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“そんなことするくらいなら拠点に寄らなくても……。何なら、寄ってもウケのご飯で……”
と、そこまで考えて「それは無理だ」との結論に至る。人間、一度良い環境に身を置くとなかなか劣悪な環境にはすんなりと戻れない。魔物食の味を知ってしまった今、今更ウケの食事をとることは、食事を抜くよりも受け入れ難いことであった。
“ああ、それでもやっぱり面倒くさい……。一体何度同じことを繰り返す羽目になるんだ。こういう時ネットとかで情報を公開できるっていうのはやっぱり便利だったんだよなあ。とはいえネットがない時代は違う物で代用してたわけで。立て札とか回覧板とか……そう、紙媒体……”
何かが沙耶の頭に引っかかった。
何かが思い出せそうな気がするが、まるで管の先に異物が詰まって水が出なくなってしまったかのように、もやもやとする。その管を振ったり揉んだりするかのように、ごろごろと机の上で頭を転がす。
「ううん、ううん」
果たして意味のないようなその沙耶の行為を、ルシファーが訝しげに横目で見る。
「何やってんだ……お前」
「あっ!」
沙耶が跳ね起きた。手を伸ばしかけていたルシファーは「おっと」と、その手を咄嗟に引っ込めた。上体を起こした沙耶が、変わらず独り言を呟きながら何かを紙に書き連ねている天照の横に滑り込むようにして移動した。
「姉様! さっきどれかの服をウケに流すって言ってましたよね? それってつまり全国の座のウケからその服を交換出来るようになるってことですよね?」
「……ん? そうじゃが」
漸く顔を上げた天照が不思議そうに沙耶の顔を見返した。沙耶が口角を上げた。
「ならなら! ウケに魔物食のことを詳しく書いたメモみたいなのを流してもらうことって出来ますか?」
沙耶の声が期待に逸って上ずる。竜巳が「あ」と声を上げる。天照が顎をさすった。
「ただの紙を? ……ああ、なるほど。沙耶が流したいのは物ではなく情報か。やはり人間の発想は面白いのう。――ふふ、もちろんその程度、造作もない。可能じゃ」
その答えに、沙耶が瞳を輝かせて竜巳と圭吾へと振り返る。圭吾は頷いて賛同の意を示してくれたが、竜巳が少し考え込むように眉根を寄せていた。
「情報の周知という点ではいい考えだが……。だがこの情報の価値は高い。強力なカードになる。……が、俺だって方々で教えて回るだなんて御免だし、出先の拠点でも美味いもんが食いたい。これは物食って魔素を回復させる俺に取っちゃよっぽど死活問題だしな。背に腹は代えられん……」
何か葛藤しているようだが、どうやら一応は賛成の方向を向くようだ。沙耶は再び天照に向き直った。
「載せるなら素材化の方法とかコツとか、食べ方とか、あと具体的な調理例とかかな? そこは皆で考えてもらえばいいか。とりあえず沢山の人に知ってもらいたいし……。紙で一、二枚位ならそんなに魔結晶もいらずに交換できますよね」
「うむ。握り飯一つ分もいらんな」
「――いや、価格設定は高くしろ」
興奮したように話す沙耶とそれを聞く天照の間に、竜巳が割ってはいった。困惑する沙耶の気配を感じ取ったのか、竜巳が指を二本立てて続ける。
「原価的な意味で言えば極少ない魔結晶で交換は可能だろうが、あえて高くする。その理由は主に二つ。まず一つ目は、安すぎるものに人は価値を感じない。逆に高いものであればそれは価値がある、それだけの対価を払う意味があるものだと思い込む。同じ栄養ドリンクと知らせずに高い値段と安い値段で売って効果をヒアリングしたところ、高い値段で買ったやつのほうがその効果を強く感じた、という話もある。加えて高い費用を払ったのならば、その対価分の元を取ろうと必死になってその情報の実現に努めるだろう。情報の信用度も上がる。より確度を上げて広めたいなら高い価格設定のほうがいい。そして二つ目が、所謂ライセンス料みたいなもんだな。紙代を差っ引いた差額を沙耶への売上としてプールしたい。この魔物を素材化出来るという気付き、というか発明だな。これは沙耶が第一人者みたいなもんだからその権利はある。……ああ、そういや圭吾も携わってたんだったか。お前の取り分もいるか?」
一本目の指を曲げた時には感心したように聞いていた沙耶だったが、二本目の指を竜巳が曲げた時に「ん?」と肩眉を上げた。圭吾も面食らったように目を丸くして手を横に振る。
「え、いや僕はいいよ。素材化に関してはほぼノータッチだし」
「ふむ、そうか。……で、どうだ天照殿。可能か?」
竜巳が天照へと視線を移す。
「沙耶に会った時に渡してやる、という方法でならば可能じゃ」
「それでいい。さて、そうなるとどの程度の価格で設定するのが妥当かってことだな。というより、そもそも未だに交換レートが俺たちにわかるような数値で示されていないのは問題じゃないのか。そうだ、この際にだな――」
「ちょ、ちょっと竜!」
なにやら時間の掛かりそうな議論に突入しようとしている竜巳の腕を、慌てて沙耶が掴んだ。そして口を開きかけた沙耶だったが、それを竜巳が目で制した。その目は言葉などなくとも竜巳の言いたいことを雄弁と伝えてくる。
沙耶はぐっと押し黙った。
“こいつ、私を名目に何か企んでやがる。私がそんなの欲しがらないとわかってて、私を口座代わりにしようとしてるな”
沙耶は片頬を膨らませて「言いたいことはあるが呑み込んでやる」という意思表示をすると、その手を離した。
竜巳が苦笑する。どうやら沙耶の思いは伝わったようだ。




