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「ああ、また鳴ってんな」
どこか気の抜けた声だった。
夕空に何度も鐘を打ち鳴らす音が鳴り響いているが、空を流れる雲のように学内の空気はゆったりとしている。窓の外を見ると、校舎と校舎の隙間から蠢く大きな黒い影のようなものが見えるが、もしかするとあれが今回の警鐘の正体なのかもしれない。その大きさは、ここからでも姿が確認できるのだから相当な大きさなのだろう。
きっと今回も大きな魔結晶が手に入る。
「優! 今回もまた何もしないつもりか!?」
活也が強く机を叩き、優は気怠げにそちらへ視線を向けた。椅子に深く腰掛けている優は、仁王立つ活也を見上げる。
ここは戦闘クラスの控室。以前は事務や担当割などを行う事務担当の者だけが詰めている場所だったが、最近では多くの戦闘クラスの者がここに入り浸っている。活也が来たことで、今は皆違う部屋に移動しているが、部屋の隅には昨晩飲んだ酒の瓶が数本転がっていた。
「聞いているのか、優!」
「んな大声出さなくたって、聞いてるっつうの。何か問題あるか、必要な魔結晶数は十分すぎるほど出してんだろ」
「藤原さん一人でな! 聞けば最近では見張りの仕事すら同じ者に任せきりで、殆どの戦闘クラスの者は学外に出てすらないそうじゃないか」
詰め寄る活也に、優が小さく舌打ちをした。以前から会う度に何度か言われていたが、今回は長くなりそうだ。それにこうなった活也には、のらりくらりと言い訳をするのは逆効果だとわかっていた。
優は溜め息をつくと、頬杖をついて活也を睨めつけた。
「それの何が問題よ。必要とされてる仕事はこなしてる。誰がどうやろうが、生み出される結果は同じだ」
「彼女一人に負担が偏りすぎているだろうと言っているんだ!」
「でけえ魔物が出た際に、沙耶ちゃんにお願いするってのは活也だって同意したじゃん。何を今更」
「彼女一人だけにやらせるとは同意していない!」
声量の大きくなる活也に、優は面倒くさそうに頭をかいた。これは本当に引き下がらないな、と顔をしかめる。
優は少し逡巡するように、「あー」と間延びした声を出し、そして俯き、活也から目を逸らした。
「……お前は戦わないじゃねえか」
優の言葉に、活也が息を呑むのを感じた。自分の今言った言葉で活也がどう思うかわからないわけがない。
だが言わざるをえなかった。
外で鳴り続ける鐘の音が耳に煩い。ぐっと眉間を寄せ、苦虫を噛み潰した表情をして続ける。
「あんなでけえ化物と実際に戦うのは戦闘クラスの奴らだ。そして俺はそいつらをまとめて、守る立場だ。俺に、あいつらを命の危険に晒せっていうのか。普通の奴はあんなのとは戦えない。それは実際に何度も魔物と戦ったことがある俺ら自身が一番わかってんだよ。……戦ったことがない奴にはわかんねえだろうな」
自分の言葉に吐き気がする。
こんなこと言いたくはなかった。
だが真実だ。
「――っだが、何か援護射撃のようなものを行うなどすれば――」
「無意味だ」
絞り出すように言いかけた活也に優が言葉を被せた。
するとちょうど外から雷鳴が轟いた。見れば校舎の向こうに見えていた巨大な影は跡形もなく消え去っている。
「見ろ、一撃だ。一撃で倒せる奴にちまちま俺らなんぞが大して効いてもいない攻撃を命懸けでする必要がどこにある」
優は活也へと視線を向けた。活也は苦渋の表情をしているが、口を開きかけたところで優が先に言葉を遮る。
「それにだ。戦闘クラス全員で死にもの狂いで集めた魔結晶より、あの魔物一匹分の魔結晶のが価値がある。なら俺たちが毎日魔物と必死になって戦う必要がどこにある」
苦々しげに優が続ける。
「あんな巨大な魔物とじゃなくても、そこらの魔物と戦うのだって十分……怖えんだよ」
優の小さくなったその声は、活也には何よりも耳に痛い、叫声のように聞こえた。そうしてお互いにもう何も言えなくなってしまった。ただ気まずい静寂だけが二人に重くのしかかっていた。
その時だった。
その沈黙を引き裂くように、またしても早鐘が打ち鳴らされた。
「……は?」
聞こえるはずのない音に、思わず優が立ち上がって窓に食らいついた。活也もそれに続く。二人で外を見回すが何も見えない。
しかし鐘の音は止む気配がない。窓の外から見える広場も、にわかにざわつき始めていた。
「っどういうことだ。まさか、二体目……?」
窓枠を握りしめる優の手が震える。
まさか、そんな。
頭の中が真っ白になって、同じ言葉がぐるぐると行き交い、思考が上手く回らない。
そんな優の肩を活也が掴んだ。
「優! まずは状況確認だ。他の戦闘クラスの者を連れて出ろ。俺は避難指示を始める!」
「あ、ああ!」
活也の声ではっと意識を戻した優が頷き、部屋の外へ駆け出した。近くの部屋に集まっていた他の戦闘クラスの者たちに声を掛けるが、皆動揺して足を動かさない。互いに顔を見合わせて、おろおろとその場に立ち尽くしている。優が追い出すように発破をかけると、ぽつりぽつりと部屋から出ていった。全員外に向かわせたのを確認して優も走り出す。
“確か沙耶ちゃんは一度デカい攻撃をすると気絶するか暫く身動きすら取れなくなるって言ってたな。てことは、今は動けねえ、と……。はあ? 無理だろ、ふざけんなよ!”
顔をしかめ、頭を振って髪を振り乱しながら「くそ! くそ!」と吐き散らしながら走る優。すれ違う他の人たちを手荒く押しのけ、転がり出るように警鐘のある見張り台を兼ねた屋上に出た。
屋上はコンクリート剥き出しの床にいくつかベンチがあるだけの場所だ。唯物界に大学があった時も殆どの学生が使うことはなかった。
そこに今はウケから交換した大きな鐘がある。簡単な木組みに一抱えもあるような大きさの鐘がぶら下がっていて、傍に置かれているT字の形をした撞木でもって鐘を鳴らす仕組みだ。
その鐘を戦闘クラスの一人が狂ったように叩き鳴らしていた。優はその人物のもとに駆け寄る。
「おい、どういうことだ。さっきデカいのは倒したんじゃなかったのか!」
鐘を鳴らす男の肩をぐっと掴んで振り向かせると、その男は今にも泣き出しそうな顔で震える指を差した。
その指先に視線を向けると、優がびくりと体を硬直させた。
「くそ、マジかよ……!」
その視線の先には、大学へ向かって木々をなぎ倒しながら近付いてくるレントの姿があった。
鐘を鳴らし続けながら、男が優の腕を掴んだ。その声は聞き取りづらい程に震えている。
「な、なあ! さっきトロールが出たばっかなんだ。雷が落ちて消えるとこまで見てたんだ。あれ、あの一年の隷獣の攻撃だろ。確か一発しか出来ないって言ってなかったか? なあ、どうすんだよ!」
「うるせえ、知るか!」
優は男の手を振り払うと、階下へ走り出した。
“あんなもん、俺達じゃどうしようもねえ。無理だろうが何だろうが、やってもらうしかねえんだよ!”




