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そうしてあの魔物の強襲から数日が経過したある日のことだった。
沙耶たちは「もうそろそろ」と座の近くで出立の準備を始めていた。荷物を整理し、ウケから物資を補充する。手慣れた様子でどんどんと準備を進める沙耶の傍で、口を尖らせた翔がうろうろと付き纏っていた。ここ数日の翔は終始こんな調子だ。
鬱陶しがって初めは逐一追い払っていたルシファーも、あまりの翔の挫けなさに遂に根負けして「こういう生き物なのだ」と今は諦めているようだ。沙耶も最初は困惑していたのだが、ぞんざいにルシファーにあしらわれ続ける姿を見ていたからか妙な同情心が芽生え、今では翔の好きにさせている。
そんな甘えたな翔が珍しかったのか、最初は拠点の人々も面白がってちょくちょく様子を覗きに来ていたのだが、四六時中変わらず沙耶の傍から離れない翔に見飽きたのか、今では完全に放置されている。
実際は今まで一人で先頭に立ち、皆を引っ張っていってくれた翔に甘える先が出来たことに安心し、そっとしておかれているだけなのだが、そんなことなど知りもしない沙耶たちからすれば、拠点の人たちに呆れられているのでは、と内心小さく心配もしていたのだ。
ともあれ経緯はどうであろうと、今も座の傍に陣取って準備を進める沙耶の近くには、こうしてルシファーと翔としかいなかった。
この拠点の座は建物の中腹の少し下部に位置していた。そのおかげか魔物の襲撃で崩壊を免れたようだ。
そもそも何故こんな中途半端な場所に座があるのかというと、それもウケに魔結晶を渡して移動させたのだと翔が得意げに語った。
どうやらウケが出来ることというのは沙耶が知らないだけで、かなり多種多様にあるようだ。それを全て試すかのように実践するここの人々も大分特異ではあるのだが。
そんなわけで元あった場所から移動されられた座は今、室内にあるにも関わらず、土が敷き詰められた土間のような円形の広場に鎮座していた。そしてその広場もまた例に漏れず変わった景観をしていた。
一言で言うならば、ここは祭り会場のそれである。広場のあちこちで沢山の提灯が赤く灯り、ウケの収まる木造の社は出店の屋台よろしく賑々しく飾り付けられている。広場の外周には休憩所を模した小上がりがいくつも設置され、時折拠点の人々がたむろするのだそうだ。広場に窓はなく、部屋の明かりも抑えられているので、暗い室内がまるで夜のようだ。
そのため、灯る赤い提灯がより一層祭りを思い起こさせ、祭囃子でも聞こえてきそうな雰囲気を醸し出していた。
沙耶はその小上がりのひとつを己の領地の如く占領し、荷物を広げていた。ルシファーは小上がりの畳に寝そべり、翔は沙耶の近くで足を崩して座り込んでいる。
「沙耶ちゃーん、もうちょっと居ようっすよー。そんな急いで準備なんかしないでほしいっすー」
「うーん。でももう動かす瓦礫も消えちゃったし、本格的に手伝えることなくなってきたし、それに一応今、目的地に向かっている途中だしねえ」
「ええー。きっと竜くんだって許してくれるっすよー」
「流石に「いい加減動け」って言われると思うっすねー」
この期間、ルシファー並に傍にいたものだからか、沙耶は翔とよく話した。そして何かにつけよく話題に上がる竜巳のことを、翔はいつの間にか「竜くん」と呼び出していたのだ。
そういえば翔に竜巳が沙耶よりも年上という話はしただろうか。たとえしていなかったとしても翔は年上に対して怯むような正確ではないのだが。
「それにもう私の知ってること大体全部話しちゃったしなあ。……あ、そういえばもう一個聞きたいことあったかも」
「お、何すか何すか?」
声を上げた沙耶に、翔が嬉しそうに身を乗り出す。
「あの外車竜……じゃなかった翼竜ってここの皆で共有してるんだよね? 翼竜は嫌がらなかった? 前に隷獣の移譲は主と隷獣どっちもオッケーを出さないと出来ない……みたいなこと聞いたんだけど」
沙耶は天ノ間での天照の言葉を思い出す。
二者間での移譲ならば「そういうことも出来るのだろう」と気軽に思えたが、あの翼竜の場合、常に主が変わり、その上最初の所有者すらいないような状態なのだという。それでよく翼竜が契約をしたものだ、と不思議に思っていたのだ。
そのことを以前諒に聞いた時は、沙耶が疑問に思っている事自体よく理解出来ない、という反応をされたのだが、そこは流石に、翔は頭が回った。「ああ!」と手を叩いて、にかりと笑った。
ルシファーも目線だけ翔へと向ける。
「あれ、俺自分でも上手くやったなってニヤニヤ思ってたんで、そうやって反応してもらえんのは嬉しいっすね! ここの奴ら、それが当たり前みたいな顔で、全然俺の凄さ分かってくんねーんすもん」
ぷくりと頬を膨らませたかと思うと、その表情はぱっと直ぐにいつも通りに戻って、そして得意げな顔をして翔は解説を始めた。




