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皿の上の料理が半分くらいに減った頃、沙耶は「ふう」と一息ついて箸を置き、ジョッキに残っていた飲み物を飲んだ。ユキは沙耶の皿から適当につまみ食いしているようで、尾を振りながら口をもぐもぐと動かしている。
「どうだった?」
機を見計らっていたように勝成が声を掛けた。沙耶はぺろりと唇に付いていたタレを舐めた。
「どれもすっごい美味しかった! 正直どれが何の魔物だったのかとか全然分かんなかったんだけど、色んな調理方法があって色んな味があって面白かった。元の魔物を知ってると、あれがこうなるだなんて想像つかないよ」
そう言って笑う沙耶に、うんうんと勝成が何度も頷いた。
「そうそう! 魔物食には無限の可能性があるって思えたね! 今回は時間無くてあんま使えなかったけど、辺りに生えてる植物なんかも色々食べられるんでしょ。野菜や果物、穀物だっていずれは調達できるようになるはずだよ」
「確かに。私もお気に入りの野草があるよ。あとはそうだな……いつかパンも食べられるようになりたいなあ」
「うんうん。でもやっぱ俺はラーメンだね!」
勝成が軽快に両手を叩いた。その表情は遠い思い出を懐かしむかのように、彼方を見ている。
「俺さ、ラーメンがちょー好きなんだよね。もう愛してるって言ってもいいくらい。唯物界にいた頃なんか、出勤前に一時間掛けて朝ラーメンが有名なとこまで行ってラーメン食べて、仕事終わった後にも馴染みの店のラーメン食べに行ったことがあるくらいさ。だからウケのラーメン食った時は絶望したね。何なら寝込んだもん」
その時を思い出しているのか、勝成は沙耶に苦悶の表情を見せた。沙耶もウケから交換できる料理の中にラーメンがあったことを思い出していた。ラーメンも複雑な味わいの料理だ。それがどんな有り様だったのかは過去食べたカレーで想像がついた。
「だからさ……俺の目標はここでもちゃんと旨いラーメンを作ることなんだ!」
握り拳を作ってそう宣言した勝成に、沙耶は感嘆の声を漏らした。その反応を見て、勝成も照れ臭そうに笑った。
「見てよ、あの皆の顔。誰も彼も嬉しそうで楽しそうだ。やっぱ旨い食い物は人を幸せにするね。だから俺は何が何でもこの世界に飛ばされてきちまった連中皆に、俺の作る旨いラーメンを食わせてやりたいんだ。……って何か、語っちまったな。じゃ、俺ちーちゃんの手伝いに戻るわ。沙耶ちゃんは楽しんでって」
そう言って勝成はそそくさと立ち上がって走り去ってしまった。沙耶はジョッキを握りしめながらその背中を黙って見送った。
その後、沙耶が一口二口と食事を再開しだすと、それを見計らっていたかのように酒がなみなみと入ったジョッキを持って、ほろ酔いの男が近付いてきた。
「よう、嬢ちゃん! 隣いいかい?」
中年くらいの男だろうか、どこか見覚えがあるような気がしつつも思い出せないまま、小さく頷いた。男はそれを見ると、にっかりと笑ってどさりと腰を下ろした。その男に続いて数人の男女が沙耶の近くに座る。皆男と一緒に飲んでいた人々なのだろう。
「見てたよ! あんたも黒いにーちゃんも凄かったな!」
それを聞いてようやく沙耶は思い出すことが出来た。だいぶ赤ら顔になっているが、よく見ると昼間防壁の前でレントに応戦していた一人だったのだ。
「いえいえ、私もびっくりしちゃいました。巨大な魔物にも皆で戦うなんて」
「そりゃ俺たちのはあんたの黒いにーちゃん程強い隷獣じゃねえからな。皆で袋叩きにでもしねぇと勝てねぇよ」
男も、周囲で話を聞いていた人々も笑いあった。
沙耶の「皆が挑むのが凄い」という意味とは違うように取られてしまったようだが、そうやって何てことのないように笑う彼らが眩しく見えた。
「つってもデカブツがよく来るようになったのは最近だよな。一ヶ月前くらい前か?」
「言われてみればそうね。最初は見なかったし。まーでもここに飛ばされてすぐこられてちゃヤバかったわぁ」
当時を懐かしみ、互いの肩を叩きあう人々。そこに性差も年齢差もない。皆が皆、自分事として戦うのを当然と思っていた。話に混じっていた少年が話を続ける。
「確か、近所のちっさい拠点の人たちを受け入れた時からですよね。それから現れるようになったもんだから、申し訳ないってその人たちが言ってたみたいで。あ、俺の友達がそうなんですけど」
沙耶の持っていたジョッキが揺れて、小さな波紋が立つ。
「そういやそうだったか? ま、人数増えたし対応も間に合ったから結果オーライだろ」
男たちは特に気に留めるでもなく談笑を続けていたが、沙耶はジョッキに視線を落とし込んだまま動きを止めた。
“人数が……増えてから”
大学にいた時も、沙耶が来てから暫くは大型の魔物は見かけなかった。見かけるようになったのはショッピングセンターの人々を受け入れてからではないか。いや、そもそも最初に見かけたのはその彼らを引き連れて拠点に近付いた時では――
「沙耶ちゃん」
背後から名を呼ばれて、びくりと振り返った。見ると黒い服で髪を結い上げたままの圭吾が立っていた。
「ここにいた。ルシファーが呼んでたよ、そろそろ寝ろってさ。保護者かよって……あ、まあ保護者みたいなもんか。彼ったら沙耶ちゃんの居場所わかってるくせに人混みに近付きたくないからって料理中の僕を伝書鳩にするんだから、困っちゃうよね」
「ああ、ごめんね。ありがと、圭ちゃん」
腕を組んで溜め息をつく圭吾に、沙耶が眉を下げて謝った。
「ちーちゃんはずっと料理に掛かり切り?」
「うん、次はあの猪をやるって意気込んでたよ。ありゃまだまだかかるだろうね。沙耶ちゃんもどうする? まだ食べてるようならルシファーにそう言ってくるよ」
「ううん、確かに眠くなってきたし、もう戻るよ。あの、今日は本当にありがとうございました」
沙耶は立ち上がって近くに座っていた人たちに頭を下げた。男たちは口々に沙耶へ感謝の言葉を述べながらジョッキを高く上げて左右に振った。
沙耶は圭吾の後について歩き出す。
「ん……? というか沙耶ちゃん、それお酒じゃない? え、沙耶ちゃんって飲めたっけ?」
「お酒……? あ、これお酒なんだ。なんか不思議な味がするとは思ってたけど」
「ええ……気付かなかったの? もしやいける口の人?」
沙耶は人生初の酒となった残りのジョッキ分も一気に飲み干して、圭吾の横に並んで顔を覗き込んだ。
「圭ちゃん……楽しそうだね」
「え、そうかな? こんなに人の前に出るんなら、こんな真っ黒な服じゃなくていつもの赤いドレス着たかったんだけど、まだ捌いたり料理したりしなきゃだからさー。困っちゃうよね」
「そう? ……そっか」
沙耶は小さく微笑んだ。「困る」と言う圭吾の顔は、言葉とは反対に楽しそうな顔をしていた。
沙耶は心地よい充足感に浸りながらルシファーの元へと戻っていった。




