33
「なあ、魔素使いすぎて死んじゃうってことあんの」
沈黙する沙耶と活也に割り入るように優が声を上げた。ルシファーは少し考えるような間をとると、軽い口調で返した。
「いや、それはないはずだ。この隷属契約は、まず主の命の維持を目的にしているみたいだからな。主を守るための攻撃を出すことで、主本人の命が害されるようなことがあれば本末転倒だ。それにそもそも人間の生命活動自体に魔素は必要ない。魔素を持たない人間もいるようだしな」
「え、そうなの」
「ああ。唯物界を覗いている時に魔素のない人間が多く生息しているのを見た」
「へえ、そうだったんだ」
思わず新しく知る情報に沙耶が感心していると、優が小さく舌打ちをして話を切り替えた。
「つまり魔素を使いすぎても死んじまうことはないんだな。だったら迷ってる場合じゃねえだろ。今はっきりしてるのは、あんなの俺らじゃ敵いっこないってことと、このままだったら俺ら全員やられるってことだろ」
優のその口調に棘を感じ、沙耶が小さく肩をびくつかせた。話題を反らしたように聞こえたのだろうかと、責められた心境になったのだ。
それに気付いた活也が口を挟んだ。
「優! 俺たちが出来ないから彼女に無理をさせるんだろう。その言い方はない」
「どんな言い方しようが、同じだろ。それにもう俺らは一蓮托生だろうが。変に気を使って全滅するつもりか!」
優の言葉に活也が口を噤んだ。実際優の言う通りなのである。
レントと呼ばれた巨木の魔物の歩みは遅いが、確実に先程よりも近付いてきている。もう低く響く足音すらここまで聞こえてきている。
隷獣を持たない人々の顔は不安で青ざめ始めていた。皆の視線が沙耶の全身の皮膚に突き刺さってくるようだった。
「――や、やります! 本当にちゃんと倒せるだけの炎を出すまで耐えられるか自信ないんですが、やれるだけやってみます。なので私で駄目だったら、後のことはお願いします」
うつむき、破れかぶれに言い放った沙耶。遠くで花菜が心配そうにこちらを見ている気配を感じながら振り切るように、レントの方へ向き直った。
もうそれほど距離はない。ここまで近付くと更にその大きさに圧倒される。四階建てのマンションくらいあるのではないだろうか。レントが歩いてきた草原の箇所は、草々が踏み倒され潰されて、道のような跡が出来ている。一歩一歩進むたび、地面を通じて振動が腹の底を揺らす。
今からこの巨大な魔物を倒そうというのだ。沙耶の顔は緊張と重圧で強張っていた。
その時、沙耶の頭にルシファーが軽く手をのせた。沙耶が驚いてルシファーを見上げた。
「何、一丁前に緊張なんかしてんだ。この俺がやれるって言ってんだから、やれるにきまってんだろ」
ふっと笑ってそう言ったルシファーは、沙耶の頭にのせた手と反対の腕を伸ばした。
レントに向けて指を差し、その指で円を描くよう動かした。すると沙耶たちの前方、レントのいる場所からむあっと熱気を帯びた風が押し寄せてきた。そしてその風を感じたと思った瞬間、レントの足元に赤く光り輝く円陣のようなものが地面に浮かび上がった。円陣はレントが立っている場所を中心に広がっている。
その円陣の光が更に一層強くなった刹那、その円陣から空へ、大きな火柱が渦を巻くように燃え上がった。火柱はレントの全長よりも高くまで燃え上がり、渦を巻くその旋風は周囲の草々を巻き上げて空の彼方へ吹き飛ばしていく。風は周囲の空気を次々に火柱へと汲み続け、炎はその空気を一気に燃やして熱量を上げる。
あっという間にレントの巨大な姿は、それよりも大きな炎で見えなくなってしまった。
「これは……火災旋風?」
慄くように活也が言葉を漏らした。以前テレビで見た衝撃的な映像に似ていた。だが眼の前のこれは、それよりも確実に、指向性を持って、円陣の上に立つ対象を燃やしつくそうという意志を感じさせた。
火柱から轟々という音が聞こえるが、これはもはや燃やされるレントの悲鳴なのか、炎の上げる轟音なのかわかりかねた。熱風がここまでくる。炎に燃やし尽くされた消し炭が風に吹き飛ばされて飛んできていた。
活也はそれを防ごうと顔に手を伸ばした。
どさり、と間近から音がした。はっとして音の元へ視線を動かすと、ルシファーにもたれかかるようにして沙耶が気を失って倒れていた。
「なっ……!? 藤原さん!」
慌てて駆け寄ろうとするが、ルシファーに片手でそれを制される。
「近付くな。結構だ」
何が、とは言わなかった。ルシファーは黙って沙耶を抱き上げると、沙耶の顔を自分の体の方へ寄せた。ちらりと見えた沙耶の顔は蒼白になっていた。
ルシファーの背後では段々と火柱の勢いが弱まってきている。低くなり始めた火柱から、レントだったであろう大きな黒い塊が姿を覗かせていた。
それを見たルシファーが、ふと思い出したように活也に声を掛けた。
「旗手がいなくなったからな。これは置いてくぞ」
そう言ってルシファーは元々沙耶が持っていた旗をその場に突き刺すと、翼を広げて飛び上がった。
「建物はあそこだ。もう見えてるから案内は不要だろ。俺たちは先に戻る。あとは何とかしろ」
火柱の衝撃からまだ抜け出せずにいた活也たちは、ただ頷くことしかできなかった。
焼き焦げた臭いが、熱気が、グズグズと音を立てる炭の塊から漂ってくる。そそり立つその塊はもはや不気味ですらあった。
活也たちは動揺に一時統率の取れなくなった集団を落ち着かせ、大学に向けて再出発した。その後は弱い魔物すら近寄ってくることはなく、気もそぞろになりながら全員無事に大学に到着した。
隷獣もなく、魔物の蔓延る外界を歩き続けたショッピングセンターの人々の疲労は凄まじく、大学につき、全共委に振り当てられた部屋に移動するなり皆倒れるように眠りについた。
移動計画に携わった全共委の者たちも、戦えぬ大勢の人間を守りながらの連戦で疲労は極限に達していたが、計画が無事に遂行できたことや達成感に皆沸いていた。大学に残っていた他の全共委の面々と合流し、自分たちの成し遂げた武勇伝を肴に宴へと突入したようだ。
こうして無事この長い一日を終えた。




