焼きたてメロンパンの思い出
これは俺がまだ小学生だった頃の話。
当時その小学校は学区ごとに学校が指定されるだけでなく、住む家ごとに通学路まで指定された変わった学校だった。
向かいの家や隣の家に住む同じクラスの子でも通学路が違うなんてことはよくあったし、1人で登校することが当たり前だった。
故に寂しいなんてことはなく、ただ平然と学校へ向かう毎日。そんな平凡な日常の中でも俺には楽しみがあった。
指定された通学路の途中にある小さなパン屋。登下校の時間とパンの焼き時間が丁度被るのか、毎日そのパン屋から漂う芳香を鼻で味わい、「今どんなパンを作っているのだろう」と想像するのが楽しみだった。
下校時には時折入り口の窓を覗いて、パン達がずらりと並べられた光景に目を輝かせたこともあった。
このパン屋に入って、美味しそうな香りを放つパン達に囲まれながらパンを選んで買うのがその頃の夢だった。
ある日、俺はお袋におつかいを頼まれて近所のスーパーに行った。「お釣りは好きに使っていい」と2000円を渡され、それをがま口財布に突っ込んでおつかいに向かった。
にんじん、じゃがいも、しょうが、豚肉、コーヒー、牛乳…と、お金と一緒に渡されたメモを見ながら籠に入れていく。
全部で1600円弱で、手元には400円ほど残った。
───これだけあれば、あのパン屋に行ける!
そう思った俺は直行で家へと帰り、頼まれた物を置いてからあのパン屋へと向かった。
家に帰る経由で行けばよかったのだが、当時の俺は手ぶらで行きたかったのだろう。一度家に帰ってからパン屋に足を運んだ。
チリンチリン───
ドア開け、備え付けられた鐘が鳴る。それと同時に店内に充満するパン達が発する熱気と香りが全身を包み込むような感覚に襲われた。
そのパン屋はパン達が並ぶコーナーから厨房の様子が見られる構造になっており、生地を捏ねるところや焼けるところまでしっかり見える店だった。故に厨房の熱気がすぐ伝わり、焼けた瞬間に襲うパンの香りの爆風も体験できた。
トレーとトングを手に取り、それらを構えてパンを選ぶ。パンの棚には食パンやフランスパンは勿論、メロンパン,カレーパン,クリームパンなどの菓子パンから、焼きそばパンやコロッケサンドなどの惣菜パンまで幅広く焼かれて並んでいた。しかも他のパン屋ではあまり見ないであろうフィセルやシャンピニオンとかいうパンもあったのを覚えている。
俺はそのパン屋で焼きたての食パンとメロンパンを買った。
すると店主さんから「坊ちゃん、毎日ここに来るでしょ?」と言われ、その後サービスだと言ってフィセルを一本貰った。どうやら下校中にたまに覗いているを見られていたようだ。
その後軽い会釈をして店を出る。
袋越しにも感じるパンの熱と漂うパンの香りに我慢できなくなった俺は、メロンパンを一口食べた。
幼少の頃にいつもスーパーで買ってもらっていたメロンパンとは全然違う、サクッと香ばしいクッキー生地と優しい甘さ。中もしっとりと柔らかく、まったくパサつきを感じない。当時の自分にとって未知の味であり、絶品のメロンパンだった。
今思えば、あの時にパン屋の「メロンパン」を知り、その沼にどっぷり嵌ったのかとしれない。
メロンパンを食べ終えてから家へ帰り、食パンとフィセルはその日の夕飯に皆で食べることにした。
食パンはふっかふかで柔らかく、ほんのり香るバターとミルクの香りが最高だった。なんといっても、トーストにしてバターを乗せるとそれだけで至高の一品と化す程だった。
フィセルはフランスパンの端っこの食感をどの場所からでも味わえる一品だった。フランスの端を「大トロ」の呼称し取り合う我が家には嬉しいパンだった。
お袋や親父からも大絶賛で、それからは食パンを買う時はそのパン屋で買うのが我が家の習慣になったのは良い思い出だ。
…あれから数年経った今。
俺はそのパン屋の場所に立つ。
中学,高校に入ってから通学路も変わり、パンの香りを味わうことがなくなったが、メロンパンの一件でそのパン屋に足を運んだのだ。
しかし、そこにはもうあの頃のパン屋はなく、その場所にはコンビニが出来ていた。
「……これじゃない。」
コンビニで買ったメロンパンを開けて食べる。
メロン無しメロンパンで、味は良い。だが膨らみを重視するあまり中は空洞が多くパサパサ。求めていた物とは全然違かった。
あの頃に受けた衝撃と感動とは程遠い味。
俺の知る「メロンパン」がまた1つ消え、「メロンパン」を探す理由が1つ増えた。