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「こっちは結構いいもんだろ。ここは一日中こんな感じだな。このエリアは商業区っつって、色んな店とかが集まってんだ。で、こっから更に奥が総括区で、そこに本部やら軍部なんかがある。二の鐘から四の鐘までは、まあ所謂日勤時間だ。さっきの居住区に住んでる殆どの奴らがここか総括区で働いてんだよ」
「は、はえー」
得意気に話す浩一に、沙耶は間の抜けた声しか出ない。
“なるほど……だからさっきの、えっと、居住区って言ったっけ。今は勤務時間帯だったからあんなに閑散としてたのか。いや、凄いな。ここは一個の都市として機能している”
興味深そうに辺りをきょろきょろと見回す沙耶だったが、先程から一言も喋らないルシファーが渋面を浮かべているのに気が付いた。沙耶はルシファーの服の裾を引っ張り、顔を自分の近くに下げさせた。
声を潜ませる。
「どうしたの?」
「ここは……人間の気配が多すぎる。さっきから感じてはいたが、この場所は余計に酷い。酔いそうだ」
「ああ……そうだね」
ルシファーの反応も仕方がない。
確かにここには、幻視界に召喚されてから今までで一番人間の数が多い。沙耶ですら久しぶりの人混みというものに気圧されていたのだ。寧ろルシファーがよくここまで黙ってついてきてくれたものだ。
「どうしよう、先に宿の場所だけ聞いてルウはそっちに行ってる? 多分夕飯ってこの場所のどっかにあるお店に入るってことだと思うんだよ。それよりは宿にいたほうがまだ休めるんじゃない?」
「……いや、いい。俺も行く」
「……? いいの、ほんとに大丈夫?」
「ああ」
意外なルシファーの返答に目を丸くする沙耶。
ルシファーの脳裏にはまだあの天ノ間に沙耶だけ連れ去られた時の光景が、心境がありありと残っている。
あんな思いをするくらいなら、人の群れに耐えるほうが余程ましだ。
「じゃあこのまま行くけど、無理しちゃ駄目だからね。「もう無理」ってなったら何か適当に理由つけて先に宿に行かせてもらうようにするから」
黙って頷くルシファー。沙耶はその手を引いて先導するように歩き出した。
「どうした、お二人さん。目的の店はこっちだぜ」
「あ、はい」
少し先で立ち止まっていてくれた浩一に追いつく。浩一は沙耶たちが合流したのを確認すると、早足で再び歩き出した。
ここについた時から人は多かったが、浩一の進む先は更に人が、活気が増えていく。その熱量に懐かしさを感じて嬉しく思いつつも、それよりもルシファーが心配だった。
人混みが苦手なのは魔族の特性なのか、ルシファー個人によるものかはわからないが、黙って手を引かれているのを見るに、相当堪えているようだ。ふと天族であるミカエルはどうだったのだろうかと気になった。
再び竜巳たちに会えた時に聞いてみようか。
そんなことを考えている間に、どうやら目的地についたようだ。ある店の前で浩一が手を振っている。見るとそれはどこか居酒屋のような外観をした店舗だった。赤い提灯のような明かりが沢山吊るされて日が沈んだというのに明るい。通りに面した壁は取り払われ、軒先まで多くの客席が設けられている。店の奥には厨房前のカウンター席や小上がりのようなものも見えるが、それ以外は基本的に四人掛けの四角いテーブルで、客が思い思いにそれをくっつけたり離したりして使っているようだ。そしてその客席には既に大勢の人が座っており、満席に近くなっていた。店員の威勢の良い呼び声や掛け声が行き交い、何とも活気がある。
何よりそこに集う人々の顔には笑顔が零れていた。
「おうおう、ちょっとそこ通してくんな。……っととと。おーい、こっちだこっち! ここ座れるぞ!」
いつの間にか客席へと入り込んでいた浩一が机をガタガタと動かし、あっという間に人数分座れるようにすると沙耶たちを手招きする。沙耶も亜沙子たちを連れて浩一の下へ向かい、席につく。
「凄い人気のお店ですね」
「おう! 今一番熱いのはここだからな! 何たってどこよりもメニューが多いし、何より美味い! そりゃどいつもこいつもここに来るってわけだ」
浩一が得意気に喋りながら、手慣れたように店員を呼び付け、メニュー表も見ずにいくつかの料理を次々と注文する。
あの魔物を料理に使うという紙面をウケに流してもらってからまだ数日しか経ってないはずだ。だが行き交うメニューの豊富さに、この店の熱量を、人間の強い欲求を感じた。
「食えんもんとかないな? つっても何がなんだか分からんだろうから俺のおすすめを奢ってやる! 出てきたもんを見てみて食えそうなのを食ってくれや」
「は、はい」
沙耶は浩一の勢いに圧倒されっぱなしだ。亜沙子と優香に至っては肩身を狭くしてびくびくと周囲を見回している。
「なんでぇ、いっちゃん! 今日は来ねえと思ったらそんな若え子ばっか引き連れて。何処で引っ掛けてきたのさ」
突然背後から聞こえた囃し立てるような大きな声に、亜沙子と優香が小さく悲鳴を上げた。見ると亜沙子たちの後ろに浩一と同じ年代と思われる見知らぬ男たちが三人立っていた。
「ばっきゃろー! いきなりでけえ声出すんじゃねえよ! 嬢ちゃんたちがびっくりしちまうだろうが! この子らはほれ、今日来た団体さんの『忘れ物』だよ」
「ああ、あの!」
「そりゃ大変だったなあ!」
賑やかな店内の喧騒に対抗するかのように、「大きな声を出すな」と言う浩一の声も、それに口々に応える男たちの声もまるで怒鳴り合っているように大きい。彼らは浩一たちの後ろの席を空けさせて、そこに座ってきた。
まだまだここから離れるつもりはないらしい。




