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眉間に指をあて、苦渋の表情を浮かべた沙耶だったが、観念したように続けた。
「その、本当です。彼は私の隷獣で人間じゃないんです。人間以外は入れないでしょうか」
「人間じゃない……? え、でも、ええ……?」
女性は完全に混乱していた。その困惑ぶりは見ている沙耶が気の毒に思える程だ。申し訳無さを感じながらも、どう言い繕えばいいかもわからず、ただその困っている様を見ることしかできずにいた。
「どうかしたんすか?」
背後から声がした。沙耶が驚いて振り返ると茶髪の男が立っていた。髪を襟足まで伸ばし、耳にはピアスがついている。身なりからしてもこちらは学生だろう。
「あ、優さん」
男に気付いた女性が顔を向けた。優と呼ばれた男は、呆然とする沙耶には目もくれずにルシファーに話しかけた。
「ああ、いきなりこんな人が来たら確かに驚くわ。おにーさん、何者?」
ルシファーが気怠げに優を一瞥すると鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
「もうその女に名乗った。そいつに聞け」
「うわ、めっちゃ偉そうじゃん。まあいいや、瑠美さん、この男どこの誰さん? 昨日までいなかったと思うけど新人?」
瑠美と呼ばれた女性が優に先程までの経緯を説明する。沙耶を他所に話が進んでいく。少し複雑な気もしたが、話が進むなら、となるように任せていた。瑠美から話を聞いた優もやはり驚いたようだ。
そこで初めて沙耶を見、そしてルシファーとを見比べた。
“何さ、こんなちんちくりんが、こんなデカい男引っ連れて隷獣だっていうのがそんなにおかしいか。……いや、おかしいか”
そもそもぱっと見人間の男が隷獣であること自体がおかしいのだろう。それはショッピングセンターで思い知らされている。一人納得した沙耶は黙って成り行きを見守ることにした。
「ねえ、えっと、沙耶ちゃん。この男は本当に君の隷獣なんだよな」
優が沙耶に問い直す。沙耶は無言で頷いた。優は沙耶の肯定の意を受け取ってなお、疑わしげに二人を見比べている。瑠美に聞き、沙耶にも聞いてもそれでも信じがたいのだろう。
または扱いを考えあぐねていたのかもしれない。優の不躾な視線が何度も沙耶とルシファーを交互する。そしてとうとうルシファーの忍耐に限界が来た。
「いい加減にしろよ、人間ども! さっさとしろ、俺は疲れてんだ。ここら一帯を焼き払えば満足か!?」
そう言うとルシファーは手の平から炎を燃え上がらせた。炎の周囲の空気が高熱によって歪む。ずっとだんまりを決め込んでいた沙耶だったが、目を丸くして叫んだ。
「うおおお、ちょっ、馬鹿! そんなことしたら私まで焼け焦げるだろうが!」
「焼くのはいいのかよ。つーかお前が俺の炎で焼けるわけないだろ、契約があるだろうが」
呆れたようにルシファーが、空いているほうの手で沙耶の頬をつねる。
「いひゃい、いひゃい! 馬鹿! って何でこれは契約が適用されないんだ! 私、害されてる!」
「ぶはっ! ははっ、知るかよ」
沙耶がルシファーの手を払い、つねられたほうの頬を膨らます。その反応が気に入ったのか、ルシファーが吹き出した。愉快そうに膨らんだ沙耶の頬を指で突いた。
「炎……!」
呟く優。小さく「マジなのか」とこぼすと、瑠美に何かを耳打ちしてその場を去った。
放置される格好となった沙耶は面食らったようにその背中を見送った。ルシファーはもう優のことなど、どうでもいいようだった。瑠美が慌てて沙耶たち二人に話しかけた。
「えっと、とりあえず受付は完了です。お二人はひとまずこちらでお休みください」
そう言うと瑠美は手でフロアの奥にある一角を指し示した。そこは元々パソコンを使用するための小部屋だった。
瑠美に促されるままその部屋に入ると、そこにパソコンはなく、たくさんあった筈の机は全て壁側に寄せられていた。部屋に入った二人に、瑠美がブランケットを手渡す。これで休めということなのだろう。ブランケットを渡すとさっさと瑠美は退室していった。
「これで寝ろ、ってことかな」
「だろ。俺はそんなものいらん。お前が使え」
そう言い捨てるとルシファーはさっさと壁にもたれて目を瞑ってしまっていた。
“疲れたとか言ってたけど、こいつ寝るのか”
隷獣という大枠自体は理解したが、その実態についてはまだまだ理解しきれていないのはわかっていた。
花菜たちとの会話を思い出す。聞けばそもそも隷獣はずっと呼び出し続けるわけではなく、必要に応じて呼び出すものだという。だというのにこの男は、おそらく沙耶が電車崩落の事故の際に呼び出してから一度も引っ込んだことがないのではないだろうか。
それについて大学へ来る道中ルシファーに聞いてみたが「そんなかったるいことやってられるか」とだけ答えが返ってきたのだ。
“疲れたんなら特殊空間とやらで寝ればいいじゃん、こっちで寝ずに”
その時、はたと何かを思い出しかけた。
何かルシファーに言いたいことがあった気がするのだが、何だっただろうか。考えを巡らせようとしたが、実際沙耶もかなり疲弊していた。
今日目が覚めてから本当に色々なことがあった。あまりに濃い一日だった。そう思った途端、急に眠気が襲ってきた。瞼が重く、立っているのが辛い。このままでは倒れるように眠ってしまいそうだと、急いで寝床を整え始める。ルシファーから受け取ったブランケットを丸めて枕にし、横になる。もう一枚のブランケットを被ると意識が急速に遠のくのを感じた。眠りに落ちる感覚がする。
“あ、そうだ、炎! ルシファーが炎出したのに私何ともなかった。あれ何でって聞こうと……”
思い出したのも束の間、沙耶はすとんと眠りに落ちていった。




