69
「おら、解決しただろ。ならさっさと出てけ。申し訳ないと思うならこれ以上俺らの時間を取るな」
払い除けるかのようにルシファーが手を振る。咲希は口を尖らせると、踵を返した。
「わかったわよ! それじゃあね! あ、あれは返さなくていいから!」
言い逃げるような咲希の言葉に沙耶が首を傾げる中、亮介は最後にもう一度頭を下げてそしてゆっくりと扉を閉めていった。
「あれってなんのこと?」
「……これのことかな」
沙耶が呟くと圭吾が小さな箱を沙耶に見せた。それは解熱鎮痛薬の箱だった。
「え、それって……!」
「ふふふ、彼女本当に看病はしてくれてたんだよ。沙耶ちゃんが出てる時に食事とこれを持ってきてくれたんだ。彼氏さんがよく体調を崩すらしいから常に携帯していたんだって」
目を丸くする沙耶だったが、ふっと顔をほころばせた。
「あはは、ならこの補助番を代われてむしろラッキーだったんだね。今泉さんもそのこと言ってくれればいいのに、素直じゃないなあ」
「だね」
「ワン!」
笑い合う沙耶と圭吾の間に元気な鳴き声が響いた。混みいったやり取りが終わるのを待っていたかのように、ユキが沙耶の足元に駆け寄ってきたのだ。
「ユキ! お留守番ご苦労様でした」
「ワン!」
沙耶はユキを抱き上げる。ユキは嬉しそうに尾を振りながら、心配そうに沙耶の怪我を舐め始めた。その健気さに沙耶が感動していると、ユキがむんずと摘み上げられてしまった。
「さっきから気になってたが、なんだこのわんころは」
「ちょ、ルシファー! そんな持ち方しないの!」
「グルルル!」
指先でユキの首根っこを摘み上げ、顔の前に持ち上げるルシファー。ユキは歯を剥き出して威嚇し、唸り声を上げる。沙耶はルシファーからユキを取り上げようとするが、手が届かない。
「こいつ……白狼の幼体か? なんで地界なんぞに……ああ、はぐれ個体か? にしてもこいつのこの魔素は……」
必死になって腕を伸ばす沙耶を無視して、ルシファーは一人ぶつぶつと呟いている。ユキが吠えて噛みつこうと口を開けても全く動じる様子はない。
そうして暫くユキを睨みつけるように観察していたルシファーだったが、突然何かに気付くと表情を歪ませた。
「なっ! こいつこの魔素、てめ、沙耶! こいつに何をやった!?」
「はあ? 何って、えーっと普通に私たちの食べてるご飯とか、ああ、魔物のお肉食べたら懐いたんだよね」
「ああ、魔物の肉だあ!? いや、そうじゃねえ! それも気になるが、そんなんじゃなくて、お前こいつにお前の魔素を与えただろ!」
「何のこと……ああ、そういえば私の血を舐めたことがあったけど」
「それだ馬鹿!」
馬鹿と言われて腹を立てた沙耶が拳を振り上げるが、ルシファーはすかさずその沙耶の拳を掴んだ。沙耶の拳はルシファーの片手ですっぽりと覆われてしまう。
「お前の肉体には魔素が巡ってて、その肉体の一部でも与えたらそれは魔素を与えたってことになるんだよ! ましてや体液なんぞ一番手っ取り早い魔素の分け与え方だ」
「た、体液って……。まあいいじゃん、血くらい」
ルシファーの剣幕に少したじろぎながらも、沙耶は反論する。するとルシファーは掴んでいた沙耶の手を引っ張り上げた。片足が浮きそうになる姿勢に思わず沙耶は顔を顰める。
「いいわけあるか、この馬鹿! いいか、お前の魔素は俺だけのものだ。こんな犬っころになんぞやる分はこれっぽっちもないんだよ!」
「俺だけのものって……」
思わず俯く沙耶。後ろで見ていた圭吾が呆れたように立ち上がった。
「ちょっとー、僕もここにいるんだよ。ていうか何これ、僕は何を見せられてんのー」
「黙ってろ! おい沙耶、わかった――」
「うるせえっ!」
「ぐうっ!?」
沙耶を片手で持ち上げていたルシファーの鳩尾に、沙耶が思い切り蹴りを入れた。
ルシファーのくぐもった呻き声が漏れ、片膝をつく。沙耶はさっと着地するとルシファーが掴んでいたユキを奪い取った。
「――言ったよね、私の主は私だって。私のもんは私が好きにしていいんだよ」
しゃがみ込むルシファーを見下ろし凄む沙耶。そして痛みと驚きで顔を歪ませているルシファーの顎に手を添えて持ち上げ、顔を近付けた。
「ユキもあんたも私のものなの。――文句ある?」
そう言い放った沙耶にルシファーが硬直する。ユキでさえ沙耶に抱えられたまま固まっている。その様子を見て沙耶がふんと鼻を鳴らしてルシファーから手を離した。それでもルシファーは暫くその場から動くことができなかった。
その一連の流れを唖然と見ていた圭吾だったが、近付いてきた沙耶に咄嗟に居住まいを正した。
「さ、沙耶ちゃん……」
「騒いじゃってごめんね。圭ちゃん、寝てなくて大丈夫?」
「あ、うん! まだ体がだるいからもうちょっと休む必要があるかなって感じだけど、だいぶ良くなってきたよ」
圭吾に話しかけてきた沙耶の様子はすっかりいつも通りだった。沙耶はユキをそっと床に降ろした。
「圭ちゃん、何か食べたいものある? 私何か取ってくるよ」
「そうだねえ。というより僕より沙耶ちゃんのほうが食べる必要あるんだからね。滋養のあるものを食べるんだよ」
「うっ、わかってるよ。じゃあ行ってくるね」
苦笑いを浮かべる沙耶は扉に手を掛けた。するとはっとしたように正気を取り戻したルシファーが立ち上がった。それに遅れまいとユキも飛び跳ねる。
「あ、おい沙耶! 何ださっきのは!? というか一人で動くな!」
「あーもーうるさいなー。ほら行くよ」
圭吾の笑い声に背中を押されて、二人と一匹は部屋を後にした。
そしてウケから味気ない食事を交換してそれを無理矢理腹の中に納めると、そのまま皆すとんと眠ってしまったのだった。




