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“私も……この世界に召喚されたばかりの頃はこの世界がどうなっているのかとか、何で連れてこられたのかとか、どうやったら帰れるのかとかってよく考えてた気がする。でも最近はそれどころじゃなかったというか、別のことで頭がいっぱいだったというか……あんまりちゃんと考えてなかったな。それに思い返せば、帰還の為に何か、真剣に動こうだなんてあんまり考えてなかった気がする……でも”
「今更? とも思ったけど確かにそうだ。それにこんなに大事なら本当ならまずはルシファーとユキに相談しなきゃだった。ごめんね」
「いや、俺たちのことはいい。お前が主だ。主たるお前の望む場所に俺たちは行く。謝る必要はない。だがどういうつもりなのかは気になるところだな」
「そう? なら、うーん。そうだな。……確かに最初は竜の勢いに流されて協力してたってのはあると思う。だから試練とやらにまで私が付き合う必要はないのかもしんない」
ルシファーが片眉をひょいと上げ、廊下に面した障子をちらりと見遣った。
沙耶が小さな声で続ける。
「でも……やっぱり私も世界の真実とやらは気になるし、それに今手が届くのが私たちだけならそれを成し遂げなきゃ……とは思う。それと、あとはその……竜と一緒にいるのが単純に……楽しいなあって。あはは、いや、駄目だよね、そんな適当な理由じゃ。でも一緒にこの先を見てみたいって、きっと竜となら想像もつかないような面白いものが見れるって、なんかそんな気がするの。変かな」
「……いいや、変じゃない。お前がそう思ったなら理由はそれで十分だ」
ルシファーが柔らかな眼差しで、沙耶の頭に手を置いた。沙耶は照れくさそうに頬をかいて、「へへっ」と笑った。
「あ、でもでも! 何よりも私、行ってみたかったんだよね、九州!」
急にはきはきと大きな声になった沙耶に、目を丸くするルシファー。
「私色んなものが見たくて圭ちゃんたちから離れたでしょ。でもこれといって目的地はなかったから丁度いいかなって。ふふ、きっと九州に辿り着くまでにたっくさん色んなものが見れるよ。あー私、こんな遠くまで出掛けるの初めて!」
そう楽しげに語る沙耶。「どんな魔物がいるんだろう」だの「九州ってことは美味しいフルーツとかあるのかな」などと浮かれたように一人で喋っている。
それを見てルシファーが噴き出した。
“何だかんだと言いながら、結局は自分の為ってか。――はっ、悪くねえ”
堪えるように笑い出したルシファーを不思議そうに眺める沙耶。ルシファーは沙耶の頭をくしゃりとかき混ぜるように撫でて立ち上がった。
「うわ、わ、ルシファー?」
「はあ、俺の主が自分のしたいことに忠実なようで何よりだ。――良かったな、お前も」
ルシファーが障子をさっと開いた。するとそこには正座してこちらを向く沈痛な面持ちの竜巳の姿があった。
「うお、竜? 何してんの、そんなとこで」
「……ルシファー、おっ前なあ! 俺がいることに気付いてわざとその話をしたろう! 廊下で息を潜めて断られるかもしれん答えを待つ俺の身にもなってみろ! 俺は生きた心地がせんかったぞ」
「え? 何、どうゆうこと?」
気の抜けたように正座を崩し、倒れ込むようにして部屋の中へと入る竜巳。ルシファーは愉快そうに笑っているが、沙耶は状況が呑み込めない。
「廊下を通りかかったら部屋の中から、試練を共に受ける是非についての話が聞こえたのだ。それでこの男は死刑判決を待つ虜囚のような顔でそれを聞いていたのだ」
だらしなく寝そべる竜巳を見下ろして、ミカエルも部屋に入ってきた。
どうやら今の会話は聞かれていたらしい。というより沙耶にその自覚はなかったが、竜巳に聞かせる為の会話だったようだ。
「ちょ、ルシファー!」
「はっ! 別にいいだろ」
先程自分が発した言葉を思い出して赤面する沙耶。随分と恥ずかしいことを口走っていた気がする。
「沙耶っ!」
「ひゃい?」
ルシファーを拳で叩く沙耶の肩を、竜巳がしっかと掴んだ。
「言っとくがお前たちはもう計画に……いや、俺にとって不可欠な人材になっとるんだからな! いわば運命共同体! 今更抜けるとか言わんでくれよ」
必死の形相で迫る竜巳に、沙耶とルシファーが顔を見合わせる。
「そんな重たいものに、私たちはいつの間にか入ってたのか」
「知らん」
「お、お前らー」
情けない声で鳴く竜巳に、思わず沙耶は笑い出していた。
恐縮してしまうような、面映いような、それでいて何よりも嬉しかった。頼られているのは沙耶のほうだというのに、竜巳から何かとても素晴らしい贈り物でもされたかのような、そんな心地であった。
“人から頼まれることって、本当は嬉しいことだったんだな“
沙耶は照れ臭さを誤魔化すように、竜巳の頰を引っ張った。




