96
「はっ、余裕だな」
「おおー、これ圭ちゃんたちに持っていったら喜んだだろうなぁ……ってあれ?」
「ああ?」
魔物の上半身を覆っていた炎の勢いが弱まり、再び魔物の姿が現れた。
だが、魔物の体はどこも燃えてはいなかった。
魔物は逆上したように一層大きな鳴き声を上げると、一直線にルシファーのもとへ突っ込んできた。ルシファーは高速で体をぶつけてきた魔物を避け、今度は至近距離から火球を投げつける。だがその火球も魔物には当たったはずだが、効果が見られない。
「なんだ、どういうことだ? この攻撃が効かない程固さがあるようには見えねえぞ」
眉を顰めるルシファーだが、魔物の攻撃は止まない。それをいなしつつ、間断なくルシファーも攻撃を続けるが、やはり一向に魔物に効いている気配がない。
炎をぶつけ、重力の球をぶつけ、小さな竜巻に巻き込み、水を放射する。だがどの攻撃もが魔物にぶつかっては消えていく。
“珍しくルシファーが苦戦してる……。というか遠慮なく攻撃しまくってくれちゃってるけど、私がもつのか? うう……頼む、そろそろ効いてくれ”
沙耶が苦い表情で、半ば祈るように空中で暴れ回る魔物を見つめる。
魔物はルシファーの攻撃が効くどころか、もはや怯みもしなくなっている。ルシファーは隠しきれない苛立ちの気配を放ち、今度は貫く光線を放つ。だがそれも魔物に当たって霧散する。
沙耶の耳元で大きな舌打ちが鳴った。
“キレだしてる! ――にしても何で効かない? 炎が効かないだけならそういう粘液でも纏ってるだけかとも思ったんだけど、他の攻撃も効かないし、それにさっきの光線は熱っていうより貫通力の攻撃でしょ。うーん……何かさっき気になることがあったような……”
沙耶が魔物を睨みつけるように目を凝らす。
魔物は穴へと流れ落ちる滝へと向かっていったと思うと、その中へと突っ込んだ。全身に水を浴びているのだ。魚故に乾燥を防ぐためなのか、それとも単に気持ちがいいからなのか、だがひとえにその余裕を感じさせる行為がルシファーの感情を逆撫でしたことは間違いない。
その水を浴びる魔物の、正確には魔物に当たった水の動きを見て沙耶が「あ」と呟いた。
「ルシファー! あの、気のせいかもなんだけど」
「ああ!?」
ルシファーは明らかに機嫌が悪そうだ。その八つ当たりめいた口調に沙耶は顔をしかめ、ルシファーの頬を思いきりつねった。
「んな!? 何しやがる――」
「うっさい、聞け! あいつ、バリア的な何か張ってんじゃないの!? ルシファーの攻撃どれも塵みたいに消えちゃってたのに、ほら、あの魚に今水が当たってる! てことは水は元々効かないからバリア張らずに、ヤバそうな攻撃だけバリアしてたんだよ、きっと! そうそう、さっきもルシファーの水の攻撃の時だけ散り方が違ったし」
「何……」
沙耶の言葉に、ルシファーは冷や水を浴びせられたようにはっとし、魔物に視線を向ける。そして先程の光線よりは細い光を魔物に放った。光線は同様に弾け飛ぶようにして散っている。
それを見てルシファーがはっとした表情をしたと思うと、途端に顔をしかめ、そしてすぐに笑い出した。
「くっ、ははは! まさかこの俺がこんな単純なことを見逃すとはな! まあ、んな小細工してくる奴自体この地界で初めて見たからな」
「お、機嫌直った」
「いい働きだ、沙耶。褒めてやる」
「それは褒めてんのか。でもやっぱあれって「バリアーッ!」的な?」
むすっとするもすぐに通常の表情に戻り、沙耶が腕を交差させて見せた。ルシファーがくくくっと喉を鳴らす。
「ま、早い話がそうだ。攻撃の当たった様子を見るに恐らく結界に近いものだな。魚類が狡いことを。――だがあの魚に俺の攻撃を防ぎきる結界を張る力があるとは思えん。何かからくりがあるな」
「いいなー何でもバリア。私も欲しー」
「馬鹿なこと言ってないで、おら、ちゃんとしがみついてろ。これから色々試す」
沙耶は頷き、慌ててユキの入ったリュックを体の前に回して、ルシファーの首に両手を回す。それを確認するとルシファーが翼を大きく羽ばたかせた。
「散々よくもこの俺をこけにしてくれたな、魚類。その小生意気な鱗を剝がし取って今度こそ焼き魚だ」
そう言ってルシファーは魔物へと様々な種類の術を様々な角度や方法で打ち込んだ。時にそれはわざと魔物に当てずに外したり、魔物ではなく滝に打ち込んだりと、思いつく可能性を一つ一つ潰すかのように、ルシファーは試していく。
そして何度目かの攻撃の後、すっきりした顔で鼻を鳴らした。
「はん、なるほどな。理解した。いいぜ、そろそろ真面目に調理してやる……わんころ?」
ほくそ笑むルシファーだったが、その時ユキの鳴き声がした。沙耶の抱えるリュックの中からユキが何度も鳴いている。戦闘中あれだけ動き回っても大人しくしていたユキの声に、ルシファーも思わず手を止めた。
そして自分の腕の中でぐったりと気を失う沙耶にようやく気が付いたのだった。
「しまった、調子に乗りすぎたか。沙耶、おい沙耶。……駄目だな、これは。仕方ない、一度引くか」
そう呟くとルシファーは魔物から距離を取り、穴の中から海面上へと飛び上がる。退くルシファーを追おうと魔物も飛び上がったが、途中でくるりと引き返し、穴の底へと潜っていった。
その様子をルシファーは横目で確認しつつ陸地へと飛び去る。
「……やはりな」
ルシファーの呟きは滝の音に消されていった。




