋を、そっと返すために手を動かすのだった。


扉の外、風が街灯を揺らす。明日もまた、誰かの後悔と願いがこの図書館に届く――。

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