67
「阿部っ……! ごめん、もう」
息を荒らげる渥美が、がくりと膝をついた。すると魔物たちを拘束していたカゲがさあっと姿を消した。
「渥美! くそ、まずい!」
煩わしい拘束がやっと外れたことで、魔物たちは歓喜の雄叫びを上げた。そして先程から何度も何度も自分の周囲を跳ね回る目障りな生き物に狙いをつけた。大きな口をあけて突進する。
「レオ!」
阿部の叫びが響く。レオは硬直して動けない。
その時阿部の真横に光が走った。掠めた髪先がちりっと焦げ落ちたと思うと、飛んできた二筋の光に魔物たちは貫かれていた。魔物たちはびくりと動きを止めると、そのまま力を無くして倒れ込み、そのまま消えてしまった。
「は……? なんだ、今の」
阿部は呆然と魔物から転がり落ちた魔結晶を見つめていた。渥美も息を整えながら顔を上げる。
「ほう、まだ元気そうだな」
突然背後から聞こえた声に、阿部ははっとして振り返った。
「なっ……!?」
瞠目する阿部の目に映ったのは、黒い翼を広げる見知らぬ長身の男と、その男の腕の中から地面に飛び降りた補助番の女だった。
「あの魔物にその攻撃はオーバーだったんじゃないの。こうして立っていられるから良かったものの、また倒れたらどうしてくれんのよ」
明らかに浮世離れした男に悪態をつく女。
“確か藤原、とか言ったか……。なんでこいつがここに。つーか誰だこのコスプレ男。なんで羽なんかつけてんだ”
阿部の怪訝そうな目に気付いたのか、沙耶が慌ててルシファーを引っ張った。
「横からすいません。彼はルシファー、私の隷獣です。お二人だけでも魔物は倒せそうかなとも思ったんですが、僭越ながら手を出させていただきました」
沙耶の言葉に目を瞬かせる阿部。思わず言葉を失ってしまっていたが、はっとして沙耶に詰め寄った。
「はあ? これが隷獣だと!? それにあんた隷獣いないんじゃねえのかよ!」
「――おい、小僧」
沙耶へと近付く阿部の前に、ルシファーが割って入った。冷淡な瞳で阿部を見下ろす。
「こいつに近付くな。あの程度瞬殺出来ねえ雑魚が、何を偉ぶって喋ってやがる」
ルシファーの言葉にかっと頭に血を昇らせた阿部だったが、ルシファーの威圧的な雰囲気に足をすくませてしまった。
沙耶はそんな二人の様子を横目に見ながら、意に介することなく落ちた魔結晶を拾いに行った。そしてそれをへたり込んでいる渥美に手渡した。渥美は呆然とした表情のままそれを受け取り、視線を自分の手の平に転がる魔結晶へと落とした。
「……大きい。私、これを受け取れない。倒したのはあなた達でしょう」
渥美は視線を魔結晶から沙耶へと移して見上げる。沙耶は既に歩き出そうとしていた足を止め、少し考え込むような仕草をとると、渥美に答えた。
「私は最後にしゃしゃり出ただけなので、私のものじゃないです。受け取れないなら三人でどうするか考えて。あなた達も疲労困憊って感じだし、狩りは終わりってことでいいですか。……ああ、あっちにも魔結晶はまだ落ちてるから」
そう言って沙耶は視線を晴美のいるほうへと向けた。渥美は「ああ」と言って苦笑いを浮かべた。
「……そっちにも魔物が行ったんだ。その怪我、あの人はやっぱり役に立たなかったんでしょ」
「まあ、どうだろ。でも魔物は一匹倒していましたよ」
「えっ」
渥美は胸を突かれたように息を呑んだ。
「あの人の隷獣、硬いし攻撃は強いし、でも確かに動きは遅い。……難しいけど、ちょっともったいないですよね」
沙耶はそう言い残すと、ルシファーのほうへと歩き去ってしまった。
渥美は座り込んだまま、沙耶の言葉を頭の中で反芻していた。
空はすっかり晴れ渡っていた。空の片隅には追いやられたような黒い雲が今も押し流されている。その眩しい太陽の光に目を細めながら、沙耶はルシファーに声をかけた。
「ルシファー、もう帰ろう。圭ちゃんが心配だ」
「そういやあいつはどこ行った。そもそも何で沙耶がこんなとこで魔物と戦ってやがる。その傷は何だ」
「うるさいなぁ、いなかったあんたが悪いんでしょう。後で説明してあげるから、とりあえず、ん」
疲れ切った顔の沙耶がそう言ってルシファーに両手を伸ばした。ルシファーは僅かに目を丸めたが、くっくっくっと喉の奥を鳴らした。
「ああ、いいぜ。ご主人様」
そう言うなりルシファーは沙耶を抱き上げ、翼を羽ばたかせた。
阿部から驚いたような呻き声が聞こえた。ルシファーは阿部たちを顧みることなく飛び上がり、あっという間に空へと消えていった。




