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「例えるなら、普段の状態が一週間生きるのに毎日都度餌を与えているようなものだとすると、この前払いってのは初日に一週間分の餌を与えて後は放置する、みたいなもんだ。餌は放っておけばどんどん腐って食えなくなっていくし、だからといって先に一気に餌を食い切っちまうと、その時は腹いっぱいになるだろうが、週の後半は腹がすいて動けなくなる。実際は色々と違うが、まあお前ら的にわかりやすく言えばそういうことだ」
淡々と語ったルシファーは、沙耶と翔がじっとこちらを見つめているのに気付いて、びくりと固まった。
「な、何だ――」
「偉い! 偉いぞー! ちゃんと何も知らん人にも分かりやすく説明出来てるね! 成長しているじゃないか!」
「やっぱ隷獣と話せるってめちゃくちゃ便利っすね! いいなあ。俺も今の内にもっと色々聞いとかないと! じゃあじゃあルシファー!」
「うわ、寄るなお前ら!」
ルシファーは頭を撫でようと這い寄る沙耶と、目を輝かせて詰め寄る翔から咄嗟に飛び退いた。普段澄ました態度ばかり浮かべるルシファーが、まるで猫が驚いて飛び退るような動きをするのを見て、沙耶と翔が顔を見合わせて笑った。
「はー……にしても俺、ここ数日ですげー知識人になった気分っす。つーか沙耶ちゃん、こんだけ色々知っててよくこれまで黙ってられたっすね。この世界のことだとか魔界だ、天界だ、それに祖神だかの天照様だか……。俺ならつい人に話しちゃいそうっす。あ、もちろんこれまでで色々教えてもらったことで沙耶ちゃんが困るようなことは他人に話さないから心配しないでほしいっす!」
「うん。そこは信用してる」
荷物を整理する手を止めることなくそう返す沙耶に、翔は目を瞬かせた直後、思わず満面の笑みを浮かべていた。
沙耶は翔へと振り返らずに続けた。
「そうだねえ。言いたくなっちゃう、っていうのはなかったけど、何か情報を独占してるようで気が引けてたんだよね。こんな大事なこと、早く地界にいる他のたくさんの召喚されてしまった人たちに教えてあげたほうがいいじゃない? 皆色んなことが分かんなくて不安だろうし」
「うーん。それは、まあ……?」
翔は歯切れの悪い声を出す。
沙耶は情報の独占を懸念しているようだが、翔はそれが完全に悪いことだとは思えなかった。
情報を受け取るにしても、その受け取り側にもある程度の前提知識と覚悟がいる。沙耶はこれらの情報を直に見知ってきたからその知識も覚悟も問題なかっただろうが、これらの情報の羅列だけを他の何も知らない人間が果たして純粋に受け取ることができるだろうか。
いきなりこんな情報を聞かされて、大衆は一体どうなるのか。混乱し、不安に駆られ、反発して暴動が起こる。
そんな未来が見えるかのようだった。
そして何より、実を言えば翔もこの拠点にいる多くの人々も、沙耶が心配しているような感情など抱いていなかったのだ。基本的はどこか楽観的で「面白い世界に飛ばされた。勉強しなくてラッキー」程度に考えている者が殆どだったのだ。
だがその感覚が一般的でないことは翔も理解していたので、今ここで口に出すことはしなかった。
そんな翔の思案になど気付いていない沙耶は、変わらず悩ましげな顔で腕を組んでいた。
「とはいえ……私が知ってることって何も知らない人からすれば正気を疑うというか、「何言ってんだこいつ」ってなるというか……。こんな荒唐無稽な話、創作話かなとか思われそうで。翔くんだって見ず知らずの人からこんなこと聞いたって信じられないでしょ」
「あー……そうっすねえ。俺は沙耶ちゃんって人のことをもう知ってるから全然信じられるっすけど、確かに顔も知らん奴からいきなりそんなこと聞かされても「はあ?」って言うかもしんないっす」
「でしょー」
その点で竜巳から沙耶への口止めの指示は都合が良かったのだ。竜巳には何か企みがあってそのような指示を出したことくらいは沙耶もわかっているが、あえてそこに追求しなかったのも、竜巳の言葉を都合良く言い訳に使ったに過ぎない。
重大な情報は重大であるほど、それだけ受け取る側にも発信する側にも準備がいる。曖昧なところがあれば余計に混乱を招くし、わかっている真実だって信じてもらえなくなる。
“そういうのもあって竜は姉様から色々知りたがってるのかな”
そう考えると、途端にこの旅の重みが変わるような気がした。その重たくなるような気配を沙耶は頭を振って考えないようにする。
「はあ。とりあえず試練を終わらせて、色々が明らかになったらちゃんと考えるよ」
沙耶は翔に向かって言うのではなくひとりごちるように呟いた。
それから程なくして旅の準備は完了し、遂に沙耶は拠点を離れることとなった。




