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「……その言い分は無理がないですか」
咲希の口調は変わらない。だが沙耶はその顔を見ることが出来なかった。
「ちょっと外に出れば魔物と出くわすようなこんな世界を旅しといて隷獣なし? お友達がすっごい強いんですかね? だとしたら何でそんな強いお友達がわざわざ何も出来ない人なんか連れてるんです? それに魔結晶はあるって言ってたじゃないですか。あれはつまりそのお友達のってことですか?」
「っ……! 隷獣はいます! でも、何故か今呼び出せなくなっちゃったんです。ここに来るまで圭……友人にとても助けてもらっているのは本当ですけど、一応自分でも戦って自衛してました」
「戦う? 自分で?」
「魔物は隷獣だけじゃなく人が戦っても倒せるんです。私は道中鉄パイプを使って魔物を倒して――」
思わずそこまで言った後、はっとして沙耶は言葉を切った。
咲希は目を丸くしている。魔物と隷獣なしで戦う人間など聞いたことなどないだろう。だが咲希はそのことに対して真偽は尋ねてこなかった。
今、彼女にとって重要なことは沙耶の発言が真実かどうかではない。
「よくわかんないですけど……じゃあ、つまり戦えるってことですよね! ならやっぱり私より藤原さんのが向いてるじゃないですかー」
「なっ……!?」
咲希の言葉に沙耶は絶句する。
そんな沙耶の様子を意に介することなく、咲希は偉大な発明をひらめいたかのように、得意げにうんうんと何度も頷いている。
「適材適所ってやつですよ。藤原さん、隷獣なしでも戦えるなんてほんっと頼りになりますよねー。ちょー有能って感じ!」
にこにこと手を合わせて笑いかけてくる咲希に、狼狽する沙耶が慌てて手を振る。
「え、いや、そうでなく! 確かに戦ってるとは言いましたけど……その、何で私が今泉さんの代わりに、補助番、でしたっけ、それをやることになるんですか!? 私関係ないですよね?」
「ええー藤原さんつめたーい。だって私魔物なんて殆ど見たことないんですよー。私が行っても絶対役に立てないし、足引っ張っちゃうかもー。そんな人が行くより、実戦慣れしてる人が行ったほうがよくないですか?」
“知らないよ!”
思わず心の中で叫んでいた。
“補助番どうこうは、ここの拠点内の事情でしょ。そっちでどうにかしてよ。私たちは余所者なんでしょ”
沙耶の心中が顔に出ていたのか、咲希は沙耶が何か言う前に言葉を被せてきた。
「今までだって頼み事何でもやってくれたのに、何でこれは断るんですか? それに私知ってますよー。好きなんですよね、人の頼み事聞くの」
ロビーの割れた窓から冷たい風が吹き込んでくる。この背中を登ってくる寒気は外気によるものなのかどうか、沙耶にはわかりかねた。
沙耶はただ唖然としていた。
「私の仕事を回せば回しただけ藤原さんの評判上がってましたもん。私は別に会社での評判とかどうでもよかったけど、藤原さんはそういうの気にしてたみたいですから、よかったですよね。私は難しい仕事しなくていいし、藤原さんは自分の評判を上げられるし、あ、これが所謂ウィンウィンってやつじゃないですか? 今回もそれでいきましょーよ!」
すぐにでも肩が触れそうなほど近くに座っているこの人との間には、断崖の渓谷でもあるんじゃないのかと思えるほどに、沙耶は意思の隔絶を感じていた。一体どう話せばこちらの意を汲んでくれるのか、脳内で言葉が飛び交った。
だが結局敢闘の心を放棄した。
「……もういいです。いいですけど、私は友人の体調がよくなるまでは離れられません」
言葉を尽くす気も起きなかった。沙耶は自分の無力感に疲れていた。
「いいの!? やったあ、藤原さんやっぱり良い人―、頼りになります! ああ、看病なら私得意なんで! 彼氏病気になると毎回私が見に行ってあげてるんですよ! もう超得意! ほら適材適所!」
喜色満面に立ち上がった咲希は再び忙しなく動き出した。
その後口早に補助番についての事やどこへ向かえばいいのかを説明し切ると「じゃ、交代するって言ってきまーす」と言い残して去っていった。見事に要点がまとめられた説明だった。
“断られるなんて思ってもなかったんだろうな”
その相変わらずともいえる要領の良さにどこか感心しながら、力なくその背中を見送った。
そこから話が進むのは早かった。
咲希の補助番は本日の午後だったらしい。
それまではと圭吾の眠る部屋に戻ったのだが、それから程なくしてそこに大きな鞄を下げた咲希が再び現れた。交代する旨、本日の狩りの面々に伝え終わり、早速看病にきたらしい。持っていた鞄の中にはタオルや毛布などが入っていた。
そして、顔合わせの必要があるらしく沙耶は早々に集合場所へ向かうよう、部屋を追い出されてしまった。
“看病自体は一応してくれるみたいだし、しょうがないけど行くか”
沙耶は食い下がるユキを部屋に押し留め、重い足取りで咲希に指定された場所へ向かった。
向かったのはロビー脇にある小部屋だった。元は売店だったと思われ、いくつか背の低い棚が部屋の隅に乱暴に押しやられている。
その部屋に二つ人影が見えた。
近付いてみると、高校生くらいの少年と少女が机の上に腰かけている。二人とも幻視界の服だろう、綺麗で凝った服を着ている。その服や整った身なりを見るに、今朝配給に並んでいた人々と比べると、二人の生活には余裕があるように見えた。二人は長身でその上高圧的な空気を纏い、どこか近寄りがたさがあった。
二人は沙耶に気が付くとちらりと一瞥するが、すぐに視線を戻した。
「あの……今泉さんに言われて来ました。補助番だと」
躊躇いがちに声を掛ける沙耶。二人は気怠そうに顔を上げると、不躾に沙耶を足の先から頭まで眺め、そして呟いた。
「あれ、タメ?」
「さあ。ていうか本当に鉄パイプなんか持ってるんだけど」
二人の目と言葉はまるで壁に掛けられた絵画を見ているかのようだった。視線は合わず、漏れ出た言葉は沙耶に向けたものではなかった。彼らは沙耶と話す気などないのだろう。
その拒絶にも似た対応に、思わず竦む沙耶。
すると背後からバタバタとした足音と、荒い呼吸が聞こえてきた。




