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大きく息を吐き、脱力したように椅子に腰掛けた。硬い椅子に身体が沈み込むような錯覚すら覚えそうだ。今日は外に出ていないというのに妙に疲れた気がする。
「あの子は来てくれるかな」
疲れの滲む顔で微かな笑みを浮かべ、神宮寺は前髪をかき上げた。
つい先程、統括区の案内が漸く一段落し、班分け結果を見る為に新顔の少女二人と別れたところだ。
一人は隷属契約が出来ていないようだが、もう一人は空を駆ることができる隷獣持ちだという。空を飛べる隷獣は常に不足している。だというのにその需要は上がる一方だ。
ここ軍部に入ってくれるよう精一杯案内を努めたつもりだが、結局入るかどうかは当人の意思だ。強制は出来ないし、したくもない。
しかし感触は良かったように思う。彼女も小さいながらも自分たちの使命に共感してくれていたのだ。
「それに比べて……」
言いかけて、その口を噤んだ。この場にいない人間のことを悪く言うのは卑怯な行為だ。
卑怯な、正義に悖る行為を神宮寺は嫌っていた。
「それに比べて、どうしたと言うんだ」
背後から聞き慣れた声がしてはっと振り返る。
「隊長……!」
「ふっ。もう隊長はやめろと言っただろう」
「あ、失礼致しました。巌さん」
慌てて立ち上がり、恐縮したように腰を曲げ、頭を下げる。
巌と呼ばれた男は手を振って頭を上げさせた。巌が羽織っていた埃まみれの外套を脱ぐと、厚い防寒着の上からでも屈強な体格をしているのが見て取れた。まるで格闘選手か軍人かのようだ。巌はばっと外套を振って埃を払い、それをくるりと一纏めにして小脇に抱えると、神宮寺の正面にあった椅子に腰掛ける。
神宮寺はそのまま起立した状態でいるつもりだったが、巌が座るよう手で合図した為、恐縮そうにさっきまで座っていた椅子に腰掛けた。
「で、何かあったのか。お前がそのような顔をしているとは珍しい」
「あ、いえ、その……」
言い淀む神宮寺の言葉を巌は急かすことなく待っている。具体的に何処へ出掛けていたのかは知らされていないが、埃まみれの外套を見るに、今回もかなり遠く、大変な場所まで行ってきたのだろう。本当は自分も同行するよう希望したのだが、「疲れが見える」と無理矢理休暇を取らされたのだ。
自分たちはもっと働いているというのに。ただただ頭が下がる思いだ。
“だがそもそも隊長が私たちを連れずに聖女様とだけで行かれるということは、つまりそういうことなのだろう“
彼は多くの部下を従えているというのに、危険な場所へはその部下へ害が及ばないように一人も連れて行くことはない。常に率先垂範を旨とし、自らが盾となって危機から拠点の民を守り、そして部下を思い遣り、何より強い信念でもってこの世界に巻き込まれた全ての人々を救おうと奔走している。
本当に素晴らしき人だ。
こんなにも尊敬できる人物にこんな地獄のような場所で会えるとは思わなかった。それだけがこの世界の救いだ。
「――いえ、ただ貴方の元で働けていることは幸福なのだと、そう実感していたのですよ」
「……?」
意図を掴みかねている巌を前に、神宮寺はただ微笑みを浮かべるだけであった。




