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となりの世界の放浪者たち  作者: 空閑 睡人
第二章:被災者たち
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14

「沙耶、その様子だと何か食えたんだろう。ならもうここにいる必要はないな」


ルシファーに気圧され、へたり込んでいた花菜たちが息を呑む。

その様子に気付いたのか、沙耶が慌ててルシファーを引き止めた。花菜たちとルシファーを交互に見遣り、紹介するように花菜たちに手を伸ばした。


「あぁ、ちょっと待ってって。ご飯はもらえたんだけど……ほら、そのお礼に! ルシファーから色々聞きたいんだって! えっと、私も聞きたいし」

「ああ? お前には散々話しただろうが。嫌だね、面倒くせえ」

「うおお! ラストチャンス、ラストチャンス! もう今後聞かないから!」


そう言って沙耶は気怠げなルシファーに食い下がる。その姿はまるで親に菓子をせがむ子のようだ。

二人の様子を呆然と見ていた花菜たちは、だんだんと落ち着きを取り戻していったようだ。沙耶が必死の説得でルシファーを無理矢理頷かせた頃には、もういつもの調子に戻っていた。

だが直接脅された英樹はまだ硬直し、浅い呼吸を忙しげに繰り返していた。


「だあー、わあったよ。いいか、これっきりだからな!」

「しゃーっ! OKいただきました! 言質取ったからね、ちゃんと答えてよね!」

「うるせえ、俺の気が変わらん内にさっさとしろ」

「おし、おーし! ささ、お二人とも、今の内ですよ!」


沙耶が花菜と藤田に振り返る。二人は互いに顔を見つめあわせた。いきなり聞けと言われても戸惑うのも無理からぬことだった。たじろぐ藤田だったが、花菜が堰を切ったように声をあげた。


「なら……なら、どうすれば家に帰れるの!? あたし、もう家に帰りたい!」


花菜の言葉にルシファー以外のその場にいた全員がはっとした。


そうなのだ、それが一番、何より、誰もが聞きたいことなのだ。そして返されるであろう言葉を恐れて一番聞き辛いことでもあった。


「知るか、んなこと」


わかっていたことだった。だから沙耶も聞けずにいたことでもあった。それでも聞かざるをえなかったのだ。


花菜も予想はしていたのだろう。だがそれでもルシファーの口からそうはっきりと返されてしまったことで、現実を突きつけられた。それは彼女にとって小さくない衝撃だった。花菜はか細く「そう」とだけ呟くと、その場にへたり込んで押し黙ってしまった。


「なんだ、もういいのか」


痺れを切らしたように、ルシファーが首を傾げた。慌てて藤田が会話を繋ぐ。


「ああっ、待ってください。ええと、そう! そもそもここはどこなのですか? 明らかに私たちのいた日本でもないようですが、先程までいたあの建物はまさしく私が直前まで働いていた建物だ。だから外国、というわけでもないのでしょうし。本当に異世界、というやつなんでしょうか」

「ここは地界だ」

「ち、かい……? ええと、聞き慣れないのですが、地界という世界なんですか」

「世界はな。異世界って意味ならお前たちは幻視界に召喚されたことになる」

「地界という世界で、ゲンシカイという世界……?」

「お前たちがいたのが唯物界でこっちが幻視界だ」

「ユイブツ……ん、んんと?」


藤田がとうとう何も言えなくなってしまった。横で聞いていた沙耶もよくわからなくなっていた。地界という言葉は前もルシファーから聞いたことがある。だがその時もよくわからずに聞き流していた。改めて考えると確かによくわからない。


「ルシファー、前に地界は初めてって言ってたよね。ルシファーがいたのが幻視界で地界が初めてってこと?」

「はあ? 地界は幻視界だろうが。俺は元々魔界にいたんだ。だから地界は初めてだって言ったんだよ」

「んんー?」


沙耶も何も言えなくなってしまった。何か役に立てるかもと三人をここまで連れてきてルシファーも説得してみたが、これでは余計に混乱を増やしただけではなかっただろうか。


“私の聞き方が悪いのかもなんだけど……でもこいつが教えるの下手ってのも絶対にあるでしょ!”


さっぱりとわからない専門書を専門用語で解説されている気分だ。既に心が折れかけているが、ルシファーにあれこれ聞くのはこれが最後だと約束してしまった。きっと本当に今後は一切話してくれなくなるのだろう。


「あの、ちょっといい……ですか」


沙耶が眉間に指を当てて唸っていると、背後から弱々しい声がした。先程まで腰を抜かしていた英樹だ。ルシファーが怪訝な顔で睨みつけた。


「ああ、何だ餓鬼」

「ひっ!」

「うわわ、ルシファー凄むなって!」


沙耶が慌てて後ずさる英樹の前に立ちふさがる。英樹は沙耶の背に隠れるようにルシファーの視線から逃げた。

だが、それでも言葉を続けた。


「すいません! でも、その、ルシファー、さんの言ってることってこういうことですよね」


そう言って英樹は地面に指で何かを書き始めた。左側に大きな丸が一つ、右側に先程の丸の半分くらいの丸が二つ。そして左側の丸と右側の二つの丸の間に一本線を引いた。


「この大きな丸がある左側が唯物界。俺たちが三日前までいた世界です。区別のために世界でなく時空と言ってもいいかもしれません。で、この二つの丸が書いてある右側が幻視界という時空。丸のそれぞれが地界と魔界という世界、ではないでしょうか」

「まあ、そんなとこだな」

「ああ、なるほど!」


地面に書かれた図を見て沙耶と藤田が納得の声を上げた。


“やっぱりルシファー説明下手じゃん!”


沙耶は心の中で毒づいた。


「だがこっち側、丸が一つ足りねえな。これだと天界がない」

「天界もあんの!?」

「あるに決まってんだろ」

「知らんよ!」


思わず強めに言い返してしまったが、後悔はなかった。ルシファーはやれやれとでも言いたげに手を振る。


「お前らの理解力が乏しいんだろうが。俺に当たんじゃねえ。……おい、餓鬼」


突然ルシファーに声を掛けられて、英樹がびくりと肩を震わせる。


「お前、性格はクズだが理解力はあるようだな。もうお前がまとめて聞け。こいつらじゃいつまでたっても埒が明かん」

「なあっ! クズって言うほうがクズなんだよ!」

「お前は黙ってろ」

「むう!」


ルシファーは片手で沙耶の顔を掴むように覆った。強制的に口を塞がれた沙耶は必死にルシファーの手を外そうとするがびくともしない。


英樹は動揺しているようだった。無理もない。先程あれほどまでに威圧された相手だ。それにこれは現状を知る絶好の、またとない機会なのだ。

一人で聞く。それはつまり自分の肩に、ここにいる三人だけでなくショッピングセンターで待つ三十人以上の帰還を切望する人たちの望みや今後の人生をも背負うことになりかねない。そんな重責など今まで感じたことなどなかったのだ。

重すぎる責任に英樹の呼吸が荒くなった。


「袴田くん」


はっと振り返ると、藤田が優しい顔で、英樹の肩に手を置いていた。


「何も気負うことはありませんよ。そもそも君がいなければ私たちはこの世界がどうなっているのか、何よりこれ以上何かを聞き出すことすらできなかったかもしれません。君ができないということは、今この場にいる誰にもできなかったというだけのこと。やってみた分は確かに前進できるのです。君にできる範囲で、できる限りのことをしてみてください。それが現状においての最高の結果なんです。なに、私だって頑張って頭を働かせますから」


藤田の穏やかな口調に、英樹の目頭が熱く滲んだ。藤田はそのまま英樹の肩をさすり続ける。英樹の強く引き結んだ口が震えた。そして顔を上げ、ルシファーと目をあわせた。

英樹はもう目を逸らさなかった。



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