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「なら飛べばよかろ」
「飛べばって……。沙耶はルシファーが抱えて飛んできゃいいだろうが、俺はミカに抱えられては飛べんのだぞ! こう、精神的に」
「抱えられる側が偉そうだな」
「そりゃ俺はお前の主様だからな」
呆れるミカエルに、竜巳は当然と言わんばかりに事もなげに返す。天照が口の端を曲げた。
「自分じゃどうにも出来んくせに口だけはご立派だのう。ま、だったら沙耶のわんこにでも乗ったらええじゃろうが」
「はい?」
突然お鉢が回ってきてびくりと肩を跳ね上げる沙耶だったが、驚き、その意図を掴みかねている沙耶を意に介することなく天照が続ける。
「ああ、だが行くのは東に一人、西に一人じゃからな。一緒に行ってたら時間がかかるじゃろ。というかこれは一人ずつでないと駄目じゃ。よいな」
「な、何?」
追加された試練の条件に、竜巳が愕然とする。沙耶も瞠目し、口を開けたまま絶句していたが、試練の内容を告げ終え、満足して部屋から出ていこうとする天照に気付き、はっと身じろいだ。ここで戻られては困る。
沙耶は気持ちを切り替えるように頭を振って、天照へと顔を上げた。
「えっと、私からもいいですか。その、シチュウって、支える柱って意味でいいですか? 柱に認められるって一体……?」
こめかみに指を当てながら、沙耶がううんと唸る。
沙耶の脳内には、ギリシャの神殿にあるような白くて装飾のされた柱に手が生えて「やあ」と挨拶をしてくるという、素っ頓狂な絵が浮かんでいた。
そんなわけはないとは、わかってはいるのだが。
「そ、そうだな。天照殿のその言い方だと柱とやらに人格、ないし、意思のようなものが存在し、それらと俺たちとで意思の疎通が可能だとでもいうことか?」
竜巳もまだ動揺を引きずりつつも、慌てて沙耶の目論見に乗る。必死に少しでも情報を聞き出そうとする二人を他所に、天照は何が疑問かわからないといった風で眉を顰めるが、ふと何かに思い当たると「ああ」と声を漏らした。
「何を勘違いているのか知らんが、支柱はそれぞれ東に天族、西に魔族がやっておる」
「む、なら言葉が通じ――」
「なんだと!」
無機物の柱ではなく人型の生き物であることがわかり、胸を撫で下ろした竜巳と沙耶だったが、これに激しく反応したのは、今まで感情を高ぶらせたところを見せたことのなかったミカエルだった。もたれかかっていた壁から背を離し、一歩踏み出す。その表情は必死さに固くなっていた。
「天族だと!? まさか天族の生き残りがここ地界にいるのか!」
声を荒げるミカエルを初めて見た沙耶は目を丸くして狼狽えるが、竜巳はミカエルの思いがわかっているのだろう、「落ち着け」と肩を叩く声にはミカエルを気遣っているのが伝わってきた。
しかしそれを見た天照の表情がすっと温度のないものへと変わった。
それを見ていた沙耶はその変化に思わずどきりと身を固くした。天照は迫るミカエルの迫力に一切動じることなく淡々と、ともすれば冷淡とすら感じられる程に変わらぬ態度でミカエルを見遣った。
「ああ……そういえばお主は天族の生き残りであったな。……色々と聞きたいこともあろうが、それを含めての試練じゃ。後は自身で知るがよい」
その突き放すような口調に、ミカエルが咄嗟に口を開きかけて、そして閉じた。昇った血が下るように、少しずつ普段の調子を取り戻していった。
竜巳はミカエルの肩に置く手に力を込め、天照に向き直る。
「つまり試練とは本州両端にいる支柱と呼ばれる天族、魔族に会い、認められるということ、というわけだな。「認められる」とは随分と曖昧だが、具体的にどうすれば認められたことになるのだ」
落ち着き払った竜巳の問い掛けに、天照は鼻を鳴らして、すっと立ち上がった。
「それも己で確かめよ。――よいか、これより先は試練の範疇。己自身で見て、聞いて、考え、この試練の先の、主らの進むべき道を見定めるがよい」
そう語った天照は、沙耶たちを見下ろしているはずなのに、それをすり抜けてどこか遠い目をしていた。
彼女は何を見ているのだろうか。
「さあ、試練の概要は伝えた。疾く用意し旅立つが良い、放浪者ども」
天照はそう言い残すと静かに部屋を出ていった。
後に残された五人は暫く言葉もなく、ただ座り込むことしか出来なかった。




