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「旅の途中? こんな世界で旅たあ、凄えじゃねえか! 見かけによらず剛毅だねえ! なら沙耶ちゃんらは書かずに入ってもらやあいいだろうが」
一通り事情を聞いた浩一はあっさりとそう答えた。その単純な答えに綺咲が困ったように何か反論していたようだが、他に案が思いつかなかったのだろう。結局浩一の言う通りにしようということになったらしい。
ひとまず亜沙子と優香は申請書を全て記入し、沙耶とルシファーは白紙で用紙を返した。
「はあー。確かにここに住むんじゃないなら班分けの必要もないから個人情報はいらないけどさ、人数把握は必要だろ。それはどうすんだい」
「あん? この拠点に既に何人いると思ってんだよ。一人二人くらいなら関係ねえだろ。それに聞きゃあ、そんなずっと滞在はしないつもりってんじゃねえか。そんくれえなら誤差だ、誤差!」
「あんたねえ。あたしゃそれで「計算が狂った」とか文句言われんのはご免だよ」
「ったく、うるせえなあ。ならこの紙出す時に口頭で管理部の奴らに言っときゃいいだろ。どうせ結局俺がもう一往復しなきゃなんねえんだしよ」
そう言うと浩一は亜沙子と優香が書いた申請書と白紙の申請書二枚を引っ手繰ると、再び建物から飛び出していってしまった。
「えっと、あの、すみません。大丈夫でしたか?」
「え? ああ、うん。ま、あとはあいつが上手くやるだろ」
綺咲が大きく溜め息をついて、ぐったりとしたように椅子に深々と腰掛けた。
「管理部の奴らは口うるさくてね。つってもあいつらの計算で魔物襲撃の予測を立ててるから文句も言えないんだよ」
「襲撃を……予測?」
「そうさ。聞くところによると魔物どもは拠点にいる人間の数によって襲撃の頻度が変わるらしくてね。昔まだそんなに人が多くなかった時は何となくでも対処できたが、ま、これだけ人数が増えて拠点の規模もデカくなったから、そういうわけにゃいかないんだろう。だからこうやって拠点から離れた場所に小屋を立てて、拠点に入る前に人数を報告して再計算してから入れるようにしてんだって。とはいえ計算つってもざっくりしたもんだがね。あれだ、一昔前の天気予報みたいなもんさ」
“人数か!”
沙耶が心の中で驚嘆の声を上げた。
このことにはホームセンターの拠点での宴の際に薄っすらと気付きかけてはいた。小さな拠点には魔物の襲撃は殆どない。あったとしても魔物は迷い込むようにして入ってくるのであって、大きな拠点のように巨大で強力な魔物がわざわざ襲ってくるようなことはない。
だがその契機が拠点の規模によるものなのか、人間の数なのか、契約している隷獣の数なのかは判然とせずにいた。それがこの拠点ではその契機を判明させ、外れることもあるそうだが、ある程度の目星は計算でつけられるようになっており、それを管理するための仕組みまで出来ている。
“やっぱりこの拠点は凄い。無理言って寄らせてもらって正解かも”
そうして暫く雑談などして待っていると、浩一が直ぐに戻ってきた。その足取りは苛立ったように荒い。
「ったく頭の固い連中だ」
「ちょっと、やっぱり文句言われたんじゃないの」
「けっ、知るかよ。そんなことよりほれ、沙耶ちゃんと……ルウつったか。そりゃあだ名か。つーかそもそも日本人か? まあ、いいや。二人はこれ下げてくれ。入場許可証的なもんだ。こっから出てく時に俺に返してくれ。それでもって二人が確実に拠点から出てったことの証明とするんだと」
億劫そうに、小さな板のついた紐を指先で摘み上げて沙耶に渡す。その手続きが面倒だというのを隠しもしない。浩一を睨めつけるように見ていた綺咲がはっと何かに気付いた。
「三嶋! まさか「俺の責任でどうたら」とか言ってきたんじゃないだろうね」
「あー……そんなことも言った気もするが、俺の言葉程度であいつらが納得なんてしてくれるかよ。ゴリ押しだ、ゴリ押し」
「なお悪いわ!」
浩一と綺咲が言い争う姿に、亜沙子と優香が怯えている。自分たちが怒鳴られているわけではないのだが、そのように感じてしまっている。それとは対照的に沙耶とルシファーはそそくさと建物の外に出てユキを呼び出し、飛び立つ準備をする。折角個人情報の開示を有耶無耶にしたまま拠点に入れるならば、是非ともその機会を有り難く使わせてもらうまでだ。
沙耶は浩一に声を駆けて出発を促した。
「おう、待たせたな。じゃ早速行こうぜ」
浩一も建物から出てきた。見るとその背後には根負けしたように項垂れる綺咲の姿も見える。慌てて亜沙子たちも続けて出てくると、皆自分の隷獣を呼び出して騎乗する。
「俺ぁこのまま上がるから、後はよろしくな」
「は、はあ? 何言ってんのあんた! まだ交代の時間じゃないじゃないか!」
「次の奴に前倒しで代わってくれるよう頼んであるから問題ねえ。じゃあな!」
怒鳴る綺咲を尻目に、浩一はそう言い捨てて上空に飛び上がった。沙耶たちもそれに続く。
そして逃げ出すようにして、三組の隷獣たちは聳える城壁の下まで飛んで行ったのだった。




