157
沙耶はなるべく二人を安心させるように、しっかりとした口調で話しかけた。
「大丈夫、安心して。はぐれちゃったのはどれくらい前かわかる? そんなに時間が経ってなければ追いつけるかもしれない。見たでしょ、私の隷獣は空を飛べるんだよ」
明るくそう言って、両手を大袈裟に広げてみせた。今まで人形のように表情の動かなかった優香が僅かに動いた。亜沙子の表情も明るくなったのがわかった。
「わ、わかります! はぐれちゃったのは一時間くらい前で、ここから北の方にある……奈良市の辺りに行くんだって言ってました。そこに大きな拠点があるって噂で聞いて、入れてもらおうって皆で移動してたんです」
亜沙子が身振り手振りを交えて必死に説明する。
どうやら沙耶たちは奈良県の辺りまで来ていたようだ。山ばかりの景色ではどこが奈良市なのかわからないが、大きな拠点があるというならば空の上からでも見つけられるかもしれない。
“大きい拠点か。確かに沢山の人がいたほうがウケとの交換頻度が増えてウケの人数も増えて、それでやれることが増えていくってことを考えると、大きいとこに集まってくってのは自然な流れなのか。……でも子供がはぐれてしまうような強行軍をしてまで……”
黙り込んでしまった沙耶に、亜沙子は慌てた。偶然通りかかっただけのこの人が、自分たちのような子供を連れて移動するのに不安を感じているのではないか、ともすれば荷が重いと感じて連れて行ってくれなくなってしまうのではないか。そんな考えが脳裏を走った。それは元いた拠点から移動を決定した際に、大人たちがこっそりと話していた言葉でもあった。
だがそれは困るのだ。今は頼るすべがこの女性しかない。
「待って、待ってください! あの、私隷獣持ってます! 足手まといに……なっちゃうかもしれないけど、ちょっとならお手伝いできます! が、頑張りますから……っ!」
突如叫びだした亜沙子に、沙耶はびくりと身を竦ませた。
最初沙耶は亜沙子が何を訴えたいのかがすぐには理解出来なかった。いきなり何故そんなに必死に隷獣を持っていることを訴えているのかがわからなかった。だが直ぐに考え込むという行為が、彼女たちを不安にさせてしまったのだと気が付いた。
「あ、ああ! 違う違う。大丈夫、見捨てたりなんてしないから」
慌てて返したその言葉に、亜沙子はあからさまにほっとした表情をした。やはり不安にさせてしまっていたのだ。
“うあー、やっぱり年下の子って難しいな。今までは年上の人と一緒にいることが多かったし、引っ張ってってもらうことも多かったからな……”
思い出すのは圭吾に千幸、勝成に、そして竜巳だ。皆自分と同じく右も左もわからない状態で未知の世界に放り出されているのに、信念や己の意志を持って進んでいた。それに何度支えられ、助けられたか知れない。
そして今は自分がその立場に立たなければならないのだ。
しっかりせねば。
「私もね、泊めてもらおうと拠点を探してたんだよ。だから一緒に行こう! あ、そうだ。亜沙子ちゃんは隷属契約出来てるんだよね? もしよかったら見せてもらえない?」
努めて明るく振る舞おうと、少し話題を変えた。
少しでも戦えそうなら「頼りになる」と、そうでなくとも何か好意的な言葉を掛けることで亜沙子が自身の存在に価値があるのだと思わせて安心させられないか、と考えたのだ。
しかし意外なことに、沙耶の申し出にいち早く反応したのは亜沙子ではなく優香だった。
「お姉ちゃん、ティアラ……!」
目を輝かせて、期待のこもった顔で姉を見上げる。亜沙子は優香のその顔を見ると一瞬気まずそうに視線を逸らしたが、様子を伺っている沙耶に気付くと、何か決心したように背筋を伸ばした。そしてすっくと立ち上がると、洞の入り口近くまで歩く。指輪を嵌めた左手を握り締めるように右手で包み込むと、間もなくその右手の指の隙間から光が漏れ出た。
そして洞の外に、一頭の美しい白馬が現れた。
凛とした顔立ちに、長い毛並みは純白に揺れ、止みかけの霧雨が当たってきらきらと光っている。尾やたてがみは風になびく度に虹色の光を帯び、額からは乳白色の小さいながらも鋭い角が伸びている。
その容姿を見た沙耶は思わず叫んでいた。
「ユニコーンだ!」
驚愕の色を滲ませる声に、亜沙子はどこか恐縮したような、優香は自慢気な顔を浮かべていた。ルシファーやミカエル、天照もだが、彼らの名前は唯物界では一定の知名度がある。だがそれでいうとこのユニコーンだって負けてはいない。
予想もしていなかった高名な生き物の登場に、沙耶は当初の思惑など忘れて純粋に一人盛り上がっていた。
「おおー、凄い! 綺麗だなぁ。あ、この子ユニコーンであってる? 名前はえっと……」
「ティアラ! ユニコーン、だよ……!」
先程までびくびくと頑なに口を開こうとしなかった優香が飛び出すようにそう答えた。沙耶は内心それに驚きながらも、なるべく平静を装い、事もなげに会話を続けた。
「ティアラっていうのか。可愛い名前だ。優香ちゃん、この子が好きなんだね」
「うん……。な、名前、私がつけたの。お姉ちゃんが、「いいよ」って」
「そっか。似合ってるね」
優香は会話するのに慣れていないかのように言葉が詰まりがちだが、それでも沙耶の言葉に満足そうに、誇らしげに答えた。どうやら優香に関しては、目的は達せられたようだ。
しかし亜沙子の反応が気にかかった。亜沙子は己の隷獣だというのに、殆ど見ようとしない。沙耶は思わず眺めてしまう程だというのに、亜沙子のその様子はどこか怯えてすらいるように見える。




