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次の日に沙耶が目覚めたのは昼前だった。雲ひとつない快晴で、太陽が目に眩しい。簡単に朝食を兼ねた昼食を済ませ、沙耶とルシファーは校外へ出ようと広場を歩いていた。
沙耶はぐるりと首を回し、続けて体を伸ばす。その手には馴染んだ鉄パイプがあった。
「うーん、なんか最近私凄いよく寝てない? 結構寝てるのに、寝すぎて眠くないみたいなことにもならないし。なんというかコアラとかナマケモノの気分だわ」
「おそらくだが、お前は睡眠時のほうが魔素の回復が早いんだろ。魔素の回復に睡眠が必要だから必然睡眠時間が伸びてんだろうな」
「そういうもんかなあ。私これ元の世界に戻ったら社会復帰できるだろうか」
二人が他愛もない話をしながら歩いていると、ふと沙耶の目が一人の女性の前で止まった。
大和撫子という言葉がぴったりだと思った。
風にさらさらとなびく首筋まで伸びた射干玉の長髪に、白磁のような肌。均整のとれた小さな顔に、長く伸びた睫毛が切れ長の涼やかな目に影を落としている。腕も足もすらりと伸びて、なびいた髪を耳に掛ける所作すらもどこか優雅だ。
だが沙耶が思わず目を留めてしまった一番の理由はそれではなく、その女性の服装にあった。彼女が身に纏うのはレースがふんだんに使われた真紅のビスチェドレスだったのだ。首から胸元にかけて透けたレースで覆われ、肩から二の腕にかけてはその素肌が露出している。胸元には白いギャザーされたリボンのような素材があしらわれ、太腿の中程まで伸びるひらひらとしたスカート部分はレースを始め様々な種類の赤い布が重なっている。腕には黒く長い手袋をつけ、膝上まである黒い編み上げブーツのヒールは細い。
日常風景から浮き出たような服装だが、不思議とこの女性としっくりきていて、この周辺だけ現実から切り取られたかのようであった。そのどこか神秘的な美しさに沙耶だけでなく、すれ違う他の人たちも視線を向けている。
「どうした」
つい足を止めていた沙耶に、先を歩いていたルシファーが不思議そうに振り返った。
“ルシファーは特に気になんないのか。まあこいつ本人が既に現実離れしたファンタジー丸出しの格好してるもんな”
怪訝そうな表情のルシファーを、頭から足先まで眺める。黒で統一されたその格好は、見れば見るほど非世俗的だ。
“でも元の世界でだったなら、こんな格好の男には近付きたくはないな”
「おい、さっきから何なんだ。その若干失礼な目線は何だ」
「何でもなーい」
咎めるルシファーに取り合うことなく、沙耶は歩き始めた。
そんなことよりも今は魔物の討伐だ。何もしなくてもよく眠れるが、体を動かしたほうが気持ちよく眠れるのだ。稼ぎだって必要だし、何より自分で魔物を倒すのは、どう言い繕ってもやはり楽しい。
軽くなる足取りで沙耶が赤いドレスの女性の横を通り過ぎようとしていたときだった。
「ああっ、昨日の!」
「はい?」
咄嗟に腕を女性に掴まれ、沙耶は目を丸くした。女性はというと少し興奮したように沙耶を眺めると、横に立っていたルシファーに詰め寄った。
「おにーさん! 彼女目が覚めたら教えてくれってお願いしたよね!? 何、しれっと通り過ぎようとしてるの!」
「はん、知るか。承諾した覚えはない。別にいいだろ、お前からの謝意は伝えたぞ」
「直接言いたいの!」
驚く沙耶をよそに、言い合いをする二人。目を瞬かせる沙耶に気付いて女性が向き直った。
「ああ、いきなりごめんなさい。僕、昨日助けてもらった者です。本当にありがとう」
“え、この綺麗系の容姿で「僕っ子」なんだ。あーでも声は落ち着いてるから似合うかも”
興奮したように話しているのに、女性の声は耳に刺さるような甲高い声とは正反対で、程よく低く耳に心地よい。僕と自称する特異さもこの声と合わさると嫌味がない。見た目からして自分よりは年上だろうか。落ち着いた所作がそう思わせた。
「お名前聞いてもいい? このおにーさん教えてくれなくて」
「ああ、ごめんなさい。私は藤原沙耶って言います。彼はルシファー。聞いてるかもですが一応私の隷獣です」
「一応とは何だ。俺ほど立派な隷獣はいまいに」
「私の言う事完全に聞いてくれたら同意する」
自己紹介に茶々を入れるルシファーを、沙耶は腕で押し退ける。女性はその様子を見てくすりと笑うと、小さく会釈をして名を名乗った。
「ふふ、じゃあ僕も。ええと、そう、さくらって呼んで」
さくらと名乗った女性が風でなびいた髪をかき上げた。何かさくらのその言葉に引っかかるものを感じたが、その色香を感じさせる動作に戸惑う内にその感覚はすぐに流された。
「改めてありがとね、沙耶ちゃん。昨日はあの化物に遭遇する前に結構魔素使っちゃってて攻撃できなくなってたから本当に助かったよ。こんな可愛い子が命の恩人だなんて僕はラッキーだね」
「えぇっ!? い、いえそんな。私もすぐに気を失っちゃって」
照れ顔を誤魔化すように小さく首を振る沙耶。さくらがにっと口角を上げて、沙耶の口元に立てた人差し指を当てた。
「敬語。できたら普通に話してほしいな。沙耶ちゃんが恩人なんだし、それに僕、友達がほしかったんだ。駄目かな」
そう小首を傾げるさくら。沙耶は思わずどぎまぎしてしまい、慌てて何度も首を縦に振った。
「さくらさんが気にならないなら……」
「さくら! 言いにくいならさくらちゃんでもいいよ」
「えっと、じゃあ、さくらちゃんで」
「うん! やっぱりそっちのが可愛い」
「何で頼んでるお前のほうが偉そうなんだ」
満足そうに頷くさくらに、ルシファーが悪態をつくが、本人は全く気にしていないようだった。そしてちらりと視線を動かして、沙耶が持っている鉄パイプに目を向けた。
「ねえ、気になってたんだけどそれ、どうするの?」
沙耶は目を瞬かせると、ルシファーと顔を合わせた。ルシファーは肩をすくめた。




