表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
徒然メシ  作者: 友好キゲン
19/47

イガと家族と栗づくし


「茹でるか…焼くか…でも汁物も捨てがたい…」


食欲の秋であり、実りの秋でもこの季節…俺はボウルの上に盛られた栗を見て悩んでいた。

親戚のおばちゃんから「美味しい栗が獲れたから」と、送ってくれたのだ。

その栗をどう食べるかで悩んでいた。

とうもろこしの時のように茹でたり焼いたりするか、それとも味噌との相性も考えて汁物の具にするか、贅沢にもち米を使った栗おこわでいただくか……悩みどころである。


汁物やおこわの場合、この硬い鬼皮を剥く作業がある。その分美味しく食べられるが、1人で剥くにはちょっと量が多い。

一方、茹で栗や焼き栗であれば、火を通した後に包丁やハサミで半分に割ればいいだけ。栗本来の味わいも楽しめるし、茹でや焼きのほうがいいのかもしれない。


「何悩んでるの?」


「お袋…いやね、この栗をどう料理しようかって考えててさ。焼きや茹でにするか、それとももうちょい手を加えて汁物やご飯ものにしようかって…」


俺はお袋に声をかけられ、今悩んでいることを話す。こういう飯の話は親父やお袋に聞くに限る。2人ともちょっと拘りを持っているが、それでも聞いた方が美味しい思いができることは確かだろう。


「じゃあどっちも作っちゃえばいいんじゃない?」


「…どっちもとな?」


「だから、ボウルに入ってる栗の半分は茹でちゃって、もう半分で凝った物を作るってこと。」


簡単な料理か、それとも手の込んだ料理か…その悩みにお袋は中間の妥協案を出してきた。

確かに、半分にすればその分2種類の味を楽しめる。だが逆に言えば…


「半分にしたら、一品の食べられる栗の量って減るじゃん。」


「そこは仕方ないでしょ、アタシと父さんの好みが違うんだもの。これで茹で栗だけだったらアタシは嫌だし、かと言って栗おこわだけにしたら父さんが嫌でしょう?」


確かに…お袋の言うことにも一理ある。

お袋と親父の好みは結構分かれることが多いのだ。

実際、この前のとうもろこしの件でも、あの後お袋に七輪で焼いて食べているところを見つかり、「バターコーンの方が美味しい」と言って残っていたとうもろこしでバターコーンを作ってくれた。

正直、バターコーンも格別に美味かったよ。とうもろこしの甘さとバターのコクがマッチして、スイーツを食べているような感覚だった。

…ってな感じで、両者の好みが二極化することが多々あった。それでも仲が良いのは、お互いのこだわりを認め合っているからだろう。


この二極に挟まれるこっちの身からすると……両方のこだわりを味わえるので嬉しい話である。「両手に花」って言葉が一番近い状況だ。


おっと、話が逸れてしまった。

まあ、そういうこともあって、これほどの量があるのだから、半分にして料理してしまおうと提案されたわけだ。

正直言って賛成だ。だが、そうなると一つ避けられないものがある。


「じゃ、そうと決まったわけだし、栗の皮剥きお願いね?アタシはその間に蒸し器とかお酒とか準備しちゃうから。」


…そう、この皮剥き作業だ。

別の野菜や果物の皮剥きとは違い、こいつの鬼皮は硬い分、皮を剥くのに一苦労するのだ。

更にうちの栗おこわは渋皮も剥くので更に手間が掛かる。

その手間がある分、うちの栗おこわは絶品なので割に合う苦労だろう。


一応、簡単に剥く方法はあるらしいが、今日届いた栗を今日食べる場合は、その方法が使えない。

だから一個ずつ地道に剥くしかないのだ。

ペンチみたいな形状の栗むき器で挟んで割れ目をつくりだし、そのまま適度な握力で割る。

一見簡単そうに思えるが、茹で栗でなく生栗なので、割るのに力を要する。その上、力を加えすぎるとぱかんと割れてしまうので、力の調整が大変だ。

まあ、生栗は硬いから割れる心配は殆どないが、一応気をつけなければいけない分かなり疲れる。これは明日筋肉痛になっているだろうな。


ここから無言で皮を剥きはじめて50分くらい経った頃だろうか…


「終わった〜…!」


漸くノルマの量の栗を剥き終えた。

残りの剥いていない栗は親父が茹で栗にするので剥かないでおく。

これで俺の仕事は終わりだ。

剥いた栗たちをお袋に渡しに行くと、既に酒やら塩やらの準備は完了、もち米も水に漬ける工程が終わっていて、あとは蒸し器に栗を入れるだけの状態だった。


「はい、お疲れ様。あとはこっちに任せなさい。」


そう言ってお袋は剥き終えた栗を受け取ると、蒸し布を敷いた蒸し器にもち米を入れて、その上に栗を乗せる。あとは蒸し布で閉じて蓋をして蒸すだけだ。

あとはたまに酒入りの塩水を振りかける。

この工程は栗おこわの味付けと香り付けをするのに重要なものなので、俺よりも栗おこわに対するこだわりが強いお袋がやった方が美味しく仕上がる。

俺もせっかく食べるなら美味しい栗おこわを食べたいので、ここはお袋に任せよう。



「ただいま〜。」


「「おかえりなさい。」」


おこわが蒸し上がるのを待っていると、匂いに釣られたように親父が帰ってきた。


「この匂いとこの蒸し器…今日はおこわか?」


「察しがいいね。今日おばちゃんから栗が送られてきたからさ、今日は栗料理だよ。」


「ほ〜……なあ、もしかして全部栗おこわに使っちゃったか?」


「ちゃんと父さん茹で栗分も残してるよ。」


「よしっ、でかした!」


親父が栗おこわの香りに魅了されながらそう聞いてくる。

お袋は残っていることを伝え、俺は剥いていない栗が入ったザルを渡す。その栗を見て喜び、早速鍋に栗を入れて水を注ぎ、茹で栗を作り始める。

隣の蒸し器から漂う秋の香りを前にしても、自分の拘りを保っていられるとは…親父は栗おこわと同じくらい茹で栗も食べたいらしい。


それから30分、台所では親父とお袋が熱燗を作る職人の如き面構えで、蒸し器や鍋とにらめっこをしていた。

お袋は偶に蓋を取っては酒と塩水を振りかけて、また蓋をして蒸し器の前でじっとその時を待っていた。

この光景だけを見たら、2人が専業主婦やサラリーマンをやっているとは思われないだろう。


それからしばらくして、2人の目がカッと開き、両者ともに火を止める。

お袋は蒸し器の蓋を開け、蒸し布を御櫃に移してからおこわを蒸し布から解放させていた。

一方、親父は粗熱が取れるまで時間があるので、その間にお袋が作ったおこわをしゃもじで混ぜ合わせていた。


「母さん、混ぜ終わったぞ。」


「ありがとう、それじゃあ先におこわ食べちゃおうか。」


「だな。茹で栗はデザートにしよう。」


2人ともなんだかんだこだわりを主張するが、そのこだわりを分かり合えているからこそ、互いに協力できる。これが夫婦円満の秘訣なのだろう。


栗おこわが充分に混ざったら、各自茶碗を持ってきて、おこわをよそる。

各自でよそるのにも理由があって、それぞれの好みの比率があるからだ。

市販の物と同じくらいの比率が好きな俺、栗が少し多いのが好きなお袋、もち米多めが好きな親父…と、こんな風にね。

だから誰かによそってもらうより、自分のこだわりの分量で食べるために、各自でよそるのがうちのメインディッシュを食べる時のルールだ。サラダとか汁物の場合は栄養的な意味ででそういうのはやらない。じゃないと誰かしら好き嫌いで取らない野菜が出るからな。


おこわをよそったら、あとは卓を囲んでいただくだけだ。

今日の献立は栗おこわ。おかずはたくあんのみ。


「「「いただきます。」」」


まずは栗を1つ摘んで口に放り込む。

栗のホクホク感と優しい微かな甘さ、酒の芳醇な香りが良い塩梅でマッチしていて美味い。

次はもち米を一口。噛むたびにもちもちとした食感と弾力、そしてよく噛むことで感じる米の甘み…そして蒸している最中にかけた塩水のおかげでついた塩気がそのもち米の甘さを引き立たせている。

栗と米を一口ずつ味わったら、ここからは一緒に口に入れる。

米のもちもち感と水分が、ホクホクの栗をしっとりとさせ、より栗の甘さが分かるようになる。酒の香りが効いたもち米と塩気で甘味が増したしっとりの栗の組み合わせは絶品だ。


栗おこわを味わっている合間に、時折たくあんを挟む。たくあんの強すぎない香りと塩気が舌をリセットさせ、また栗おこわを思う存分楽しめる。

お袋曰く、「別のおかずを用意してしまうと、栗おこわの繊細な香りと味わいを邪魔してしまう要素が出てしまうので、その要素を限りなく無くして且つ舌をリセットしてまた1から味わえるたくあん以外に、栗おこわの恋女房はいない。」…とか。これがうちでおこわを食べる時にはおかずがたくあんのみの理由である。


お袋の言いたいことも分かる。

確かに糠漬けを使ったら糠の香りが勝っちゃうし、肉じゃがなどをおかずにしたら醤油や味噌の味が勝っちゃうだろう。

そう考えると、比較的香りを少なく塩気でおこわの甘さを引き立てられるたくあんを「恋女房」と称するのも納得がいく。


栗おこわを堪能したら、残りの栗おこわは明日の楽しみにとっておく。こうすればより長い時間栗おこわを楽しむことが出来るし、冷ますことで今食べたホカホカなおこわとはまた違った味わいを楽しめるだろう。

それに、そろそろアレが出来上がる頃だ。


「今日のデザートが出来上がったぞ!はい、皆の分のスプーンも持ってきたからな〜!」


そう言って親父は粗熱が取れた茹で栗をザルごと、それと栗むき器と人数分のスプーンを机に置いた。

ここからはこいつを楽しむ時間だ。

1つとって栗むき器でパキッと真っ二つに割って、スプーンで食べる。

スプーンを差し込むとホロリと割れて簡単に掬い出せるので見た目以上に食べやすい。そしねシンプルに茹でただけなので、栗の本来の優しい甘さがしっかりと味わえるのだ。


「「「………」」」


茹で栗を食べる時はスプーンで掬い出すのと、栗を味わうことに無心になるのでどうしても沈黙してしまう。これは親父やお袋も同じようで、今この空間には自分とこの栗しかないかのような集中力で栗を掬い味わう。

「カニを食べると無口になる」というが、うちは茹で栗でも無口になる。ただそれは、取る作業が忙しいからではなく、この栗の甘さに夢中になってしまうからだ。

だから俺も自分の栗に集中する。もっとこの栗の美味さを味わうために。


いがぐりって中に3個くらい並ぶようにぎゅうぎゅうに栗が入っていることが多いよね。

両端が両親でその間が子ども…イガという安全な家の中で家族が寄り添って暮らしている……なんて詩的なことを考えながら書きました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ