秋季調査
「ハッ、ハッ、ハッ、フゥ…。」
9月とは言え、残暑厳しく日中の最高気温は30度を優に超えるT村の更に山奥で息を切らしながら山尾根を歩く。
先日のファミレスでの懸念はお約束のように当たってしまい、車で入れる林道から大きく逸れた尾根の上を歩いている。ザックに付けたクマ鈴と自分の呼吸音が喧しく、車を置いてきた林道では賑やかに聞こえていた小鳥の声も聞こえない程だ。猛禽類調査に来て、ここまで激しく登山する羽目になったのも昨夜のやり取りが原因である。
––
––
––
「どうも、クマタカが飛び込んでるとこ、怪しいんですよ。尾根っぽいんですけど、なんかちょっと雰囲気が違いまして、なのでちょっと山に入ってもらいたくてですね…。」
T村猛禽類等秋季調査は、ベテランの西田さんの参加によりアルバイト調査員3名にベテランの西田さん、連絡兼補助要員として東さんの2名を加えた5名体制で挑むことになった。2日目までの調査でハチクマの営巣木らしき痕跡を発見し、その他の猛禽類は来年度以降の課題として保留すると判断された。ならば、開発を進める上での大きな障害となり得る指標種たるクマタカの細かい生息情報が欲しい…と、人員を集中して配置した結果、2日目調査の夜に親分(西田さん)から出された指示がこれである。
「まさか、塒にでも入る気か…?」
「いえ、まさか!それは流石に。人が入って塒利用をしなくなったり、春先の繁殖事体辞めたりされると本末転倒ですから。…仮想塒地点はこの1536ピークの東側に位置してますから、東側のこの崖の上からなら十分に距離を取って見下ろせるんじゃないかなっと言う判断です。ただ、クマタカがこの地点飛び込んだ時動きがちょっとおかしかったんですよね…。」
「何かあったんですか?」
「いえ、林内に飛び込んで見失った…と思ったら数秒後にそのまま飛び出してきたので、山の稜線に隠れてるだけで塒の位置が思ったより遠いのかも知れないかなぁって。幸い、今回調査には倉上さんがいますからね。ちょっと角度を変えて見て欲しいんですよ。」
「え…僕ですか…。」
田辺さんと西田さんの話を、間抜けな顔でなるほどなぁなどと話を聞いていた所でまさか自分に話が回り絶句すると笑顔で西田さんが続ける。
「流石に経験が浅い東くんにお願いするわけにもいかないですからね。倉上さん、この上の林道からなんですが、等高線のピッチの細かさ的に、おそらく尾根へ上がるとは容易です。そちらから山頂方面に向かってもらってから、誂えたように崖がありますので、そちらの上へアクセスしてもらえますか?」
「えっと…あー。なるほど。確かにこの感じなら、地図見る限り登れそうですね…ちなみに一人でですよね?」
「はい。一応、今日入った地点に私が入りますので、無線が不通になることは無いと思います。ちなみに三脚は軽いのありますか?」
「移動定点で使うかもと思って…一応用意はしてますけど…安物なので、嵩張るんですよね。」
「あー、倉上!俺の三脚持ってけ!Gitzoのトラベラー持ってきてるから、お前のザックなら入るだろう?」
「え⁉あれってクソ高いヤツじゃないですか!」
「いや、中古で安く買ったヤツ。ちょっと足開きにくいけど、ハードに使うなら丁度良いから持ってけ!」
「それは助かります…。」
「まぁ、来年ドローン飛ばせば良いんですけど、来年度用の提案書で出したいので、大体で良いので山頂側からのアングルで写真が欲しいんですよ。全体が移った感じの写真と個体写真は不要なのでクマタカが利用しているって観察データがあればなお良しと言った形で。」
「資料用に写真が欲しいってことですね。望遠レンズ担がなくて良いなら…確かに楽ですね。」
「流石にそこまで鬼じゃありません。あっ、なるべく全体の雰囲気を押さえたいので、広角かノーマルレンズってあります?」
「あー、はい。安物ですが、ズームの広角積んできてます。」
「じゃあ、広角で地点全体を見下ろした感じで、あとはスコープで下から見てる私と連携してクマタカが突入するのを確認出来れば最上としましょう…。大丈夫!倉上さん若いから!」
––
––
––
昨晩のミーティングでは、とても断れる雰囲気でも無く、早朝から山に入り、林道に車を乗り捨て今に至る。崖上を定点にして望遠レンズで押さえろと言われなかったのがせめてもの救いだが、スコープ担いで登山は想像以上に疲労が溜まる。
『こちら10番です。倉上さんどうですかー?』
西田さんからの無線に足を止め、GPSで現在地を確認する。
「えー倉上です!今、尾根沿いの山頂ルートの大体三分の二位の所、地図で針葉樹マークが付いているところの左上あたりですね。」
ザックを背から下ろすと、多機能ベストに吊り下げたウォーターボトルを手に取り、喉を潤す。荷物が多いからか予定より歩みが遅く、1時間程歩いているが、目的地の崖上はまだ遠い。息が整い、携帯電話のGPS地図を注視する。
「(バッテリー残量は大丈夫だな。外部バッテリーも…フル充電されてる…しかし、この先の等高線は、結構ピッチが狭い。崖か…?上手くかわして行けるなら良いんだけど…)」
命綱となる携帯電話の状況を確認しつつ、火照った体の温度が下がるのを待つ。目標は崖への到達ではない。見通しの効く地点から仮想クマタカの塒を確認することだ。遅すぎても日が落ちてしまうし、早く着きすぎでもおそらく体力が尽きて…では話にならない。ベストからペンと折りたたんだ地図を取り出すと、仮想塒と目的地の崖の位置関係を再確認する。
「(やっぱり、見通しは良さそう。草木が繁茂していないと良いけど…。)」
しばらく地図を睨みつけるも、新たな情報を引き出すことを諦め、地図を再び仕舞う。携帯でGPS地図
を呼び出し崖の方角を確認すると、ザックから双眼鏡を取り出す。
「(うーん。崖は…見えてるか…ん?洞窟か?いや、ただ風化して穴が開いているだけかぁ…。)」
目的地の崖を確認すると、崖の中ほどに不自然に空いた洞穴状のくぼみを確認する。もっとも洞穴と言えど、見た感じ奥行きは無く、雨風により風化し出来た窪みのようであった。目的地の崖は、遠目で見る限り植物の繁茂も無く仮想塒の方角をよく見えそうである。崖の上まで登って何も見えませんでした~!なんて事態は回避できそうである。首を動かし、塒の方角を確認しようとした瞬間、無再びマイクが鳴った。
『~~~~。~~~~~~!』
『~。~~~。』
クマタカが出たのか?西田さん以外は感度が悪いようで、連絡の内容は分らない。無線機のマイクの位置を確認し、再び仮想塒方面を注視する。
「…(まさか塒周りに飛んでいないよな?)」
『はい、こちら移動の西田。KT了解です。こちらも捉えました。低空で塒方面に飛翔しています。倉上さんは確認出来ますか?』
一旦双眼鏡を外し、目視で視界内の違和感を探す。
「…(えーっと…あれか?)」
再度、双眼鏡を構え、違和感を覚えた付近を注視する。
「…(居たっ!)」
レンズ越しにアカマツ交じりの針葉樹林上を飛翔する鳶色の物体、クマタカらしき影を認めるとマイクへ片手を伸ばす。
「はい、倉上です。今キャッチしました。今丁度アカマツの上通過した個体ですか?どうぞ。」
『…多分それです。こちらからは針葉樹と被ってあまり…いえ、アカマツの上通りましたねどうぞ。』
「了解です。すこし落ち着くまで、こちらも観察続けます。どうぞ」
『はい、了解です。』
低空で木々の上を這うように滑空するクマタカがアカマツの枝に止まる。
「今、アカマツにパーチ(木の枝などに止まること)しました。あ、パーチアウト(木の枝を飛び立つこと)!」
『パーチアウト了解です。こちらも確認しました。』
飛び立ったクマタカは羽ばたきながらアカマツ周辺を飛び徐々に高度を上げる。そうして5分ほど旋回して高度を上げると、再度滑空を始める。
「…(どっか突っ込むか…?)」
緊張しつつ動向を見守ると、立ち枯れした針葉樹とアカマツが3本ほど並ぶ一角にクマタカが飛び込んでいく。
「…(これか…!)」
数秒ほど木々を見つめ変化がないことを認めると、マイクへと手を伸ばす。
「いま、立ち枯れしたマツとアカマツが三本松になってる一角に突っ込みました。」
『…すみません。どのマツでした?』
「えー枯れ木側からみて2本目、真ん中のアカマツの…中段位の枝に突入したように見えました。」
マツの数と位置を確認しつつ無線機で答えると、方位磁石を取り出しGPS地図上での位置関係を照会していく。
「…(ここか…?)」
大まかな位置を地図に記録すると、現在地および現在地からの見通したラインを記録する。
『えー今確認しているのですが、それらしき枯れ木とアカマツはあるのですが、こちらからはアカマツが1本しか見えないので、確信できません。どうぞ。』
「はい。倉上了解です。角度的に影に入っているかもしれません。今野帳に現在地とマツの見通しの方角を記録しました。一応、写真も撮るだけ撮りますが、広角しか持ってないので、使えないかもしれないです。どうぞ。」
どうも、西田さんの居る地点からだと、問題の木の位置関係がはっきりしないようである。
『はい、了解です。やっぱり奥がありましたか…念のためですが崖の方に向かってもらって、景観の確認と写真をお願いします。』
「(あっ忘れていた。)…倉上、了解です。現在地の環境写真も撮影したら崖の方向かいます。どうぞ。」
『よろしくお願います。』
無線機のマイクを襟元に装着し、周辺環境の写真を撮影し終えると、改めて目的地の位置を確認する。
「(あと30分程登ったら迂回ルートが無いか確認するか。)」
——
——
——
『~~~~。~~~。』
『はい。了解です。確認してみます。』
20分ほど再び木々に囲まれた尾根上を歩いていると無線機でのやり取りが聞こえてきた。地図から、難所と考えていた箇所はどうやら問題なく通過できそうである。念のためGPSを確認しようとすると再び無線機が鳴る。
『倉上さん取れますか?西田です。』
「(何か動きがあったのか?)…はい。こちら倉上。どうぞ。」
『えー、今田辺さんから連絡ありまして、どうも目的の崖下にもう一段歩けそうな棚があるみたいで、そちらからも観測できるかもしれません。私の方でも確認したところ、ちょっと見通しが効かないんですよ。どうぞ。』
若干、要領を得ない連絡に、これは目的地の変更だろうか?と崖の方角を眺めると、丁度木々の枝が途切れ、肉眼でも崖が見える。確認してみようとマイクを手に取る。
「えーっと、目的地の変更ってことでしょうか?ちょっと、こちらからも崖の方、確認してみます。少々お待ちください。」
マイクを手放し、双眼鏡を構えると木々の間隙を覗く。
「(目的地の崖は…確認出来た。えぇっと…、さっき見えた洞窟の下方は…清々しいくらいの絶壁だな。)」
残念ながら、楽は出来なさそうだなと視線を左右に動かし、マイクを手に取る。
「倉上です。ちょっとこちらからだと、角度が悪いのか崖の下の段が確認出来てません。もう少し登ってみて、行けそうな所見つけたら連絡しま…(あ、なんかある。)」
崖の中程を左手に視線を動かした瞬間、視野の端に不自然に低木が生えている箇所を発見する。双眼鏡越しに目を凝らしてみれば、どうも崖の中ほどにもう一段棚状の箇所があり、そちらに低木が繁茂していることが見てとれた。
「…(多分、これかな…?)えーこちら倉上です。西田さん取れますか?どうぞ」
数秒程待つと、再びマイクから音声が入る。
『はい、西田です。どうぞ。』
「えー。ちょっと確信は得てないのですが、それらしき場所がありました。崖の中腹程に洞穴のような場所は確認できますか?どうぞ」
『えーっと。はい。洞穴の確認出来ました。どうぞ。』
「その洞窟と同じ高さで左手、西側ですね。そちらに目寸で30m西側の低木のブッシュがある地点。そこがどうも棚になっているようです。」
『了解です。…こちらからは死角になってますね。手前の尾根で見切れて確認できません。…そうですね。予定通り上の崖を目指す形で、下の棚は行けたら近そうですから…うーん。行けそうならば確認お願いします。』
「了解です。一応、入れそうだったら写真と視野の確認だけはしておきます。…ふぅ。」
連絡を終え荷物を抱えなおし、尾根筋を見上げる。地図の情報と異なり、幸いなことに道は途切れておらずそのまま踏査できそうである。水で喉を潤し再び目的地に向かい足を進める。
———
———
———
「…(不味いなぁ。)」
30分程歩き続け、崖へアクセスするための分岐点に到着した。地図上では多少の傾斜はあるもののアクセス事体は容易そうであった。しかし、目の前に広がる光景はほぼ垂直の壁。崖肌に面する斜面は崩れてしまったのか、植生は無く大小さまざまな岩が転がり、とても通行できるような状況ではない。ザックからコンデジを取り出し、周辺状況の撮影とGPS情報の記録を終えるとマイクに手を掛ける。
「こちら踏査の倉上、移動の西田さん取れますか?どうぞ」
GPS地図を確認しつつ、崖の中ほどに位置する下段を確認する。
『はい、西田です。到着しましたか?どうぞ』
「えー、上の崖への分岐点に到達したのですが、斜面の崩落でどうにもアクセスは不可能っぽいです。現在、下の棚へのルート確認中です。」
『えーと、…状況がいまいち分からないのですが、通行は不可能ということですね?』
「地図上で等高線が緩めだった斜面が派手に崩れてまして…、無理して行けば行けますけど、日がある内に帰れる自信は無いですね…。」
双眼鏡を取り出し、第二目標の下の棚を注視する。どうも崩落した礫、いや岩が堆積し足場できていそうである。
「今、下段のアクセスを確認しているんですが、崩落した土砂というか大岩が堆積してその上を歩けそうではありますね。あーあといい感じに草木も崩れてしまって、崩落地点からも先ほどKTが飛び込んだアカマツ方面が見えそうですね。とりあえず引き返して下段の棚へ向かってみましょうか?どうぞ。」
『えーと、了解です。ちょっと待ってください。』
踏査を初めて3時間半程、下山する時間を考え、そろそろタイムリミットが近い。まだ暑いとはいえ、すでに9月。日が落ちるのは早く、夕暮れ時に踏査ルートを逆走するのだけは避けたい。幸いなことに、20分ほど前に通過した地点から下段方面へのアクセスは可能そうである。
『時間的に、ギリギリですね。余裕持って15時半には車まで撤収したいのですが行けそうですか?』
「…あー。見た所、今崩れてるとこ以外は崩落は無さそうなんで、行けることは行けますね。最悪、棚手前でも見通しが効きそうなので、下段周辺で観察できそうな地点到着したら、一度相談する形で行きましょうか?」
『了解です。それでお願いします。』
「はい。了解です。」
——
——
——
第二目標である下段へは幸いなことに綺麗目な獣道が通っており、尾根筋の分岐から30分程で到達することが出来た。予想より早く到着したことに安堵しながら、双眼鏡を取り出し、嫌々ながら、目前に広がる山肌を眺める。山頂側に居た際は気づけなかったが、仮想クマタカの塒があるアカマツは斜面上では無く、崖と表現して良いのか山肌が割けるようにして出来た間隙に位置しているようであった。ご丁寧にも間隙の出口付近を覆う広葉樹によりその存在感は薄められ、周囲からはただの斜面にしか見えなかったようだ。
「…(これは、場所間違ってないような…?)」
GPS地図を再度確認し、クマタカが飛び込んだアカマツの位置を繰り返し見直す。残念ながら、眼下に広がる謎の裂け目がお目当ての目標であるのは間違いないようである。
『こちら移動定点、立ち枯れしたアカマツにKTパーチ中。』
直前に見ていた箇所に変化があったと聞き、慌てて双眼鏡を覗く。
「…(居る…!と言うことは、やはり間違っていないか…。地図と地形が違う?)」
「こちら、倉上。KTパーチ了解です。こちらも確認しました。スコープ準備しますので、もう少しお願いしてもよいですか?」
『はい。了解です。こっちで見ておきますので、慌てず準備お願いします。』
「倉上了解です。よろしくお願いします。」
マイクを手放すとザックから三脚とフィールドスコープを取り出し、準備を進める。
「…(まだ飛んでくれるなよ…!)」
スコープを設置し、急いで裂け目の枯れ木にピントを合わす。
「…(間に合った…。)」
安堵しつつ、マイクに手を伸ばす。
「崖の倉上、準備完了しました。こちらからも観察続けます。」
『はい。了解です。よろしくお願いします。』
スコープ越しに枯れ木の枝にとまるクマタカを見つめる。羽繕いをしているようである。数分ほど観察を続けると首を回したクマタカと目が合った気がする。
「…っげ(バレた…?撤収すべきか…?)」
少し迷いながら、マイクに手を伸ばす。
「こちら倉上、どうもKTと目が合いますね。多分…バレてます。」
『あー、了解です。距離って大体どれくらいか分かりますか?どうぞ。』
「えーっとちょっと目を離しますね。」
GPS地図を取り出し、対象から観察地点を確認する。距離は…800m程。近いかもしれない。
「今、確認しました。大体ですが800m程です。これはバレてますね。」
『ちょっと近いですね…。了解です。こちらはおそらくバレていないので、倉上さんは、環境写真を撮って撤収してください。あっ、鳴きましたか?』
<ピィー!ピュイ!ピィー!ピュイ!…>
「あー泣いてます…めっちゃ警戒してますね。周辺の写真撮ったら早急に撤収します。あとで話しますが、山肌に裂け目があってその中からアカマツが伸びているように見えます。」
『裂け目…?ちょっと状況が分からないですね。写真多めにお願いします。』
「説明しにくいのですが、裂け目ですね…あれは…写真は了解です。どうぞ」
『よろしくお願いします。オーバー。』
<カシャッ!カシャッ!カシャッ!カシャッ!…>
コンデジと広角レンズを装着した一眼で周辺環境および目的地の裂け目周辺を撮影していく。撮影した枚数が30枚程になると、撮影した写真を確認する。
「…(問題は、無いな…解像度も…一応は問題無し。撤収するか。)」
カメラの電源を落とすと、三脚とスコープを片付け、ザックに収納していく。あまりストレスを与えながら長居すると、クマタカの生活導線が変わってしまい、最悪の場合、現在の塒か縄張りを放棄してしまう…なんて可能性もある。無駄なリスクは負うべきではない。とりあえず、今日で終わりだけど、地図では分らない地形など、情報共有に時間が掛かりそうだ…などと考えつつ、崖上から撤退した。
——
——
——
「あー。なるほど。確かに裂け目ですね…。」
日が大分傾き、交通量も寂しくなった山中のコンビニエンスストアの駐車場で西田さんがつぶやく。
「地図じゃあ読み取れないね。この裂け目…」
首を傾げながら師匠も口を開く。
「T村の神社のとこの山は、…えーと、ほら太平洋側でたまにあるプレートの滑り込みで出来るメランジュ?でしたっけ。あれがプレートの動きで裂けて、尾根が分かれたような地形を見たことありますけど、そんな感じですかね…?」
以前、地質系の研究室にいた知人の話を思い出しつつ、口を開く。
「どうだろうなぁ。しかし、ちょっと、この写真からは全体がどうなってるか分らんなコレは。」
師匠の言葉に、肩をすくめる。
「いかんせん、この広角レンズ1本しか持っていかなかったので、写真は勘弁してください。…ただ、広葉樹が繁茂しすぎて、望遠レンズを持っててもあまり結果は変わらなかったかもです。」
言い訳がましく、口を開くと首を捻っていた西田さんが口を開く。
「まぁ、何にせよ。この裂け目は問題ですね。…事前の文献調査でも地図上でもこんな構造は上がってませんでしたからね。」
「あーやっぱりそうですよね。しっかし、天下の国土地理院様が見落とすなんてあるんですかね…?」
「うーん…。三角点はあるはずですから、それなりの頻度で調査はしていると思うんですけど、問い合わせてみないことには分かりませんね。とりあえず、東君が戻ったら、解散しましょうか。」
その言葉に了承すると銘々に財布を取り出し、ゾンビのような足取りでコンビニへ歩みを進める。秋口とは言え、ほぼ一日かけての踏査となると体にクるものがある。
果実のフレーバーが付与された塩気の強いスポーツドリンクに口をつけながら、店を出ると、警察車両が停車し西田さんと話をしている。
疲労困憊で脱水症状により回らなくなった頭で、西田さんと話をする警察官のもとに向かいヘロヘロと歩く。
「~~~。~~~~~?」
「~~~?~~~~!~~~。」
「…(うーん?何か問題が発生した?)」
少し冷えた頭で面倒ごとの予感を感じていると背後から声を掛けられる。
「何かあったんかね?」
「わっかりません。僕も今気づいたばっかなんで…。」
疑問符を頭に浮かべながら、ようやく合流できた東さんと西田さんの元へと向かう。
「あ、皆さん、おそろいで。お疲れさまでした。」
「お疲れ様です。東さん。何か問題でもあったんですか?」
首を警察官へと傾けつつ東さんに話しかけると東さんは困惑した顔で口を開いた。
「どうも、村の方で行方不明者が出たとかで、騒ぎになっているらしいんですよ。」
良く言えば牧歌的、悪く言えば人がほとんどいないクソ田舎のT村。行方不明というと山菜取りで山に入って遭難した位しか思い浮かばない。
「行方不明?でも僕ら、人気のない山奥居たんで、何もわからないですよね…。変な車とか見ました?」
「いえ、それが…どうも不審者の目撃情報があったとかで、皆さん不審者とか見ていないですよね…?」
「(あの半過疎村で不審者…?それって、どう考えても)」
「「「俺(僕)たちだけじゃん。」」」
声が被った。嫌な予感を感じつつ口を閉ざすと、西田さんと話をしていた警官から声がかかる。
「少々、宜しいですか?」
「ひゃ、は、はい。大丈夫です…」
噛んだ瞬間、先輩に背中を小突かれる。
——
——
——
結果として、特に関係が無いことがすぐに判明した。
「13時過ぎですか…山の中ですね。不審者どころか人ともあってません。」
「なるほど、ちなみに何かそれを証明するものとかはありますか?」
「無線機で話をしてるくらいで、特には…位置情報と現地で撮った写真ならありますが、そちら確認します?」
「ええと、それはあちらの西田さんの方からお見せ頂けましたので、大丈夫です。ご協力いただきありがとうございます。」
「いえ、何と言うか、本当に、お疲れさまでした。」
今日の行動を時系列順に伝えると、問題がなかったようで警官は離れていった。どうも、話の端々から読み取るに午後イチで誰かが行方不明になり、聞き取りの結果、どうも7月頃から見慣れない村外の人間が4人から5人ほど徘徊していた(…それどう考えても私たちですよね)。確認のため県警から県に連絡が行き、県の担当を探し当て、風力発電事業を計画している建設会社へ連絡が回り、どうにか西田さんの名前が挙がるに至るが、当然のように山中に入った西田さんは携帯の電波が届かないエリアに居たため、連絡が取れない。下山を待って西田さんから調査終了の連絡をした結果、建設会社から県の担当へ、県の担当から警察へと伝言ゲームのごとく連絡が入る。そして、ようやく近場にいた警官がコンビニに駆け付け、事情聴取に至ったわけだ。
「いやぁ、7月の人骨騒動でお世話になった〇×建設さんのところまで辿り着くのに時間が掛かりまして…それにしても、環境調査?でこんな事までするんですねぇ」
「ええ、あの骨もまさか人骨とは思いませんで、拾った当初はサルかシカの骨だと思ってたんですよ。」
「あー拾った当事者さんだったわけですね?位置情報と写真のご提供ありがとうございます。お陰様でスムーズに現場検証が終わりました。」
「提出したのは西田さんなんですけどね。ちなみにあの骨の件は、何か進展はあったんでしすか?事件性は無かったとは聞きましたが。」
話のついでに、7月に拾った骨の件について聞いてみる。
「あー、事件性がないと判明した時点で、あの件からは手を引いてしまいまして…詳細という詳細はその…」
しかし、大して進展は無いようであり、警官も少し気まずげである。
「ああそうですよね。数十年前の謎の骨一本で何が分かるわけでも無いですし。」
「一応は、幼児の大腿骨の一部でしたし、おそらく何らかの事故であろうという話にはなったのですが、正直昔の話過ぎで情報も殆ど無いんですよね…。」
「行方不明者のリストとか無いんですか?」
「ええ、少なくともこちらが把握している限りは無いとのことでして…申し訳ありません。」
そうかぁ。完全に謎の人骨だったのか…などと思っていると、申し訳なさそうに頭を下げられ逆に気まずくなる。
「いえいえいえ!そんな、正直自分が拾ったものがどうなったのか気になっただけなので、大丈夫です。変に伺ってしまい申し訳ありません!」
よく考えれば、これでせっかくこちらにいらしているので、ついでに再度現場の検証を…!などと言われても苦労が増えるだけだ。慌てて謝罪し話を切ると、警官は再度頭を下げ、師匠と話している警官の元へ歩いていった。警官が離れると入れ替わりで既に暇していたらしき西田さんが声を掛けてくる。
「正直焦りましたね。不審者扱いでの職質はたまにですが良くあるんですよ。腕章なんかもその対策ですし。」
「あー誘拐か何かの犯人疑惑ですもんね。」
「その上、現場に出ていたせいでこの時間にこの騒ぎですから、社に戻ってからが憂鬱ですよ。」
西田さんは疲れた顔で苦笑いを浮かべながら答える。
「成果的に現場に出張った甲斐があったと言えれば良いんですが、予想外の事態の連続でしたよね。」
地図にない地形、行方不明者に誘拐犯騒動。前回の骨騒動も含めれば、想定外も良いところだ。
「まぁ、そうではあるんですが、地図に無い地形はこれを使って新しい提案書を出せそうではあるんで、悪い事ばかりでも無いんですよね。」
「おー。既に活用する算段がついているんですね。」
「まぁ、それは行く行くのお楽しみということで、お願いします。」
どうやら、次回の調査でもお声が掛かりそうである。怖さ半分嬉しさ半分で口を開く。
「それは、楽しみですね。その際は是非お声掛けを!」
「倉上さんも慣れてきましたね。まぁウチが取れるか分かりませんが、その際はよろしくお願いします。…さて、田辺さん達の聴取も終わったようですし、そろそろ解散しましょうか。東君!何か連絡あったけ?」
声を上げると先輩と師匠と話していた東さんが返答する。
「いえ!特に連絡は無いかと思います。あーでも冬調査は少し遅めにするかもしれないって話ですよね。」
「結構間を開けるんですね」「KTか?」「KTシフト?」
「あーそうだったね!危ない危ない!ちょっと待ってください…えぇと出来れば、1月に次回調査を今回目星をつけた塒を中心に進めたいんですが、皆さんご予定は…」
こうして、秋季調査は無事?終了した。