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「砂ー!」
「あ、おい、こら!」
ルシファーが目を離した隙に沙耶が駆け出していた。沙耶が駆けた跡が細い線のようになって伸びる。静止しようとするルシファーを顧みることなく走り出した沙耶だったが、少し走った先で盛大に頭から突っ込むようにして転倒した。
転んだ沙耶の周囲で砂が舞う。
そのあまりの勢いと間の抜けた光景に、思わずルシファーが噴き出した。
「お、おまっ……ふ、ふははは! ってうわ、お前砂だらけ……っふは!」
「うえー口の中めっちゃ砂入った……。そんなに笑うなよー」
頭を振って砂を落としながら、歩み寄ってきたルシファーを見上げる沙耶。息を切らして笑うルシファーが沙耶に手を伸ばす。沙耶がその手を掴もうとした時、楽しげな主に触発されたのか、尾をぶんぶんと振ってユキが駆け寄り、寸前で急停止した。その衝撃で砂が水飛沫のように沙耶とルシファーに浴びせ掛けられる。
今度は沙耶だけでなくルシファーまで砂まみれだ。
「……ってめぇーっ!」
「ぶっ! あはははは!」
慌てて逃げ出すユキを、全身砂だらけになったルシファーが追いかける。むきになって追い掛け回すルシファーを見て沙耶が身体を曲げて笑う。
肌を焼くような日の下、二人と一匹は広大な砂場で遊び始めた。
駆け回り、穴を掘り、滑り降りる。時にはルシファーが水を出して砂を固めて城を作ったり、氷で板を作り出してそれに乗って滑ったり。
辺りには沙耶たち以外に誰もいない。時折思い出したかのように砂の中から魔物が現れたが、ルシファーとユキによって早々に片付けられ、落とした魔結晶を探す遊びに使われていた。砂にまみれることなど厭わず、興奮気味の沙耶に引きずられるようにして皆日が傾くまで夢中で遊び回った。
それこそ日が傾いていることに気付かない程に熱中していた。
「う……くしゅん!」
ふと感じ取った冷気に、沙耶が大きなくしゃみをした。
「あれ……あ、日が――」
そこで初めて既に日が暮れ始めていることに気が付いた沙耶は、砂の丘陵の上で足を止めた。丘から滑り降りようと登ってきたユキが、突然動きを止めた沙耶に不思議そうに身体を寄せる。
「……沙耶?」
続いて登ってきたルシファーが先程から微動だにしない沙耶に声を掛けた。沙耶はユキにもたれかかり、じっと西の空と果てしなく広がる地平線を眺めていた。
静寂だ。
息の音すら砂に吸い込まれてしまったかのように無音の空気が満ち満ちている。
そしてその空間を貫いて目に痛い程に赤く輝く太陽が、砂原を一面茜色に塗り潰していた。空も大地も皆全て同じ色に染まり、丘陵の影だけが漆黒に切り取られている。
大地が燃えているようだ。
それはまるで世界がこのまま終わってしまうのではないかとすら思える程の、凄まじい夕焼けであった。沙耶はただただその光景を、言葉を発することも出来ずに、食い入るように見つめ続けていた。
「いい加減満足したか」
ルシファーが沙耶の頭に手を置いた。沙耶はそこでやっと意識を取り戻したように振り返った。
「あ、ごめん。退屈だったでしょ」
「……別にそんなことは、ない」
ルシファーは顔を逸らして沙耶の髪をくしゃりと撫でる。
“おや……? “
沙耶が小さく微笑んだ。あれはルシファーの照れ隠しの仕草だ。これだけ長く傍にいるのだ。当人は隠しているつもりだろうが、それが分からない程鈍感な沙耶ではない。どうやら意外と楽しんでくれたのかもしれない。
「ふふ。……はぁ」
ぱたり、と沙耶がユキの背中に突っ伏した。顔を横に傾け、地平線に太陽が半分以上沈んだ空を眺める。
燃えるように強い輝きを放っていた太陽はその勢いを潜め、今は淡い光を残すのみだ。空は赤と青の混じった不思議な色をして、その端からぐんぐんと暗くなっていく。随分と長い間そこに立っていたのだと漸く気付いた。
目を閉じる。
まだ瞼の裏にあの光景が焼き付いて、ありありと思い出す事が出来る。
きっとずっと忘れることはないだろう。
「ふぇ……っくしゅ!」
「全く……。浸るのもいいが、流石に移動するぞ。ここが砂漠と同じってんならこれから更に気温が下がる」
「うー……確かに寒くなってきた。うん、動きます」
余韻から引き戻された沙耶は、足元から這い上がる冷気に身体を震わせてユキの背に乗った。
移動する、といってもここは広大な不毛の砂漠だ。拠点はおろか、屋根になりそうな岩の一つもない。
沙耶たちは西へと向かいつつ手頃な場所を探すが、一向にそれらしき場所は見つからない。そしてそんな彷徨う沙耶たちを嘲笑うかのように、空は絶え間無く夜空へと変わっていく。まるで薄布に墨を吸わせるかの如く、辺りはあっという間に暗くなってしまった。
人のいない砂漠には光源など一つもない。こうなってしまえば上空から見る砂漠は、深淵のような闇を湛えるのみだ。
しかし全てが闇に包まれたというわけではなかった。
「ふおー! すっごい星!」
砂まみれの外套を身体に巻き付け、沙耶は上空を見上げていた。沙耶たちの頭上には、満天の星が光っていたのだ。星の一つ一つは小さな光だが、その光が無数に瞬いて地上をそっと照らしている。
そしてルシファーにはそれで十分だった。
再び興奮し出した沙耶を置いて、更に高度へ飛び上がって目を凝らす。ルシファーの紅玉の瞳孔が開く。
そして目標を捉えた。
「見つけた。ユキ、ついてこい」
高度を落としたルシファーがユキへ手招きすると、速度を上げて飛び立った。ユキも迷いなくそれに続く。そして呑気に星空の観賞を満喫する沙耶を他所に、かなり離れた距離にあった小さな建物を見つけたのだった。




