25.
トレーニングを再開して一週間が経った。
イリーナは今朝も、2団の外周コースを走っている。
――今日は、パスカル副団長と会えるかな。
そんなことを考えながら路地に差しかかった瞬間、鋭い怒鳴り声が耳に飛び込んできた。足が自然と止まる。次いで、誰かのうめき声と、金属のぶつかるような音。
息をひそめて、建物の陰からそっと覗き込むと、二人の少年が男性を壁に押しつけていた。
「金出せよ、さっさとしろって言ってんだろ!」
目の前の光景に、体がすくむ。
少年が男性に殴りかかろうとしているところを見て、勝手にからだが動いてしまう。
「何をやっているんですか!」
イリーナの声は震えていた。
少年たちがこちらを振り向く。ひとりがにやにやと笑って、ゆっくりと歩み寄る。
「なんだよ、正義の味方ごっこか?」
「……警備隊に通報しました。応援が来るのは時間の問題です」
ハッタリだ。しかし、効果はあったようで少年たちは舌打ちをして走り去っていく。
イリーナはその場にへたり込みそうになったが、男が震える声で礼を言ってきたことで、気を取り直した。
「ありがとう……本当に助かった……」
何度も礼を言う男を後にして、今日のノルマを達成すべく走り進める。
何とかノルマを達成し、肩で息をしながら呼吸を整える。
「……遅かったな」
思いがけない低くて穏やかな声に、心臓がどくりと跳ねた。
顔を上げると、パスカルが立っている。制服を着用しているところを見ると、今から出勤するところなのだろう。
「イリーナが走っている時間だと思って来てみたがなかなか来ないから、ちょっと気になってな」
――気にかけてくれていた。
たったそれだけのことが、今のイリーナには、たまらなく嬉しい。
「……ちょっと、トラブルがあって。でも、何とか……」
目を伏せながら答えると、彼は一歩、イリーナに近づいた。朝日が彼の髪をキラキラと照らす。
「イリーナ、お前……手が、震えてる」
そう言って、パスカルは彼女の右手をそっと取った。大きくて温かな掌。その手が触れた瞬間、張りつめていた何かが溶けるように安心したのがわかる。
「怖かったなら、無理をするな。今日は一緒に走れなくて悪い」
その言葉が、優しくて、苦しかった。イリーナは唇をきゅっと結ぶ。
「謝らないでください。私も、誰かを守れる人に、なりたいんです。あなたみたいに」
パスカルの目が、驚いたようにわずかに揺れた。そして、しばらく黙ったあと、そっと微笑む。
「……じゃあ、これからは毎日この時間に俺も走る」
「ほんとに……?」
けれどパスカルは真面目な顔で、少し首を傾けた。
「嘘を言うと思うか? 来れない日は事前に伝えておく」
その返しが、あまりに彼らしくて――。
イリーナはこらえきれずに笑ってしまった。




