節分に食べる味噌と餅
ぽりっ…ぽりぽり……ごくん
「…はあ、味気なかった。」
「我慢しろ。これが伝統の味ってやつだ。それに正義はまだ学生だ、この程度食べ切れないとな。」
「…だな。親父とお袋を見て、本当にそう思うよ。」
今日は節分。
体に溜まった鬼を祓うという意味で炒り豆を食す、あのイベントだ。
「豆食うだけで、豆撒きはしないのか」って?
確かに、他のところでは「鬼は外、福は内」と言いながら豆を投げるだろう。でも、うち…というより俺が住む地域では行わない。
理由は、次の日に鳥が群がるからだとか。過去に豆を片付けない輩がいたそうで、それによる鳥たちの爆撃攻撃の被害を受けてからうちの地域では豆撒きは出来なくなった。
故にその分、歳の数とは別に豆は全て食べる必要がある。
炒り豆は味付けがされていないので、正直味気なくてすぐに食べ飽きる。ついでに腹にも溜まるのでグルメ人間な我が家には地味に辛い。
俺のような学生ならば歳の数程度なら食べ切れる方だが、大人になるにつれ、歳を取るにつれてこれが苦行になる。
「母さん、あと何粒だ?」
「アタシは…いち、に……17粒だね。父さんは?」
「俺は…あと20粒。いやはや、歳はとりたくないな。」
「そのセリフ、言う場面は絶対違うと思うけど、アタシも同意見よ。誕生日を迎えると節分に対しての絶望感が増してくるわ。」
親父とお袋はそんな愚痴を溢しながら炒り豆を食べ進めていた。
食べ終えた俺は、残りの炒り豆を適当に砕き始める。残った豆の有効活用というやつだ。
砕いた豆を熱したフライパンに入れて温めたら、みりんを加えて煮立たせる。煮立ったら火を止めて砂糖と味噌を加えたら、くるみ味噌の要領で作った「なんちゃって福豆味噌」の完成だ。
クルミほどオイリーではないが、砂糖を加えた甘めの味噌と合わされば例え大豆やアーモンドであろうと合わせることが出来るはずだ。
我が家ではこの福豆味噌で残りの炒り豆を消費する。そしてこの味噌に合わせるのは…餅だ。
鏡開きをした後に残ってしまった餅を焼き、この福豆味噌を付けて食べる。
これが中々にいけるのだ。
「ふう、食い切った…」
「…アタシも。しばらくは味気ない炒り豆は御免ね。」
「ああ、同感だ。」
福豆味噌を作り終えた頃、2人はようやく炒り豆を食べ切ったようで、地味に腹に溜まる大豆と口の中の水分が奪われることに嘆いていた。
「はーい、そんな親父とお袋に朗報でーす。福豆味噌が出来ましたよー。」
「母さん、餅用意するか。俺はトースターで焼く。」
「アタシの分で2個、追加でお願い。」
「俺も2個で。」
「分かった。俺は3個食うから、7個焼けばいいんだな?すぐ焼くからその間に皿、あとバター用意してくれ。」
「はいよー。」
俺は出来上がった味噌をタッパーに入れて持ってくる。すると2人は、さっきまで炒り豆で嘆いていたのが嘘だったかのように目の色が変わり、餅を準備しはじめた。
「炒り豆はダメでも福豆味噌は別」と言っても過言じゃない張り切り具合だ。
かくいう俺も張り切って餅を焼いてもらう。
「あちっ、あちちっ…」
トースターで焼かれた熱々の餅を手で2つに分ける。そして分けた断面に先程の味噌を乗せて食べる。
クルミとは違う炒り豆独特のポリポリとした食感と香ばしさ、そして砂糖や味醂を混ぜたことで甘じょっぱくなった味噌。それが焼きたてで噛むと甘みを感じられる餅と合わさり、砂糖醤油とはまた違った最高の餅になる。
炒り豆ならきな粉餅もアリだが、俺は断然福豆味噌派だ。節分限定の味なのは惜しいけどね。
「美味いな。正義、今年のは良い塩梅だぞ。」
「そうね。これを食べると、炒り豆を食べるのも悪くないかも…って思っちゃうわね。」
と、2人から褒められた。
お袋にいたっては、さっきの炒り豆に対する発言を撤回するほどの褒め具合だ。
まあ、炒り豆は時に苦痛だけどこれは別だからね、仕方ないよね。正直、来年は初めから福豆味噌でいいかもしれないな。言わないけど。
「あー、うっま…」
徒然なるままに書いたら、節分から2日遅れての投稿になりました。
作中でも言いましたが、福豆味噌はクルミ味噌の要領で作ります。目安としてはアーモンドフィッシュにあるアーモンドくらいの大きさに砕いてから温める程度にサッと火を通すと、食感と香ばしさを感じられてGOOD。
味醂と混ぜる時に大豆油を小さじ1程度足せばよりオイリー感が出て味噌とよく馴染む気がします。(個人差)
他のナッツでの出来るので試してみてください。カシューとマカダミアはオイリーなので多少大きめに砕いても美味でっせ。