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となりの世界の放浪者たち  作者: 空閑 睡人
第十八章:この出会いは幸いか
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沙耶はガラス窓に張り付く勢いで駆け寄ると、視線をその中へと走らせる。そこには懐かしく夢見た光景が広がっていた。


横長の机一面に並ぶ様々な形の黄金色。うずまき模様だったりころんと丸い形だったり細長い形だったりと多種多様で見ているだけで楽しくなってくる。

ルシファーから見ればどれも大差なく、ただの茶色い塊に見えるが、沙耶にとってはきらきらと輝く宝石箱のような眺めだった。


ガラス窓を舐め回すように眺める沙耶は興奮して息遣いが荒くなっている。まるで何かに取り憑かれたかのような沙耶を横目で見ていたルシファーは顔を顰めて一歩後ずさった。


「うわ、わあ……どうしよう、どうしよう! パン屋だ、ほんとにパン屋さんだよ!」

「お前、ちょっと落ち着け。今、完全に不審者だぞ」

「否、落ち着いてなんていられますか! いやー、ご飯が自分たちで作れるって分かってから内心ずっと期待してたんだよね。ウケから小麦粉が交換出来るってのは知ってたんだけど、でもほら、パンってそれだけじゃないでしょ。酵母とかさ。だから無理だろうなーって諦めてたんだよ。それが、今! 私の目の前に!」

「急に早口で喋るな」

「ちょいとあんたたち」


一方的にまくし立てる沙耶にルシファーがげんなりしていると、からん、と涼しげな音を立てて扉が開いた。そしてその開いた隙間から怪訝な表情を浮かべた女が顔を出した。


「……何か用かい?」

「ぬあっ!? あ、ごめんなさい! 私、夢にまで見たパン屋にテンション上がっちゃって、それであのっ!」


見知らぬ人に話し掛けられることで漸く先程までの己の行動を省み、羞恥で顔を紅潮させる沙耶。今更ながらの必死の弁明も遅きに失した感があるが、それに対して店舗から現れた女の反応は随分と好意的なものだった。


「あっはっは! あんた、どんだけパンが好きなんだい。店の前で騒いでるからあたしゃてっきり勘違いしちまったよ。ほら、そういうことなら早く中に入りなよ」


女は豪快に笑いながらそう言うと、扉を開けて沙耶たちを招き入れた。くつくつと笑うルシファーを背に、顔を真っ赤にさせた沙耶が小さくなりながら店へと入った。


だが店内へと一歩足を踏み入れた瞬間、沙耶の頭の中から恥も外聞も全てが吹き飛んでしまった。


鼻腔いっぱいに満ちる芳しく甘やかな小麦とバターの香り。外から覗き込んだ時以上に沢山のパンが並ぶ壮観な眺め。明るい色調の照明と壁紙の店内は、暖房などないはずなのにどこか暖かだ。


「ああーっ! あれは!」


突如沙耶が絶叫したと思うと、店内の一角へと駆け寄った。


「カチカチ! カチカチだよ、ほら!」

「言語野が死滅でもしたのか。何だ、カチカチって」

「あはは! あたしもそれがあるとパン屋って感じがするよ」


白いトングを開いては閉じて音を立てる沙耶に、女も笑って同意する。


まるで遊園地に来た子供のようにはしゃぐ沙耶を見て呆れていたルシファーだったが、喜ぶ沙耶につられるように、知らぬ間に口元が緩んでいた。


「にしてもその反応といい、その見覚えのない顔といい……あんたたち今までどこにいたんだい?」

「どこに……? ああ、えっと」


そこで漸く沙耶たちは自分たちの事情を説明した。

自分たちはこの拠点の人間ではなく外部から来た者であるということ、三重から鹿児島方面へと向かっていること、そしてそこまで話してここが日本と同じ地形をした世界だということも説明しなければならなくなった。


話が長くなると察して女は沙耶たちに店内の小さな机と椅子を勧めた。そして奥にいたのか、男の店員も出てきて一緒に話を聞き始めた。どうやら夫婦らしい。夫である男が茶とパンを出してくれたおかげで沙耶は長い説明もうきうきとすることが出来た。


初めて聞く驚きの説明に夫婦は唯々諾々と受け止めることしかできず、詰め込まれた圧倒的な情報量に目を回していた。


「っはあ……。なるほど、なるほど……? 何だか色々聞いて消化しきてれてないけど、とりあえず何となくはわかったよ」

「うんむ……」

「すいません、一気に喋っちゃって」


説明しきるまではパンに手を伸ばさないほうがいいと我慢していたからだろうか、早口で一気に喋ってしまったことに気付いて沙耶は頭を下げた。


「気にしないでおくれ。寧ろあんたたちが来なきゃあたしたちはずっと何も知らないままだったんだろうしね。普段食材を取りにたまに拠点の外に出るけど、拠点から遠く離れたことはなかったから、ここが日本と同じ地形だなんて気付きもしなかったよ……ああ、今更になっちまったけど、あたしは中丸涼子(りょうこ)ってんだ。で、こっちが旦那の桂治(けいじ)。元の世界にいた時パン屋をやっててね、こっちでもどうにか出来ないかと色々やって、漸く今こうやってなんとか形になってんだ」

「……とはいえあのウケとやらから交換した材料だと味がかなり落ちる。こんなものしか出せないのは慚愧に耐えない」


涼子が人好きのする笑顔で手を振り、桂治は悔しそうに俯く。

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