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となりの世界の放浪者たち  作者: 空閑 睡人
第七章:炊金饌玉
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一気に浮島の上空まで飛び上がると、その島の全景が見渡せた。

大きさとしてはホームセンターの拠点程だろうか。空に浮いている島と思うと巨大だが、海にある島と思うとそこまでの大きさではないように感じる。見たところ人が定住出来そうな大きさはなかった。島の西側は台地のように盛り上がっているが、背の低い草々が芝生のように生えているだけで樹木はない。反対の東側にも草は背の低いものばかりだが、僅かに細い木々が生えていた。そしてその中央には二十五メートルプール程の大きさの池があった。


通常、島というと、その周囲は浜なり岩場なりがあるものだが、この浮島はまるで大地からそこだけ切り取って浮いてきてしまったかのように断崖となっていた。

その島は雲ひとつない空の中、異様な存在感を放ち、ただただ静かに流れていく。


「とりあえず降りてみようよ」


沙耶がルシファーの裾を引っ張ると、ルシファーも頷いて池の畔に降り立った。


島の内部も静かなものだ。風の音しか聞こえない。周囲を注意深く見回したが、どうやらここには魔物も動物もいないようだ。

恐る恐る踏みしめた地面は、地上にある時と同じくしっかりと沙耶を支え、足首の高さ程の下生えの草は毛足の長い絨毯のように柔らかく足を包み込んでくる。それは地上に生えている草とは全く異なる感覚であった。


「何この草!? ふ、ふわふわしてる……!」

「この浮島特有の種類だろうな。浮島ごとに性質は色々とあるが、ここのはどうやら大気に近い性質をしているようだ。種類や植生が違ってきているのはそういう……って、おい」

「ふわふわーっ!」


ルシファーの言葉を遮って沙耶がユキと共に走り出した。この胸の高鳴りを前にして蘊蓄くさい口上など聞いてはいられないのだ。


感覚を確かめるように一歩一歩踏みしめ、そして一気に走り出す。地面を覆う草は沈み込むように柔らかく、それでいて弾むように足を押し返してくる。子供の頃に思い描き、憧れた「雪の上を走る」とはこういう感覚なのか、とすら思えた。

沙耶はこの不思議で心地よい感覚を貪るように、気の向くまま島のあちこちへ走り回っていた。ユキも気に入ったようで、一緒になって走り回っている。ルシファーは呆れたようにその場に座り込み、沙耶たちの気が済むまで待ち惚けることになったのだった。


暫くしてルシファーの前に息を切らしてふらふら歩く沙耶と、未だ元気そうに跳ね回るユキが戻ってきた。見れば夕陽が傾いている。


「満足したか?」

「つっかれたー! こんな走り回ったの久しぶり!」


そう言って沙耶はまだ誰にも踏まれたことのないであろう場所に倒れるように寝転んだ。そこも布団のようにふかふかだ。沙耶は寝転んだ体勢のままルシファーを見上げた。


「でも色々見て回ってきたけど、あんまり物珍しいものはなかったかな。変な果物とか奇妙な石とかあるかと思ったんだけど。あえて挙げるとするなら……これ?」


沙耶は体の下敷きになっている草を一本摘まみ上げた。白に近い薄緑色のそれは、茎は細く、葉は膨らんでいるかのように厚い。この島を覆う、地上ではまず見かけない草だ。


「そりゃそうだろうが……んなもんどうすんだ?」

「んー、とりあえず持って帰ってみよ! たぶん料理人チームが何とかするでしょ」

「丸投げか」


沙耶が立ち上がって、ぐんと背を伸ばした。


「うわー、凄い眺め!」


歓声を上げる沙耶の目の前には広大な夕焼けが広がっていた。遮るもののない、海の上に浮かぶ島からは水平線がよく見えた。紫紺の空に茜色の水平線が滲み出しているようで、まるで魔法の筆で空の色を混ぜ合わせたかのようだ。

この光景を今はルシファーとユキとで独り占めだ。


「ほらほら、ルシファーも見てよ! 凄くない、凄くない?」

「引っ張らんでも見えてる。ただの空じゃねえか」


ルシファーは沙耶の興奮具合に若干身を引いていたのだが、沙耶はお構いなしにルシファーの腕をぐいぐいと引っ張って島の端まで歩いていく。一度ぎりぎりまで端に近付いて覗き込み、眼下に見える海面までの高さにひやりとして、慌てて距離をとった。


空は刻一刻と色を変えていく。太陽の動きが見えるかのようだった。


「ああ、これは貴重なやつだよ。こんな綺麗な空をこんなとこから眺められるなんて。――ふふふ、本当に凄いなぁ。こんなところがきっとこの世界にはもっと、もっとあるんだね」


うっとりとそう呟いて、沙耶は暫く無言でその夕焼けを眺め続けた。瞼を閉じると、これまでの旅路で見てきた様々な光景が今でもありありと思い浮かべることが出来る。


周囲の音を全て掻き消す程の轟音と、煙る程の水飛沫を上げる大瀑布。地にそそりたつ巨大な奇形の岩。底まで手が届きそうとすら思える澄んだ湖。眩い程に煌めく満天の星空。

その全てが美しく、力強く、雄大で、神秘的。

どの景色も沙耶の胸をとらえて離さず、きっとこの空飛ぶ島から見た夕焼けもその一つになるのだろう。沙耶は逸る胸を押さえつけるように、両手を強く握りしめていた。


幻視界に、地界に召喚されてから様々なことがあった。苦しいことも嫌なことも。

それでも沙耶にとっては特別な、この世界にとってはありふれた景色を見る時だけは全てを忘れられた。心の全てを感動が支配するのだ。こんな気持ちは、唯物界にいた頃には味わったことはなかった。


ルシファーは沙耶の様子に呆れながらも、静かに苦笑するとその後は何も言わなかった。

そうして二人と一匹は、夕陽が水平線に消えるまでずっと眺め続けていた。


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