30.
重厚な扉の閉まる音が、静まり返った会議室に鈍く響く。魔術団長が一歩前に出ると、全員の視線が自然と彼に集まった。
「最終試験を実施する」
低く、威厳のある声が会議室に響いた。
「魔道具を使用して、護衛任務のシミュレーションを行う。この試験では、初めての護衛任務においてどの程度の対応ができるかを見ていく。なお、イリーナは既に護衛任務の経験があるため、この試験は免除だ。彼女については、実際の同行任務時の映像、報告書、証言をもとに採点を行う」
自身の試験がすでに済んでいることに驚いた。少しの安堵と残念さ、これから夢の中で過酷な状況に臨むものたちへの心配、それらが混ざり合い、言葉にならない思いが静かにイリーナを包んでいた。
「見学者は、この魔道具を訓練で使用しているので理解していると思うが、改めて説明しておこう。この魔道具は、使用者を一時的に眠らせ、その中で訓練内容の夢を強制的に見せるようになっている。人によっては現実と夢の境界が曖昧になり、錯乱状態に陥ることもある。今回の試験者四名は、それぞれ上席者が控えておけ。彼らのメンタルケアを、万全に頼む」
一呼吸置いて、団長は全体を見渡した。
「以上だ。質問があるか――ないなら、試験を開始する」
誰も手を挙げなかった。空気がより張りつめたように感じる。
「では、マリーから試験を実施する。イリーナはこの部屋に残って見学者とともに見学せよ。シモーネとアンナは隣の会議室で待機」
魔術団長の指示に従い、マリーが無言でベッドに近づく。その歩みは慎重で、だが迷いはなかった。
「マリー、このベッドに横になれ。この魔道具を持って、ゆっくりと深呼吸しろ」
銀色の円盤状の魔道具を手渡され、マリーは目を閉じる。吸って、吐いて。吸って、吐いて――。
呼吸のリズムが徐々に深くなり、やがて彼女はすうっと静かに眠りへと落ちていった。
彼女の頭上に、もこもことした淡い光の吹き出しが現れる。まるで夢を視覚化したかのようだった。魔術団長が小さく呪文を唱えると、手にした光の本を吹き出しに投げ入れた。その瞬間、吹き出しが揺れ、中から映像のようなものが映し出され始める。
夢の中――そこは穏やかな旅路の最中だった。
空は高く晴れ渡り、鳥のさえずりが聞こえるような静かな風景。マリーは馬車の側を歩いていた。貴族らしきお嬢様とその従者たち。護衛の騎士たちもいる。だが、その姿勢はやや気が緩んでいた。何かが起こる、予感――。
そして、それは訪れた。
荒々しい叫び声。馬の嘶き。突然、森の中から賊たちが現れ、護衛の隙を突いて襲撃してくる。
マリーの目が大きく見開かれた。身体が硬直するのがわかる。彼女は精一杯の声で叫んだ。
「騎士の方、どなたかこちらへ来ていただけませんか!」
その声には、強い責任感と焦燥がにじんでいる。しかし、その声が誰かに届く前に、馬車の扉が開き、護衛対象のお嬢様が飛び出してしまう。驚きと混乱の中、マリーは一瞬、どう動けばよいのかわからなくなった。
その隙を突いて、賊が、お嬢様へと一直線に駆けていく――。
マリーの表情は凍りついた。
夢がふっと途切れた。次の瞬間、彼女はベッドの上で目を覚ます。
蒼白な顔。額には汗。呼吸は浅く速い。怯えが全身からにじみ出ていた。
「マリーさん!」
イリーナが思わず駆け寄る。彼女の手を強く握った。冷たい。震えている。
「……大丈夫、終わりました。もう、大丈夫だから」
小さな声でマリーに伝える。
その様子を見ていた彼女の上司と思しき男性が、静かに毛布を差し出した。イリーナはそれを受け取り、マリーの肩にそっとかける。彼女は毛布にくるまり、小さく身を縮めた。
数分もすると呼吸が落ち着き、視線が徐々にこちらへと戻ってきた。だが、完全に回復したとは言えない。心に負ったダメージは相当なものだろう。
悩んだ末、イリーナはマリーの隣に腰を下ろした。何も言わず、ただ静かに寄り添う。それだけで、ほんの少し、彼女の体の震えが和らいだような気がした。
「次は、シモーネだ」
魔術団長の言葉がより重く感じる。




