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「すっ、すみません! 遅くなりましたぁ」
息も絶え絶えに走ってきたのは、四十代くらいの女性だった。
ここに来たということは、彼女も狩りを行う隷獣持ちなのだろうが、その服は唯物界のものに見える。むしろ他の人よりも痛みが酷くすら見えた。背は沙耶より大きいくらいだろうが、若干の猫背のせいで実際よりも小さく見えた。黒い髪は頭の下辺りで一つに縛られているが、櫛で梳かされていないのか縛っているにも関わらずあちこちに髪の毛が飛び出ていた。
「今日は補助番の人が他所の人だって聞いたから迎えに行ったんだけど、先に来てたのね」
「えっ、私待ってるべきでした!?」
女性の言葉に目を丸くする沙耶。あの場で待つようにとは確か聞いていなかったはずだ。むしろここに時間通りに行くよう言われていた。
慌てる沙耶を見て、女性が困ったように笑った。
「ああ、違うのよー。私が勝手に必要かなと思って迎えに行っただけだから」
沙耶はどう反応していいか分からなかった。
彼女はきっと急遽余所者でありながら補助番をすることになった者を気遣ってそうしたのだろう。だがあの要領のいい咲希が、沙耶には直接部屋に向かうよう言ってあることを狩りに行く者たちに伝えていないはずがない。
“まさかあの人が伝え忘れのミス……?”
すると二人のほうから溜め息が聞こえた。わざと聞かせるような大きな溜め息だった。
「はあ。……本当に人の話まともに聞けないんすね。もういいですよ、時間もったいないし、さっさと行きましょう」
「徳田さんはいつも通りでいいので。そのこと、この人にも伝えておいてください。それぐらいはできますよね」
呆れ返るような口調でそう言い残して、二人はさっさと外へと向かって歩きだした。
徳田と呼ばれた女性は、年下であろう若者二人の口さがない言葉に声を落とした。沙耶は不穏な空気を感じながら、黙ったまま歩きだした二人の後についていった。
拠点である旅館を出ると、空は変わらず重たい雲に覆われていた。そのためか、まだ正午前だというのに辺りは日が落ちたかのように暗かった。冷たい風が一面に生い茂る草を撫でては吹き抜けていく。
「じゃ、そういうことで」
道中後ろを歩く沙耶に一切声を掛けることなく、二人は一言だけ言い残してそのまま歩き去ってしまった。
“え、ええ……。どういうこと?”
沙耶はただ呆然と立ち尽くして、遠ざかる二人の背を見送った。すると横から間延びした声がした。
「改めてよろしくね。いきなり補助番だなんてびっくりよねぇ」
「あの、えっと……」
「ああ、自己紹介も出来てなかったわねぇ。私は徳田晴美。さっきの男の子が阿部くんで、女の子が渥美ちゃんよ。まだ高校生らしいのにしっかりしてるわよねぇ」
晴美は感心しているような、困ったような顔で笑みを浮かべた。
「はあ……。あ、私は藤原沙耶っていいます」
「藤原ちゃんね。私、昨日他所から旅してる人が来たって聞いて、一度お話してみたかったのよ。だから今日あなたが補助番になってくれて嬉しいわ」
両手を合わせて笑顔を向ける晴美。沙耶は困惑の表情を浮かべたまま、晴美に尋ねた。
「あの私補助番って言われてたんですけど、彼らと一緒に行動するのではないのですか?」
見れば阿部たちの背中はすでにかなり小さくなっている。とても一緒に行動するという距離の開き方ではない。晴美の眉がハの字に下がった。
「ごめんなさいね、混乱させちゃったわよねぇ。私が悪いのよ」
そうして晴美からとりとめもなく語られた内容を要約すると、こういった事だった。
本来狩りは三人の契約者と一人の補助番で行くことになる。だが都度交代制で変わる補助番と違い、契約者の組分けは固定だ。そのため阿部、渥美そして晴美はもう何度も共に狩り出ている。
しかしその狩りの中で晴美は足手まといであるという評価を下されてしまったらしい。
その理由について晴美はただ「自分が悪いのだ」としか答えない。彼女自身具体的な理由はわかっていないのかもしれない。
また阿部らは「二人だけのほうが効率がいい」と言って補助番の随伴も拒否しているという。
そして今に至るのだ。
「だから私のすることは補助番の人に怪我させないように二人から離れたとこで待機してることなのよぉ」
申し訳なさそうに笑う晴美。
沙耶は鉄パイプを持つ手を緩め、力を抜いた。
“ええ……ならわざわざ私が代わる必要なかったんじゃない? 確かにただ外に立ってるだけでも魔物と遭遇する可能性もなくはないけど、ならむしろ補助番をつけるほうがリスクでしょ”
怪訝な表情をする沙耶を見て不安にさせたと思ったのか、晴美が慌てて言葉を足した。
「そうよね、こんなおばちゃんとじゃ不安よね。でも私も一応隷獣は出せるから」
そう言うと晴美は指輪の嵌まった左手を掲げた。指輪が光ったと思うと、二人の目の前に晴美の隷獣が現れた。
「でっ……か!」
沙耶が驚嘆の声を上げた。
それは体長三メートルはあろうかと思われる、岩でできた人形だった。人形とはいっても様々な大きさの岩を繋ぎあわせて人の形を模したようなものだ。頭の位置にある岩には目と口のように見える溝が彫り込まれ、腕や足はいくつかの岩がくっつき、関節のようになっているが、その接合はこれで何故くっついているのかと思えるほど不格好だ。
まるで幼稚園児が工作で作ったものがそのまま巨大化したかのような見映えだった。
その完全に無機物めいた隷獣は、突然自身の岩でできた腕を動かし、胴体にあたる部位の岩を叩いた。その動きは「任せて」とでも言わんとしているかのようであった。
その岩と岩とがぶつかった大きな音にも、想像よりも早く滑らかに動くことにも、そもそも岩の人形が動いたことにすらも沙耶は驚愕し、唖然としたまま固まってしまった。
「イワちゃんって呼んでるのよ。動くのが遅いから他の人たちの隷獣に合わせるとかは難しいんだけど、壁にはなってくれるから、安心してね」
そう語る晴美は少し悲しげな顔をして岩で出来た己の隷獣を見上げた。イワの大きな影が晴美に覆い被さっていた。
「私ってば鈍くさくて、頭も良くないから阿部くんたちと一緒に戦おうとするとむしろ邪魔をしてしまうみたい。……二人は凄いのよ、コンビネーションも良くってぱぱっと魔物を倒しちゃうの」
努めて明るく話そうとする晴美の笑顔はぎこちないものだった。




