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となりの世界の放浪者たち  作者: 空閑 睡人
第八章:放浪者たち
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砂塵煙る荒野を突き進む集団がいた。


十人程度だろうか。男性が多いようだが、ちらほらと女性の姿も見える。皆口元を布で覆い、外套と一体となっているフードを目深に被り、舞う砂に目を細めている。だが誰もが何も喋ることなく無言で黄土の野を歩いていた。


昼間だというのに空は暗い。砂塵で日の光が遮られているのか、上空に垂れ込める暗雲のせいなのか、土埃も相まって視界は悪い。

その時先頭を行く男がつと振り返った。偉丈夫然とした逞しい体格が外套の上からでもわかる。その眼光はフードの下でも鋭い。男は集団の全容を一瞥し、眉をしかめた。


「後続が遅れている」


そう独りごちると、すぐ後ろを歩いていた者に一言二言かけ、集団から離れた。


砂にまみれた全身を覆う外套から腕を伸ばす。中指に嵌めた二つの指輪の一つが黄色く光り、男の前に大きな虎が姿を現した。

唯物界の虎は黄色の毛皮に黒の縞模様をしているが、召喚されたこの虎は赤い。流れる毛並みは燃える炎の如く揺らめき、瞳が黄金色に光る。口からは強大な牙が伸びていた。


近付くと虎は身を屈め、男はさっとその上に飛び乗った。すると虎は男を乗せて駆け出したかと思うと、地を蹴るように空を蹴り、上空へと駆け上がった。翼もなく空を走る赤虎は、まるで地面が空へと続いていたかのように泰然と空に立っている。


男は眼下を睥睨すると、集団の後方へと顔を向けた。途端、赤虎は何を言われるでもなくそちらへと空を駆け出した。少し移動したところで赤虎はその足を止め、地上へと駆け下りる。その先にもう一つ、先程と同規模の集団がいた。


「何をやっている。遅れているぞ」


低く、芯のある男の声には、呵責の色を含んでいた。集団の戦闘にいた小柄の男は小さく頭を下げる。


「申し訳ございません、隊長。先刻から断続的に魔物の襲撃を受け、対応に時間を取られました」

「そういった場合はすぐに報告をいれるよう言ったはずだが。……損害は」

「ございません」

「ならいい」


短くそうとだけ言うと、隊長と呼ばれた男は赤虎から降りて指輪へと戻した。さっと踵を返すと外套をはためかせる。


「これより俺も第二部隊に加わる。この先で待機中の第一部隊に迅速に追いつき――」


男の声が途切れ、集団がどよめいた。

地面が揺れているのだ。


男は一瞬瞠目するが、すぐに体勢をを立て直し、「落ち着け」と声を上げた。


だが、その声は大地から響く轟音に呑み込まれた。

硬い岩盤のような地面が、地下から爆発したように一気に隆起したかと思うと、その大地の割れ目から巨大な影が飛び出してきたのだ。巻き上げた砂塵の隙間から、徐々にその影の正体が垣間見える。


それは空を仰ぐ程に長大で、大人二人が腕を伸ばしても足りぬ程に太いみみずの如き魔物だった。みみず、と形容したが、その魔物は硬く乾燥した薄暗い紫色の皮で覆われ、胴の先の頭部があると思われる個所には顎はおろか、目すらなく、吸盤状の円形をした口がぽっかりと開いていた。魔物が人間たちを見定めると、その口から短い牙がびっしりと隙間なく現れた。


隊列を乱し、散り散りになる人々を横目に、男は衝撃で脱げたフードはそのままに、手荒く口を覆っていた布をずり降ろし叫んだ。


「ケルベロス!」


人差し指に嵌めた指輪が青白く輝き、男の目の前に、人よりも遥かに巨躯の三ツ首の犬が現れた。短く青白い体毛は薄暗い砂塵の下でも微かに発光しているように見えるが、六つの深緋色の瞳は暗澹とした池のように仄暗い。だがその奥底には燐光の如き不気味な光が宿っていた。


その光が揺らめく刹那、ケロベロスは魔物へと飛び掛かった。左右の頭が魔物の長い胴へ噛みつき、中央の頭が大きく口を開くとそこから大気が揺らめく程の業火を放つ。魔物は耳障りな断末魔をあげて身悶える。炎に燃やされた箇所から体は炭化し、脆くなったと同時に左右の頭が噛み砕く。

魔物はあっという間に二つに折れるように崩れ落ちた。


静かな歓声が上がる。散り散りになっていた人々は既に乱れた隊列を戻し始めている。これまで何度も魔物の襲撃に遭ってきたのだろう、そしてそれを何度も撃退してきたのだ。彼らの動きは手慣れたものだった。


だが今回は違った。


魔物の体は崩れて散っていっているというのに、断末魔が止まない。

ならばこの声は何処からくるのか。


ケロベロスを呼び出した男を含めて人々が警戒の色を浮かべた瞬間、地面が再び隆起した。今度は先程よりももっと広範囲の地面が盛り上がる。男がはっとして目を瞬かせた。崩れ落ちた魔物だが、地面から突き出た箇所の胴が消えない。


“読み違えたか……!”


男が警告を叫ぶより早く、盛り上がった地面から巨大な岩山のような魔物が現れた。家一棟すらも飲み込めそうな大口の周囲から、今しがたケロベロスが倒したみみずのような魔物と思われていたものが何本も伸びている。あれは魔物ではなく、巨大な魔物の触手、ただの一部でしかなかったのだ。


そこからは永遠のような、一瞬の出来事だった。


襲い来る無数の触手に隊は瞬く間に瓦解し、あちこちに負傷者が倒れ、その負傷者を庇う者も己の隷獣を出すが、魔物の攻撃を捌ききれず満身創痍だ。

男は赤虎に乗って上空から指示を出し続けていたが、遂には背後から振り下ろされた触手にぶつかり、地上に落下してしまう。


絶体絶命だった。


この世界を甘く見ていたことなどない。自分には力があり、人々を救う義務が、使命がある。そこに驕りも、慢心も、油断もなかった。その自負がある。


故に絶望した。


眼の前に聳えるのは、ただただ圧倒的な力の差だった。訓練し、己を鍛え、強靭な肉体を手に入れたのだとしても、唯一つの天災を前に膝をつくしかないように、埋めがたい力の差が今まさに牙を剥こうとしていた。


この世界に飛ばされてきて二度目の、不可避の命の危機だった。だが今回は不意打ちの一度目とは違い、万全を期しての、これだ。

完全な敗北だった。男はただ目を見開いてその時を迎えるしかなかった。


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