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となりの世界の放浪者たち  作者: 空閑 睡人
第六章:放浪
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「圭ちゃん、さっきからすごくいい匂いがするんだけど、それはもしや……?」


一通りユキとじゃれつき終わった沙耶が、小さく腹の音を鳴らしながら圭吾の元へ歩み寄ってきた。圭吾は「ああ」と思い出したように振り返り、火にかけっぱなしにしていた鍋の蓋を開けた。


「ほら、ちょっと凝ったもの作ってみたんだ。ここじゃあ料理という料理がひっどい味だからどうかなって思ったんだけど、ほら、とりあえず匂いは上等でしょ!」

「うわああ! 見た目も上等だよ!」


蓋を開けた鍋の中を覗き見る二人。

鍋にはくつくつと煮立ったスープが入っていた。スープは澄んだ黄金色をしていて、その中には柔らかくなったご飯が煮られている。そしてこんがりと炙られた肉がこれでもかと贅沢に入っていて、薬味のように塩漬けの野菜が細かく刻まれて散らされていた。


「さっきの鳥の魔物の骨から出汁をとって、その出汁でご飯とお肉と煮て、持ってた調味料で味を整えてみたんだ。鶏雑炊って感じだね」

「前にへとへとで意識が朦朧としてたからか間違えてウケから雑炊を交換しちゃったことあるんだけど、あれはなかなかに酷かった……。でもでも、その最悪な記憶をこの見た目と匂いだけで上書きしてしまえそう!」

「ふははは、沙耶ちゃんやっちゃってるね。じゃあその最悪な記憶の更新にはたぶんならないはずだよ。ほら、食べてみて」


くすくすと圭吾が笑って、その鍋から椀に雑炊をよそった。鍋にお玉が入ると、ふわりとさらに優しく美味しそうな香りが広がった。沙耶には圭吾が椀によそうその動きすら遅く見えるほどに、待ち遠しくそれを待った。

そして椀を受け取ると、スプーンで大きくすくい上げる。湯気をたてる雑炊に何度か息を吹きかけるが、冷めるのを待つことも出来ずに口の中に放り込んでしまった。まだ熱かったのだろう、ほふっと息を吐いた。


「――っ!」


それを食べた瞬間、沙耶の目が丸く見開かれた。


「お、おいじいっ!」


そう感嘆の声をあげるも、言葉尻は感動で震えてしまった。


それは完全にウケから得る料理とは別物だった。

味わい深く、優しい旨味の出汁に、ほろりと口の中で身がほぐれる柔らかな、それでいて炙られてパリッと香ばしい鳥肉。柔らかだがそれでも粒をしっかりと感じるご飯には出汁がしっかりと染み込んでいて、まるで出汁そのものを食べているかのよう。そして刻んだ塩漬けの野菜が全体の味をまとめ上げる。


そう、これは完全に料理だった。

あのウケから提供される、全部の味が全く混じり合わない、ただの味覚の暴力といった代物ではない。全ての味が美しく調和していた。それはもはや懐かしさすら感じるほどに、久しく食べることのなかった味だった。


沙耶はその後、何も言うことなく夢中でそれを食べ続け、あっという間に椀を空にした。そして空になった椀をじっと見つめて感じ入るように長い溜め息をついた。


「こんなに美味しいの、初めて食べたんじゃないかってくらいに美味しかった。ご飯食べてここまで感動したの初めてかもしれない……」


自分の身に起こった出来事が信じられないかのように、呆然とする沙耶。圭吾が照れくさそうに沙耶の椀に雑炊を継ぎ足した。「ありがとう」と言うなりそれを無我夢中で頬張る沙耶を見て圭吾が笑った。


「よかった。やっとちゃんとご飯を食べさせることができたよ」

「ふ?」


口いっぱいに頬張った雑炊を食べながら、沙耶が首を傾げた。


「実はね、沙耶ちゃんを大学から連れ出す時に花菜ちゃんたちに頼まれてたんだよ、沙耶ちゃん全然ご飯食べないから、ちゃんと食べさせてやってくれって」

「うぅえ?」


圭吾の言葉に驚いて、変な鳴き声が漏れ出す。圭吾が続ける。


「移動中は確かに簡単なものしか食べられないけど、全く苦にする様子もないし、僕が言い出さなきゃご飯のこと思い出しもしないし。僕も大学にいたとき沙耶ちゃんがまともに食べてるの見たことないからね」

「え、ええ? そうかなぁ。あ、でもほら、ウケのご飯はちゃんとマズイって思ったし、この雑炊はちゃんと美味しいって思ったよ!」

「うんうん。言い訳になってないね。味覚どうこうでなく、食事への無頓着さが問題なんだからね。沙耶ちゃんにちゃんとした食生活の習慣をつけさせるのも僕の目標のひとつなんだから!」

「ええー」


持っていたお玉を沙耶に向けて胸を張る圭吾。沙耶はたじたじとして箸を咥えた。


その間、ユキには解体時に出たうまく身が分けられなかった骨付きの肉を与えた。ユキもまたそれを美味しそうに食べていた。

こうして二人と一匹は心ゆくまで食事を楽しんだ。その後、残った肉の処理などで結局その場で一晩明かすこととなったのだった。



以降、移動を続けながらも沙耶と圭吾の専らの目標は、魔物を消滅させずに倒すことになった。そしてそれは急務でもあった。

鳥の魔物の肉は初日でかなりの量を食べ、残った肉は加工して保存食にした。だが加工の専門知識なく作ったものでは長期間もたせることは難しい。やはり定期的に新鮮な肉を得る必要があった。


だが二人には、なぜあの時だけ魔物の肉体が消滅しなかったのかが全くわからなかった。先日の鳥の魔物が特殊な個体なのかと、同じ魔物を探しては何度も倒したが、どれも全て消えてしまった。


ならば沙耶が倒したことに起因するのかとも考えたが、あれ以降も沙耶は鉄パイプを使って同じように何体も魔物を倒しているにも関わらず、どれも魔物の肉体が残ることはなかった。


完全に手詰まりだった。


人間、一度味をしめてしまうと悪い方にはなかなか戻れなくなるものである。あれだけ美味しいものを食べてしまうと、もうウケから交換したものは食べられない。

これまではそれしかないと思っていたので我慢もできていたのだが、魔物の肉の旨さを知ってしまえば、もうあの食事には戻れなかった。

すぐに元に戻ってしまった食事に、沙耶の無頓着さは加速し、圭吾すら憂鬱そうになっていった。それはユキも同じようで、当初こそ元気に二人の周りを飛び跳ねながらついて回っていたが、最近では沙耶の腕に抱かれて移動することが多くなっていた。


二人と一匹はどこか閉塞感を覚えつつ、それでも旅を続けていた。


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