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「なんか、あっという間だったね」
風のように飛び去っていった二人をずっと見送っていた花菜は、空を見上げて小さく笑った。西の空はもう赤みがかり始めている。暫く空を見上げ続けていて首が痛くなったのだろう。首を回しながら藤田も空を見上げるのをやめ、視線を下げた。
「にしても本当によく袴田くんは彼の話がわかりましたね。私なんてさっぱりで」
藤田が苦笑する。英樹が「いやいや」と慌てたように首を振る。
「えっと、その、よく色んなパターンのこういう話を読んでたので……。それを色々当てはめたり参考にしたりしました。例え作り話でも似たような状況を知っておくと、突飛な話でも戸惑いが少ないのかもしれません」
「え、こんな状況になる話がいっぱいあるってこと?」
花菜も空を見上げるのをやめ、二人へと振り返った。
「てことは予習じゃん!」
「え、予習?」
閃いたように声を上げる花菜。英樹が虚を突かれたように尋ね返した。
「そうだよ! こんな状況に対して予習してたってことでしょ。さてはひでっち優等生だなー!」
花菜が冗談めかして笑う。一見からかわれているようにも見えるが、英樹は嫌な気分にはならなかった。花菜が馬鹿になどしていないとわかっているからだ。
「にしても凄いなー。色んなパターンの話を読んだってことは、そんだけたくさんの人がたくさん色んな世界を考えてたってことでしょ。世の中には凄いことを思いつく人たちがいるもんだね。あたしだったら何も思いつきもしないよ。いつか帰れたら読んでみよっかな。そん時はひでっち、おすすめ教えてね!」
「は、はい!」
賑やかに笑いあう若人を嬉しそうに見つめる藤田。若者が元気なことは大事なことだ。活気が全然違う。
「さあ、戻りましょう。私たちはここからが正念場ですよ」
藤田がショッピングセンターへと歩を進めた。それに続けて二人もついていこうと歩き出したが、すぐに英樹が足を止めた。
「ひでっち? どしたん?」
不思議そうに声を掛ける花菜。英樹は一瞬躊躇ったように声を詰まらせたが、花菜に声を掛けた。
「……っもう! もう、大丈夫ですか?」
花菜が小首を傾げた。しかし、強ばる英樹の顔を見てすぐに笑みを返した。必死の声音は、彼の本心を如実に表しているのだ。
「だーいじょうぶだよ、って言いたいけど……ほんとはまだちょっときついかな。でもこんなとこでウジウジしててもママに会えるわけじゃないしね。それにもう二度と会えないってわけじゃない。でしょ」
花菜が英樹をいたずらっぽく見遣る。英樹は忙しなく表情を変えるばかりで上手く答えられない。花菜が破顔した。
「へいへい、ひでっち、さっきタメ口だったじゃん! なんで敬語に戻ってんだよー。戻そうぜー仲良くしよーよ!」
「ええっ!? いや、でも三浦さんのが年上ですし……!」
「三浦さんもだめー! 花菜ちゃんって呼んでよー。ほら、行こ!」
笑いながら花菜が藤田の後を走って追いかけ始めた。英樹も小走りでそれに続く。
“異世界に憧れてた。夢見てたんだ。……でもまさか自分が、元の世界に帰れるはずだって説得する立場になるだなんて思いもしなかった”
夕日が燃えるように赤々と光っている。一陣の風が髪を吹き上げていった。地面にへたり込んだときの膝はまだ痛い。
“夢が現実になると、夢の通りにはいかないもんなんだな”
英樹は一人笑った。
ここは夢にまでみた異世界だ。だが望んだものは何一つ与えられることはなかった。元の世界と変わらない、ただの自分がいるだけだ。それでも、もう英樹はそれに対して「理不尽だ」と怒ることはなかった。
「ひでっちー置いてくよー」
ふらつく足で英樹は一歩を踏みしめた。




