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となりの世界の放浪者たち  作者: 空閑 睡人
第六章:放浪
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目が覚めた時、どれくらい寝ていたのか沙耶にはすぐにわからなかった。この天井の低い倉庫のような部屋には窓がないので、日の光から時刻を測ることは出来なかった。

沙耶が上体を起こすと、ユキが体を擦り寄せてきた。沙耶より前から起きていたのだろう。


“唯物界では常に時間を意識していたのに、最近じゃ朝とか昼とか大雑把な時間感覚しかなくなってきたな”


そんなことをぼんやりと思いながら周囲を見渡すと、寝息を立てる圭吾とルシファーの姿があった。圭吾はまだ体調が万全とは言えず、ルシファーも聞けば沙耶を探して飛び回っていたそうだ。二人とも疲れているのだろう。


沙耶はじゃれついてくるユキを抱き上げ、二人を起こさないように足音を忍ばせて部屋の外に出た。


出た先のロビーにある、割れた大窓からはたっぷりと光が差し込んでいた。ユキを床に下ろすと、元気よく走り回り始めた。窓に近付いて空を見上げると、青空の端に茜色が覗いていた。思ったより寝すぎていたようだ。


「そりゃ流石にもう眠くないわけだ」


苦笑いを浮かべ、凝り固まった体を伸ばしながら、沙耶ものんびりと歩き出した。これといって目的地があるわけではないのだが、少し体を動かしたい気分だった。


侵入を許された場所をあてもなく散策している最中、沙耶は誰ともすれ違うことがなかった。建物内は音を押し殺したようにひっそりとしていて、沙耶の床を擦る足音しか聞こえない。皆建物の奥に引っ込んでしまっているのだろうか。


“まあそれはそれで気楽でいいか”


ゆったりとした足取りで旅館の内観を眺めて歩く。凝った造りの階段やカウンター、ところどころに植えられた竹や松、高い天井から伸びる飾り。面影から想像するに、唯物界にあった時ここは相当高級な旅館だったのだろう。となれば唯物界にあった時ならばきっと自分には無縁な建物だったに違いない。


“こんなところに一度は泊まってみたいもんだ。廃墟化してない状態で”


そんなことを思いながら、螺旋状になった階段を登る。そこには恐らく茶房だったと思われる空間があった。端にある扉から外に出られそうだ。沙耶は扉へと手を伸ばした。


「おおー、良い眺め!」


扉から外にあるテラスへと出ると、辺りを一望することが出来た。広大な平野に所々盛り上がるような森が点在し、近くには大きな湖も見える。凪いだ湖に夕日が反射してきらきらと光っている。湖をもっと見ようと歩き出した時だった。


「あら、あなた……」


背後からした声に驚いて振り返る。


「あ、徳田さん」


テラスに一人立っていたのは、昨日ぶりに会う晴美だった。晴美は沙耶の足元にいたユキに気が付くとぱあっと顔を明るくして手を伸ばす。ユキはさっとその手を避けてしまうが、気にはしなかったようだ。嬉しそうにユキを眺めて沙耶へと向き直った。


「もう大丈夫かしら。昨日は私のせいでたくさん怪我させてしまってごめんなさいね」

「いえ、大丈夫です。私の方こそ置いて行ってしまってすみません」

「いいのよいいのよ。凄かったわね、あの羽の生えたあなたの隷獣。一瞬で魔物をやっつけちゃったわ」


晴美は口元に手を当てて「ふふふ」と笑う。そして遠い目をしてテラスから見える景色を眺めた。


「私、昨日も役に立てなかったわ。結局あなた一人に戦わせてしまって、本当に申し訳なく思っているの。でもこんなこと言われたら腹立たしく思われてしまうでしょうけど、私は昨日のあの出来事があってよかったって思ってるのよ」


沙耶が小さく首を傾げる。晴美が眉を下げて小さく笑みを浮かべた。


「あの後ね、阿部くんと渥美ちゃんに、次からは私も一緒に戦ってほしいって言われたの。自分たちに足りなかったものを私が持っているって言って。よくわからなかったんだけど、きっと昨日のことがあったからそう言ってもらえたんだろうなって。私これから、もっと頑張るわ」


沙耶は昨日の戦闘を思い浮かべる。


“確かにあの二人にイワの高い攻撃力と防御力があれば死角なしって感じする”


阿部と渥美の連携は見事だったが、ここに上手くイワも加わることが出来たならさらに盤石なものとなるだろう。


「あなたにはいい迷惑だったでしょうけどね」


何も言わない沙耶に、晴美は謝るようにそう言った。「責めている」と思われていることに気が付いた沙耶は咄嗟に言葉を返した。


「いえ、そんなつもりはないですよ。……それに私も昨日のあの出来事のおかげで色々と自分の気持ちに気付けましたから」


沙耶のその言葉の意味はわからなかったのだろう。その後二言三言会話をしたが、途中で会話は途切れ、晴美はそのまま帰っていった。沙耶はその背中を見送ると、再びテラスからの風景を眺望した。


昨日叫んだことは紛れもない本心だった。今まで隠れていたのか無意識に目を反らしていたのかわからないが、確かにずっと自分の中にあった感情なのだろう。だからこそ思い切りそれを吐露出来たことで、これほどまでにすっきりとしている。


だが一通り叫んで落ち着いた今だからこそ思えることもある。あの時は他人が悪いのだと怒りに身を任せたが、それらが全て他人のせいだったわけではないのだと今なら思える。

あれはあの現状に問題があるとどこかで思いながらも、他人と衝突したり交渉したりするのを避けて逃げてきた自分のせいでもあるのだ。


“私が苦しい、辛いと思っている時に本当に頑張らなきゃいけなかったのは、一人でどうにかできるようにってことじゃなくて、他の人とちゃんと話して、問題の根本的な解決を探すことだったんだ”


そうすることもせずにただ自分を押し殺して、いい人のふりをして、不満を身に溜めているだけだったのだ。不満があるならばその解決を、したいことがあるのならそう訴えて戦わなければいけなかったのだ。


この人生は自分の人生だ。たった一度きりの自分だけのものだ。その人生をただのいい子で生きても、やりたいことをやって生きても、同じだ。

自分の生きたいように生きるのは難しい。でもそれを難しいと諦めてしまえば何も好転することはない。結局自分の世界を変えるには自分が変わらなければならないのだ。それは元の世界だろうと、異なるこの世界だろうと変わらない。


“そういえば私、ゲームが好きだったんだよな”


ふと沙耶は思い出す。

思えばそれは画面の向こうに見える、見たことのない、行ったことのない世界を例え仮想だとしても体験出来るからだ。現実では外国どころか違う県にすら殆ど行くことのままならない自分が唯一行ける未知の世界がそこにはあったのだ。


ならば元の世界に帰れた際には旅行に行こう。

国内でも海外でも。留学だってやっぱり行きたい。

やりたかった思いに気付かぬふりをして、蓋をしていた気持ちが溢れる。溢れてしまえば、その気持ちはどんどんと浮かんでくる。


もう何もしないで諦めるのはやめだ。そして帰れた時には両親ときちんと話をするのだ。自分にはしたいことがあるのだと。例えぶつかるようなことがあったとしても、もうそれから逃げはしない。ぶつかれるということは生きているからこそ出来る特権なのだと気付くことが出来たのだから。


地平線に沈む夕日が空に燃える。沙耶はその火が湖へと消えるまでずっとそれを眺めていた。


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