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ルシファーの怒鳴り声を躱すようにして竜巳が天照へと顔を向けた。
「なあ、天照殿。ちなみに「俺たちのしている隷属契約の指輪と全く同じには出来ん」と言っていたが、例えばこいつらが隷属契約の主となることは出来んのか」
竜巳の言葉に、沙耶も圭吾もぽかんと口を開いた。
それは考えたこともなかった発想だったのだ。それが出来るようになればかなり行動に可能性が増えるのではないだろうか。
だが天照の返した答えは実にあっさりとしたものだった。
「出来んな」
竜巳が苦笑して肩を竦める。
「はは、やはりそうか」
「何じゃ、お主わかってて聞いたであろう。隷属契約は主が隷獣へと魔素を渡し、隷獣はその魔素で存在を顕現させて主を守る。そういうものじゃ。こやつらは式で魔素を使うことは出来るが、魔素を生み出すことは出来ん。こいつらが隷属契約を使えるとしたら余剰の魔素があることが大前提じゃ。魔族と天族間の魔素循環の仕組みが機能していた頃なら使えたかもしれんがの。それが破綻し、存在維持を主である人間に依存している現状では無理じゃな。よしんば使えたとしてもそれは己の肉体を餌として分け与えているようなもの。守るどうこうの前に餌として食い尽くされて終いじゃの」
「はいはい、姉様」
沙耶が手を上げた。
「なんじゃ、沙耶」
「じゃあもし主である人間からの魔素供給が止まっちゃったら隷獣であるルシファーたちってどうなっちゃうんですか?」
「ふむ……そうなる時と場合に依る、といったところじゃが、そうさの……究極的には消えるんじゃろう」
「ええっ!?」
ぎょっとして声を上げる沙耶。横で聞いていた竜巳と圭吾も目を瞬かせている。
魔素の供給が途絶えたら。
つまり主である沙耶たちの魔素が尽きたら、ということだ。今までそんなことが一体何回あったことか。
「消え……ってつまり死んじゃうってことで……え」
「ばーか。何びびってんだ」
余命宣告を受けたかのような顔でルシファーを見る沙耶に、当の本人があっけらかんとして沙耶の額を指で弾いた。
「お前からの魔素がなくなったからってそんな直ぐに消えるかよ。今までだって魔素が尽きてぶっ倒れても俺はピンピンしてただろうが。俺は魔素の供給がなくても暫くは自分の魔素だけで生きられるし、式も発動させられる。人間だって食い物がなくなったからって直ぐには死なねえだろ」
「あーまあ、確かに言われりゃそうか」
ルシファーの説明に竜巳が納得したように顎をさする。しかし沙耶はそうではないようだ。
「いや……いやそれ、「収入がなくなっても当面は貯金を食い潰して生活できます」って言っているようなものでしょ! 破滅が目に見えてる!」
「相変わらず妙に現実的な例えをするなあ」
竜巳がそれを見て笑い声を上げた。そしてすっとその笑みを消した。
「では天照殿。少し話は変わるが……というか戻す、が正しいな。これが、こいつらが隷獣であることを隠す一番の理由でもあるのだが……以前ユキを俺が沙耶から借りる、というような話をしていたな。つまりこいつらも俺たち以外が使う方法がある、ということか」
「……え?」
竜巳がミカエルを親指だけ立てて指差した。沙耶が固まる。
――それはつまり……ルシファーを、他の人が?
胸の奥がざわついた。言葉にはし難い、どこか不快な感情だった。
「私はお前以外の人間に使われるつもりはない」
一人もやつく心境に困惑している沙耶だったが、ミカエルがすぱりと断言する。竜巳が「はは」と笑った。
「光栄なことだな。まあ、俺だってお前を他人に使わせるつもりはない。だが先程の話に戻るが、俺の隷獣がこいつだと知って「そんな強力な隷獣ならば自分だって欲しい」と考える奴は必ずいる。そしてそんな奴が強硬策に出て俺から何らかの方法で指輪を奪ったとすれば、そいつは俺の代わりにミカを使えるようになるんじゃないのか」
真剣な眼差しで天照へと問い掛ける竜巳に、沙耶も不安げな表情で落ち着きなくそわそわとしている。
他人の隷獣を羨んだ者による強硬策。
考えうる方法は安穏と暮らしてきた沙耶ですらいくつも思い浮かぶ。それが凶悪な思考をする者がするとなればさらに方法は増えるだろう。いくら隷獣は主を守るとは言え、それは絶対ではない。
天照は口を開かない。
その沈黙は一体何を意味するのか。
「お前がそんな心配をする必要はない」
神妙な空気を無視して、ルシファーは沙耶の頭に手を置いた。
「え、でも」
戸惑う沙耶に、天照の笑い声がからからと響いた。にやついた笑みを浮かべて天照がルシファーを見る。
「何じゃ、ちっとはお主も隷属契約について知ってはいるようじゃな。折角ならからかってやろうかと思うたのに」
鼻を鳴らして天照が椅子の背もたれにもたれかかった。沙耶が「え」と言って天照へと視線を向けた。
「隷属契約、というと主である人間側による一方的な契約であるかのように聞こえるがの、実際は主と隷獣とは対等な関係じゃ。他人への譲渡はまず主がその者への譲渡の意志を持ち、加えて隷獣がそれに承諾しないと成立しない。お主の懸念しているような事態になったとして、その強奪者は指輪だけは持っていけるかもしれんが、そこに魔素を流し込んでも隷獣がそれに応える必要はないのじゃ。何故なら主の意志も隷獣の意志も伴っておらんのだから譲渡の条件を満たしておらん。ただの魔素の食わせ損じゃな」
天照が「やれやれ」と言うように両手を上げた。
「寧ろ隷獣はそうやって流し込まれた魔素を使って顕現し、その強奪者を殺して主のもとに飛んでいこうとすらするじゃろうな。隷獣の至上命令は主を守ることじゃからの」
「あ、そう、なんですね」
「だから言ったろ」
沙耶があからさまにほっとして身体の力を抜いた。ルシファーは小さく笑ってその頭をくしゃくしゃと撫でた。




