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旅の支度は次の日も続いた。ウケから旅に必要な物資を交換し、順調に準備を進めていると沙耶たちは服装の問題に行き当たった。
厚い外套は持っているが、天ノ間の外の気候からすると、それでは足りない。ならばもっと防寒性能のよい服をウケから交換しようとしたのだが、そこに口を挟んだのが天照だった。
「そんな既成品でなく、儂が作った服を着ていけばよかろう!」
朝の穏やかな日差しの下、ウケが居所と定めた部屋から悲鳴のような訴えが響いた。
呼び出されたウケは基本的に天ノ間のとある一室から動くことなく留まっている為、沙耶たちはその部屋で準備を進めていたのだが、その部屋に入ってきた天照が、防寒着を着ている沙耶を見て声を上げたのだ。
頭にすっぽりと被る厚手の帽子に、口元まで覆うネックウォーマー、何枚も重ね着をした上にごわごわと厚い外套を更に羽織る。服の色も良く言えば汚れが目立ちにくく、実を言えば地味で野暮ったい。服を着込み過ぎているのか、どこか身体の輪郭が丸みを帯びたように見える沙耶に、天照が悲壮な面持ちで待ったをかけたのだ。
その隣で同じような格好をしていた竜巳も、部屋に入ってくるなり突然叫び出した天照に面食らっている。
「いきなり何だ、そんな幽霊でも見たかのような声を出して」
訝しげに尋ねる竜巳など視界に入らないかのように、視線が沙耶の服に釘付けになっている。そして戦慄いて手を震わせた。
「な、何じゃその……その美しさの欠片もないような格好は! 顔が殆ど見えんではないか! というかもはやそれは布達磨じゃろが!」
「布達磨って何です……?」
沙耶が帽子を脱ぎ、頭を振った。髪がくしゃくしゃと乱れているのを手櫛で整えながら、困ったように竜巳を見た。竜巳も肩を竦める。
「儂が作った服が沢山あるであろ! あの中に気に入った服はなかったのか?」
そう言うなり天照が服を急いで何着か持ってくると、それらを沙耶の前に並べた。
確かにどの服も美しく、可愛らしく、素晴らしい出来栄えだ。これを着ていけたらどれだけ嬉しいだろう。
だがそれは出来ない。それらの服はどれも肩も足も剥き出しの服だ。布は薄く、どこかに引っ掛けてしまえばあっという間に破れてしまいそうだ。防寒どころかただの旅にすら耐えられないだろう。
「姉様……私、それを着て外に出たらたちまち凍えて死んでしまいます……」
沙耶が申し訳なさそうに断るが、ルシファーが当然だとふんぞり返る。
「おい天照。お前はまだ人間について理解が足りんようだから教えてやるが、人間ってのはちょっとの環境の変化で直ぐにどっか壊れるんだ。服ってのはその環境変化から弱っちい身を守る為の鎧みてえなもんだってのに、そのぺらっぺらの服のどこに防御性能がある」
「ぐぬう……!」
「……いや、ルシファーに人間の理解についてとやかく言われたくはないだろうよ」
ルシファーに押し負ける天照が、悔しそうに口を引き結ぶ。その二人に挟まれて沙耶が能面のような顔で呟いた。
「こんなでっかい人たちが雁首揃えてしてることがドングリの背くらべだなんて、滑稽だねぇ」
準備を手伝いながら横で見ていた圭吾が苦笑した。
「確かに僕と天照様とで作った服を着てってくれるのが一番嬉しいけど、あれらは実用性とか全く考えないで作った趣味の産物だからなー。僕もこの二人のスタイリングには思う所あるけど、見た目で健康を損なっちゃ元も子もないですからね。やっぱり長距離旅をするってなれば実用性がまず第一になっちゃうのはしょうが無いですよ」
「むう……実用性か。せっかくだからいくつか出来の良いのはウケにも流そうかと思ったが、それがないと人間が着るのには向かんのか。……ならば仕方ないのう」
悔しそうに腕組みをして唸る天照。だがその言葉に食いついたのは意外にも服装に無頓着な気のある竜巳だった。
「いや、ウケに流すのはよいと思うぞ。最近では戦闘員と非戦闘員が分かれ始め、拠点からあまり出ずに過ごす者も出てきている。あまり尖り過ぎているものでなければ需要はあるはずだ。実用性のない洒落た服を着る、というのは人によっちゃいい気分転換にもなるだろう」
「ほう。お主からそのような言葉が出るとはな……。そうか、ならいくつか見繕って流すとするかの。しかしせっかく沙耶のために作ったのに着て行けんというのは、やはり口惜しいのう」
活用する道が見えて少し上向きかけた天照だったが、それでもやはり落胆の色は濃い。沙耶も申し訳なく、何か言葉をかけようと考えあぐねていた時、ふと思いついたようにルシファーのほうへと振り返った。
「あ、そういえば沢山刻式を作ってるときに「熱くなる」とか「光る」とか色んな効果のものがあったけど、あれって服には組み込めないの? 確か厨房設備に組み込んだのにそういうのあったよね」
「服に? ……出来ないこともないだろうが、魔素の供給が必要だし、それにあの石を服に付けたら邪魔じゃねえのか?」
「まあ、それはそ――」
「そうか!」
突然背後から響いた声と破裂音に、びくりと肩を跳ね上げる沙耶。竜巳たちもぎょっとして目を丸くする。見ると、高らかに響いたのは天照が手を打ち合わせた音だった。
「そうか、刻式で実用面を補えばよいのか! これならばやりようはある。……うむ、うむ」
大きく独りごちると、ぶつぶつと呟きながら紙と筆を掴み寄せて何かを書き殴りはじめた。そして「何事だ」と向けられる視線を意に介することなく、考えを紙へと書き込んでいく。
仕方なく沙耶たちは、一向に反応のなさそうな天照は放置して準備を進めることにした。




