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となりの世界の放浪者たち  作者: 空閑 睡人
第六章:放浪
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53

沙耶はひゅっと息を止め、そして空気の抜けたようにその息を吐いた。


「い、犬……?」


茂みから転がり出てきたのは少し黒ずんだような灰色の毛並みをした、両の手の平に載ってしまいそうなほど小さな子犬だったのだ。

子犬は沙耶を認めると、ううっと唸り声を上げるが、飛びかかってはこなそうだ。小さな牙を剥き出して沙耶を見上げているが、それは「いつ噛みついてやろうか」といった攻撃的なものではなく、「近付いてくるな」といった警戒心によるものに見えた。


“犬、って思ったけど、これも魔物なんだよね? 動物って幻視界では見たことないし。魔物なら早く倒さなきゃなんだけど、けど……!”


沙耶はぐっと歯を食いしばって、その子犬に見える魔物を見下ろした。


“で、できない! いくら魔物っていってもこんな子犬みたいなの殴り殺すなんてできない! ああ、見た目で命を選択するなんて……なんて嫌な人間なんだ、私は”


じりっと僅かに後ずさると、その音に驚いたのか、魔物がびくりと体を震わせた。


“ああー! やっぱり出来ない! あれだけ他の魔物を散々殺しておいて今更って感じなんだけど! それでも……っ!”


沙耶は葛藤するように頭を抱える。せめてこうしている間にもこの魔物がどこかに行ってくれればとも思ったが、沙耶を睨みつけるだけで動こうとしない。


“そもそもこのわんこ、なんで出てきたんだ。私に襲いかかってくるでもなしに……。あ、焼き鳥の匂いか?”


ちらりと後ろを振り返る沙耶。奥では圭吾が鍋を持って焚き火の周りをうろうろとしているが、手前には解体のあらかた終わった鳥の魔物が転がっている。先程の鳥を焼いた匂いはもう辺りに残ってはいないと思ったが、もしかしたら犬の嗅覚ではまだ漂っているのかもしれない。

見れば子犬の魔物は毛艶も悪く、小さく痩せ細っているようにも見える。

それに沙耶が視線を外したというのに、襲いかかるでもなく逃げるでもなくその場に立ち続けている。


うっと、苦しげな表情をすると、沙耶は何度も背後を振り返りながら解体時に出た骨や内臓の残骸の山に近付いた。そして身がなるべく多くついた骨をひとつ拾うと、再び犬の魔物の近くへ歩み寄った。犬の魔物の視線は完全にその骨に釘付けになっている。


“ああー、やっぱりそういうこと? 確か野生動物には食べ物与えちゃ駄目なんだっけ? あれ、でもこれ魔物だから野生動物って括りにはならない? いや、でも、うーん”


沙耶は骨を持ったまま、魔物を見つめてぐるぐると考え込んでいた。犬の魔物は身動きしない。


“ああ、もう! すまん、色んなもの! でもやっぱり私にこの魔物は殺せない!”


そう心の中で弁明するように叫ぶと、思い切り骨を遠くへ放り投げた。骨は放物線を描き、木々の間を通り抜けて、森の奥へと飛んでいった。

その軌道を見ていた犬の魔物は踵を返すとそちらの方へ飛ぶように走っていった。


“頼む、もう来ないでくれ!”


沙耶は祈るような気持ちで魔物が走り去った方角を見つめた。


沙耶の心境は無力感と自己嫌悪とでぐちゃぐちゃだった。


それから沙耶は、犬の魔物が走っていった方向とは逆方向の森の中へ入っていった。

最初は森の中を歩くのすら覚束なかった沙耶だったが、圭吾と行動をともにするようになり、随分と足取りがしっかりとしてきた。また、圭吾に色々と教わったこともあり、枝を拾いながら茸や野草を探す術も少しずつ身につけてきていた。

まだ沙耶にはどの茸や野草が食用になるかといったことまでは見分けられないが、そこはアイリスに頼めばいい。とにかく何度もいいから拾っておけばその内のどれかは食べられるものが入っているものだ。


この時も沙耶は枝を拾いつつ、いくつか茸を摘んでいた。枝は片腕で抱えられるだけ拾い、茸は腰につけた小さな袋の中へ入れた。


ある程度枝も拾えたので圭吾の元へ戻ろうとした時、ふと先の木の下に生えている野草に気がついた。それはこの旅路の最中何度も摘んだことのある、食べられる野草だった。青菜のような柔らかな食感に、癖のない味で、野菜がなかなか取れない旅の食事では重宝するのだ。


沙耶はその野草を摘もうと、鉄パイプを一旦脇に挟み、枝を持っていない片手でナイフを取り出した。


“あれ持って帰ったら圭ちゃん、喜んでくれるかな。役に立てるかも!”


そう喜び勇んでナイフを握り直そうとした時、思わず手を滑らせてナイフを地面に落としてしまった。


「ああ、もう」


苛立つように口を尖らせてしゃがみ込んでナイフを取ろうとする。すると抱えていた枝が数本、腕から転がり落ちてしまった。

そしてそれに気を取られたからか、拾おうとしたナイフで指を小さく切ってしまった。


「っつ!」


ぴりっと焼け付くような痛みが走ると、指の腹からぷっくりと赤い玉が膨らんでくる。やってしまったと沙耶は顔をしかめた。


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