195
天族であるミカエルを連れた竜巳と出会ったこと、その後異空間にて祖神と名乗る天照と出会い、試練を言い渡されたこと、そしてその試練の為に西に向かっており、これらの事実を口外しないよう竜巳から言い含められていたことを。
翔は沙耶の話を聞いている最中も大きな反応はしなかった。ただ黙って受け止め、冷静に己の頭の中へ情報を整理して組み込んでいるようだった。
そして沙耶が話し終わると、目を瞑り、少し考え込むような素振りをすると目を開き、沙耶へと向き直った。
「なるほど……っす。なんか訳ありなんだなーとは思ってたすけど、ちょっと想像以上でしたね」
翔は頰をかいて笑みを見せた。
「ごめんね、黙ってて」
「いやいや、こんなん俺でも黙ってるっすよ! それに聞いといてなんすけど、全部俺に話してよかったんすか? 竜って人に口止めされてたんすよね?」
「あーうん。それはそうなんだけど……」
沙耶は小首を傾げ逡巡する。
「翔くんはあの初めて会った時に私が違うこと言ってるな、って気付いてたってことだよね」
「まあ、そっすね」
「うん、だからかな。その……ただの通りすがりでしかない私たちが何か言いたくないことがあるって気付いた上で、翔くんは人払いして口止めの約束までして、そして私の言葉をあれ以上追求しなかった。そこまで気遣ってくれた君が真実を求めるなら、これ以上誤魔化したりせずにちゃんと話したほうがいいなって思ったんだ。誤魔化せるとも思えなかったしね」
沙耶がはにかんだように笑みを浮かべた。翔が目を瞬かせる。
「それにこの話をすれば竜はきっと同意してくれる」
そう微笑む沙耶の顔からは、竜という人物への信頼が見て取れた。付け足すように「そもそも竜の言葉に強制力なんかないしね」と悪戯っぽく笑う沙耶に、翔がぽつりと呟いた。
「……いいなあ」
小さな、思わず零れてしまったといった声だった。それは殆ど声になりきれず、沙耶の耳には届かなかった。
「どうかした?」
「あ、いや、何でもないっす!」
翔が慌てて手を振った。
「にしてもルウってば、全然来ないなー。何やってるんだろ」
「そっすねー。……にしても沙耶ちゃん、ほんとにピンピンしてるっすね。体調マジでなんともないんすか?」
「まだ大丈夫っすねぇ」
「ほあー」
驚き続けたせいか、最早呆れを含んだ感嘆の声を漏らす翔。
「最早ここまでくると化け物じみてくるっす」
「え、化け物ってまさか私のことじゃないよね。ルウのことだよね」
翔の言葉に面食らう沙耶だが、その翔の口調に侮蔑や嫌悪の色はない。寧ろ純粋な驚愕や尊敬といったものから発せられた言葉なのだ。それが伝わっていた沙耶はそれ以上言い返すことはしなかった。
そしてそれは翔も同じだった。まざまざと実力差を見せつけられたような形になったが、それでも不思議と嫌な心地はしなかった。低いと思い込んでいた空が、急に天高く広がったような、そんな清々しい心地だった。
ふと頭上から砂がぱらぱらと降ってきていることに気がついた。そして間もなく周囲の岩が微弱に振動し始めた。
動いているのだ。
沙耶と翔は顔を見合わせた。
それから暫くもしない内に頭上から細い光の筋が差し込み始めたかと思うと、あっという間に頭上の岩がなくなった。そして眩い青空の中に、不機嫌そうに眉間に皺を寄せるルシファーの顔があった。それを見た沙耶は対象的に、予想通りの反応に思わず顔をほころばせていた。
「何で岩の下敷きになんぞなってんだ」
「色々あったんだよ」
全く悪びれることのない沙耶に呆れつつも、ルシファーは表情を和らげた。険のある言葉を吐きつつも、その実心配していたのだろう。
例え当人にその自覚がなくとも、それはその顔に表れていた。
だがそれはルシファーの差し出した手に、沙耶が手を伸ばすまでだった。
伸ばされた手に血の滲んだ包帯を見つけると、ルシファーの表情が一気に曇った。
「沙耶、これは何だ」
「これ? ああ、この包帯? う、上手く巻けてないのはしょうがないでしょ、慣れてないんだから」
「そんなことはどうでもいい。この怪我は、何だ」
「ええ? えっと、多分バハムートの手綱握った時だよ。振り落とされないよう頑張って握ったからね、とはいえ私あんまり握力ないみたいで、こう、ずるずるとね」
苦笑いを浮かべる沙耶。ハリウッド映画の俳優のように格好良くはきまらないものだ。
ルシファーは小さく舌打ちをすると、掴みかけていた沙耶の手を握らずに、荷物を浮き上がらせるように沙耶を浮かせるとさっと抱き上げた。沙耶が「わっ」と驚く。
「いいか、お前は当分手を使うな。それと今後一人で行動するな」
「ええ!?」
「それとそこのお前!」
「はいっす!?」
ルシファーが翔を睨めつけた。翔はルシファーを見上げた体勢のままびくりと硬直する。
「言いてえことは色々あるが、今回はこいつが自分から勝手に飛び込んでいったせいだから何も言わないでおいてやる」
ルシファーは沙耶の額を指で何度もつつくと、その指先を翔へと向けた。
「だがそっからは自力で上がれ。そこまで面倒見てやる義理はない」
そう言い放つとルシファーは沙耶を抱き上げたまま、さっさと翼を広げて飛び立ってしまった。
真上の岩だけを取り除かれているせいで、翔のいる場所は穴の底のようになっている。それに恐らくここ一帯は崩れた岩が散乱してまともに歩けるような状態にはなっていないだろう。そんな場所に一人、翔は取り残されることになったのだ。
「ま、まじっすかー……」
翔の力ない悲鳴が虚しく岩々の隙間に響いた。




