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沙耶たちはその後腰を落ち着ける場所を探してひとまず移動することにした。
千幸の言葉の真意はよくわからないが、立ったまま聞くには長くなりそうだと察したのだ。沙耶たちも自己紹介をしながら歩き出した。
そして移動の最中にわかったことだが、千幸と勝成は未契約者だった。くたびれたズボンにシャツといった、唯物界の服を着続けていることから予想はしていたが、まさか隷獣もなしに外界に飛び出してくる人間がいるとは思わなかったのだ。
二人はルシファーとアイリス、そして時折オールを振って戦う沙耶の姿を興味深げに眺めていた。もしかすると隷獣や魔物を見ることすらそれほど経験がなかったのかもしれない。
程なくして五人と一匹は、崩れ落ちた民家だったと思われるものを見つけた。おそらくこの家ごと召喚に巻き込まれたのだろう。草原にぽつんと現れたそれは完全に周囲から浮き立っていた。また元々老朽化していたのか魔物に襲われでもしたのか、その平屋の玄関と思われる場所は屋根ごと崩れ落ち、殆どの窓は割れてただの枠と化していた。トタンの壁も所々剥がれ、柱が剥き出しになっている箇所もあった。
建物の中は崩壊の危険があるため、沙耶たちは適当に建物の残骸を運んで椅子にして、腰を下ろした。
皆が座ると、見計らっていたかのように千幸が身を乗り出してきた。
「さあ早速教えてくれ! 魔物だが何だか知らないが、旨いものがこの世界にもあるんだろう!?」
その勢いと圧に気圧される沙耶と圭吾。見ればルシファーは既に我関せずといった体で皆から離れた場所で横になっていて、ユキも建物の周囲を歩き回って遊んでいる。諦めたように圭吾が口を開いた。
「さっきも凄い圧だったけど、えーと、特に気にしてないようだから僕もちーちゃんって呼ぶよ。ちーちゃんは何でそんなに魔物を食べようだなんて思うの?」
圭吾の疑問は沙耶も同様だった。
沙耶たちは魔物の肉が美味しかったことを身をもって知っているが、他の人間からすれば信じがたいことではないのだろうか。嫌悪感を持たれこそすれ、まさかこれほど熱望する者がいるだなどと思いもしなかったのだ。
だがそんな二人の疑問を他所に、千幸はむしろ「何故疑問に思われるのかわからない」といった顔で首を傾げた。暫く唸り込んで考えていたようだったが、ふと顔を上げて語りだした。
「俺は料理人だ。あの旅館の板前だったんだ。俺は料理を愛している。料理こそが俺の生きる意味だ。だがここではどうだ。ウケの出す……あれを食べ物とは形容したくないが、あんなものしか食べるものがない。ならばと俺は自分で料理をしようとすぐに思い立った。ウケは殆ど完成されたものしか交換出来ないようだが、僅かに交換できる食材はある。だがそれを使って料理をしてみてもウケの食べ物程ではないが、とても旨いと言える代物はできなかった。このまま碌なものも食えず、料理すらまともに出来なければ俺には生きている意味がない。そう思い詰めていたところにあんたたちが来たんだ」
深刻な表情でそう語る千幸。それを聞いていた沙耶と圭吾が声を潜めて、お互いの耳元で囁きあった。
「熱量が凄い。プロの料理人ってこういうものなの?」
「いやあ、どうだろう。彼はちょっと異常じゃない?」
千幸は続ける。
「俺は直接あんたたちを見かけることはなかったが、大食堂であんたとそこの男が話していることを聞いたという奴から、あんたたちが「魔物が美味かった」などと言っていると聞いたんだ。俺はそれを聞いて思わず飛び出した。美味いなどという言葉はここ暫く聞いてすらなかったからな。殆ど条件反射だ」
「あ、俺はそれに便乗しましたー! 俺はプロの料理人なんかじゃないけど、美味しいっていうなら魔物だろうがなんだろうが興味あったからね」
勝成が手を挙げて言葉を挟む。
確かに千幸の言葉が本当ならば、隷獣なしに外界に出てきた理由も、まともな荷物もない軽装も納得がいく。そして千幸の言葉に嘘はないのだろうと沙耶たちには思えていた。
「って言っても、私たちのほうにも問題はあるんだけどね。どうする、圭ちゃん」
「どう……うーん、まあここまで言われたら一度食べてもらったほうが早いかもね。問題はおいおい伝えよっか」
「おお!」
圭吾の言葉に、千幸があからさまに顔を輝かせた。期待させてるにも関わらず問題があることに罪悪感を抱きながらも、ひとまず圭吾はまだ少し残っていた鳥の魔物を倒した時の干し肉を使って昼食を兼ねて料理をすることにした。
圭吾は袋からいくつか食材を取り出す。まずは目的である魔物の干し肉とその皮から作っておいた油。それに旅館に着く前に採集してあった野草と干し茸をいくつか。あとはウケから交換した米と塩だ。
まずは干し肉と干し茸を水につけ、その間に野草を刻んで油と一緒に鍋で炒める。水で戻した干し肉と茸も適当な大きさに切って鍋に入れてさらに炒める。そして軽く研いだ米も炒めると、肉と茸をつけていた戻し汁を加えて煮る。
料理は基本圭吾によって行われるため、その間沙耶は面倒がるルシファーを引っ張って廃材を薪にしていく。沙耶とユキが集めた木の柱などを、ルシファーが光でできた刃を手から放ち、適度な大きさに切っていく。
ここ最近ルシファーは様々な技を出す。見たことのない技を見る度に「そんなことも出来たのか」と沙耶はマジックショーでも見るような気持ちでそれらを眺めているが、それはルシファーが自由に使える魔素量が増えたことによるもの、つまり沙耶の魔素量が増えたことによるものであったが、ルシファーはそれを口にすることはなかった。
“こいつは追い詰めたほうが伸びる。せいぜい魔素が少ないと思い込んで今後も励むんだな”
沙耶にこき使われても機嫌がよかったのはそう心の中で舌を巻いていたからでもあった。
そうして図らずも大量の薪が出来上がる頃には、辺りには何とも食欲をそそる匂いが漂い始めていた。




